交錯 「知盛様・・・・・・」 が眠ったのを見計らって菊王丸が知盛たちの傍へ近づく。 「・・・教経が話があるとでも?の迎えがてら伺う予定だったんだがな」 知盛の昼寝場所のひとつである庭の片隅の大木の下。 は早々と転寝を始めていた。 庭といっても知盛の対の正面に当たる庭の奥だ。 対からはわかりにくい場所というだけで敷地内である。 知盛がの髪を梳きながら菊王丸へ視線を移すと、菊王丸は目を見開いていた。 「別に・・・お前を遣わされずとも考えていたさ・・・・・・余計な事が起きなければ・・・な」 の髪を指に絡めては弾け飛ぶのをまた絡めるという動作を繰り返す。 ストレートなの髪は、めったな事では絡まらない。 ゆえに、そのさわり心地を好んでいるのだが、は暑いと邪魔だといって髪紐で結んでしまう。 知盛としては昼間はに譲ることにしていた。 「そうでございましたか・・・主よりお出で願いたいと申し伝えよと命を受けておりました」 知盛は勘がいいから言うまでも無いだろうとは言われていたが、勘だけではなく、先を読む力が 優れているのだと感心する。 「ああ・・・とんだ邪魔が入ったがな・・・・・・まあ・・・俺より梶原殿の方が面白い話を聞ける とだけ言っておけ。それと・・・こちらへ」 指ですぐ近くへ寄るよう菊王丸を呼び寄せる。 「せっかく教経より借り受けたんだ。いいか・・・何があってもを守れ。そして、場合によっては 体を張ってでもコイツを止めろ。いいな?」 「体を・・・とは・・・・・・」 知盛の腕ですやすやと眠る姿からは、体を張ってという表現は相応しいとは思えない。 首を傾げる菊王丸のもっともな反応に知盛の口元が緩んだ。 「・・・クッ・・・今は本調子ではないが、俺を捻じ伏せるほどの神子様だ。油断はするなよ? そう遠くなくコイツの勇ましい姿は見られるだろうさ・・・・・・」 残念ながら知盛の予想よりも事態は悪い方向へ進みつつある。 八葉までもが揃うだろう福原の地。 あの将臣や景時でさえ、いまだに原因を突き止められない怪異。 (気に入らない・・・妙な符号だけが散らばって・・・・・・) 普通ではない状態というだけがわかっている事実。 情報は極めて少なく、また、今後何が起きるかわからない土地で、の力が必要とされることだけが 確定したも同然だ。 「どれだけの荷物を背負えば・・・終わりが来るんだろうな・・・・・・」 知盛の呟きは菊王丸へ向けられたものではない。 黙って礼を取ると、再び距離を置く。 (この方は・・・言葉こそ少ないが・・・・・・) 一門の中でも武道をたしなむという点では知盛と教経の右に出るものは無かった。 重衡は南都以来、戦から逃げていたところがある。 そういった意味で、壇ノ浦まで一門を率いていたのは還内府だが、その手足となって働いていたのは 知盛と教経、すべての補佐役としての経正の三人だ。 教経と知盛の会話は常に短く、知盛という人物について知る機会が少なかった。 譲を気遣う繊細さを見せるかと思えば、を肩へ担ぐ大雑把な行動。 (北の方様がこのような幼い方だったとは・・・・・・) 源氏の本隊と直接戦ったことが無いため、龍神の神子に関する情報もうわさ程度。 大の男を蹴り倒し、薙ぎ払い、軽々と投げ飛ばすといったやや誇張された噂。 あの知盛殿が惚れこんだ妖艶な美女という噂。 好き放題に広がるのがウワサというものの性質である。 (全部が全部ウソというものでも無い・・・か・・・・・・) 幹へ背を預けてを抱えている知盛の表情は穏やかだ。 今の時間を楽しんでいるその様子からは、とても和議のための政略結婚とは思えない。 残すところ菊王丸が見るべきは、知盛が言うところのの真の姿のみ。 あたりの気配を窺いつつ、控えていた。 「・・・ようやく・・・来たか・・・・・・」 菊王丸が刀の柄へ手をかけたのを首を振って止めさせる知盛。 微かな足音の後に現れたのは、久しく姿を見せていなかった按察使の息子であり、知盛の従者をしていた 家長だった。 「若君・・・ご無事で何よりでございます。若君の婚儀にも・・・・・・」 「長いんだよ、挨拶が。・・・それで?」 知盛の前に素早く控えるも挨拶を中断された家長としては、相も変らぬ知盛の勝手ぶりを笑うしかない。 「本日をもちまして知盛様付きとなり・・・・・・」 「長い・・・・・・」 大きく息を吐き出すと、やや項垂れる家長。 「若君。少しは大人におなりになったかと思えば・・・そう何でも面倒がるものではありませんよ」 口調は説教だが、知盛の人となりを知っているからこその年上面である。 「・・・クッ・・・お前たち親子はそれでいいんだ。家長・・・妻のだ。話は聞いているだろう?」 は人が話をしていても起きる気配すら見せない。 