月の微笑     其の三





「神子様。次はどこがよろしいですか?」
 ほぼ毎日、白龍と歩いていたのに、いざ最後という気持ちで歩くと、まったく違う風景に感じる。
「うん・・・・・・あの・・・京と似てたトコがいいな」
「畏まりました。無量光院ですね。このまま馬で参りましょう」
 遠くの里まで出かけてきた。
 もう来られないかもしれないと思うと、ついついたくさんの子供たちと言葉を交わし遊んでしまう。
「あの時は・・・紅葉が綺麗だったよね」
 壇ノ浦から逃げて、ようやくたどり着いた平泉で初めて風景を落ち着いて眺められた場所。
「そう・・・でございましたね」
 銀にとって、は何かを呼び起こす存在だった。

(また・・・・・・あの風景が見えるのだろうか・・・・・・・・・・・・)
 燃え盛る町、逃げ惑う人々の声。そして、体が軋む。

「銀?どうかしたの?」
「いいえ。こうして平泉をご案内する役目をいただけて、嬉しいのです」
 銀は自分の頭の片隅で蠢く何かを気にしないように、意識を切り替える。
「え〜っと。その・・・もしかして、お仕事できなくて迷惑ですよね?」
 鎌倉からの目付け役が来たのだ。この土地の統治を秀衡から奪うためとも考えられる。
 泰衡にとって銀がいないのは仕事に支障がでるのではと思い当たる。
「迷惑などではございません。この土地を治めてきたのは奥州藤原の一族です。後から来た者に
そう簡単に務まるものでもございませんでしょう。神子様はお気になさらず・・・・・・」
 銀に微笑みかけられると、思考が正常ではいられなくなる。
「は、はい。じゃ、その、この後もよろしくお願いいたします・・・・・・」
 馬上では銀と距離が近すぎた。
 は銀の僅かな変化に気づかないまま、口数を減らして静かに景色を楽しむ事にした。



 夕刻、高館へ戻ればそれぞれが旅支度を始めてる。
「わ、みんな準備が早〜い。私もしなきゃね!」
。そんなに荷物はないし、私が準備するから」
 朔がを気遣う。
「ダメだよ。何があるかわからないし。そうだ!剣の手入れもしておかなきゃだよね〜。盗賊とかいたら
大変だし!」
 毎日欠かさず剣の稽古は続けていた。
 またこの剣に世話になる日が来るとは考えていなかったが、それでもいざという時に守りたいモノを守る
事が出来る力が欲しかった。後悔しないために───

(また・・・よろしくね?)
 以前将臣に習ったように刃の手入れを始めた。





 夜になり、また仲間が集まる。
「出発は明日の夜にいけそうかな。ま、風向きも穏やかだし、余程の事がない限りは北上川を下って海に
出て、途中何処かで補給して、すぐ着くと思うよ」
 ヒノエは仕入れた情報から、船の航路を計画する。
「そう・・・か。では、明日が見納めだな・・・・・・」
 九郎は再びこの地を離れるのだ。三度目の来訪は無いであろう。
「そうなるね。気になることがあれば日程を延ばしてもいいけど、それだけ鎌倉に知れる危険が高くなるって
事は考えてくれよ?じゃ俺は今夜は船の方に居るから。いかにも荷をまだまだ積みそうなふりをしておいて、
いきなり港から消えるってのがいいだろ?海なら関所もないしね」
 軽く手を振りながらヒノエが姿を消す。

「・・・まったく。ヒノエはすぐに面白がるから困ったものですね。しばらくは船の旅ですから、休める内に休ん
でおかないと、毎日揺れますからね。お先に」
 弁慶の方こそ、休みそうに無いのに仲間を気遣う。そのまま部屋を出て行った。


「ふふふっ。弁慶さんたら。きっと弁慶さんの方が起きていて、明日は寝不足で目が真っ赤だよ!」
 が弁慶が居なくなってから小さく笑い出す。
「せ、先輩!」
は怖いもの知らずだな〜〜〜」
 弁慶に対して意見を言うのはなかなかに勇気が必要だ。
 九郎など、遣り込められるのがわかっているので思っていても大抵口にしない。

