月の微笑 其の五 たちが元の世界へ帰った後、残された景時の手を引いて朔が家路につく。 まだ日は高いが、とても仕事が出来るとは思えずに大倉御所から連れ出した。 「幼い時と・・・逆ですわね・・・・・・」 いつも朔の手を引いてくれたのは景時。 何かと庇ってくれた、この心優しい兄が大好きだった。 いつでも朔の味方になってくれた。 たとえ、自分が父親に叱られる事になろうとも─── 「兄上が・・・京へ行った日、私はまだそれがどういう事かわかっていなくて。次の日も遊んでいて 遅くなってしまって・・・・・・でも誰も迎えに来てくれなくて。やっとわかったの・・・・・・」 ひとりで家まで戻って、ずっと玄関で景時を待っていた。 それが何日も続いて、ようやく手を引いてくれる人がいないのだと理解した。 「・・・兄上にお話した事はなかったけれど・・・・・・私、兄上がいらっしゃらなくなったから、しっかり しなきゃって。待ってても、兄上は迎えに来てくれないって。それなのに、兄上ったら・・・・・・」 父が危篤で京から舞い戻った景時は、見た目の軽さに磨きを掛けていた。 「兄上って、一番欲しいモノを口に出来ないのよね・・・・・・父上にだって、もっと素直になって話を してみればよかったのに・・・・・・」 いつも景時を叱ってばかりいた父親だが、景時が居ない時、常に心配をしていたのを知っている。 何かと朔に景時の様子を聞いていたものだ。 「・・・・・・ごめん・・・・・・また・・・オレって駄目だな・・・・・・」 景時とて自覚はあった。 死に際の父と対面し、疎まれていたのではないとわかった時には遅かった。 景時の言葉は、父には届かなかった。 「もう・・・・・・何もいらない・・・・・・オレには何も残らない・・・手に入らないんだ・・・・・・」 朔が振り返ると、景時に表情は無かった。 「さ、もうすぐ着きますから」 ただ景時の手を引いて歩く朔。慰めなどは無意味だ。 朔も黒龍が消えた時に、どうにもならない事があるとわかった。 ただ、景時の場合は少々勝手が違う。 (兄上は・・・手を伸ばせば届いたかもしれないのに・・・・・・) と景時の気遣いがすれ違っているのは、二人の会話でわかった。 しかし、周囲が口を挟んでも景時自身が強固な意志を持って嘘を吐き続けていた。 を説得出来たとしても、景時が嘘を吐き続ける限りが待つ時間が増えるだけだった。 (この宝玉を返しに行く時に・・・星の一族に何か話しを聞ければいいのだけれど・・・・・・) 何らかの手段を使って彼等の世界へ景時を行かせる事が出来るかもしれない。 色々考えながら歩いていると、いつの間にか玄関を潜っていた。 「朔・・・ごめん・・・・・・少し休むから・・・・・・・・・・・・」 朔が景時の手を離すと、景時はひとりで歩いていた。 自分の部屋へ向かって、足を順番に出す動作だけをただ繰り返していた。 (・・・・・・・・・兄上が嘘吐きなのは、貴女も知っていたでしょう?) 景時の背を見送りながら、ここには居ない親友へ語りかける朔。 (・・・そうね、知っていたからこそ・・・帰ったのね。でも、諦めるなんて貴女らしくなかったわね) そっと手を開くと、宝玉はぼんやりと輝きを放っている。 の想いがここに残っているようだった。 夕刻、食事の支度が出来たので朔が景時の部屋の前で声をかける。 「兄上・・・・・・夕餉の支度が出来ました。何か食べた方が・・・・・・」 要らないと言われるだろう事はわかっている。しかし、食べなければ体に悪い。 「兄上?寝ていらっしゃるの?・・・・・・入りますよ?」 朔が戸を開けると、そこに景時の姿は無かった。 「兄上?!」 慌てて部屋中を探す。