それはそれで大物なのか、安心しきってなのかというのは、女人が外で昼寝をしているという事すら考え られない平家の一門に仕えていた家長としては、言葉を無くしてしまう。 「・・・・・・ずいぶんとお若い北の方様のようにお見受けしますが」 「そうだな。敦盛より若いかもしれん。そういえば年を確認したことはなかったな」 「若君・・・・・・」 なんとも知盛らしすぎる言葉に家長がこめかみ辺りを押さえる。 「しばらくは俺と梶原の兄上の仕事をしてもらう。いいな?」 「はっ」 礼を取る家長。 かまわず知盛は菊王丸へ家長を指差して見せる。 「顔くらいお互い覚えておくんだな」 これで紹介は済んだとばかりに、再びの様子を窺いながらその髪を絡めては遊び始める。 「若君・・・もう少ししっかりなさって下さい・・・何もかも面倒がって!」 ついつい口調が砕けてしまう。 「・・・俺は忙しい」 終いには視線すら家長たちへ向けなくなった知盛に、長い溜息を聞かせながら家長から菊王丸へ挨拶をし、 お互いに自己紹介を済ませた。 「家長。そろそろが起きる。按察使に飯の支度を確認して来い」 まだ顔を合わせていないだろう按察使への使いと、流れとしては続いて譲への使いを家長へ言いつける。 「・・・お気遣いは無用にございます」 「は飯に煩いんだ。早く行け」 行けば按察使が説明するだろうと手で払う仕種をする知盛。 家長なりに知盛の行動を解釈し、頭を下げると静かにその場を立ち去った。 一方で知盛からの指示がない菊王丸は、その場で次の行動を己の頭で考えるしかない。 さしあたってはの食事なのだなと、今朝ほど会った譲の顔を思い浮かべる。 (彼の者が食事を作るのか・・・・・・) 朝餉は譲が作ったものらしいとは理解している。 菊王丸にとっての初めての料理ともなれば、龍神の神子のためのものを作れる人物は譲だけなのだろうと、 やや間違った理解をしていながらも、従者としての役目を心得てか、黙って知盛の動きに気を配る。 「菊王丸・・・・・・コイツの機嫌を損ねなければいい。そう緊張して控えるな」 が体を動かし始めたので、起きる前にと最後にひと言だけ付け加えた。 「はい・・・・・・」 誰かの機嫌を取るのも損ねるのも、受け手の感情に委ねられることは大変に難しい。 返事をしたものの、またも様子を窺っていると、の腕が天を目指して上がった。 「ふぃ〜〜〜っ。よく寝た気がする・・・・・・もうお昼過ぎてる時間だよね。何か食べたいなぁ」 外で昼寝をして、目覚めて最初が食事についてである。 傍に従者がいようとも、恥らう様子もない大欠伸。 けれど、知盛が言っていた通りだ。 「知盛〜、何か食べようよ。でね〜?午後は知盛が琵琶とかぁ、何かして二人で過ごそうよ。ね?」 「・・・ああ」 を抱えると、そのまま立ち上がる。 「ここ・・・涼しくてイイ場所だね〜。知盛のお昼寝指定席?」 「・・・昔は煩いのがいたからな・・・・・・お前には親切だが」 名前こそ言わないが、按察使の事だろう。 「言っちゃうぞ〜?」 「・・・クッ・・・ご自由にどうぞ。取り合いもしないだろうさ」 知盛が按察使の言いつけを守らないのは昔も今も変わらないのだ。 「困った若君様だったんだね〜、知盛サンは。ほぉ〜んと、態度は大きいし、言葉は足りないし」 「・・・クッ・・・北の方さまにおかれましても・・・・・・文句が多いことで」 知盛がの唇に触れると、その指を齧られた。 「・・・クッ、今度は文句ではなくてコレか?」 「せっかく今日だけは二人なんだから、その嫌味んぼ直しなよ。べ〜だ!」 しっかりと知盛の首へと腕を回して、移動の準備をする。 今度は担がれないように、先に姿勢を決めにかかる。 「行くか・・・・・・菊王丸。お前もだ」 付き従おうと立ち上がっていた菊王丸が硬直する。 「そうだよね〜。一緒にご飯しましょうね!」 が言う前に知盛が気遣ってくれたのが嬉しくて、鼻歌交じりで足をバタつかせた。 菊王丸はに逆らうことは出来ない。大人しく二人の後ろに付き従った。 「按察使さ〜ん。ただいまです」 「お帰りなさいませ、神子様。お食事の支度を整えておきました」 渡殿辺りから気配に気づいていたのであろう。 玉積が御簾を上げて迎え入れてくれた母屋には、すでに食事の膳が並べられていた。 「わ〜い。譲くん、今度はシーフードリゾットなんだ〜」 知盛にされるがままに座ると、膳の数が合わない。 の背中にいる人物を見上げると、知盛は簀子の人物へ首をしゃくる。 その人物がすぐさま口上を述べ始めた。 「お初におめもじいたします・・・私は・・・・・・」 「わかった〜!もしかして、按察使さんの・・・え〜っと・・・・・・」 按察使の息子だと理解したのだが、名前までは思い出せない。 家長が口を開きかけたのだが、先に知盛が簡単に紹介してしまう。 「家長だ。