異変





 その晩は、常の如くを風呂に入れた知盛。
 違いがあるとするならば、按察使がいるのでの支度を任せてもいい。
 の髪が乾くまで、湯冷めしないよう横抱きにして待つだけだ。

「さあ、乾きましたよ」
 最後に丁寧に櫛で梳き、按察使がの支度が整ったことを告げる。
「ありがとうございました!」
 にとっての使用人の定義は普通の貴人とは違う。
 だから素直に笑顔で礼を述べる。
 知盛の対で働くことになった女房たちは初めこそ戸惑っていたが、今では誰もが親しく、それでいて
の気持ちを思いやりながら世話を焼いている。
 福原でもいわゆる“女房”と呼ばれる使用人たちのに接する態度は普通とは変わりつつある。
 後から知盛の対を任された女房たちは、もとからに対して悪意がないのだから悪くなりようがない。
 知盛にしてもどこか気分が楽になっており、夢の事は忘れていた。


「寝るか・・・・・・」
 本日のは重衡を気絶させ、白龍と長時間あやとりの真剣勝負をしたのだ。
 常よりも長く起きていて疲れただろうと、知盛がさっさと褥へを横たわらせる。
「にゅ〜。どうしたの?」
 いつもなら夜の交渉が始まるのだが、今宵は駆け引きもなくに腕を提供し目蓋を閉じてしまったのだ。
 逆に何かあるのではと疑いを抱いてしまう
 用心しながら知盛の頬に触れてみる。
「いいから・・・寝ろ。明日には走れずとも、歩くのには支障がなくなるだろう・・・・・・」
「うん。弁慶さんの目が笑ってない笑顔が怖いもんね〜。一回だけぎゅってしてくれたら寝る〜」
 日々の駆け引きも楽しいものだ。
 かまってもらえないのは何となく寂しく、体温を感じる距離だけでは足りない。
 が手を伸ばすと要求以上に抱きしめられ、額へ唇を落とされた。

「何か気になるのか?」
「わかんない。・・・何だかざわっとしたから。お休みっ」
 知盛の腕の中ですぐに寝息を立て始めた
 異変は知盛が眠りについた頃に起きた。





「んぅ・・・・・・り・・・だ・・・・・・」
?」
 額に汗を滲ませてが呻いている。
?痛むのか?・・・おい・・・・・・」
 身体を揺すっても目覚めない。けれど、うわ言は続いている。

(どういう・・・ことだ?)
 夢見が悪いのだろうが、これだけうなされているならば目覚めても良さそうなものだ。

?それは・・夢だ・・・・・・」
 耳元で言葉をかけるが効果はない。


「・・・っ!按察使!」
 知盛に呼ばれて、按察使が寝所へ駆けつける。
「若君?いかがされましたか?」

「譲が持ってきた白湯の残りはあるか?あればいいが・・・なければ向こうの対へ確認して来い」
「すぐにご用意いたします」
 絹が床を滑る音を立てながら、早足で向かっただろう按察使。
 言葉通りにすぐに知盛の元へ届けられた。



「こちらへ」
「はい」
 几帳の内側までは入り難いが、知盛が声を上げること自体が珍しい。
 按察使はすぐに知盛へ白湯が入った碗を手渡すと、知盛は口移しでに飲ませる。
「これで落ち着けばいいが・・・・・・」
 泉の水が効かなければ、次は景時を頼るしかない。
 が飲みきれなかった白湯が口元を伝う。

「ん・・・・・・・・・ふぅ〜〜〜〜っ・・・・・・り・・・た」
 大きく息を吐き出した後は、いつものの寝顔に戻る。
「これ・・・か・・・・・・」
 白湯が残っている碗を眺める知盛。
 按察使が碗を受け取り、枕上へと置いた。

「用意していたのか?」
「はい。譲様と白龍様が嫌な気配を感じるからと。特に白龍様が・・・・・・」
「そうか・・・・・・」
 昼間に一度飲ませたのは、先に効くかの確認だったのだ。
 あるのは当然といえば当然の事だった。


