月の微笑 其の二 「そっか〜。じゃ、今回は熊野の頭領としてのお仕事で来たんだ〜。私たちって、ついで扱い?」 庭で話をしながら、が笑う。 「ついでというのは正しくないな。気持ちの上では、姫君に会いたくて来たんだぜ?」 「またそういう事を言う〜。あんまり平泉の女の子にはそういう事を言って歩いちゃダメだよ〜?」 まるでヒノエを相手にしていない。 ヒノエもわかっていて言っている。 少しでも笑ってもらえるならばと、それだけの為に。 「そうだなぁ〜、あんまり他の娘に声をかけると叱られそうだからね。せっせと姫君だけに声をかける 事にするよ。それならいいだろ?朔ちゃんも」 他に迷惑にならないようにと、いかにも嘘くさい言い訳をするヒノエ。 「・・・・・・ヒノエ殿。それは何の解決にもなっていません」 「厳しいね〜、朔ちゃんは。だってさ、朔ちゃんに言っても無視されちゃうし。サビシイ男心をわかって 欲しいよな〜。な!譲」 ヒノエが譲の膝を叩く。 「俺は寂しくないから勝手に仲間にするなよ。さっさと食え!片付かないだろ」 握り飯をひとつ手に取り、ヒノエの口へ押し込む譲。 「ヒノエくんたら。でも、楽しいね〜。こういうの久しぶりだよ」 それぞれが自分の仕事をみつけて、毎日働いているのだ。 のんびり話す時間も減ったし、最近は朝食でも全員揃わない事が多くなっていた。 「んぐ・・・・・・そ?じゃあさ、俺様の為に今夜は皆に集まってもらうとして。姫君は俺と出かけない?」 指についた米粒を食べながらヒノエがを誘った。 「いいよ。じゃ・・・・・・」 「おっと!もちろん二人きりじゃないとね。逢い引きにならないだろ?」 白龍がついて来ないように牽制する。 「・・・ここで言ってしまっては、逢い引きには程遠いでしょうけど。そうね、私たちは夕餉の買出しとか 準備をしましょうか。いいわね?白龍」 朔がヒノエの行動に理解を示し、白龍も黙って頷いた。 「やったね!そうこなくっちゃ。じゃ、早く食べちまおう」 ヒノエが勢いよく食事を始めた。 「じゃ、行ってくるね〜」 が振り返って朔と白龍に手を振る。 「で?どこへ行こうか〜、案内するよ!結構色々な場所を白龍と歩いたんだよ」 「そうだな・・・・・・中尊寺にしよう。あそこは静かでいいね」 高館からそう遠くはない寺を目指す二人。 「ふ〜ん。そういえばそうだね。不思議な場所だよね・・・・・・」 金色堂の名の如く金色でありながら、厳かなる空気を湛え阿弥陀如来に見守られいる空間。 「聖地は姫君に清浄なる気を与えてくれるんだろ?美しいものを見るのは俺の趣味だしね。清浄なる 姫君のお姿を拝見できるのは嬉しいよ」 「もぉ!またそう事いって〜。ヒノエくんは、仕事いいの?」 付かず離れずヒノエの隣を歩く。 「今頃はまだ荷卸しをしているからね。終わった頃に荷を届けがてら御館に挨拶しに行くさ」 「ふ〜ん。そうなんだ・・・・・・」 会話が途絶えたまま二人は中尊寺の敷地へと足を進めた。 「この辺りでいいかな?さて、姫君はそろそろ素直になった方がいいよ?」 ヒノエがの腕を引き、そのまま抱き締めた。 「なっ!ヒノエくん?!」 「だからアイツ等には任せておけないんだよ。皆が気を遣うから・・・泣けなかったんだろ?」 ヒノエは腕をそっとの背に回すと、軽く叩いた。 「いいよ。ここなら誰もいないから・・・・・・」 「・・・っく・・・・・・りが・・・と・・・・・・」 の泣き顔を見るつもりは無いらしく、肩口への顔をつけさせる。 そのままヒノエは青く晴れ渡る空を眺めていた。 「・・・の・・・あの・・・ヒノエくん、ごめんね?」 ようやくがその顔を上げた。今まで余程我慢していたのだろう。 目蓋が脹れる程泣いていた。 「何の事かな?そうだね・・・・・・姫君は何か俺に言いたい事、あるんだろ?」 「うん。