今日から俺の従者に戻った」 家長の首が項垂れ、あきれているのがにも伝わる。 「若君・・・その何にでも面倒くさがりなのを・・・・・・」 「ですよね〜!でも、私も挨拶はそんなに長くなくていいと思いますよ?やたら長く言われても 半分以上忘れちゃうしぃ・・・・・・ご飯にしましょう?」 知盛にではなくに話を切り上げられてしまい、家長が一度だけ瞬きをする。 姫君自ら声を異性に聞かせる機会はそうそうないのが通例だ。 「・・・クッ・・・いいから上がれ。早くしないと腹が鳴る」 「お馬鹿ーっ。そんな恥ずかしいことバラさなくてもいいでしょ!!!」 知盛の指の合図で、家長が小さくなって上がり、膳の前に座った。 の頬は、これ以上ないくらいに膨らんでいる。 「いいから食うぞ。ほら」 の手に杓文字を持たせると、挨拶の後すぐに食事となった。 食後は知盛という幹にコアラのようにしがみついている。 別段意味がありそうでなさそうなこの行動は、家長や菊王丸には不可解にしか映らない。 知盛は欄干に背を預けており、弾かれない琵琶が簀子に転がっている。 「。これでは・・・所望の琵琶は無理だ」 「・・・・・・うん」 午後には琵琶を聞かせろと言っていたが、その実、琵琶などどうでもよかったらしい。 軽くの背を撫でてやると、ようやく知盛の狩衣にしがみつく指の力を緩めた。 「若君・・・・・・」 知盛の琵琶を手に取り、階に座る家長。 静かに琵琶を爪弾きだすと、が目を開ける。 誰が弾いているのか確認すると、再び知盛の胸に寄りかかり目を閉じた。 しばらくして、知盛が軽く指で簀子を叩くと、家長が琵琶を弾く手を止める。 が眠ったからには、音は無い方がいい。 「若君・・・・・・」 「ああ。昨日、いろいろあったのでな・・・・・・按察使に聞いただろう?」 いちいち言うのが面倒だから家長を按察使の使いにしたのだ。 事件を知っているという前提で話を始めたい。 「・・・はい」 「菊王丸を護衛に借りているが・・・・・・、この件は俺の判断で動かせてもらう」 還内府や経正に逆らうと宣言しているようなものだ。 「それは!」 「わからせねば・・・意味がないだろう?こういうオイタは・・・二度目はない」 知盛がの髪を除けると、その項を家長に見せる。 明らかに痕が残っている。 直ぐにを抱えなおすと、の頭部へ頬を寄せて庭へと視線を移した知盛。 いつにない知盛の怒りの波動が、簀子の上を流れるかのようだ。 (・・・若君が・・・・・・これほどお怒りとは・・・・・・) 知盛は何分にも執着がない。 よって、怒りという感情を見せたことがないのだ。 戦を遊びと思っている節もあり、それを邪魔されれば面白くないという態度をとりはするが、 怒りという域ではない。 黒く、重い気配が、簀子から階へと流れ落ちるように錯覚した家長。 軽く身震いをすると、菊王丸もつられた様に身震いをした。 「若君・・・総領に逆らうのは・・・・・・」 「逆らっちゃいない。・・・面倒を片付けてやるだけだ」 口の端を上げて笑う様は、かつての知盛と変わっていない。 周囲を馬鹿にした、それでいて自分の刀を試す機会を喜んでいるような、強者の弱者に対する 圧倒的な力の差を見せ付ける態度。 「俺は・・・コイツが引き止めたから生きているんだ。面白そうだろう?」 途端に表情が柔らかいものに変わり、の髪を手にとって遊びだす。 「・・・・・・はぁ〜〜っ。・・・若君の場合、政略結婚ですら面倒で受け入れる方だと思って いたんですが。そうではないようなので安心しました」 知盛の婚儀に従者のひとりとして参加できなかったのは残念だが、三条からの知らせの文には、 どこにも知盛が渋々承諾したとはなかった。 それどころか、源氏の神子様は優しく、他の姫では若君の相手は無理だとまでの絶賛ぶり。 「クッ・・・見初められたものでな」 存外に自分からではないという主張が込められているが、嫌々ではないのは表情でわかる。 「それでは、本日は御前を失礼させていただきます。明日には報告に上がります」 「ああ。そうしてくれ」 知盛が何を考えているのかわかったらしい。 家長は自ら知盛の前を辞した。 「知盛様?」 「ああ。お前はここにいろ。そいつらの相手をしていてくれ」 知盛との傍にいた式神が、菊王丸の前へと移動してきた。 「明日からはの相手で大変だろうからな?」 欄干から空を眺めれば、青空はすっかり隠れてしまい、どんよりと雲がひろがりだした。 「雨期が来たか・・・・・・」 季節が春から夏へと変わろうとしているそんな時期─── |
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あとがき:そろそろあの人も出番v本名の方で登場です。 (2006.12.03サイト掲載)