兆候





 遠くから足音を立てて近づく者がいる。
 わざとなのかというほど簀子の床板を踏み鳴らしており、怒りにも取れる。
 重衡の傷に湿気が触るからと降ろされていた御簾を跳ね上げ、先触れもなしに部屋へ入った知盛。

「・・・どうしてがここで寝ている?」

 さっさと几帳の内側まで入り、立ったままで重衡の枕上から重衡とを見下ろす。
「お帰りでしたか、兄上」
 もう目覚めていたのだろう重衡が知盛の視線を受け止めた。


「・・・手を・・・離したらどうだ?」
 が離さないのは仕方がないが、重衡がの手を握る必要はない。
「また・・・助けられてしまいました。私の不徳の致すところでしょうが・・・何やら悪い気を呼び
寄せてしまったようです。神子様が・・・私をお救い下さいました。本当にお優しい・・・・・・」
 手を繋いでいない方の手をさらに重ね、の手の甲を撫でる重衡。
 知盛の片眉が面白くなさそうに上がった。


「兄上。私にはこの姫君が必要なのです。私に姫をいただけませんか?」
 重衡が再び知盛に強請る。
「昨夜はどこぞの女房とお楽しみだったのだろう?他の女で間に合うならば間に合わせろ」
 皮肉たっぷりの口調で、口の端を上げて重衡を挑発する。
「・・・そう、ですか。ならば関係ございません。選ぶのは・・・姫君なのですから。私ごときを
何度でもお救い下さるような、心優しいこちらの姫が決める事です」
 重衡がの手の甲を再び撫でると、の身体が反応して飛び起きた。
「やっ、やだ!違う・・・って・・・・・・そっか、違う、違う。違うんだけどいいんだ」
 目覚めたは、しばし重衡を眺めた。


 重衡に微笑みかけられ正気に戻ったのだと理解し胸を撫で下ろす。
 その視線はすぐに知盛へと向けられた。
「お帰り!知盛。ね、抱っこして?疲れちゃったの」
 勝ち誇ったように知盛がの傍へ跪き抱きかかえると、自然に腕が知盛の首へと回される。
「熱が・・・あるな・・・・・・」
「だからかなぁ?今朝ね、変だったんだぁ」
 知盛が立ち上がる。
 知盛に抱えられたの着物の裾を、急いで重衡が掴んだ。

「にゅ?あのぅ・・・・・・」
「姫君。私をお厭いですか?」
 言葉の意味がわからないは、知盛へ視線でアピールする。

 の着物が掴まれていては歩くことが出来ない。
 知盛はを横抱きにしてその場に座り込む。
「・・・嫌いかと・・・問うている」
「あ、そういう意味。えっと・・・キライじゃないですよ?」
 素直にが返事をした。
「では・・・私を好いてくださっているのですね。ならば・・・私をお選びくださいませんか?
神子様は兄上に一目惚れをされたとか。顔ならば・・・私とて、そう変わらないでしょう?」
 多岐から仕入れた情報だが、顔だというのならば利用しない手はない。
「あはは!その話、どこで聞いたかは知らないですけど。半分正解で半分間違いなので訂正しますね。
知盛と会って、綺麗な人だな〜って思ったのは本当。でもね、すぐに私たち剣で戦ってるの。本気の
真剣勝負ってヤツです。だから・・・なの。本気の心をお互いぶつけたから。顔じゃないんですよ?
きっかけは顔だけど、それだけじゃないもの。だから、重衡さんを選ぶことはないです」
 きっぱり、はっきり断言されてしまったが、そう簡単に諦められるものではない。
「ならば・・・もしも兄上が亡くなったら?この顔を眺めたいとお思い下さりますか?」
 なおも食い下がる重衡。
 重衡自身、どうしてに執着するのかわかっていない。
 ただ、手に入れたい。それだけが頭の中を支配している。

「それ、一番ないです。他の人はどうか知りませんけど、私はかわりはいらない。もしもですよ?
重衡さんに親切にされても、いつも知盛を思い出すから。お花をもらってもね、知盛を思い出すの。
何があっても私は知盛を思い出す。私が死ぬ瞬間だって、知盛が好きっていうのは残っていて。重衡さんを
好きなのか、知盛の面影を見ているのかわかんないと思う。だったら、知盛に似ていない人の方がマシ。ね?」
 知盛を見上げて、その頬に触れた。

「間違えないよ・・・間違えないから今があるの・・・重衡さんは、特別の好きがまだ無いんだね」
「特別の?」
「うん。かわりは無い好き。私がさっき言った重衡さんへの好きは、家族の好きですから。知盛に対する
好きとは全然違うの。知盛に対する好きはね、もっと重くて・・・他がどうなってもイイって思える、
怖い好きなんだよ」
 手のひらを見つめる
 北の森で襲われた時に、相手を吹き飛ばしてもいいと思ってしまったのだ。

(龍神の神子なのに・・・この力で人を傷つけてもいいと思ったなんて・・・・・・)
 襲われたこともショックだったが、己の考えにもショックで翌日は知盛に傍にいてもらった。
 弱い自分を見せてもいい相手の傍に居たかった。

