手触り 庭の一角では宴が続いていたが、知盛は役目を終えるとを抱えてすぐに対へ戻ってきた。 「知盛・・・ありがとね」 「・・・クッ・・・珍しいな」 の手には、しっかりと式神が二匹いる。 構わず御簾を上げると部屋へ入った。 「・・・お支度、整えてございます」 浮田が知盛へ頭を下げた。こうすれば余分なものは視界に入らない。 知盛の口の端が僅かに上がった。 「下がっていいぞ・・・・・・邪魔だ」 片手で抱えていたを降ろすと、そのまま口づけ始める。 おかげで式神たちは床へと飛び移った。 残念ながら、頭を下げていても式神たちが目に入る。 「ひっ・・・・・・」 「・・・っ!」 潮が引くように部屋から消え去る女房たち。 誰もいなくなったのを横目で確認してから、知盛が唇を離した。 「・・・何考えてるの?」 わざわざ見せ付けなくともいいと思う。 そんな事をされたら、益々への風当たりが強くなるだけだ。 「・・・・・・別に。せっかく磨いたのだから・・・な」 の鼻先を軽く舐める知盛。 知盛の意図が分かったが赤面する。 「・・・まだ痛いんだよ?」 「・・・歩けるのだろう?長の散歩をされた北の方様・・・・・・」 知盛の胸へ額をつける。 こういう時の知盛には、どう逆らっても丸め込まれてしまう。 面倒になり、また、恋しくもあり返事をしてしまった。 「ん。いいよ・・・・・・明日も散歩出来るくらいにしてね」 知盛が指を鳴らすと、銀と桜が御簾傍に控える。 を抱えて寝所へ消える知盛。 福原二日目の夜に、ようやく夫婦の証を立てられた。 知盛の行動が、女房達の嫉妬心を煽る結果になったと知るのは後日になる。 また、知盛が考えるよりも狡賢い女たちだったとも─── 二人が真実夫婦だったと知らされる羽目になった知盛の対の女房達はかなり面白くない。 「・・・・・・不浄な神子様だこと・・・・・・さすが東国の田舎者たちの神子様だわ」 浮田が顔を顰める。知盛が一晩に一人の女で満足している事が面白くない。 また、知盛が眠る時に共にいられた女はいなかった。事が済めば追い出されていたのだ。 しかし、が追い出される事はなかったし、片時も傍を離れない。 知盛とが離れるのは、知盛が仕事の時だけだ。 「どうして神子様だけが・・・・・・」 誰もがかつての知盛との違いに首を傾げざる得ない。 不満はあるが知盛に向けられる訳もなく、すべてがへの憎しみへと変容する。 「・・・神子様は北の森を散策されたのでしたわね・・・・・・何もなければいいけれど」 多岐が微笑む。 邸内では知盛の目があるので、直接へは手出しが出来ない。 けれど、外で姿を消したならば、邸内にいる者は疑われる心配はない。 (邪魔な人・・・・・・いい気になって!) 部屋へ入ろうにも、式神が見張っているので入れないでいたのだ。 一晩渡殿で控える羽目になった多岐たち。自然と右手に力が入る。 「さあさ、皆様。明日には楽しい事になるかもしれませんし。今しばらくは良しとしましょう」 立ち上がると、着替えるために自分の局へと歩き出す多岐。 知盛の前では常に一番美しくありたいのだ。 「それもそうね。・・・・・・まだ起きては来ないでしょうし。小戸、後は頼んだわ」 浮田も多岐に負けじと着替えに戻る。 ひとり残された小戸は、多岐の話が怖くてたまらないが、それを誰かに報告する事も出来ない 小心者だった。 夜明け前に、小さな念が渦巻いていた。 「・・・痛い」 「・・・・・・クッ・・・痛くても良かったのだろう?」 またも自分の発言に首を絞められた。 「・・・・・・その辺りは、さり気なく察して加減するもんだよ・・・・・・」 起き上がる素振りをしたので知盛が除けると、は起き上がらずに知盛の上に乗りかかる。 「おはよ。・・・知盛、大好き」 「熱烈だな・・・・・・」 しばし啄ばむだけのキスを繰り返す二人。 「・・・いいでしょ。ホントの事だもん。今日はぁ・・・景時さんと朝ご飯だね?」 「ああ。・・・・・・あまり兄上をお待たせしては悪いな」 そう早い時間ではないが、寝坊という時間でもない。 手早くの支度を手伝うと寝所を出る知盛。 座る前に譲が部屋を訪れた。 「おはようございます、知盛さん、先輩。