「神子。早く休むように」
「はい、先生。先生もですよ?今日は屋根の上でお月見していたらダメですからね」
 いつも敦盛と屋根の上で月見をしているのは知っていた。
 二人は静かで風が吹き抜け、遠くが見渡せる場所が好きらしい。
「・・・神子。私もそろそろ休ませてもらう」
「はい。でも、笛は吹きたい時に吹いていいですよ?綺麗な音色だもん。また聴きたいな」
「ああ。少しだけ・・・そうさせてもらう」
 リズヴァーンと敦盛も部屋を出て行く。

「じゃ、私も休もうかな〜。あ!そうそう、将臣くん。寝坊厳禁だからね。だらだらしてたらもったいないんだから」
「あ゛〜〜〜、逆だろ。出来る時にしておくのがいいんだ」
 将臣を睨む九郎。
「・・・起こす方の身になれ」
「そうだよ。いつもどれだけ俺と九郎さんが大変かわかってるのか?」
 将臣が立ち上がる。
「ったく。そう揃いも揃って言うなよ。明日くらい早起きして、馬で辺りを回ってくるさ。ここはいい所だったしな」
 立ち上がる切欠を将臣が作ったので、ようやく各自、自分の部屋へと戻った。





 まだ朝靄が残る中、は庭の大き目の石に座り庭を眺める。

(景時さんが・・・・・・帰れないのか・・・帰ってきたくないのか・・・・・・知らなきゃいけないんだよね)
 約束が守られない場合、二通りの答えしかない。
 破るしかない外的要因か、本人が守りたくないと思う内的要因だけだ。

(怖い・・・・・・でも・・・・・・)
 八葉の宝玉は、まだ元の姿には戻らない。

(この世界に、まだ私を必要とする理由が残されているのなら───)
 白龍の力はほぼ戻っている。
 たちにしても、元の世界へ戻れないのではなく、戻らないが正しい。

「・・・神子?早いね」
 白龍の足音にも気づかないくらい考えに囚われていた
「おはよう、白龍。今日でこのお庭も見納めだなと思ったら、早起きしちゃった」
 が指差す方向には、すっかり花が落ちてしまった桜の枝が風に揺れている。
「そう・・・だね。もう初夏の風の使者が駆け抜ける季節が来てしまう。鎌倉は木々が色づいてるだろうね」
 の隣に白龍が腰を下ろした。

「神子・・・・・・怖い?気持ちが沈んでいる・・・・・・」
 白龍がの手を取った。
「うん。怖いよ。でも・・・進むために行くんだから、いいんだ。白龍・・・・・・私ね、白龍の神子で嬉しかったよ」
「私も。貴女が神子で嬉しい。私が神子を守るから大丈夫」
「頼りにしてるからね!朝ご飯の手伝いに行こうか」
 二人は譲と朔を手伝うべく台所へと向かった。





 今日で平泉ともお別れと思うが、出立を誰にも悟られるわけにはいかない。
 九郎たちはいつも通り泰衡の手伝いに出かける。
 だけが迎えに来た銀と出かけ、いつもと違う行動を取っていた。
「こちらで・・・よろしいのですか?」
 すっかり元通りに戻っている大社近辺の土地。戦があったなど、嘘のようだ。
「社に昇ったら怒られちゃうかな?」
 景時と約束をした場所。そして、別れた場所。
「そのようなことはございません。御館も泰衡様も、神子様の思うように案内せよと仰せでした」
 の手を取ると、社の上に繋がる階段を昇り始める銀。
「あ、あの!一人で行きたいの。ダメかな?下で待ってて欲しいなぁ〜って」
「・・・・・・畏まりました。こちらで控えておりますゆえ、何かありましたらお呼び下さい」
 の手を離し、膝をついて銀がその場に控えた。
「・・・行ってきますね」
 一歩一歩、社の階段を昇る。あの時は一気に駆け抜けたこの大階段を、ゆっくりと踏みしめる。