考えてみれば、人が一人いればもう少し気配くらいあるものだ。 「兄上?!どちらにお出でですの?」 簀子へ出て庭を見れば、景時が夕陽に向かって立っていた。 「兄上・・・・・・そこにお出ででしたか・・・・・・・・・・・・」 景時が生きていてよかったと履き物を履いて景時の隣へ近づく朔。 「・・・夕陽、綺麗ですわね」 「・・・・・・そうだね」 夕陽の彼方に何を見ているのか、景時は沈む太陽を眺めている。 「オレね・・・・・・彼女に何も言ってなかったんだ・・・・・・・・・・・・」 独り言のような微かな呟きだった。 「彼女は・・・ちゃんは・・・いつだってオレに真っ直ぐ言葉をくれたのにね。オレが考えた事 なんて、このまま世界が終われば彼女を引き止められるのかなって・・・・・・」 「何も告げない偽りは・・・・・・気づき難いですわね」 朔は小さく景時に答えた。 「・・・・・・オレが彼女に甘えすぎていたんだ。信じてもらってる事に・・・信じてもらえてた事に。 何処かで・・・まだオレを待っていてくれるかもって、思っていたのかもしれないね」 壇ノ浦でも、景時が九郎を撃ったのは頼朝の所為と。 平泉でも景時を信じて、戦の前に会いに来てくれた。 約束はいつまでも有効なのだと、景時の方こそが信じていた。 「オレが彼女を解放するなんて・・・傲慢な事思ってた。彼女は・・・何にも捕らわれてなどいなかった。 何も見せずにわかってもらおうなんて、虫がいいことあるわけないんだ───」 景時が池の近くの石へ腰かける。 「兄上。食事・・・用意出来てますからね」 何も話さなくなった景時を置いて、朔は邸へ上がる。 (私がいては・・・泣けないでしょう?) いつでも景時が食事を取れるようにしておこうと、朔は台所へと向かった。 そのまま数刻が過ぎると、空に月が姿を見せる。 池に映る月を眺めているように見える景時だが、その瞳に月の光は届いていない。 (父上───オレは、また何も手に届きませんでした) すでにこの世に存在しない父へ語りかける。 (もう一度時が戻せるなら・・・・・・春の京で彼女に想いを告げれば届いたのでしょうか?) 二人でのんびり日向ぼっこをしたあの時に。 (月に手が届くと言われたあの時に、手を伸ばせば触れられたのでしょうか?) 魔法使いと言われたあの時に。 (熊野で彼女の想いに答えれば、オレの心は満たされたのでしょうか?) 最後の思い出作りと、出来るだけいつも通りに振舞ったあの時に。 もうやり直すことの出来ない過去が、景時の中で堰を切った様に溢れ出した。 どれも、これも、自分が後一歩踏み出せば変わったかもしれない瞬間。 (一度きりって・・・あるよな・・・・・・) 弁慶の言葉が景時の全身を支配した。 一度の過ちも許されないことがある─── 何よりも守りたかったものは守れたけれど。気持ちまでは、どうにもならなかったよ─── 翌朝、朔はいつも通り朝の務めをする。 景時が心配で部屋へ行こうとして思い立って庭へ回ると、昨日と同じ場所に景時は座っていた。 「兄上?!まさか・・・・・・」 景時の額へ手を当てれば、熱があった。 「一晩中ここにいらしたの?なんて馬鹿な事を・・・・・・誰か!兄上を部屋へお連れして!!!」 声を張り上げて庭の何処かにいるはずの警備の武士を呼びつける。 間もなくやって来た武士によって、景時は自室へ寝かされた。 程なくして、九郎が景時の許へ訪れた。 「九郎殿・・・・・・申し訳ございません。兄上は病を得ていて・・・休みの使いを出すべきでしたね」 景時の額の手拭を替えながら九郎へ頭を下げる朔。 「・・・いや。兄上に景時の休みをもらってきたから伝えに来ただけだ。