今日は景時さんの部屋で朝ご飯にしましょう」 部屋へ入るつもりはないらしい譲が、御簾を上げたままで待ち受ける。 「・・・還内府殿は?」 景時の部屋へ将臣が訪れる理由はない。全員ならば将臣の部屋でいいのだ。 「兄さんは、経正さんたちとです。何でも、復旧が遅い地域があるらしくて」 福原の辺りの邸は元に戻りつつあるが、一般の人家は柱に藁が乗っている程度で雨が凌げるとも 言いがたい家の方が多い。 まだまだ戦の傷跡はあちこちに見受けられる。 「・・・・・・そうか」 対で控える女房たちに視線を合わせる事無く、知盛とはすぐに部屋を後にした。 「おっはよ〜〜〜。昨日はおかげさまで早く寝られてさ〜、この通り!」 睡眠不足を解消した景時の顔色はかなり良い。 「おはよ〜、景時さん。昨日は私もお得だったよ〜。知盛の笛だもん」 知盛が座る隣に寄り掛かり気味で腰を下ろしながらが挨拶を返す。 「そ?オレもね〜、雅ごとはちょっと厳しいからさ。知盛殿がいてくれて助かったよ〜」 手を合わせて、食事の膳に手を伸ばす景時。 その時─── 「・・・呼び捨てて構いませんよ。兄上様に殿をつけて呼ばれるのも妙なものでしょう?」 「じゃあさ、知盛殿がオレを呼び捨てにしてくれたらでどうかな?」 景時らしく、一方的に意見を受け入れない代わりに、折衷案を出してくる。 「・・・クッ・・・よくご存知だ。けれど、長年のきまりごとを変えるのは難しいのですよ」 貴族社会で宮中の狐や狸を相手にしてきたのだ。 階級制度を守るよう叩き込まれた習慣は、そう簡単に意識を変える事はできない。 まして、ここは都落ちした平家の本拠地であった土地柄だ。 ヘタに呼び捨てして、それをどうとられるかが心配ではある。 (源氏の兄上を立てないというのも・・・な) 考えている知盛をよそに、たちが話しの腰を折った。 「・・・まあ・・・ややこしいよりはいいですよ。ここじゃ兄さんの存在自体がややこしくて」 譲は将臣を名前で呼ぶことはなかったからマシだが、ここでは重盛と思われているのだ。 事情を知る者は少ない。 仕えている者たちは、誰もが重盛が黄泉から還ったと信じている。 「・・・“かえりないふ”って長すぎだよね〜。別に将臣くんって呼んでるからいいケド」 箸を持ちながらも首を捻る。 「そのややこしいじゃないんですが・・・まぁ・・・先輩に言ってもなぁ・・・・・・」 に平氏の親戚関係図とその意味を理解させようというのは無理があると覚っている譲。 「ひどーい!わかってるよ。死んじゃってるけど、死んじゃってナイってことでしょ〜」 知盛がの頬を撫でた。 「そう朝から忌みなる言霊を連ねるな。梶原の兄上の対だからいいが・・・・・・」 風習など気にする方ではないが、この地ではどうにも気になる。 戦場になった場所の御霊の数は、探さずとも向こうからやって来るほどだ。 「・・・どしたの?知盛・・・・・・」 あまりにもらしくない発言に、が首を傾げる。 「いや・・・・・・・は・・・今日は・・・・・・」 「うん。お散歩するよ?海が見えるトコまで行きたいんだ〜」 昨日の今日でまったく懲りていない様子に、以外はこっそり溜息を吐いていた。 「・・・ならば・・・教経の邸へ使いを出しておく。疲れたら休んでろ。迎えに行く」 「ほんと?!だったら・・・・・・頑張って上まで行って、帰りに寄り道して待ってる!」 歩いて帰らなくていいとなれば、多少頑張りすぎても大丈夫だ。 帰りは知盛が迎えに来ると言っているのだから、譲に迷惑をかけずにすむ。 「・・・クッ・・・疲れたら・・・といったつもりだが?初めから寄るおつもりか?」 昨日のようにならないようにという意味で言ったのだ。 知盛としては譲を信用しているが、周囲にはそう見えていないかもしれない。 悪意を持って見る人間には、より一層都合の良い解釈をされるだろう。 「え〜〜〜。だって、知盛の親戚さんなんでしょ?こっちに知り合いいないもん。いいでしょ。 お友達が増えるかもしれないし」 「お友達・・・か・・・・・・義経殿と同じ年頃だったと思うが・・・・・・」 にとっては友達だとしても、知盛の親戚となればほとんどが男である。 