(景時さんは・・・どうしてひとりで頑張れたんだろう・・・・・・・・・・・・)
 仲間に背を向けた景時。壇ノ浦で。そして、この平泉でも。
 約束した後も、すぐに居なくなってしまった。

(どうして・・・一緒の幸せを考えくれないのかな・・・・・・・・・・・・)
 景時の犠牲の上に成り立つ幸せは、仲間にとって本当の幸福とは言い難い。

(私の言葉は・・・気持ちは・・・・・・いらないの?)
 昇りきった舞台で平泉の地を眺める。

(私だって、景時さんに生きて欲しいと思ってるんだよ?私ひとりじゃ意味が無いのに)
 遠く鎌倉があるであろう方角を見つめる。
 今もって果たされない約束の相手が住まう地へ想いを馳せた。





「お待たせしました。ね、次は中尊寺へ行こう!最後に阿弥陀如来様にご挨拶しないとね」
「・・・・・・私の事でしたらお気遣いなく。神子様の行きたい所へご案内するように申し付けられております」
 銀がに礼をとる。
「そうじゃないですよ?私が・・・・・・願いを聞いて欲しくて行きたいんです」
「失礼致しました。それでは参りましょう」
 つい一昨日ヒノエと通った月見坂を上り、再び金色堂へ入る。
 願う事はこの世の平和ではなく、景時の事だった。

(景時さん・・・・・・穏やかな日々を過ごせてますか?貴方が笑って暮らせているなら、それでいいです)

 ようやく落ち着ける地へたどり着いたと思った。景時がいつか来てくれると信じていた。
 まさか戦の軍を引き連れての来訪とは思わず、それでも信じていた。
 最後の瞬間に景時の真意を知って悲しかったのは、皆同じだろう。

(景時さんばかり辛いのはもう嫌なんです。だから・・・・・・)

 あまりに真剣に願掛けをしすぎて、時間が経つのを忘れていた。

「・・・・・・銀?!ごめんなさい、待たせすぎ・・・・・・・・・・・・」
 顔を上げれば、隣で銀はまだ祈りを捧げていた。
「・・・・・・銀?大丈夫・・・鎌倉へ行くのが嫌?」
 銀が首を横に振る。
「私の過去に何があるのか・・・それだけが気がかりなのです。申し訳ございませんでした。神子様、次は
どこへ参りましょうか?」
「大丈夫だよ。記憶は突然戻ったって話とか、よくドラマでありましたもん!次は高館へご飯を食べに行き
ましょう。今夜出るから準備しなきゃだし。銀は用意はいいの?」
 が金色堂の扉を開ければ、程よく午後の日差しになっていた。
「私は何も用意はございません。いつでも、どこへなりと参れます」
「そうなんだ〜。じゃ、この後は一緒ですね!」
「はい」
 銀が嬉しそうに微笑むのを見て、も何だか嬉しくなる。
「じゃ、帰りましょう。ご飯を食べて、御館さんにお礼を言いに行ってオシマイ。ね?」
「はい」
 景色を見ながら歩くのやや後を銀が歩く。そのまま二人は高館へと歩を進めた。







 日が落ちた頃、静かに川湊から出る船がある。
 熊野からの船だが、残る二隻は港に留まったままだ。ヒノエの命により、数日遅れての出向になる。
 荷物の全損を防ぐ為に、日を置いて出向する事はよくある事。
 熊野の船を狙う度胸のある海賊はあまりいないからこその手だった。

「夜って、まだ寒いんだね〜〜〜」
 甲板で夜空を見上げる
「神子様、これを」
 銀が衣をの肩へかけた。
「わ、ありがと。銀は寒くない?」
「・・・では、失礼して」
 を腕の間に置いて船縁に手をつく銀。
「銀?!こ、これは・・・・・・」
 かなりの至近距離にの耳が赤くなる。馬に乗るよりは離れているのだが、それとこれとは別らしい。

「何か・・・不都合が?」
 わかっていながらに問い返す銀。
「・・・の・・・ちょっと近い・・・かな〜・・・なんて・・・・・・」
「そうですね。少し・・・お傍に近すぎかもしれません。あちらで睨んでいる方もいらっしゃいますし」
 