しばらく休みがなかったらしい。 だからといって、倒れたとは・・・・・・」 九郎の表情が曇った。 「・・・違うんです。一晩中庭で月を見ていたようで・・・・・・・・・」 「そうか。・・・馬鹿だな、景時は。こんなに想ってるなら、どうしてにあんな事を・・・・・・・・・」 景時の額に九郎が触れると、景時の目蓋が開いた。 「・・・れ・・・九郎。・・・あ〜〜〜、寝坊した。今から行くから・・・・・・・・・」 起き上がろうとする景時の肩を掴み、九郎が床へ寝かせた。 「そうではない。兄上が景時に休みをと仰るので、使いで来たんだ。二、三日はゆっくりせよとの言葉、 確かに伝えたからな。・・・・・・あまり無茶するな」 「あ〜〜、うん。悪かったね。頼朝様によろしくお伝えしてもらえるかな?・・・・・・寝てる事は秘密に」 九郎が横を向く。 「・・・俺は嘘は吐けない!」 「ヒドイなぁ〜。ズシリとくるよ・・・・・・」 景時が再び目を閉じた。 「ただいま!朔、景時。九郎も来てたんだね〜」 朔の気を辿ったのか、景時の部屋の簀子から小さな白龍が姿を現す。 「白龍?!あなた、その姿・・・・・・」 「うん?だって、譲が小さくないとおやつくれないっていうから・・・・・・お土産もあるんだよ?ケーキ!」 白龍が朔の前にケーキの入った箱を見せる。 「そぉ〜っとしないと壊れちゃうよ?甘くてふわふわで、とっても美味しい。皆も食べて!」 笑顔で白龍が朔の前に座る。 「・・・・・・どこから来た?」 消えたはずの白龍の登場に、九郎が白龍を抱えて自分の方へ向かせた。 「神子の世界から。本当は向こうにたくさん居たんだけど、時空を越えて少しだけ調節した。一日くらい ずれてしまったね」 九郎が首を傾げていると、庭から見覚えのある人物が景時の部屋へ近づいて来る。 「将臣?!どうして・・・帰ったんじゃないのか?それに、その髪・・・・・・」 九郎が中腰になり、将臣を見つめる。 階で将臣は靴を脱いで上がると片手を上げた。 「よっ!だらしねぇな〜。こんな事だろうと思ったぜ。ほら、景時!仮病か?起きろよ!」 将臣が寝ている景時に蹴りを入れた。 「将臣殿!兄上は・・・熱があるのです!!!」 「・・・へっ?」 将臣が屈んで景時の顔を覗き込む。 「うわ・・・・・・ほんっと馬鹿だよな〜、景時は。俺と譲に感謝しろよ?いいか、一度しか言わない。俺たちの 世界へ来て、に謝るか。このままここでウジウジしてるか。選べ。時間はそんなにないんだ。早くして くれないと、俺がヤバイ」 爪先で景時の体を突付く将臣。容赦なしである。 「将臣・・・お前まさか・・・・・・」 九郎が立ち上がる。 「おう!迎えに来た。白龍の力を最大使ってもらって、向こうへ一応の景時の居場所も確保して来た。・・・ ・・・後は俺たちには何も出来ない。お前が決めろ。には内緒で来てんだ。玉砕しても責任持てねぇケド。 お前がにした事考えたら、次はないぜ?」 またも景時を蹴る将臣。 景時がやっとの事で体を起こした。 「オレ・・・行ってもいいの?ちゃんに会っても・・・・・・」 衾を握り締め、将臣の目を真っ直ぐに見つめる景時。 「・・・ああ。でも責任は持てない。会うだけは会わせてやるけどな」 腕組みしたまま将臣は動かない。 「オレ・・・・・・」 俯いた景時を九郎が怒鳴った。 「景時!この馬鹿!!!もう後がないんだ。これで行かなくて、どうするんだ!」 景時の被っていた衾を剥ぎ取ると、無理矢理立たせる九郎。 「兄上には、俺からお伝えしておく。景時はを追って消えたと。行くんだ!」 「・・・行ってもいい?オレ、ちゃんを追いかけてもいいの?」 自力で立てない景時を支えていた九郎が、景時を将臣に向かって突き飛ばした。 