 手のひらを握り締める
「私は・・・知盛の妻で、重衡さんのお姉さん。それだけです。あ!ご飯食べて、お薬飲んで下さいね。
身体が元気なら、陰の気は近づきにくくなるはずですから」
 もう話はないとばかりに知盛の首にしがみつき、背を向けてしまった。

「今夜は大人しくひとり寝をするんだな」
 を抱えて知盛が部屋を出て行く。
 既に菊王丸の姿は無く、按察使もその場を安芸に任せて知盛の後に従った。



「・・・誰も・・・・・・か」
 重衡が目蓋を閉じる。

(誰も私を一番とは仰らない・・・・・・誰も・・・・・・)
 
 浮田がここぞとばかりに重衡を慰めようとするが、取ろうとした手を払われる。
「しばらくひとりにしてくれないか・・・・・・」
 廂に女房が控えるだけの静かな室内で、重衡は何度も手の感触を思い出していた。

(暖かい・・・光りの姫君・・・・・・)
 疲れからか、そのまま浅い眠りに引き込まれた。





「知盛・・・怒ってる?そのぅ・・・お行儀悪かったな〜とは思ってるんだよ?でも、間に合わない
事もあるんだよね・・・・・・」
 知盛は普段からそう言葉が多くないが、こうも言葉がないと不安になる。
 ついつい饒舌になってしまう
 福原で人前での蹴りはよくなかったかと一応は反省しているのだが、非常事態だったと理解を示して
欲しいのだ。
「・・・他の男に添い寝をしている妻を見ても大人しくしてろと?」
「知盛の弟だよ?」
 病気の時は気弱になるものだ。にとっては看病のついで程度でしかない。
 けれど、知盛の不機嫌の理由はの考えと方向が違っていたのだとわかった。

「知盛。あのね、私が好きなのは知盛だよ?そこは勘違いしないでね?だから・・・・・・」
「いいから黙れ。また熱まで・・・・・・」
 を褥へ寝かせると、知盛の手がの額へ添えられた。
「う、うん。そんなに高くないと思う・・・その・・・看病してくれる?」
 甘えてみようと思い口にしたのだが、
「さあ・・・な。少し大人しくしてろ」
 ばさりと衾を被せられ、寝所を出て行かれたしまった。


「・・・とも・・・・・・り・・・・・・」
 朝からなんとなく程度だが体調は悪かった。
 ここにきて知盛に出て行かれてしまい、涙が出そうだが泣くのは嫌だ。
 頭から衾を被り、寝られるように力いっぱい瞳を閉じた。





 御簾を上げてから思い出したように按察使へと振り返り、
「景時の対へ・・・・・・」
「何?呼んだ?」
 伝言をするまでも無く、視線を移せば簀子にいた景時に軽く手を上げられてしまった。

「・・・クッ・・・こちらより、景時の部屋が都合がいい」
「そうなんだ。・・・でも、ちゃんは?今日も騒ぎがあったんだって?」
 知盛が小さな溜息を吐いたのを景時が見逃すわけが無い。
「あのね、重衡殿の対には結界張って来たから。なんとなぁ〜く嫌な予感がするから。明日も同じなら
また違う方法考えるし?ちゃんの所為じゃないでしょ」
 知盛の肩を二度ほど軽く叩く。
「・・・ああ」
「そりゃあ、あ〜んな可愛い奥さんなんだから心配事は多いだろうケドね〜。地味な作業だけど、
ひとつ、ひとつ片付けるしかないって。ちゃんが寝ている時の件もさ」
 知盛の気持ちが不安定になるのもわからないではない。
 恋愛感情は、お互いの気持ち頼りだ。
 それは目に見えず、触れられないもの───

(確かによく似てるんだよ、この兄弟は。敦盛君のとこだってこんなには似ていないのに)
 重衡に手短に結界を張る理由を説明した時に間近で顔を見ている。
 知盛と似ていると景時も思ったのだが、性格は違うようだ。

(あっちも本心見せないのは同じなんだけどね。知盛は・・・・・・)
 と過ごすようになってから、人を人として見ていると思う。
 腹を探らせない構えは相変わらずだが、感情を表に出すようになった。

「今夜はオレが宿直するからさ。早く戻ってあげてよ」
「ああ。頼む・・・式神も試させてもらう」
 知盛が肩に気配を感じると、銀が姿を見せる。
「あらら。やる気満々だよ、コイツ。手に負えないときは戻って来いよ〜」
 指で軽く銀をつつく景時。銀が頷いて応えた。

「じゃ、熱さましと、軽いおやつをもらってくるから。後は任せたよ〜ってね」
 景時が来た方向へ戻って行く。
 知盛もすぐに踵を返すと、部屋へと戻った。



 寝所へ入ると、妙な状態になっている。
 それでもこの場所にいるのはだけだ。
 構わず添うように横になると、衾を掴んで一気に引き剥がす。

「・・・・・・なによ」

 の表情を見た知盛が両目を見開く。
 不貞腐れての事だと思っていたのだが、の瞳から涙が溢れそうになっていたからだ。
「泣いて・・・・・・」
「泣いてないもんっ。返して!」
 衾を奪い返すと、知盛に背を向けてから衾を被り潜り込んでしまった。