 が首を捻ると、朔が足早に近づいて来て二人の間に入る。
、外は寒いですからね。そろそろ部屋へ行きましょう」
 の腕を取ると、ぐいぐいとを連れて朔が船室へと入っていった。


「・・・・・・少し、悪戯が過ぎましたね?」
 続いて銀の隣へやって来たのは弁慶。
「はい・・・・・・神子様が沈んでおいででしたので」
 銀が弁慶に頭を下げた。
「ふふふっ。ヒノエの真似の様でいて、慣れた様子ですね。本来の貴方が出たのかな?記憶の方は?」
「・・・何も。時々火の中にいる場面が目蓋に浮かぶのですが・・・・・・」
 目を伏せてやや俯き加減になる銀。
「焦らない事が大切ですよ。そうそう、見張りの順番を決めるのに呼びに来たんでした」
「畏まりました」
 と朔以外が交替で見張りを務める事に決まった。







「もう鎌倉が見えてるけど、夜に上陸出来るようにするから」
 ヒノエが仲間に告げる。
「・・・何で夜なんだよ」
 将臣が首を傾げる。
「この人数では目立ちますし。突然行っても鎌倉殿には面会出来ないでしょう。変に誤解を受けても困り
ますから、まずは景時の家へ行って。それから鎌倉殿に繋ぎをつけてもらいましょう」
 弁慶が理由を説明した。
 一応は許された事になっている九郎だが、頼朝の膝元にいるとなれば事態がどう転ぶかわからない。
「そ。んじゃ、最後の海釣りでも楽しむかな。な!」
 この辺りの魚は、まだ人間に釣られ慣れていない。
 おかげで何かをつけて針を沈めれば、面白いように釣れる。
「兄さん。無駄に釣らないでくれよ?それに、どうせなら大きな獲物にしろよ。蛸とか釣れればたこ焼き作る
からさ」
「たこ焼き〜!聞いたら食べたくなっちゃった。将臣くん、しっかりタコ狙って釣るんだよ?」
 が将臣の背中を何度も叩く。
「・・・・・・選んで釣れるなら、最初からしてるっての。リズ先生、九郎!釣りしようぜ〜〜〜」
 逃げるように将臣が釣り好きな仲間を誘って船縁へ逃げた。

「じゃ、私は景色でも眺めようかな〜。あの辺りが江ノ島だよね。灯台が無くて変なの」
 の世界ならば、海沿いに江ノ電が走っているはず。
 何もない風景は、それはそれで不思議だが、どこか懐かしい感じがする。
・・・・・・大丈夫?」
 いつも通りのに、不安を覚える朔。いつも通りなのは無理をしているとしか思えない。
「朔は何も気にする事ないんだよ?朔こそ、鎌倉にはお母さんいるんでしょ?久しぶりなんだよね?」
「ええ。京へ行く前が最後ですもの・・・・・・」
 穏やかな海に揺られながら、遠い陸地を眺めると朔。

(この距離が景時さんとの距離みたい・・・・・・)
 見えているのに届かない距離が、まるで景時と自分のようだと思う。

(それでも・・・答えが欲しいから・・・・・・皆が本当に住みたい場所で暮らせるようになって欲しいから)
 平泉で暮らすより、朔ならば母のいる鎌倉。敦盛ならば慣れ親しんだ京で暮らしたいだろうと思う。
 リズヴァーンにしても、庵は京の鞍馬にあるのだ。

「そうだよね・・・・・・」
 誰もが口にしないでいる想いがある。
 とてすべてを告げているわけではないし、誰だってそうだろう。
 わざわざ相手の想いを聞き出すような事はしないよう、言葉を切った。

