怨嗟の声 「なっ・・・・・・り・・・・・・め・・・・・・」 の手が知盛の単の襟元をぎりぎりと握り締める。 「?」 そう深く眠ったつもりはなかったが、その前兆に気づかなかった知盛。 枕上を見れば銀が飛び跳ねている。 「任せる・・・行け」 知盛の命を受けると大きく飛び跳ね、煙と共にその姿を消した。 「桜。すまないな」 銀と桜は番なのだ。 申し訳ないと思うようになったのはの影響なのだろう。 それでも知盛の一番は一人しかいない。 すぐさま竹筒の水を口へ含むと、に飲ませる。 「・・・・・・り・・・い・・・で・・・・・・」 しっかりとを抱きしめて落ち着くのを待つ。 程なく呼吸が元に戻り、全身の力が抜けたのがわかった。 「銀が何かつかんでいればいいが・・・・・・」 まだ深い夜の気配を感じながら、の背を撫で続けた。 遡ること宵の口、宿直の約束をした景時は一応の作戦を考える。 「人にはわからない何かだとしたら・・・銀が動くとして。まずはちゃんの件を解決 しないとだよな〜」 自らの気配を消す呪いを施すと部屋を出る。 視界に入れば見えてしまうのがこの呪いの欠点だが、この時代の明かりの少なさと邸の 広さは長所でしかない。 (まあ・・・闇は敵にとっても利点っていうのが難点といえば難点なんだけどね〜) 足音を忍ばせるのはお手の物だ。 主に女房たちが使う孫廂側の簀子に控えようと考えていた時─── 「へ?何だ?」 景時が施した結界への侵入を試みるものがいるらしい。 その気配から考えると、 「重衡殿の対!?今夜はそっちってこと?」 ではなく重衡に移ったのだろうかと目立たぬように重衡の対へ急ぐ。 結界によって阻まれていたのは多岐だった。 (あれって・・・例の女房だよなぁ・・・・・・) 諦められないのか、重衡の対の妻戸の前で拳を握り締めて戸を睨みつけている。 「神子だけが・・・すべてを手に入れるなんて・・・・・・許さない!」 大きく扉をひと叩きし、多岐がその場を離れる。 慌ててその影を景時が追う。 (なんていうか・・・物事の片面しか見てないわけね。オレもそうだったけどね〜) 一般的に九郎やは羨望の象徴である。ただし、嫉みも受けやすい。 (嫉む者は・・・嫉まれる人の失った部分とか努力が見えていないんだよね・・・・・・) 多岐の背を見失わないよう尾行しながら、梶原邸に住むことになったばかりのの姿を 思い浮かべる。 『じゃあ・・・封印が出来ないと、元の世界に帰れない・・・私しかいない・・・・・・』 いきなり異世界に放り出されたがおかれた立場。 『まだ力が足りないんだ・・・私が未熟だから・・・・・・』 仲間が怪我をする度に己を責めていた。 『頑張れば・・・もう少し頑張れば次は花断ちが出来るかもしれませんよ』 手と木刀を手拭で縛ってまでして朝から晩まで神泉苑で稽古して修得した花断ち。 常に明るく振舞ってはいたが、熊野路の旅で同室だった朔にはその痛々しい背中が見えて いたのだろう。 そのを気遣うどころか朔の過去の話をしてしまった景時は、なんと軽率だったのか。 さらには景時の弱い気持ちまで預けてしまったのだ。 それだけのモノを抱え込ませても、なお立ち上がろうとするの姿を見て何もしないでは いられなかった。 せめて景時の重荷だけでも減らそうと、壇ノ浦での出来事はすべて嘘の報告を頼朝へした。 今では仲間の協力もあり九郎の立場も回復したからいいようなものの、賭けでしかなかった。 (仲間を連れて・・・異国までとも考えたよなぁ・・・・・・) 何やら不穏な動きを始める多岐を見張り続けていると、庭へ降りて大木へ人形を打ちつけて いる。 「どうして・・・あの女だけ守られて・・・・・・誰からも好かれるなんて!」 