「好きにしろ。俺は“けえき”とやらを食う事にする」 九郎がその場に胡坐をかいて座る。 「・・・朔。その・・・まだ間に合うかもしれないんだ。だから・・・・・・」 将臣の肩にもたれつつ、景時が朔を見れば背を向けられた。 「私、兄上のお世話には疲れました。私も“けえき”を頂くことにしますわ」 「景時よりケーキかよ。ははっ。景時もな〜、俺たちを随分と騙してくれたんだ。これくらい仕方ねぇな」 将臣が景時を支え直した。 「じゃ、悪ぃケド時間ないんだ。コイツがにふられても、俺と譲がいるから生活は心配すんな。じゃあな」 景時を連れて、また庭へと歩いて行く将臣。 「じゃ、行くよ?」 白龍が天へ向かって手を上げると、将臣と景時が光に包まれ、やがて白龍と共に消えた。 「九郎殿。ありがとうございました」 朔が九郎へ頭を下げる。 「いや・・・・・・景時はもう決心していた。俺は起きるのに手を貸しただけだ」 九郎と朔は空を見上げる。 どうか、景時とが結ばれますように─── 「うわっ!・・・・・・あれ?将臣くん?」 「将臣・・・はぐれた。多分・・・少し早く落ちた。でも大丈夫。景時は譲と後から来て!」 景時をその場に残し、白龍が消えた。 「あっ、ちょっと!・・・・・・ヒドイなぁ〜。そりゃあ、白龍はちゃんが一番大切なんだろうけど・・・・・・」 とりあえず辺りを見回すと、景時が見た事もない高い建物の間にいるらしい。 「・・・・・・譲くんとって言ったって・・・どこにいるってのさ?まぁ・・・熱は下がってるのかな」 あんなにだるかった体が動く。 に会うためには、先に譲を探さなくては居場所がわからない。 「この辺りに譲くんがいるって意味だよね・・・・・・探しますか!」 建物の中へは入らず、庭らしいところを歩く。 景時が落ちた場所は学校の渡り廊下だったのだが、景時にはわからない。 「夕方だしなぁ・・・・・・それに、寒いって」 季節は冬。京の世界の鎌倉は五月の陽気だったのだ。薄着のままではいささか身に凍みる。 ふらふらと歩いていると、複数の人の気配を感じ、何も悪い事はしていないのだが身を隠す。 「すごいよな〜。急に上手くなったよな、譲は」 「そんな事はないよ。でも、集中力はついたかな。こう、一瞬に賭けるみたいな・・・・・・」 クラブを終えた譲たちが着替えに部室へ向かうところだった。 「譲くん!よかった〜、見つかって」 景時が譲へ駆け寄る。 「景時さん?!白龍と兄さんは?」 譲も景時へ駆け寄った。 「え〜っとね、将臣くんは居なくなっちゃって。白龍には譲くんと後から来いって置いてかれた・・・・・・」 譲が額を押さえて天を仰いだ。 「・・・・・・だから俺が行くっていったのに。しかも、一日誤差だよ・・・・・・。それより、景時さん。その格好じゃ まずいから、俺のジャージ貸しますから着替えて下さい」 譲が景時の腕を引いて教室へ行こうとすると、クラブの仲間がまだ譲を待っていた。 「あ、ごめん。この人、知り合いなんだ。俺は後で部室へ荷物を取りに行くから。先に行ってて」 「あ、ああ。わかった。俺たち先に行くな!」 クラブの仲間が居なくなると、譲が自分の教室へと景時を引っ張って歩く。 景時は大人しくしていた。 「ここで着替えて下さい。俺が外、見張ってますから。サイズは大丈夫だと思うんですけど」 譲は自分のロッカーから体操着を景時へ手渡す。 「えっと・・・これね。うん。そ・・・・・・」 首を傾げつつもどうにか着替え終わる景時。 「じゃ、ここで少し待ってて下さい。一緒に帰りますから。俺の着替え、部室なんで」 譲は自分の席の椅子を引くと景時に勧めて、教室を出て行った。 