「先がわからないから頑張らなきゃなんだよね。よしっ!タコ釣ろう。たこ焼き食べたいもんね〜」
 結果は蛸などそう簡単に釣れるわけもなく、普通に魚の天ぷらとなった。







 夜になり、出来るだけ鎌倉の町近くへと船を進めるヒノエ。
「ここなら島陰で見えないしね。面倒だけど、後は陸路で我慢してくれよ」
「ここからなら、もう鎌倉なんてすぐだぜ。な!」
 将臣にも見覚えのある風景だ。逗子の方角にあたる。
「それでは参りましょうか。着くのは遅くなりそうですが・・・朔殿が一緒ですからね。門前払いは免れるかな」
 弁慶が仲間を気遣う。
 船を近づけてから様子が変になったのが銀。続いて九郎が無口になった。
 陸に上がると、と譲までもが無口になっていた。
「ええ。警備の人たちが居ても、大体の方の顔は覚えていますし・・・たぶん・・・・・・」
 朔とて久しぶりの我が家だ。緊張しながら海沿いの街道を歩く。

「・・・思ったより近くでよかった。ここからならば景時の家は近いですしね」
 弁慶を先頭に暗い道を進めば、朔にとって懐かしい家の門が遠くに見える。
「兄上は家にいらっしゃるのかしら・・・・・・」
「そう・・・ですね。戻っていなくても、待たせてもらえるといいんですが・・・・・・」
 九郎の問題より、先にの問題がある。
 しかも、弁慶はに景時について話していない事がある。

(もう婚儀が済んだという情報は届いていませんし・・・・・・間に合っていると思うんですけどね)

 隣の朔を見ればどうやら同じ事を考えているらしく、自分の家に帰るにしては表情が硬い。
「朔殿。大丈夫ですよ・・・・・・」
 気休めだとは思うが、自然に口から言葉が出る弁慶。

 歩いている人数が多いため、早々と門前の警備の者たちに見咎められ、向こうから走って近づいて来た。
「お前たち!ここは梶原様の・・・・・・朔様?!」
 二人の武士が、お互い顔を見合わせている。
「その・・・しばしお待ち下さい。景時様に報告して参ります」
 一人の武士が走って邸内へ消える。
 もう一人の武士が門の内側まで案内してくれたものの、それ以上は進む事を止められた。
「私の家ですよ?」
 朔が詰め寄る。
「それは・・・そうなのですが・・・・・・」
 武士が一瞬九郎へ視線を走らせた。

(そういう事ですか・・・・・・景時が来ないわけですね)
 弁慶や仲間が考えていたより、頼朝の九郎に対する恐怖心は根が深いらしい。
「こちらで待たせていただきましょうか」
 そう長く待つことも無く、景時が外へ出てきた。



「うわ〜、ホントだ。本物だよ。遠いのに、よく来たね。ま、上がって。頼朝様にはお伺いの使者を立てたから」
 景時が中へと手で合図する。が、誰もその場を動かない。

「え〜っと?どうしちゃったのかな〜〜〜、なんて。夜だしさ、狭いけど中へどうぞ?」
 頭を掻きながら、見回した後に首を傾げる。

「兄上!どうして、そう・・・・・・」
 朔が景時に駆け寄り、抱きついた。
「あ〜っと、何かな?オレの顔が変とか?」
 頬を掻きながら上を向く景時。視線を誰にも合わせていなかった。

「そうですね。まずは大勢で申し訳ないですがお邪魔させていただきましょう。九郎!」
 景時のあまりの軽さに放心していた九郎。
 ようやく目を瞬かせ、景時に近づいた。
「景時!どうして今まで・・・・・・」
「待ってよ〜、そんなに詰め寄られても困っちゃうな〜。中で話そう」
 朔の肩を抱いて景時が家の方へ歩き出す。玄関口では母が朔を待ち構えていた。

「朔・・・・・・」
「母上!」
 しっかりと抱き合い、再会を喜び合う親子。

「皆はこっちに上がってね〜。あ、お腹とか空いてる?」
 先に上がった景時が振り返る。
「いいえ。済ませてきましたから。上がらせていただきましょうか」
 弁慶が最初に上がり、その後に続いて仲間が上がる。
 は将臣に腕を引かれて、一番最後に上がった。