女は親戚になる道具として、婚姻によって外へ出されてしまうから誰も残ってはいない。 せっせと藤原一族へ嫁がせたのだ。 天下を分かつ戦乱の後、京にいる徳子ぐらいしか清盛の娘は残っていない。 徳子も中宮の立場である。とても残っているという範囲には入らないだろう。 「じゃ、お兄ちゃんかな〜。知盛に似てる?それとも、敦盛さん?」 何がいいといって、誰もが顔がいい。 一門の者たちが、よくもこれだけ顔がよく生まれたものだと感心する。 「・・・さあ・・・ただ、女受けはいいな」 清盛の弟である教盛はそう目立つ人物ではなかったが、なかなかの野心家ではあった。 その教盛の息子達は父親に似ず美丈夫揃いで武芸に秀でていたため、一族での地位を父よりも 確立してしまっていた。 だから教盛は最後に謀反を企み、壇ノ浦で息子である教経に罰せられてしまったのだ。 教経だからこそ、父親を罰せられたともいえる。 一族として安徳帝を守ろうとしている時に暗殺を謀ったのだから、親子の情を断ち切った処置だ。 知盛も武人としての彼を信用していた。 「なんだかなぁ〜〜〜、みんな綺麗な顔してるから落ち込むぅ。敦盛さんなんて、縦ロールしたら お姫様みたいだもんね。誰が見ても私より女の子っポイよ」 譲が咳き込む。 「・・・先輩。敦盛、気にしてるんですから。本人の前で言わないで下さいよ?」 譲の親友である。 何かと話をする機会もあって、せめて譲くらいの身長があればと常々言っていた。 「何言っちゃってるの!ブサイクより綺麗な方がいいでしょ?」 「まあ・・・それはそうですけれど」 どちらかを選べと言われれば、醜いよりは美しい方がいいのは自然な事だ。 「でしょ?じゃ、問題ないでしょ。敦盛さんの儚げなところがこれまたいいんだよぅ。こう、 守りたくなっちゃわない?」 「先輩が敦盛を守ってどうするんですか・・・まったく」 譲がこめかみ辺りを抑えて渋い顔になった。 「・・・っ・・・あはははははは!!!そっか、そういうこと〜。あははははは!!!」 堪えきれなくなった景時が大笑いをする。 過去、何度もが敦盛を庇いながら戦う場面を目にしていたのだ。 ようやく理由がわかったといえばわかったのだが、敦盛の心中を察すると笑いが止まらない。 「・・・景時さん。ご飯粒飛ばさないで下さい。朔殿に言いつけますよ?」 周囲に飛び散った米粒を、布巾で丁寧に拾い集める譲。 「ごっ、ごめんね〜?朔には言わないで!食事中に粗相をしたとあっては、帰ったら食事抜きに されちゃうよ〜」 景時が真っ青になってぺこぺこと頭を下げている仕種がおかしい。 今度はが笑った。 「景時さん、食事で朔に叱られた事があるんだ〜。ふぅ〜ん。・・・イイコト聞いちゃった!」 景時の口封じに使えそうなネタを拾ったとホクホク顔の。 「景時さんも先輩も、くだらないことはいいですから。さっさと食事を済ませて下さい!片付かないし」 「はぁ〜い。・・・ごめんね?譲くん」 「はいっ!」 ここでも最強の主夫である譲からお叱りを仲良く受けてしまった二人が大人しくなる。 譲を怒らせると美味しいご飯が遠ざかる。 はっきり言って、何よりの仕置き効果。これ以上の仕置きは考えられない。 食べ終えている知盛だけが庭を眺めつつ、を支えつつ考え事をしていた。 (・・・門脇殿・・・か・・・・・・) 偶然にも教経がらみで思い出した壇ノ浦での一件。 今まで教経に会っても思い出しもしなかったのに、一瞬とはいえ記憶の扉が開いたのだ。 (何が・・・起きる?) 悪い予感はよく当たるものだ。 けれど、相手は存在しない人間である。 (迎えに行った時に・・・話すか・・・・・・) 教経と仕事をしている場所が違うため、戻った日の挨拶以降は顔を合わせていない。 教経の邸ならば、色々な意味で話がしやすいのも事実だ。 残念ながら、知盛が戻ってからでは間に合わないほど、別の意味で事態は進んでいた─── |
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あとがき:ちょっと可哀想な展開になっちゃうんですけどね。景時くんと知盛くんの出番が多いのは愛v (2006.08.14サイト掲載)