「もう・・・大丈夫だ。今宵は菊王丸を母屋へ。家長はどうした?」
「はい。梶原様のお部屋に」
「そうか・・・・・・按察使。この対へ出入りした者は・・・・・・」
 首だけを後ろへ向け、知盛が按察使を見る。
「私の知らぬ者は出入りしてございません。あの者は、今は重衡様の部屋にいるようです」
「・・・クッ・・・今頃はお楽しみだろうしな・・・・・・まあ、いい。お前も休め」
 首を戻して、を抱え込む知盛。
 按察使は頭を下げ、音を立てぬよう静かにその場を辞した。







「あれ?知盛・・・ど〜しているの?」
 が目覚める時間に知盛が隣にいるのはおかしい。
 ホンモノかとその頬をつつくと反応がある。
「今朝ほどは雨が降っていたからな・・・・・・そろそろ小降りのようだが」
 天候については嘘なのだが、昨晩の様子を知っているからこそ目が離せなかった。

「具合は・・・どうだ?」
「うん。昨日無茶した割にはイイ感じぃ〜。弁慶さんをお出迎えすれば完璧!疑いは晴れそう」
 そこまで弁慶が怖かったのかと、小さく笑いを零しながらを起こした。
「なあに?」
 按察使がいるのに知盛がの支度をしている。
「いや・・・どこか痛むか?」
「へ〜き。変な姿勢すると腰がギシギシって言うけど。・・・大丈夫だよ?」
 昨日の件で心配をかけているのだと、が膝をついている知盛を抱きしめた。

「大丈夫。重衡さんも見つかったし。私も元気になったでしょ?後は。この辺の怨霊さんたちを
眠らせてあげなきゃだもんね」
「ああ。そうだな・・・・・・」
 何も片付いていないとは言い出せず、むしろ異変が増えたとも言わないままで朝餉となった。





は・・・今日も大人しくしていろ。午後にはまた雨足が強くなる」
「はぁ〜い。いってらっしゃい!知盛はしっかり働いてくるんだよ」
「ああ」
 にキスで送り出される知盛。
 菊王丸に僅かに合図を送ると、に見られない場所で落ち合う。

「知盛様・・・・・・」
「誰にも見つからないよう・・・そうだな。お前なら教経の邸に戻るふりでもいい。泉の水を汲んで
来い。竹筒は密かに按察使に言いつけて寝所へ用意させておけ」
「はっ」
 踵を返し、知盛の対へと戻る。
 寝所へというからには、知盛が戻った後に用意すれば間に合う。
 それまではの傍を離れてはならないという事だ。

(あの泉の水が・・・昨日の白湯の時はすっきりすると申されていたが・・・・・・)
 何か考えあっての事だろうと、それきり深く考えないようにしていた。





「景時」
「あれ〜?知盛、来たんだ。今日は来ないかと思った〜」
 すでに分担が決められ港の復興は始まっている。
 もう詰めの段階だが、監督者がいないと労働者がサボるのは世の常だ。
 もっとも、その監督者の中にもサボり魔がいるのだから、休みたいのは誰もが同じという事だろう。
 その最たる知盛の場合、手伝う気があるのかないのか判断できないので、連絡がない場合は休み扱いだ。
「将臣君、怒ってたよ〜」
 からかい半分で景時が知盛の肩へ手をおくと、
「どうでもいい・・・・・・」
「昨夜の件なら按察使さんに聞いてる。ちゃんにわからないようにしたいなら、寝た後に寝所に銀と桜を
用心棒に呼びつけてみてくれるかな?オレより妙なモノの気配に敏いしね」
「クッ・・・兄上は、色々とよくご存知のようだ」
 笑いながら知盛は己の肩にある景時の手を払う。
「そぉ〜んなことないんだよね。だって、知盛は平気なんでしょ?」
「・・・ああ」
 景時が首を傾げる。
「・・・隣で寝てるんだしね。実に妙だよねぇ・・・・・・」
 景時が言いたい事はわかる。知盛も同じ事を考えたからだ。


だけを狙っている───)


 口に出さずとも、頷きあったことで結論の一致を確認した。
「昼間の出入りは按察使が見ている。近づかれれば足音や気配でわかりそうなものなんだが・・・・・・」
「そうだね。違うモノなのかもね。原因と結果が一致していないのかもしれない」
 考え込む景時。
 二人を見つけた将臣が怒りの形相で駆けて来たため、会話は中断されることになった。