「こぉ〜んな時間に、こんな大勢で歩いてたら、夜襲と間違われちゃうよ?それにしても、遠いのによく来た
ね〜。何?頼朝様に用事?一応使いは出したから、明日になれば会えると思うけど・・・・・・」
 景時が話しを振るが、誰からも返事はない。
「ん〜?その他の用事?狭いけど、家でよければ泊まってよ。宿じゃ寛げないだろうしね〜」
 またも無反応である。
「え〜っと?どうしたの・・・かな〜、なんて・・・・・・」
 いよいよ言葉が見つからなくなったところで、部屋の外に人の気配がした。

「兄上?お茶を・・・・・・」
「あ、悪いね〜。入って」
 景時の声を聞いてから、朔が部屋へお茶を持って入る。
「母上は?」
「・・・・・・先に休むと・・・お話があるでしょうからって」
 仲間にお茶を出し、最後にの隣に座る朔。

。兄上と話をしたの?」
 が黙って首を横に振る。
「兄上!もう!!!兄上がのんき過ぎだから、皆もどうしていいのか言葉が出ないんですのよ?今まで何を
してらしたの?」
 朔が少し声を上げて景時を責める。

「あ〜っと。遊んでいたわけじゃないんだけどな〜。人手不足だし、次から次へとやる事があって・・・さ」
「兄上!」
 朔が床を叩いた。
「まあ、まあ。朔殿も、そう声を荒げても・・ね?・・・景時。九郎の事で、何かありましたか?それとも・・・・・・」
 弁慶が景時の顔を見ると、景時の視線は床へと移った。

「・・・ま、色々ね。今はもう・・・大丈夫だよ。うん・・・問題ナシっ!」
「そうですか。それでは、僕たちは別室で寛がせていただいてもいいですか?」
「あ、うん。そうだね。まずは休みたかったよね〜。案内するね。朔はちゃんを・・・・・・」
 景時が立ち上がろうとすると、弁慶に手で止められた。
「待って下さい。景時はさんと話す事があるはずですよね?」
 景時の顔色が一瞬変わったが、すぐにいつもの表情に戻った。

「や、やだなぁ〜。何も無いよ、二人で話す事なんてさ。長旅で疲れてるでし・・・・・・」
「景時!・・・誤魔化すなよ。遊びに鎌倉まで来るわけねぇだろ。との約束を確認しに来たんだよ」
 景時の言葉を将臣が遮る。
「約束って?何かしたっけ?ほら、オレって忘れっぽいっていうかさ〜〜〜」
「景時!貴様!!!」
 九郎が景時に掴みかかる。その時、が声を上げた。
「待って!もう、いいの。だから・・・九郎さん。離してあげて?」
「くっ・・・・・・」
 九郎が景時の襟から手を離した。


「景時さん。・・・私のところへ戻ってきてって約束、忘れちゃったんですね。でも、いいんです。景時さんが
ここで幸せに暮らしてるなら・・・・・・いつまでもどうなったかな〜って気にしてるのは辛いから、はっきりさせ
たくて押しかけてきちゃったの。覚えてないなら・・・・・・いいんです。気にしないで下さい」
 硬い表情で微笑んだ後、が俯いた。
「・・・ごめんね、ちゃん。オレってうっかり者だからさ・・・・・・・・・・・・」
 覚えていないわけではない。いつだって気にしていた。

(鎌倉に来る決心をするまで待たせてたんだな・・・・・・もう、あの言霊から解放しないといけないね・・・・・・)

「そうだ!お詫びといってはなんだけどさ。鎌倉、案内しようか?オレも来月には婚儀を挙げなきゃいけなくて
時間がなくなりそうなんだよね〜。今ならまだ時間があるしさ、ちょうどよかったよ」
 の体が一瞬震えた。
「兄上!どういう事ですの?」
「ん〜?ほら、オレってばこれでも鎌倉の重臣に数えられててさ〜。嫁もいなけりゃ跡取もいないのかって
頼朝様がね、嫁探しして下さったんだよね。鎌倉一の美人さんらしいよ〜」
 わざとらしく嬉しそうに話して聞かせる。