あのね・・・・・・皆が気にしてるのに言わないから、余計に誰にも相談出来なかったの」 ヒノエが上着をの頭に被せた。 「ま、話は後にして。先に顔を洗おうか。スッキリしてからにしような」 ヒノエに連れられて、寺の井戸で顔を洗う。 「えっと・・・・・・」 「すっきりした?」 ヒノエがに笑いかける。 「・・・うん」 「じゃ、ここから来た道を見てみな。“月見坂”っていうんだぜ。知ってた?」 上ってきた坂を見下ろすと、意外に傾斜がある。 「名前・・・あったんだ・・・・・・」 「阿弥陀如来様は月に譬えられるからね。姫君も月の姫なんだろ?」 また二人で歩き出す。ヒノエに手招きされるままに金色堂へ入った。 「で?俺に相談・・・というより、お願いなのかな?決心ついた顔してるね」 が中央の阿弥陀如来像の前に正座した。 「ヒノエくん、熊野に戻るの遠回りになっても大丈夫?」 の言葉で自分の推測が正しかったと確信するヒノエ。 「そうだね。鎌倉は通り道といえば、通り道だけど?」 軽く片目を閉じれば、が笑い出す。 「なんだ。わかっちゃってる感じぃ。私ね、景時さんを迎えに行きたいの。もしかしたら、景時さん を誘拐しちゃうようになるかもなんだけど・・・・・・」 「姫君にさらわれるなら、文句もないだろうさ。羨ましいくらいだね」 肩を竦めると、に軽く肩を叩かれる。 「真剣な話なのに!皆には内緒で行きたいの。もう誰も巻き込んじゃいけないと思ってる」 の視線に囚われるヒノエ。身動きが出来なかった。 (・・・・・・まったく。無理ばかりだね、姫君はさ) 「今夜、皆に話す方がいいよ。・・・姫君が消えたら大騒ぎになるだろ?」 「あ゛・・・・・・」 は、自分がいない事が周囲にとってどういう事かまでは考えていなかったらしい。 「姫君はもう少し自分の事を考えた方がいいね。ま、行くなら早い方がいいだろ?仕事も早めに 片付けるし、三日後くらいでどうだい?」 「ありがと!ヒノエくん。私ね、私・・・・・・景時さんの本当の気持ちをまだ聞いてないから。もしも ふられちゃったとしても、ちゃんと聞いてなら納得出来るんじゃないかって。ずっと考えてたの」 ヒノエに言わせれば、景時がをどう想っているかなどわからない方がどうかしている。 しかし、当事者ともなれば話は別なのだろう。 「いいよ。思うとおりにしなよ。その前に、もう少し二人でどこかへ行こう。それくらいの役得いいだ ろ?ついでに、後の兄さんには口止めしないといけないかな」 が立ち上がると、金色堂の入り口に銀が立っていた。 「銀?!」 最近では、毎朝は迎えに来なくなっていた銀。時々案内の為に来てもらう程度になっていた。 考えてみれば、ここは銀の気に入っている場所だ。 「弁慶の使いで来たのかい?」 ヒノエが腕を組んでゆっくり振り返り、銀へ視線を向けた。が、銀はそのままそこへ控える。 「・・・ま、いいさ。返事が無いのは肯定ととるし。姫君から報告させてあげたいんだけどね」 銀が顔を上げてを見ると、も銀を見ていた。 「・・・・・・畏まりました。様子を・・・との事でしたので」 「やっぱりね。早耳だね、もう俺が着いてるのがばれてるなんて。ま、着く前に知ってたかな」 予定より早めに平泉に着いたのに、もうヒノエの到着が知れていたのだろうか? ここでも弁慶の情報網は侮れない。 「銀!九郎さんたちの所へ戻るの?だったら・・・その・・・今晩は皆で夕餉を食べたいですって 伝えて下さい。それと・・・私から皆に話があるって・・・・・・」 「・・・畏まりました。それでは」 銀は軽く頭を下げると、踵を返した。 「さ〜て。もう少し色々歩こうか。最後に川湊へ寄ってもらっていいかな。荷の具合も確認したいしね」 「うん。ヒノエくんが真面目に仕事するとこも見ておきたいし」 がヒノエの顔を覗き込んだ。 