「だるぅ〜いような?スッキリしているような?」
 コロリと転がると、身体はダルイのだが頭は冴えている。
「神子・・・大丈夫?ここ・・・寒い・・・・・・」
 白龍が小さく身震いをする。
「へ?・・・どっちかっていうと・・・・・・梅雨入りでムシムシしない?」
 小雨になってはいるものの、気温はそこそこある。
 気だるいという言葉が一番的確な表現の天気。
「悪いモノが・・・近くに・・・・・・」
 白龍が振り向いたのは重衡の対がある方角だ。
 が譲を見たが、譲には何も感じられないらしく首を横に振られる。
「銀。桜ちゃん。どうなのかな?」
 手招きをすると、二匹が居心地が悪そうにもじもじと身を捩る。
「う〜ん。具体的にどうってわかってる感じじゃないんだね〜?」
 ぴょこりと銀がひと跳ねする。
「私もなんだよねぇ・・・こう・・・気持ち悪かったんだ・・・昨夜・・・・・・」
 不安で知盛に抱きついた、あの感覚こそが近い。
「怨霊がどこにいるかまではわからないしぃ・・・・・・」
 さらにコロリと転がる
「先輩。とりあずはここなら景時さんの結界もありますから。近づけてもそう簡単には入れないでしょう」
「うん。それはわかってるから、こうして大人しくしてるんだけど・・・・・・」
 が起き上がり、知盛の狩衣を抱えて考え込む。



 そういい考えが浮かばないまま時が過ぎ、按察使が箱を持ってやって来た。
「神子様。お預かりしていたものでございますよ」
「もしかして!嬉しい〜〜。ありがとうございました」
 頭を下げながら小箱を受け取り蓋を開ける。
 かなり変色してしまったのは仕方がないが、間違いなく知盛に春先に買ってもらった髪紐だ。
「よかった・・・これ、大切なものなんだもの・・・・・・」
 今は先日買ってもらった銀糸に紫の髪紐をしている。
 それはそれで大切なのだが、あの桜咲く季節に仲間と京へ戻れ、知盛が生きている証となった髪紐だ。
 少しばかり思い入れの量に違いがある。
 再び蓋をすると、福原へ来た時の荷造り篭の中へとしまった。
「神子様・・・御身体の方は・・・・・・」
「はい!もう自分で起きられるし、大丈夫そうです。明日は知盛に着いて行こうかなって」
「あまり無理はなさらないで下さいませ。本日は何をご用意いたしましょうか?」
 按察使が退屈そうなの様子に、遊び道具について尋ねる。
「どうしよぅ・・・お習字でもした方がいいのかな?朔が来る前に」
 さり気なく譲を見る
「・・・今更ですよ。一日二日で上達するなら、誰でも上手くなります」
 言いにくい事をサラリと断言されてしまった。
「いいですよ、いいですよ〜だ。じゃあ・・・知盛の真似して琵琶とか?楽器は格好イイよね?」
 朔が怖いのだろう。何か成果が欲しいらしい。
「神子様・・・筝はいかがですか?」
「筝!それいいかも。とりあえずは触れれば音がでるし」
 前向きなのか大雑把なのかというの言葉に周囲が笑う。
 和やかにの筝の練習が始まった。





 またも重衡の対の方で騒がしい。
 菊王丸が中腰になりが飛び出すのを止める準備をするが、はのんびり立ち上がるだけだ。
「・・・なんだろう?悪い気は昨日浄化したし・・・・・・」
 残るは病しかないが、残念ながらそれはに出来る範疇ではない。
「見て参りましょう」
 菊王丸が行くまでもなく、渡殿を足早に家人がやって来る。

「申し上げます!神子様は・・・・・・」
「はい。何か・・・ありました?」
 御簾内へ向けて報告を始めたのだが、女主が簀子にいたのだ。
 声の方向へ首を向けた家人は、膝をついていた姿勢をよろけさせた。
「恐れながら・・・重衡様が昨日の如く暴れ出してございまして・・・その・・・・・・」
 何とかして欲しいのだが、知盛の北の方である。
 重衡の対の女房には、安心させるために騒ぎの内容を伝えるだけでいいと言われた。
 それでいいのかは疑問であり、報告も歯切れが悪いものとなる。
「ん〜〜、昨夜の感じ・・・向こうへ向かっちゃったのかなぁ?今から行きますね。菊王丸くん!行こう」
 今度は声をかけてもらえたおかげで、に遅れずについていく。
 按察使と譲、白龍もその後を追った。