 軽く溜息を吐くと肘枕の姿勢になり、塊を抱き寄せる知盛。
「薬と・・・菓子を頼んできた。飲めば少しは楽になる・・・・・・」
 重衡の件でイラついてはいたが、言葉が足りなかったと子供をあやすように傍について待った。



 そう時をおかずに塊が動いた。
「・・・り・・・怒ってない?」
 衾を被ったままなので、かなり聞き取りにくいが聞き取れる。
「ああ。出て来い。・・・息苦しいだろう?」
 衾を少しだけ引くと、の頭部が出てきた。
 腕に力を入れ引き寄せると、が仰向けに転がる。
「・・・ほんとに怒ってない?」
「何に・・・怒るんだ?別に・・・後で消毒すればいい」
 の手を取り口づける知盛。ようやくも笑った。
「変なの。知盛の弟なのに。家族だよ?お父さんやお母さんでもダメ?」
 どうにもこちらの親子関係はわかりにくい。
 それぞれの子供に乳母がついており、母親が育てるのでもないらしい。
 父親は部屋からして別に住んでおり、それこそ、場合によっては家まで違う。

「重衡・・・いや。一門の男共が信用ならんだけだ」
「ん〜?妙な言い方。それって、敦盛さんもってこと?」
「そうだ」
 即答されてしまい、が首を傾げる。
「一緒に旅してたよ?」
「朔殿もいたのだろう?」
 朔がいれば、そうそうに手は出せまい。
 敦盛に関しては平家の公達にしては珍しく、言い寄られる側だったので、重衡の心配とは
種類が違うのだが、その説明は面倒な知盛。
「うん。いつも一緒。お風呂も一緒だったよ」
「・・・クッ・・・そこまでは訊いてはいない」
 額にかかる髪を除け、そのまま髪を梳き続ける。

「いいから・・・休める内に休んでおけ」
 今宵も魘されるとしたら、自覚はないだろうが休めてはいないという事だ。
「え?・・・どういう・・・・・・」

「若君。神子様の薬湯と菓子をお持ちしました」
 寝所の入り口で按察使の声がし、すぐに薬湯と菓子の膳が用意された。

 知盛が先に薬湯の碗を手にしたのを見たと知盛が睨み合いとなる。
「・・・お菓子が先」
「クッ・・・こちらが先だ」
「それ、美味しくないもん」
「だから先なんだ」
 無理矢理に飲まされた薬湯の味が口に広がり、が涙目になる。
「・・・ほら」
 雛鳥よろしく口を開けたへ菓子を与える。
「先に美味しいモノ食べれば・・・もうちょっとは・・・不味くなかったかもだよ?」
 忙しく口を動かすに、今度は白湯を手渡した。
「今度は自分で飲むんだな」
 知盛ももうひとつの白湯の碗を手にして口に含む。
 別段、湯の味に違いは感じられないが、これで眠ったが冷たくならないのなら、少なくとも
には最良のモノという事だ。

「なあに?知盛も苦かったんでしょ〜。食べる?」
 碗の中を見つめている知盛に、菓子を差し出す
「いや・・・問題ない・・・・・・」
 差し出された菓子をの口元へ運ぶと、がそれを食べる。
「もう無いからね?」
 目を擦りながら食べ終えると、小さな欠伸を零す
 そのまま寝かしつけ、しばらく様子を眺めた。





 日が落ちると明かりが入れられる。
 寝所には物の輪郭がわかる程度に落とした明かりが用意されたようだ。
 ほとんどの表情は窺えないが、そろそろ目覚める気配はわかる。
「按察使・・・いるか?」
 かなり小声で呼びつけたが、が寝ていると知盛の対には音が無い。
「はい。お食事の支度は出来ております」
「そうか・・・熱は下がったようだ」
 額を撫でると、寝汗で汗ばんではいるが熱は下がっていた。

「少しは休めたようだな・・・・・・」
 そのまま撫でていると、の目蓋が開く。

「・・・ちょっと楽になったかも」
「みたいだな」
 知盛の手に、自分の手を重ねる。ちょうど額の位置だ。
「ね?下がった〜。いつもの倍苦かったもん、アレ」
「さあ?それは気づかなかったが・・・・・・」
 薬とはそういうものだという認識の知盛にとって、味はどうでもいい。
「苦かったの!ご飯・・・食べたい」
「消毒が先だ」





 風呂に入れられ消毒がわりに黙々と洗われ、その後に食事をさせられて夜を迎える。
 知盛によって疲れさせられて眠った
 再び異変が深夜に訪れた。






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 あとがき:さ〜て!どうなるんでしょう、モテモテ神子(笑)     (2007.03.10サイト掲載)




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