「信用無いな〜。こう見えて、仕事は早いんだぜ?・・・・・・では、姫君。手ぐらいはいいだろ?」 ヒノエに差し出された手に手を重ねる。 「いいよ。いつも白龍とも繋いでるもん」 「・・・・・・あっそ。姫君は俺の事、白龍と同じ扱いな訳ね」 微妙に男心が傷つくが、が好きなのは景時だ。 景時以外は大差ないのだろうと納得すると、再び周囲を散策した。 午後になり、川湊の方へと歩を進めるヒノエと。 見覚えのある人影が集まっていた。 「九郎さん!将臣くん!」 が走って近づくと、少し離れた場所に泰衡と銀、さらに向こうに弁慶と敦盛の姿を確認する。 「・・・・・・何かあったの?」 将臣の袖を引っ張る。 「いや。ヒノエが逃げたって話以外は無いな。よっ!久しぶりだな、熊野別当殿」 後から歩いてきたヒノエが嫌そうな顔で面々を見回す。 「・・・・・・姫君に俺の働き振りを見せて、感動してもらう予定だったのに。アンタら、ほんとに俺様の 邪魔ばっかしてくれるよな〜」 ヒノエが仲間に挨拶する前に、ヒノエの部下が物凄い形相で駆けて来た。 「頭領!!!どこで遊んでたんで?!まったく、荷卸しの時に消えるなんて!」 ヒノエが両手を上げた。 「はい、はい、はい。俺が悪うございました。ちぇっ、カッコ悪ぃ・・・・・・。じゃ、姫君。途中ですまない ね。・・・将臣。姫君を送ってくれよ」 軽くの手の甲へ唇を寄せ、迎えに来た部下を置いて船へと走ってゆくヒノエ。 (向こうさんも予定より早く着いたのか・・・・・・ギリギリか・・・・・・) 入港したばかりの船へ軽く視線を走らせるヒノエ。 (姫君を港へ連れてきたのは失敗だったな・・・・・・弁慶も銀に指示くらい出しとけってんだ) がどこにいるかを銀に確認させたのだろう。出来れば港へ近づけないために。 すべてを銀には話せないのだから、結果としては仕方ない。 (将臣がなんとかしてくれるだろってね!) 「と、頭領!!!待ってくだせぇ〜〜〜」 慌しく部下もヒノエの後を追って駆け出していった。 「あはは。ヒノエくんらしいな〜。抜け出して来てたんだ」 九郎がの方へ振り向く。 「アイツは・・・いつ来たんだ?高館の方へ行ったのか?」 「うん。朝ご飯食べに来たんだよ。でね、一緒に散歩してここまで来たんです」 「・・・・・・アイツの部下は苦労するな」 九郎が軽く首を振り、ヒノエの部下に同情する。 「まあ、それはそれでいつもの事みたいだな!・・・・・・帰るなら送るけど?」 将臣がの頭へ手を軽く置く。 「えっと・・・邪魔じゃなければ一緒にいてもいい?帰ると・・・夕餉の手伝いしなきゃだもん」 「・・・譲と朔に叱られるのは勘弁してくれよ?ヒノエが来たんだ。買い物行くか?」 肩を竦める。 「うん。出かけるって言ってきたし、朔がいいって言ってくれたんだもん!」 他にに否と言える人物は居ない。問題はないという事だ。 「ま、それなら・・・・・・九郎。俺たちは店回ってから帰るわ。よろしく!」 さり気なく将臣がを港から引き離した。 港へ入港した船に乗っていたのは、頼朝に命じられてこの地へやって来た御家人の葛西清重。 泰衡を筆頭に出迎えに来ていたのだ。 もしかしたら、景時も居るかもしれないとの微かな期待を抱きつつ。 居ない場合にを落ち込ませないようすべて秘密にしていたのに、間が悪かった。 船から降りる人物を丁重に迎える泰衡と銀。 九郎も頭を下げると、声をかけられた。 「お久しぶりですね、九郎殿。こちらの土地は初めてなので、よろしくお願いします」 「あ、ああ・・・・・・よろしく頼む。その・・・他には・・・・・・」 清重が静かに頷く。 「私だけですよ。・・・貴方の動向を見張るようにとの役目でこちらへ来たのですから。貴方のお仲間を 増やすような事はあろうはずもないでしょう?」 