「・・・・・・ここって・・・もしかして学校なのかな」 たちの世界の話は面白く、機会があれば何かと聞いたものだ。 触れてはマズイだろうと、辺りを眺めるだけにしていると、すぐに譲が戻って来た。 「お待たせしました。それじゃ、景時さんの家に行きましょう」 「オレの?」 こちらに景時の家があるというのだろうか? 「あ〜っと。あんなお邸じゃなくて、もっと小さいんですけど。俺たちがこちらで景時さんが暮らしやすいよう 土日に考えたんですよ。で、予定では昨日に景時さんはこちらの世界へ着くはずだったのに・・・・・・。兄さん の所為で、もう月曜日なんです」 謎の言葉が数度、譲の口から零れた。 「・・・・・・どにち?げつ・・・・・・・・・」 頬を指で掻きながら、景時なりに思案する。 「あっ!すいません・・・・・・その辺りはこちらの事情なので。寒いでしょうけど我慢してください。こちらは今、 冬なんですよね」 学校を出て道路を歩く。 「わ・・・・・・なんかすごいね〜〜〜」 まだそんなに広い道には出ていないのだが、景時にとっては初モノばかり。 「景時さん。まだまだ色々ありますよ。そうそう、例の動く車がそこの道を出たら見られます」 「ホント?!わ〜、感動だなぁ〜〜〜。話だけじゃなくて、この目で見られるなんて」 子供の様な景時を見ていると、京での景時が嘘のようだ。 (本当の景時さんって・・・こっちの姿なんだろうなぁ・・・・・・) そして、はそれを知っていたのだろう。景時の強さも、弱さも。 (先輩も、もう一押しすればよかったのに・・・・・・・・・) ありとあらゆるものに対して説明を加えながら、景時の家となるマンションへ着いた。 「隣が兄さんの家ですから。ちゃっかり景時さんの近くに用意したんですよ、あの人」 エレベーターを上がると、ドアを指差す譲。 「景時さんはこの奥の角部屋ですから。たぶん、兄さんも白龍も居ますよ」 譲がさらに奥へ進み、扉の横にあるインターホンを押した。 「よっ!来たな」 「兄さん!景時さんを学校へ放り出して来るなんて、白龍は?」 ドアが開くと同時に譲が将臣へ小言を浴びせる。 「・・・っとに、いちいち細かすぎなんだよ譲は。白龍はチョコ食ってる。上がれよ」 そのまま中へ入れば、またも景時の知らない造りの部屋だった。 「景時!無事だね?」 チョコレートを食べながらソファーへ座っている白龍。 「う、うん。何とか・・・来れたかな」 景時が白龍の隣に座ると、譲は白龍の前に立った。 「駄目じゃないか、白龍!景時さんの記憶、出来てるんだろ?兄さんにチョコで買収されたな?」 譲が白龍の額を指で軽く突付いた。 「あ!ごめんなさい・・・だってコレ、甘くて美味しいから。景時!こっち向いて」 小さな手のひらを景時の額へ当てる。 「こちらで暮らすために必要な記憶と知識だよ?」 一瞬光ったかと思ったが、とくに変化は感じられない。 「・・・・・・え〜っと。何か違うのかな〜〜・・・・・・何コレ?!」 こちらで暮らしたことなどない景時に、不可思議な記憶が加わっている。 「それが必要な記憶です。細かい事は後にして。まずは隣の部屋で着替えて、体操着はオレに 返して下さい。・・・・・・兄さん!景時さんにきちんと説明してくれよ?それに。どうして一日誤差が 出来たのさ?」 将臣と白龍が景時を迎えに行ったのは日曜日だった。それなのに、戻ってきたのは月曜日。 予定では、日曜日に戻ってくるはずだったのだ。 「あ〜〜っと。俺が向こうに着く時間を遅らせたんだ。だから・・・・・・だな。ま、気にすんな!」 「気になるよっ!おかげで昨日用意したものは、冷蔵庫行きだったんだから」 譲がリビングと対面式のキッチン側へ入る。 