鬼の形相で釘を打ち続けるその姿は、あまりにも哀れで問い詰めることすら忘れてしまった。 (これか・・・悪い気を呼んでいた原因は・・・・・・) 嫉みほど悪鬼を呼び込みやすいものはない。 彼らの大好物なのだから。 重衡は多岐と一晩過ごした事による巻き添えだったのだろうと推理の正しさを確信する。 (この黒い気がちゃんに?) 悪い気が滞っているのは仕方ない。 ここで夜な夜な他人を恨んでは多岐がしていたことを考えれば当然だ。 今度は、その悪い気が勝手にに向かう理由がわからない。 「ふむ。困っちゃったな〜。ちゃんが誰かを嫉む?それは無いしなぁ・・・・・・」 多岐の立っている大木の周囲に取りあえずは結界を張る。 悪いモノを流出させなければ止まるなら原因が確定する。 果たしてそれだけでいいのかと庭にしゃがみ込んで考えていた景時の肩へ銀が現れた。 「はい〜!?今度は銀なの?何、何〜〜〜?」 銀が耳元で報告を始めた。 「・・・うっそぉ〜って驚きたいトコだけど、静かにしないとね」 銀の頭を撫でてから多岐の行動を引き続き見ていると、向こうに家長が見える。 軽く手で合図を交わし多岐の件は家長に任せると、銀の案内に従い、の悪夢の原因らしき 物の在り処へと向かった。 「・・・これ?これは・・・・・・」 どこからどう見ても香炉である。 「ほんとにコレ〜?」 銀を疑いたくは無いが、あまりにも違和感がある。 香炉の蓋を取り、中を見た景時の表情が変わった。 「こういうのは・・・弁慶が得意なんだよね〜」 香炉の中身は香木ではなかった。 微弱ではあるが嫌な気配を残している黒い粉である。 「香炉がないとモロバレだから・・・・・・」 まだ火が移っていない辺りの木片を少しだけ失敬し、簀子の端の元の位置へ戻す。 景時の結界があるために廂には入れなかったらしい。 庭から置いても置ける簀子の端という場所にそれはあったのだ。 辺りを見回して、香気の向きを遮ることが出来そうなモノを探し始めた。 「これで・・・いいかな〜」 誰かが置き忘れたように屏風を上手く立てかける。 こうすれば香気は知盛たちが眠る部屋の方へは入らない。 「結界張ってたって、こればかりは無理だよな〜」 空気までは封じることは出来ないのだから、敵も上手い手を思いついてきたものだと関心 する景時。 銀が早くしろと景時の肩で跳ねた。 「はい、はい。追跡ね。港なんでしょ〜?泳ぐのは無理なんだよなぁ」 文句を言いながらも、銀に言われるがままに港を目指した。 明けて翌朝、が目覚めると知盛の顔が目に入る。 「・・・・・・はよ」 「ああ。目覚めたか・・・・・・」 肘枕で眺めていたの寝顔。 起きたのだから恒例の額へのキスをした。 「・・・・・・寝た気がしないよぅ・・・知盛サンの所為で」 がだるい原因は知盛ではないのだが、真相を告げるつもりはない。 「それは、それは。俺が満足出来るよう、せいぜい頑張ることだな」 「体力差を考えてよね!頑張ったんだよ、これでも。もうね、知盛に揺さぶられて頭グラグラ」 知盛に抱きつく。 しっかりと受け止めた知盛は、わざとらしくの耳朶を噛んでから囁く。 「ならば・・・ご自分で動かれることだな?」 硬直する。 つまりはそういう事らしい。知盛にされたくなければが動けと解釈できる。 話は逸らすに限ると、 「朝ご飯食べるっ。今日は私も一緒に行ってもいいんだよね?」 「ああ。共に・・・な」 そのまま二人で起き上がり、朝餉を食べた。 「行ってきま〜す!デートみたいだね」 知盛と馬に乗り、家長と菊王丸を従えて邸を出る。 譲は白龍と留守番だ。リズヴァーンは先に景時と出かけたという。 