自ら使命を九郎へ告げる清重。 「なっ・・・・・・兄上は、まだ俺を疑っていると、そういう事なのか?」 九郎が清重に掴みかかった。 「九郎。そのように感情的になるものではないですよ。こちらへ赴任されたばかりなのですから、九郎が 共に土地を回って案内して差し上げればいいでしょう?」 弁慶が九郎の腕を掴み、清重の襟から手を離させた。 黙っていればいい事を、わざわざ九郎に告げたのだ。清重は九郎に好意的であると考えていい。 「・・・お話はよろしいかな?館の方へ案内したいのだが。御館がお待ちしてございますゆえ」 泰衡が清重と九郎の間に割って入った。 「これは申し訳ございません。こちらは鎌倉より季節が遅いのですね・・・・・・」 遠くの山々を眺める清重。 まだ青々というほどの色にはなっていない風景は、どこか春の名残がある。 一同は馬で伽羅御所へ向かった。 「ね、将臣くん。将臣くんは、向こうへ帰りたい?」 将臣と並んで歩く。いつかは聞いてみたいと思っていた事だ。 中々二人きりで話す機会も無かったために、今がチャンスとばかりに尋ねる。 「あ〜〜〜、別に。今となっちゃ、経正たちの無事もわかったし。俺は何でもいいぜ?が帰りたいなら、 俺も帰るし、居たいなら居るぜ。ま、こう言ったら悪いだろうけど、心配だしな〜〜〜」 フラフラと食べ物屋の軒先を冷やかしては次の店へと歩く将臣。 「・・・・・・あのね、したい事があるんだ。でも、どうしてもここに残るのは無理になる事もあるかもしれない。 その時は、戻ろうと思うの。鎌倉に行きたいんだ」 (『戻る』・・・ね・・・。ようやくしたい事を言ったかと思えば・・・・・・) 密かに将臣と弁慶は話をしていた。 景時とが約束をしたのは、仲間全員が聞いている。しかし、景時は待てど暮らせど文すら寄越さない。 そのうちに弁慶の情報で、景時が坂東八平氏のひとつに数えられる長尾氏の息女との婚儀を挙げるとの 噂を知ったのは春先だった。 (間に合うのか?でもな・・・こいつ、言い出したら聞かないし・・・・・・) 「鎌倉に行くなら俺もついてってやるぜ?向こうへ一緒に帰るようになっても、面倒が無くていいだろ。譲も 忘れないでくれよ?あいつを置いて帰ったらシャレにならないぜ〜?」 わしわしとの頭を撫でると、が将臣から離れた。 「もぉ〜。髪がぐしゃぐしゃだよぉ!真剣な話してるのにぃ」 「そりゃ真剣だろうが。だから答えは決まってるんだ。お前はしたいようにすればいいんだよ」 将臣が手に取ったものは酒だった。 「ヒノエが来たんだ。いい酒買って帰るか!」 「飲みすぎはよくないよ〜〜」 「いいって、いいって。今日くらいは。全員集まりそうだしな!」 結局酒を買い込んで高館へと帰った。 「うわ〜、あんま変わんないな」 高館で全員そろっての夕餉の席で、ヒノエが仲間の顔を見回した。 「・・・そうそう変わってたまるか!」 九郎が早々と酒を呷る。 「そうですか?大分こちらに馴染んで、客分扱いされなくなりましたけどね」 弁慶も盃を手に取った。 「そういうヒノエくんが一番ちっとも変わってないよ〜。いきなり恥かしいセリフ連発だし」 会った早々口説き文句を連発するヒノエには手を焼いている。 挨拶のようなものだとはわかってはいるが、言われなれていないので鼓動が少し早くなってしまう。 「・・・・・・その割には姫君はさらりと全部聞き流してくれるじゃん?」 「いつも聞かされていれば、誰でも慣れるものだ・・・・・・」 静かに敦盛に釘を刺されてしまい、ヒノエが大人しくなった。 「まあ、こういうのいいよな。・・・・・・。話があるなら酔いつぶれる前にした方がいいと思うぜ?」 将臣がに話の切欠を作った。 「あ・・・その・・・・・・うん。そうだよね。早い方がいいんだよね・・・・・・」 がお茶を一口飲んでから姿勢を正した。 