「えっと・・・・・・景時さん。おめでとうございます。その・・・今までたくさんお世話になったのに・・・・・・。知って
いたら、何か贈り物とか・・・用意出来たのに・・・な・・・・・・」
 一度だけ景時を見上げて、再び俯いて言葉を探しながら紡ぐ
「いいの、いいの、そんなのは。そうだ!もう少しこっちに居られるならさ、皆に紹介出来るかも〜」
 景時が軽く手を打つ。
「あっ・・・私は・・・その・・・行く所があって。九郎さんの用事が済んだら、戻らないといけないんです」
 膝の上で手を拳にする。将臣がそれを見ていた。
「そっか〜、残念だな〜〜〜」
 顎に手を当てて景時が目を閉じた。
 すると、将臣が立ち上がる。
「・・・。少し散歩してこようぜ。ここまで来るのに緊張して、景色も見られなかったもんな」
「将臣くん?!」
 の腕を掴み、将臣が部屋の出口へ向かう。
「そうだ、譲も来るか?」
 譲が溜め息を吐きながら立ち上がった。
「わかったよ。どうしてそう、兄さんは何でも突然なんだろうな・・・・・・。景時さん、失礼しますね」
 景時に頭を下げると、譲も後を追って出て行った。

「あれ〜、悪い事しちゃったかな〜。そうだよね〜、約束忘れたら怒るよね〜」
「景時。申し訳ないですが、惚気話を聞く位なら休みたいので。部屋へ案内をお願いします」
「そ、そうだね。うん。じゃ、用意も出来たと思うから。こっちだよ」
 景時が仲間に部屋を案内する。
 誰もが黙って部屋へ入ると戸を閉める。景時と言葉を交わすものは無かった。



「・・・わかっていた事だけどね」
 仲間の安全と引き換えにするものの代償は大きい。

(君を泣かせたくなんて、無かったのに───どうして約束を忘れてくれなかったんだい?)

 部屋に戻る気にもなれず、庭へ出る。見上げれば丸い月が天高く昇っていた。

「満月だったんだ・・・・・・月にまで見放されたかな・・・・・・・・・・・・」
 適当な庭石に腰かけて、池に映る月をただ眺めていた。







「将臣くん!どこへ行くの?皆が心配してるよ?」
「いいから!はどうしたい?景時は約束は無かったものとしているんだ」
 将臣が声を荒げた。
「・・・うん。私ね、考えてたの。頼朝さんに言われて来られないんだったらいいなって。それなら、景時さんを誘拐
しちゃおっかなって。でも・・・そうじゃ無い事も考えてた。景時さんが来たくないって思ってるのかなって。だから・・・
景時さんが幸せなの見られたから・・・・・・帰るよ。ここに居ても、皆に気遣われるだけだし。全部終わらせたら、
帰ろうと思う」
「先輩・・・・・・」
 譲が目を見開く。こんな結末が知りたくて鎌倉まで来たわけではない。
「それに・・・約束の重さって人によって違うんだよね。私にとっては重大でも、相手は違うのかもしれない。ほら、
よく待ち合わせドタキャンする人いるでしょう?あれって、相手が時間を空けて待っているって事に気づいてないって
いうか。お互いの時間を重ねる、想いを重ねるのに、重みが違うことがあるんだよね・・・・・・」
 映画の約束を友人にドタキャンされた時に、偶然将臣に街で会って映画を見た事を思い出していた。
 将臣も同じ事を思い出していたのか、掴んでいたの腕を離した。
「・・・そうか。じゃ、後は九郎と仲間の去就の件だけでいいな?」
 黙って頷く
「・・・泣くなら今だぞ?」
 将臣がの頭を撫でると、が首を振る。
「・・・・・・かない。泣かないよ。帰れるんだもの・・・・・・皆が幸せに暮らせるのを見届けたられたら、それでいいの。
何だか景時さんを悪者みたいにしちゃって・・・悪かったよね・・・・・・明日はちゃんと・・・今まで通りに話せると思う」

(泣くのは・・・帰ってからがいいと思うんだ。誰にも見つからないように───)