景時の部屋は、広い部屋がダイニングとリビングでワンフロアーのフロアリングだった。 「煩いなぁ。で?はどうしてた?」 将臣の言葉で、景時の肩が震えた。 「・・・言われた通りに言っておいた。先輩が兄さんが休みで心配して俺の教室まで来ちゃったんだ ぞ?そもそも、兄さんが遅れなければ、日曜日に電話するだけで済んだのに」 「あっそ。上手くやったならいいさ」 将臣が景時と白龍が座るソファーの傍に腰を下ろした。 「じゃ、まずは確認と状況説明だな。隣で着替えが先だな〜。こっちだ」 将臣の案内で、隣の寝室へ入るとスイッチを押す。すぐに明りが点いた。 それが変だとは思わなくなっていた。 「あ・・・そっか。こういう事なんだ・・・・・・」 たちの話で聞いていた事は、すべてが夢物語の様な内容ばかり。 しかし、現実に自分で目の当たりにしても違和感が無くなっている。 「将臣くん、なんだか“知識”っていう意味では大丈夫っポイな〜。オレ、自分でここを押せば明りが 点くってわかってるみたい」 「そっか。じゃ着替えはそのタンスから適当に漁れ。他に必要な場合は、後で一緒に買いに行くしか ないな。着替えたらまたさっきのトコに来いよな」 将臣が部屋を出て行った。気を利かせてくれたのだと思う。 「うん。不思議・・・・・・これがどういうものかとかわかるし。早く着替えなきゃだな」 下着から靴下まで。すべての着替えを済ませると急いでリビングへ戻った。 「よっ、なかなかいいじゃねぇか!やっぱ俺が言った通りだろ〜〜〜」 シンプルな服なのだが、景時は身長があるのでそれがよく似合うのだ。 「ま、それは認めるけど。白龍、これとりに来てくれ」 「うん!」 白龍が譲に言われてお茶を運んだ。 「じゃ、今度は記憶の確認だな」 将臣がラグの上に座って箱をテーブルに置くと、白龍を膝へ抱えた。 蓋を開けて細かなモノを取り出す。 「これがお前の会社で必要なもの。景時は大学と企業の共同開発のプロジェクトに参加している技術者 にしてある。今は企業の技術研究所勤務。動くもの作りしてるトコって感じにしておいた」 社員のIDカードやら色々並べられた。 「あ・・・・・・仕事まであるんだ。そっか、そうみたい」 「出来るだけ景時が好きそうなの考えたけど、嫌ならまだ白龍が変えてくれるぜ?どうする?」 白龍にココアを飲ませながら、将臣が景時を見る。 「オレ、こういうの好き。ありがとう。頑張ってみるよ」 「じゃ、これは解決。後はの件なんだが・・・・・・には景時がこっちへ来られるかもとは言ってない」 将臣は自分のカップを手に取ると、コーヒーを一口飲んだ。 「えっと・・・・・・つまり・・・・・・」 景時も真似して飲んでみたが、知らない味だった。しかし、悪くはない。 「今から俺の引越し祝いと称して呼び出す。後はお前次第。会わせてやるけど、仲を取り持つとは言って なかったよな?」 将臣が意地の悪い笑みを景時に見せた。 「そ、そうだよね・・・・・・今頃追いかけてきて・・・何もかも上手くいくなんて、そんな都合がいい事ないよね」 最後までは景時の前で泣かなかった。あれだけ傷つけたにも関わらずだ。 「俺と譲がここへ戻って来て、どれだけ智恵を絞ったか。本当はすぐにも戻れたんだ。譲ともその予定で話を していたんだが、俺が戻る時間を遅らせたんだ。アンタにの痛みをわからせようと思ってな」 将臣が白龍を膝から下ろして隣へ座らせた。 「まだ俺の髪について話してなかったな。ここへ戻ったら、長さが戻っていた。そして、体にあるはずの傷痕も 消えていた。お前が知ってる将臣は、向こうで四年暮らした将臣。だから髪も長かった。