「あ、あのね。私、景時さんを迎えに行きたいの。それで・・・場合によっては、元の世界へ帰ろうかなって。 いつまでもダラダラと待っていても、気持ちの区切りはつけられないし。だから・・・・・・」 誰もが予想していた事なのだろう。驚きの声すら上がらない。 「こんなによくしてもらった御館さんには悪いけれど・・・・・・何もご恩返しできていないけど・・・・・・鎌倉へ 行かないと進めない。このままじゃ嫌なんだ。将臣くんと、譲くんと三人で行って来ていいかな?行くのは 鎌倉までヒノエくんが送ってくれるって。だから、後は私がちゃんと景時さんに会ってハッキリさせて。それ からまたここに戻るか、向こうへ帰るか決める事になると思う。皆にも、初めてこの世界へ来た時から、本 当にお世話になりっぱなしなのに・・・・・・最後にすっごい我が儘言ってごめんなさい!」 勢いよくが頭を下げた。 「。私も一緒に行ってもいいかしら。私も・・・どうなるにしても、母上にきちんと挨拶したいの」 朔がの手を取る。 「その・・・。俺も兄上と一度話をしたいと思っていた。俺も鎌倉へ同行させてもらえないだろうか?」 今度は九郎が姿勢を正してを見る。 「そうですねぇ。僕も生薬を取りに行きたいし。いずれにしても一度は出向こうと思っていました」 弁慶は静かに盃を膳に置く。 「神子!私が居なくては帰れないよ?私はもちろん神子と一緒だよ!」 白龍がの前に来て座った。 「神子。私も共にいいだろうか?私で役に立つなら、貴女に少しでも何かを返したい。・・・もしも貴女が帰る というなら、見送りたいのだ」 敦盛もを見る。 「神子が望むままに・・・・・・」 リズヴァーンは腕組みをしたまま目を閉じた。 「あ、あの・・・私の我が儘なのに・・・。皆もどうなるかわからないんだよ?危ない事なんだよ?」 「ば〜か!皆はみんなの都合で行きたいってんだから、いいじゃねぇか。ヒノエの船なんだし。少しくらい 人数が増えても大丈夫なんだろ?」 将臣が大きく伸びをしてから欠伸をした。 「まあね。最初から全員乗せてくつもりだったし。そんな事だろうと、船は三隻で来たんだ」 「おや。用意がいいですね。流石は熊野の別当殿」 白々しく弁慶がヒノエを褒めた。 「・・・アンタに褒められてもうれしくないんだケド。俺としては姫君の感謝の口づけを強請りたいかな」 泣きそうになっていたの顔が、怒り顔へ豹変した。 「ヒノエくんのお調子者ぉ!すっごい感謝してたトコだったのにぃ!!!」 「やれ、やれ。失敗したか。黙ってれば本当に口づけていただけたかもしれないのにね?」 唇へ人差し指を当てて片目を瞑るヒノエ。 「知らないっ!ご馳走様でしたっ」 食事は済んでいたので、は挨拶をすると足音を立てて部屋を出て行ってしまった。 半分は仲間の気持ちが嬉しくての照れ隠し。 「素直じゃねぇ〜の。ま、こっちはこっちで・・・飲もうぜ!平泉の酒ともお別れかもしれねぇしな」 「兄さん・・・どうしてそう不真面目なんだよ・・・・・・」 譲が頭を抱える。 「そうは言ってもなぁ。なるようにしかならねぇだろ!お前は酒はダメだから飲まなくてヨシ!」 手で払う仕種をし、譲を追い出そうとする将臣。 「・・・・・・いいよ。後片付けがあるし。何かつまみでも持ってくる」 譲と朔が膳を片付けだした。 他の面々はまだ肌寒さが残る平泉の散り際の桜を眺めるため簀子へ出る。 盃を片手に日々の出来事を語り合い、夜が更けていった。 翌朝、は九郎たちと共に伽羅御所を訪ねる。 何も言わずに出て行くのは気が引けるからだ。 「・・・でも、鎌倉から見張りの人が来たんでしょ?」 昨日の港での出来事を、道すがら聞いた。 「大丈夫だと思いますよ。彼はわざわざ手の内を見せたのですから。