 重衡の部屋へ着くと、重衡の眼の色が濁っているばかりか、頬のやつれが酷くなっている気がする。
「・・・昨日、お薬飲んで、ご飯食べて寝たんですよね?」
 遅れて到着した按察使に問いかける
「はい。・・・・・・安芸!重衡様の食事は?」
 この対を任せている女房を呼びつける。
「は、はい。今朝方はお目覚めにならなかったのでそのまま・・・先ほど目覚められてこのように」
「そう・・・ですか」
 の前では大変言い難い事に、昨晩は多岐と一夜を過ごしたのだ。
 肝心の多岐は姿を消しているが、多岐は経正の対の女房。
 今ここにいる方がおかしいのだから、姿がないのは正しいといえば正しい。
 按察使は口を閉ざしているしかない。
「なんだろ〜〜〜、わかんないな。後で景時さんに相談するとして!まずは軽く眠らせておきましょうね。
あんなに動いたら怪我が治らないし〜」
 自分の事は棚上げで、袿を脱いで戦う姿勢を取る
「神子様!そのような危ない事は・・・・・・」
「任せて、任せて。今日は菊王丸くんにも手伝ってもらいますから。菊王丸くんに囮になってもらって。
私が後ろからガッツリ蹴り入れます!」
 握り拳で気合を入れると、勝手に作戦を決めて部屋の中央へ飛び出す
 今回は菊王丸も同時に重衡の前へと飛び出て注意をそらす。

「重衡様!落ち着いて下さい」
 殴りかかられる拳を除けながら、重衡の背中がに向かうよう引き付ける。
 二人がしようとしている事を覚った警護の者たちが、邪魔にならないよう几帳を除けたりしながら重衡から
遠ざかり、場所を空ける。


 それは一瞬の隙だった。
 重衡が足元の円座につまづき、体勢を崩したのだ。
 その僅かな隙には一気に重衡との距離を縮め、その背に足で一撃を入れた。
 もともと身体が衰弱している所為もあり、反撃も無いまま重衡はその場に倒れこんだ。


「・・・私、重衡さんの中で最悪の印象になってる気がする」
 の足元でうつ伏せに倒れている重衡を見るにつけ、義理の弟に痣が残るほどの仕打ちをしているのだ。
 言い訳すら言えないほど無残な第一印象に続く第二印象。
「・・・先輩。それこそ昨日の今日で今更です」
「すっごくシビアなご意見をありがとう、譲くん。とりあえずは重衡さんを褥に寝かせてあげてね」
 その場を譲と菊王丸に一旦任せ、二人によって褥へ運ばれた重衡の手を取り再び浄化を始める。

「ちゃんと浄化したはずなのにぃ・・・また変なのもらっちゃって・・・・・・」
 重衡の心が癒えておらず、怨霊の陰の気を集めてしまうのだろうかと訝しむ。
 そうこう考えながら浄化をしているうちに再び眠気が襲ってきた。

「・・・れ・・・ねむ・・・・・・」
 またも重衡の手をしっかりと握ったままでが眠ってしまった。
 
「按察使様・・・二日続けては・・・・・・」
 菊王丸の顔面は蒼白だ。
「ですが・・・これでは・・・・・・」
 が手を握っているので離させようがない。
 しかも、今回は重衡も無意識だろうが握り返している。

「俺は先輩が起きた時の食事の支度をしておきますね」
 譲は早々と白龍の手を引いて姿を消した。
 目覚めたに不機嫌になられないための対処としては最善策だ。
 が不機嫌の場合の被害は最大になるのだから、この判断は正しい。
 どうにも出来ないまま、さりとて、だけをこの対へ置いておけず、按察使と菊王丸はそのまま控えていた。





 雨はいつの間にか止んでいたが、空は変わらずの灰色のまま───






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 あとがき:たまにはモテモテな神子もどうかと(笑)王道でしょう、逆ハー風!     (2007.02.15サイト掲載)




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