「どこ行っちゃったんだろね?先生と景時さん」 「この時間では・・・遅いからな」 知盛にも行き先はわからないが、家長より短い報告は受けているので居ない理由はわかっている。 「あ・・・もしかして、遅刻!?将臣くんより遅刻って、なんか悔しいかも」 「クッ・・・還内府殿は但馬守がいるから遅れる事はできなかろう」 労働者を使役する側が遅刻など、経正の性格からして出来はしない。 よって将臣も時間は守らされる事になる。 「知盛は?」 「クッ、クッ、クッ・・・行くだけでも有り難いと思われていると思うが?」 の表情が奇妙なモノに変わる。 「ソレ・・・知盛のサボりは日常って思われてるって事?」 「まあな」 しれっと悪びれもせずに返事をする知盛。 それはそれで知盛らしくもあり、が笑い出した。 「サボリは自慢じゃないよ。・・・今日は私もいるから仕方ないけど。明日からは遅刻しないでね?」 を待っていたのだろうと思うので、ここはかなりの譲歩をみせる。 「考えておく」 「・・・考える事じゃないし」 そんな風に、どこかズレながらも会話が成立している知盛と。 もう家長も驚きはしない。 知盛が必要としているのが誰かは、ここ数日でわかったからだ。 (母上も三条も・・・この姫ならばと思っただろう) 知盛を窘められ、それでいて知盛を気遣える。 守られるだけの姫君ではない。 (だからこそ・・・・・・若君はお許しにはならない) 母である按察使にの事件のあらましは聞いた。 按察使も聞きかじりで、その場にいたわけではないらしい。 色々と思うところはあるが、一番は知盛がどうするかが恐ろしいと言っていた。 『還内府様に逆らうかもしれません。但馬守様とは仲違いをされてしまって・・・・・・』 考えるだけで頭が痛いが、がいれば回避できるかもしれない。 一門で憎みあうなど、あってはならないのだ。 そんな時、行く手に景時の姿が見えた。 「若君・・・・・・」 家長の言葉に、知盛が黙って頷く。 馬の進む方向を変える家長。 昨晩の事もあり、今は景時の方に人手が必要そうだからだ。 残された菊王丸はから目を離す事無く、それでいて周囲の気配に気を配る。 「知盛。オレ、朔がそろそろ着きそうな予感がするんだよね〜。じゃあね!」 ひらひらと手を振り、景時が家長を連れて去る。 その方向は港ではなく、街道の方に向いていた。 「・・・何?早馬がきたのかな?朔、今日くるのかな?」 が目を輝かせて知盛を見上げる。 「さあ・・・明日辺り・・・ご到着・・・かもな」 景時が言いたかったのは、朔が来る前に解決出来るかどうかだと思われる。 朔に会わないために出かけたのではないだろう。 (鎮めるのが朔殿の力・・・か) 黒龍の神子の力を目の当りにしたことはない。 見ないで済むのならば一番いいのだが、それは叶わないらしい。 「明日!明日か〜。うふふ。嬉しいな〜」 何も知らずに知盛に抱きついている。 ふとその背を抱く手に力が入ってしまった。 「・・・知盛?港へ・・・行かないの?」 「クッ・・・わざわざ早く行ったら仕事が増えるだろう?」 「うわ。この人、この期に及んでまだ仕事サボる気だよ」 上手く誤魔化せはしたが、考える事は増えるばかりだった。 「おう!も来たのか」 絵図を広げて経正たちと打ち合わせをしていた将臣が、知盛の馬を見つけて手を上げた。 「うん!知盛がね〜。私がひとりで大人しくしているって言うのに信用しないの」 馬から降ろされたが、将臣の隣まで駆け寄った。 モノは言いようである。 単に心配なのだろうが、そう言えないのが知盛らしくて将臣の口元が笑んだ。 「まあ・・・いいさ。向こうを見てみろよ。ヒノエの船団だ。