念の為、御館と泰衡殿にだけ お話し出来るように人払いしてもらいますけどね」 弁慶は、残される秀衡たちの事も考えなくてはならない。 少なくとも、こちらが鎌倉に着く方が確実に早い。 鎌倉が軍勢を動かすのを止める手立てを考えるには十分な時間がある。 (さて、どういった手を使いましょうかね。第三の敵を設えるのが手っ取り早いんですけど・・・・・・) 「筋を通すのはいい事だ。俺も御館に黙ってというのは心苦しい。御館ならば大丈夫だ。わかって 下さるだろう」 九郎を先頭に、伽羅御所の御館の部屋へ進む。 が増えている事以外はいつものことなので、誰からも咎められなかった。 「今日は早いのぉ・・・・・・おや?神子様まで。どうなさった。何かご不自由でも?」 「ち、違うんです。お話したい事があって・・・その・・・・・・」 が俯くと、すべてを察したらしい秀衡が手を叩く。 警護の者が秀衡の傍へ控えた。 「すまんが・・・泰衡を呼んでくれるか。それと、神子殿にお茶と菓子等もな。今日はわしの話し相手を してもらう約束なのじゃ。そなた等は邪魔をするでないぞ」 「はっ」 警護の武士は、そのまま辞した。 「さてと。泰衡が来るまではちと時間があるのぅ。本当に話相手をしてもらうとするか」 手招きされるままに秀衡の前に座る。 「そう、そう。昨日は別当殿が珍しい菓子を届けてくれた。あれは神子様の御口にも合いましょう」 豪快に笑うと、ひとり頷いている。 「・・・・・・神子様。我等のことならば気になさいますな。形はどうあれ、ここはわしが守るべき土地。 鎌倉方にどう思われようとも構わないのでな。御曹司も、余計な心配はせずともよいぞ」 「御館・・・・・・」 九郎が拳を握り締め、俯いた。 「わしはもう老いぼれじゃが泰衡がおる。御曹司にここをとも思っていたが、御曹司にも都合がござろう。 気持ちの整理をされるならば、そのように。弁慶殿にも多くの薬の知識を授けていただいた。あまり無茶 な事は考えなさるな。我々の事は我々が考える。将臣殿にも他の方々にも、色々手伝っていただいて 有難かったですぞ」 下働きの者が茶と菓子を持ってきた。 「おう、待っていた。神子様、この菓子が甘くて旨いぞ。食べなされ」 目の前に差し出された菓子をひとつ抓む。 「わっ。これ・・・美味しいぃ〜」 「・・・・・・」 真面目な話をしにきたのに、いつの間にかお茶会になってしまった。 九郎のこめかみに青筋が浮かぶ。 「まあ、まあ。九郎。そうカリカリしないで、君もひとつどうですか?」 弁慶はいかにも何もない、いつもの様子でお茶を啜って話しに加わる。 「だよな〜。九郎もそんなに目を吊り上げてねぇでさ。最近じゃ町中も落ち着いてきたし、休もうぜ?」 将臣は堂々としたもので、御館と普通に話しをしている。 「・・・・・・そうだな。休むのも必要か」 ようやく九郎も話しに加わると、御館に幼い頃の話をばらされて赤くなるなど和やかな時間を過ごした。 「父上。お呼びと伺いましたが・・・・・・」 銀を従えて泰衡が部屋へ入ってきた。 「今日くらいは休みでもいいだろう。お前もここへ座るといい」 秀衡が手招きすると、泰衡は腕組みで部屋の入り口に立ったまま顔を顰める。 「・・・ご冗談を。鎌倉からの目付け役のお世話もしなければなりませんし、私は忙しいので失礼しますよ」 「待て!少しは腰を下ろしていかんか」 口調は和やかだが、秀衡の強い視線を感じて泰衡が大きな溜め息を吐く。 「・・・・・・少しは年寄りの相手をして差し上げますよ。銀も来い。あとの者は呼ぶまで下がっていていい」 銀以外の部下は対を離れて庭で鍛錬でもするのだろう。すぐに主の意図を察して下がった。 秀衡と泰衡親子は、過去から時々対立をしている。 今度もまた何かあり、九郎と弁慶が仲裁に来たのだと勝手に勘違いをしていた。 「さて。今度は何ですかな?