ここにいる俺の体は、 前のままなんだ。記憶は別にして・・・だけどな。細かい理屈は今日は省くとして。アンタが熱を出すほど に対してした事を反省していたから連れた来たんだ。いつも通り仕事をしていたなら、俺は黙って戻るつもり だったって事だ。じゃ、そういうわけだから、今からを呼び出すし。謝る準備でもしとけ」 将臣はポケットから携帯を取り出すと、電話を掛けた。 「あ、?うん、そう。・・・・・・何怒ってんだよ。いいじゃん、別に。・・・そ、譲から聞いたろ。俺、一人暮らし すんだよ。で、今、譲が引っ越し祝いのメシ作ってんの。来いよ・・・っか、迎えに行くし。近いんだ。家で待って ろよ、俺が迎えに行くから。・・・・・・おう!ついでに、ノートのコピーくれ。・・・うわっ!!!」 耳を押さえて将臣が携帯をまたポケットへしまった。 「・・・・・・景時。お前の所為で俺がに怒られたんだぞ〜。責任感じろよ?」 将臣が立ち上がると、譲がダイニングのテーブルに料理を並べながら将臣へ小言を言う。 「学校をさぼったのは、兄さんだろ。ちゃっかりノートのコピーとか言うからだよ!それに、先輩は連絡なしで 兄さんが休みだったから、心配してたんだ。引越しって言ったら、どうして言ってくれなかったのかって。寂しそ うにしてたんだ。兄さんが悪い。景時さんに当たるなよ」 譲が将臣を指差す。 将臣が譲の指を除けた。 「そうだな。が引っ越し祝いにクッキー焼いてくれたみたいだぜ?」 「じゃあ・・・紅茶がいいかな。兄さん、紅茶買って来いよ。それくらいの時間があれば、料理も全部作り終わるし」 将臣がテーブルの上を見れば、大体は揃っているように見える。 「・・・まだ時間かかんの?」 「いいから!早く迎えに行けよ」 将臣は譲に背中を押されて、無理矢理玄関から締め出された。 「あの・・・何か手伝おうか?」 景時がカウンターからキッチンを覗く。 「いいえ!ここは俺がします。座ってて下さい」 譲が菜箸を手に持ちながら、手でバツの仕種をする。 「・・・はい。大人しく座ってます」 今からが来るのだ。景時がここに居ることは知らされていないとしても。 (・・・何から話せばいい?) すっかりこちらに馴染んでテレビを観ている白龍を眺めながら、置いて来てしまった仲間へ語りかける。 (全部俺が悪いんだ・・・・・・結局、みんなを振り回す事になってさ・・・・・・・・・・・・) それでも、まだ間に合うならに会いたかった。 もう少し早く気づけばよかったのだが、取り戻せたこの機会を逃さないようにと窓の外へ視線を移す。 外はすっかり暗くなっていた。 玄関でチャイムが鳴る。 「景時さん、出て下さい。俺は手が離せないんで」 とてもそうは見えなかったが、景時は立ち上がると玄関へ向かう。 (こ、この向こうにちゃんが・・・・・・) どうしても扉に近づけずにいると、外からドアが開いた。 「・・・・・・寒いんだよ!早くしろよ」 将臣がさっさと上がる。 「将臣くんたら!譲く・・・・・・」 が譲と思っていた人物は、譲ではなかった。 「・・・景時さん・・・・・・どうして・・・・・・」 両手で口元を押さえたまま、立ち尽くす。 「そ、その・・・・・・今更って思われちゃうかもしれないけど・・・・・・オレ、君を追いかけてきちゃった・・・・・・」 玄関へ降りると、ドアの外に立つを中へ招き入れる。 「外、寒かったよね。とりあえず、中へ・・・・・・・・・・・・」 重いドアを閉めると、が景時に抱きつく。 「わっ!ちょっ・・・・・・」 両手を上げたまま景時が固まる。 「景時さんだ・・・・・・ホンモノだ・・・あったかい・・・・・・・・・・・・」 静かに手を下ろすと、その手をの背に回す景時。 