「さあな。少なくとも皆が二人の約束を知っていたんだ。別にお前の所為じゃないだろ。・・・譲も帰る方向で準備し
とけ。場合によっちゃ、突然になる事もあるだろうからな」
 将臣の決定に、譲は黙って頷いた。



 三人が梶原邸へ戻ると、玄関で朔が待っていた。
・・・その・・・・・・」
「朔!いいんだよ、最初から何もなかったの。だから、気にしないで?それより、もう眠いかも〜」
 目の辺りを擦る仕種をする
「・・・・・・そうね、は私の部屋の隣に。将臣殿と譲殿を先に部屋へ案内してから一緒に行きましょう」
 朔に案内され、三人もようやく久しぶりに揺れない床での寝床を手に入れていた。
 朔はに謝ることすら許されず、兄を詰る気にもなれず、久しぶりの自分の部屋で正座して仏に祈り続けた。







「眠れないのでしょう?あんな嘘を吐くから」
 景時の後に弁慶が立っていた。
「や、やだなぁ〜。嘘なんて吐いてないし。本当に嫁さん貰うんだって!」
「・・・その話ではない事を知っていて言っているなら、僕はこれ以上何も言えませんね」
 景時の隣へ移動すると、弁慶も池に映る月を見た。

「・・・月が手に入る機会は一度きりです。まして、明日にも月へ続く銀の道は閉ざされる・・・・・・九郎や僕たちの
命と引き換えに君がさんに嘘を吐くのだとしたら。それは誰にとっても幸福とは言いがたいですね・・・・・・」
 景時が弁慶を見上げる。
「どういう・・・・・・」
「そういう意味です。君は僕すら上手に騙してくれましたから。上辺の景時は信用しないようにと思いまして。・・・
ああ、これでは誤解がありますね。景時の事は信用していますよ?ただ、君の言葉は信用してません」
 額を抱えて景時が短い笑いを漏らした。
「弁慶を騙せる程だったら、どんなにいいだろうね・・・・・・」

「ええ。僕は同じ過ちは二度としないように気をつけてますから。景時も気をつけた方がいいですよ?ただ、時と
場合によっては、一度の過ちも許されない事がある事を覚えておいた方がいいでしょうね」
「・・・わかったよ。信用されていないならそれでもいいしさ。でも、オレはずっとこのままだよ?」
 弁慶が池に背を向ける。
「そうですか・・・それは、それは。さんの言葉を聞き逃すほどに、他の事に気を取られておいでのようでした
けれど・・・・・・ま、もう関係ないですね」
 歩き出す弁慶の腕を景時が掴む。
「・・・ちゃんが何を言ったって?」
 振り向かないまま弁慶が首を傾げる。
「おや?おかしいですね。君と話していて・・・ですよ。もっとも、気づかないならその方がいいでしょう。僕も疲れた
ので休ませていただきます」
 腕に力を入れて景時の手を振り払い、弁慶はそのまま邸の方へと歩いて行った。


「オレと・・・話をしてて?」
 の姿を見た時、嬉しくて駆け寄りたかった。
 の声を聞いた時は、懐かしくて、耳へ記憶へ刻むので精一杯だった。
 再び姿を見られるとは思っていなかったのだ。
 自分が今から傷つけるしかないのに、何処かで浮き足立っていた。
 が生きて動いている事に───

「オレとの話なんて・・・オレが一方的に彼女を傷つけただけだ・・・・・・」
 池の月に向かって小石を投げつける。
 水面が波打ち、せっかくの満月は歪んで見えなくなった。





 月は、手に入らないから月なんだ。眺めるだけしか許されない。
 オレは、“魔法使い”じゃないんだ。


 そして、オレは月を眺める事すら許されなくなるのだろう───






Copyright © 2005- 〜Heavenly Blue〜 氷輪  All rights reserved.


『十六夜記』景時蜜月EDの空白部分はこうだといいな!

 あとがき:手を伸ばせない景時くん。頭いいんですよ。だから、計算しすぎっていうか。     (2005.10.26サイト掲載)




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