最近は特に父上のお気に触るような事をした覚えはないのですが」 やや喧嘩腰に言葉を投げ、泰衡は腰を下ろす。 「・・・・・・お前がそう言うからには何か隠していそうだな。まあ、いい。神子様方が鎌倉へ戻られる。お前も 御曹司たちを大分頼りにしておったろうから、覚悟しておくんだな。後は任せる」 小さな声だが、しっかりと用件だけを素早く伝える秀衡。 たちとは今回の件について多くの言葉を交わしてはいないのに、真意は伝わっていたらしい。 「・・・・・・頼った覚えはございませんが。そうですか、食い扶持が減るだけですから、むしろ喜ばしい限り。 銀をつけましょう。いずれにしても、報告をする者が必要ですから・・・・・・」 いかにも九郎たちが邪魔だと言うような口調の泰衡。 「え〜っと、ご迷惑になりますから。その・・・最後まで面倒かけてすいません。大丈夫です」 秀衡と泰衡へ頭を下げる。 「・・・・・・万が一の時の報告をとの意味なのですが。神子様が戻らないという報告を受ける場合もあるで しょう?そういう意味ですよ。それでは、出発は静かにされるといい。彼の者は何を考えているのか、まだ わかりませんから」 鎌倉から寄越された葛西の事だろう。 見つかったとて、鎌倉への道程にそう差は無い。先に着けばいいだけの事だった。 「はい。お世話になりました。銀、しばらくよろしくお願いします」 立ち上がった泰衡へ再度頭を下げる。 しかし、泰衡はもう会話をする気はないらしい。そのまま背を向けて出て行った。 「御館。我々ももう行く。・・・・・・出来るだけ思った事を終わらせていきたい」 九郎も続いて立ち上がる。 「そうか。引き止めませぬよ。ただし、神子様はこちらでよろしいかな?」 「はい。は預けていきます。・・・・・・。行儀良くしろよ」 が九郎へ向けて舌を出す。 「んべっ!九郎さんに言われたくないよ。私はもう少しお話させてもらうから、みんなお仕事頑張ってきてね」 への字口の九郎、続いて弁慶と将臣が、に手を振って送られた。 「はっはっは!御曹司は口下手だからのぅ。神子様に敵わなんだか!」 「やっ、その、九郎さんだって、いっつもお行儀悪いんですよ?お片づけちゃんとしないし。そういう意味で、 別に口が達者とかそういうんじゃなくて・・・・・・」 が言い訳をすればするほど秀衡の笑いを誘う。 「ほんに神子様は面白い。さて、神子様。銀に護衛をさせるので、平泉を見てこられるがいい。神子様に この風景を覚えていて欲しいのでな。ご加護などとケチくさい事は言わんので、ゆるりと・・・・・・な」 秀衡の心遣いがありがたく、は俯き、目を開くことが出来なかった。 (何も聞かないでくれて・・・・・・思い出を作っていきなさいって・・・・・・) 「ありがとうございました!」 頭を下げると、余計に目が開けられない。 「神子様・・・・・・最後にひとつだけ。ご自分の考えを信じなされ。言葉は、真実も嘘も紡ぎだすもの。見せ掛け のものに惑わされてはなりませんぞ」 「・・・・・・はい」 溢れてしまった涙が、床に零れる音がした。 「・・・・・・銀、後は任せたぞ。わしはお目付け役を案内せねばならぬのでな」 「はっ」 秀衡の手が軽くの背を叩いて離れた。 床の音が遠ざかると、はその場に突っ伏し、声を殺して泣いた。 景時に背を向けられたあの日から、堪えていたものが溢れ出し雫となって床を濡らす。 穏やかな日差しの中、平泉の風景をその目に焼き付けるべく銀とは散歩に出かけた。 を中心に動き始める─── |
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『十六夜記』景時蜜月EDの空白部分はこうだといいな!
あとがき:つまり、望美ちゃんが鎌倉へ行くってのはアリかなと。 (2005.10.25サイト掲載)