「うん。ごめん・・・・・・オレね、どうしても諦められない想いを知ったんだ。ようやくそれがわかって・・・・・・。 でも、もう君は居なくて・・・・・・そうしたら、将臣くんと白龍がね、オレを迎えに来てくれたんだ」 泣きながら顔を上げる。 「・・・・・・白龍も・・・居るの?帰ったんじゃ・・・・・・」 指での涙を拭う景時。 「奥に居るよ。ココア・・・だっけ?飲みながらテレビ観てる」 「!?・・・・・・景時さん、テレビ知ってるの?」 涙が止まるほどの衝撃だったらしい。 「そうだなぁ〜、色々知ってるかも。こっちで暮らせるくらいに・・・ね!」 わざと軽い調子でに告げる。 「それって・・・どういう・・・・・・」 「ま!話は後で。譲くんがすっごいご馳走作ってくれたし。ちゃん、可愛い服だね〜。着物もいいけど、 これはこれで、また可愛いよ」 から少し離れて全身を眺める景時。 「・・・・・・知らないっ」 景時に背を向けてブーツを脱ぐ。 思い返して振り返ると、普通にシャツにセーター姿の景時。 「景時さんが洋服着てる・・・・・・」 もともと着物ともいえないような服装の景時だったが、こちらの服に違和感がない。 「そ!全部用意してもらっちゃったみたいでさ。どうかな?」 景時が心配そうに胸の辺りや肩の辺りを手で撫でている。 「・・・・・・・・・・・・似合ってますよ」 あえて褒めない事にする。 (嫌だよ、格好いいもん。褒めてあげない) 「変じゃない?」 景時が自信なさそうに首を傾げる。 「・・・・・・変じゃないです」 「よかった!ちゃんの隣に居て変じゃなければいいんだ」 さっさとの手を取ると、リビングへと歩き出す景時。 (手・・・・・・繋いでるよ?!) 顔が真っ赤になっているだろうと思いながらも嬉しくて、その手を握り返す。 大胆にも景時に抱きついた事は忘れているらしい。 僅か数歩の距離だが、景時の体温を感じられて数日前の出来事が嘘のようだった。 「・・・早くしろよ。白龍がお待ちかねだ」 将臣も白龍もダイニングのテーブルに着いて、後は食べるだけという状態でいた。 「ごめんね〜、ついね。まだ何も話してないんだけど・・・・・・ちゃんに会えて嬉しくってさ」 「言ってろ!ばぁ〜か」 将臣が笑う。 「兄さん!景時さんは兄さんより年上なんだよ?言葉遣いを・・・・・・」 「いいの、いいの!オレより将臣くんの方がお兄さんポイもんね〜。オレも兄さんって呼んじゃおうかなぁ?」 今度は譲が笑った。 「こんなんでよければ、いつでも差し上げますよ。じゃ、お二人はこちら側へどうぞ」 「・・・こんなんって、どういう扱いだよ」 景時とは、将臣と白龍の向かいに並んで座った。 「食べていいの?!」 白龍がテーブルに身を乗り出す。 「じゃ、食べるか。いただきます!」 「どうして兄さんが仕切るんだ・・・・・・」 景時とが笑う。白龍は勢いよく食べ始めていた。 夕食時の明りが温かく感じる。 こんな穏やかな時間がオレに訪れるなんて思わなかった。 オレを送り出してくれて、ありがとう。九郎、朔。 挨拶も出来なかったけど、リズ先生、ヒノエくん、敦盛くん。 そして、オレに忠告してくれたのに。 あの時に踏み出せなくて・・・・・・でも、間に合ったから。 弁慶、オレ、今度は間違えないよ? 大切なモノ、一番のモノは手放さない─── |
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『十六夜記』景時蜜月EDの空白部分はこうだといいな!
あとがき:で、ようやくハッピー方向へ。・・・・・・これでも終わらない氷輪って(汗) (2005.10.29サイト掲載)