すぐに着くぜ?」 将臣が指差す海の彼方に影がみえる。 「ほんとだ!あれだよね?遠くのゆらゆら」 まだ船というには小さな影だが、海に塊が浮いているのは他にはない。 「神子様・・・その・・・・・・」 経正がの隣にやって来た。 「おはようございます!経正さん。もうすぐ次の材木とかが届くんですよね〜。梅雨に なっちゃって、皆も大変ですよね。でも!真夏の太陽の下じゃ貧血起こしそうだから、まし?」 雨は悪くないのだと言う。 そして、経正に詫びる隙を与えないためなのだろう。 その後も話題が飛びながらも、あれこれとよくしゃべる。 の背後に知盛が立った。 「知盛殿・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・」 返事をしないのは聞えなかったためではないだろう。 「知盛!そういう態度、よくないってば。ね〜〜〜、知盛!」 首をかしげながら、知盛に向かい合う。 「別に・・・名を呼ばれたからと返事をする理由はない」 「あのね、うんとか、はいとか、なんとか言わないと、続きが言い難いんだよ?わかる?」 知盛の腰に腕を回して抱きつきながら、しかめっ面で見上げる。 「クッ・・・それで?」 の額へキスをしてから顔を上げた知盛が、視線で経正に問いかけた。 「いえ、熊野別当殿がお見えならば、宴をと思ったものですから・・・・・・」 「今日?外で?」 知盛ではなく、が反応を示す。 「この天気では外は無理でしょう。寝殿の廂の間を中心に軒の端ならば雨にも濡れませぬ」 開け放てばそれなりの広さを確保できる。 経正が心配しているのはの出欠の方だ。 「そうなんだ〜。ヒノエくん、元気かな〜。うふふ。まぁ〜た面白いこと言いそう」 ほっと胸を撫で下ろす経正。 宴を開いても知盛がを出席させなければ歓迎とは受け取ってもらえないだろう。 事件があったこともあり、人が集まる場所には出したがらないだろうと考えていたのだ。 後は管弦の事についてだが─── 「は〜い!経正さんが琵琶ですよね?で〜。敦盛さんがいないから、知盛が笛〜。私が 頑張って舞ま〜す!昔ヒノエくんに褒められたんです。きっと喜んでくれますよ!」 誰も指してはいないが、が片手を上げて発言した。 知盛もそこまで言われては何もしないわけにはいかない。 ただ一点だけ不満を述べる。 「笛は・・・通盛殿でも教経殿でもいいだろう?そう・・・弟君もお戻りだ」 「え〜〜〜。知盛ったら、ヒノエくんが来るんだよ?なんで〜?何かしようよ〜〜〜」 経正が言わずとも、が知盛に対して意見してくれる。 「・・・クッ・・・共に舞うのはいかがかな?」 「ホントに?ほんとのほんと?」 が飛び跳ねて知盛に抱きつく。 「ああ。約束・・・だろう?」 「うん!ヒノエくんの船、もうあ〜んなに大きく見える」 振り返れば、船団の影がはっきりと見て取れる。 「ああ。別当殿の腕前ならば・・・半時もかからんだろう」 潮の流れと風向きがあるだろうが、ヒノエの場合すべてを計算していそうだ。 (あるいは・・・いずれかに寄り道をされたか・・・だな・・・・・・) 街道に向かった景時たちの帰りも待ち遠しいが、何か新しい情報をもたらしてくれそうなヒノエの 到着も待ち遠しい。 「まだ手を振っても見えないね」 知盛の仕事は、ヒノエたちを出迎えることに決まった。 手を振るを支えながら海を見つめる。 港はほぼ完成。残すは居住区の再建のみ─── |
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あとがき:ヒノエくんも増えて〜。仲間が集まってきますよ! (2007.03.17サイト掲載)