湊川上温泉





 邸の敷地が塀の内側とは限らない。
 邸のすぐ近くにある温泉は、外出気分を味わうためにわざと塀の外にあるのだ。
 天王谷川に流域にある湯屋は、清盛がわざわざ車できた場所だ。
 清盛ほどの人物が邸内に温泉を持つ事など容易いが、そうしなかった理由は今となっては不明である。

「温泉って、外なんだね?帰りも歩き?」
 知盛に抱えられて、遠ざかる邸を眺めながらの
 歩けないのだから抱えられるしか出来ない。
「・・・帰りは車だ」
「こんなに近いのに?」
 邸は遠ざかるが、敷地の境である塀は見えている。
 元気な時ならば、走ればすぐの距離でしかない。
 わざわざ牛車に乗る方が時間がかかるであろう。
 その時、知盛の歩みが止まる。

「何?着いたの?まだお邸見えてるくらい近いね〜」
 知盛にしがみ付いているので、は知盛が歩いてきた後ろしか見えない。
 腕の力を緩めると、を地面へと立たせる知盛。

「・・・・・・磨いた後のを見せる理由が無いだろう?」
「は?」
 の疑問の声に答える者はおらず、の予想通りに知盛と共に入浴する事になった。





「磨くって・・・磨くなんだねぇ・・・・・・」
 洗うではなく磨くという言葉には、丁寧な感じが加わる。
「・・・クッ・・・磨く・・・だろう?」
 殊更丁寧に手のひらで撫でて洗われると、くすぐったいが気持ちがいい。
「うん。温泉だと、つるつるになる気がするし・・・・・・お肌に効き目がありそう」
 効能の問題ではなく、気分の問題だ。
 今のところは知盛に悪戯される事もなく、のんびりとした入浴タイムを過ごしている

「肌・・・にね」
 効き目があって欲しいのは、肌ではなく腰に。
 今、に悪戯をしないのは、今夜のため。
 一見、すべてが知盛の思い通りに動いていた。






「ね・・・牛車って、どこまで?」
 知盛の膝に転がる状態で牛車に乗っている。
「車宿りまで・・・だな。その後は俺が・・・・・・」
「ふうん?」
 知盛の対まで、知盛に運ばれるのだ。ひとりは嫌だが、知盛とならば問題はない。

(・・・美人さんばっかいるし。・・・・・・聞くのもなぁ〜〜〜)
 が尋ねれば、話してくれるだろうが聞きたくない事もある。

(知盛は・・・私の・・・なんだから、遠慮する事もないんだよね・・・・・・)
 部屋付きの女房たちに気を遣うのも変な話ではある。
 ただ、威圧されるのだ。作法を知らない引け目を感じてしまう。

「知盛・・・この子たち・・・・・・」
 が手を動かせば、銀と桜に当たる。
 二匹も仲良くついて来た。温泉にも勝手に入っている。

「俺の相棒だと紹介してある。俺の部屋で、誰に気遣う必要がといっただろう?」
 知盛はいいだろうが、またも彼女たちの引き攣る顔をみるのかと思うと気が重い。
 何より、銀と桜が嫌われている事が辛いのだ。
「・・・うん。そうだね」
 静かに目を閉じる。知盛の手は、休む事無くの髪を撫でていた。





「ほら・・・今度は深く被れ」
 に単の上から知盛の直衣を着せ、更に頭から薄衣をかけてその姿を覆い隠す。
 車宿りから知盛の部屋までのわずかな距離ではあるが、渡殿を歩くための配慮だ。
 はしっかりと知盛の首に抱きついた。
「こうならいい?」
「ああ。少し俯いてろ・・・・・・」
 空いている手で軽くの頭に触れ、その顔を知盛の肩口へと寄せさせた。

「・・・・・・お姫様抱っこじゃないから、かっこ悪い・・・・・・」
 知盛に片腕抱きされ、子供の様にしがみ付いているのだ。
「・・・クッ・・・そう文句を言うな。腰が治ればいくらでもしてやる」
 軽くの腰部を叩くと、が足を動かす。
「や〜だよ!それじゃお出かけできないもん。時々でいい」
 ついでとばかりに、知盛の首筋を齧る

「・・・何をしている?」
「・・・・・・シルシつけとこうかな〜って」
 あの部屋に戻る前に、所有物である証を。

(知盛は私のなんだから!・・・・・・元気な時なら叫んじゃうのにぃ)
 世話をされなければならない立場上、そう喧嘩腰で挑むわけにもいかないのだ。
 たとえ部屋の女房たちに不満があろうとも、自分ひとりでは白湯すら飲めないのは事実。

「クッ・・・だったら、見えるようにつけるんだな?」
 首を傾げてが齧り易いようにする知盛。
「・・・いいの?」
「ああ・・・・・・」
「じゃ、いただきます。知盛って、色白いんだよね〜。ウラヤマシイ」
 本人から許可を貰ったのだ。
 は思いっきりキスマークをつけることに精を出していた。

(・・・にもつけるからな・・・・・・かまわんさ)
 声には出さないが、口元が緩んでいる知盛。
 が必死に吸い付いているのを放置して、さっさと部屋を目指して歩いた。





「・・・・・・まだ痛いか?」
「ううん。痛くないよ。温泉が良かったみたい」
 静かに褥へを座らせた知盛。
 ひとりで座れているならば、思っていたよりも症状は軽かったらしい。
「そうか・・・・・・」
 せっかく一人で座れたのに、知盛の膝の上に移動させられてしまった
「いいよ。ひとりで座れるし・・・・・・」
「・・・クッ・・・お返しがまだだから・・・な・・・・・・」
 まんまとの項にシルシがつけられた。

「〜〜〜知盛っ!」
 が暴れる寸前のところへ譲と白龍がやって来た。

「こんばんは。あの・・・食事を・・・・・・」
「神子!私も一緒にいい?」
 微妙な空気の中、譲は将臣の対の女房を引き連れてさっさと食事の支度を始める。

「今日は・・・さっぱりって言われたので。うどんにしてみましたよ」
 譲がの前に置いた膳には、お出汁に梅のさっぱり系のうどんがメインだ。
「うわ・・・まさか譲くん、これ・・・・・・」
 がうどんの入った碗を指差す。
「ええ。もちろん粉から作りましたよ。玉積さんがとても上手で、教わりました」
 譲が引き連れてきた女房のひとりが頭を下げた。
「すっかり仲良しさんが出来たんだね〜」
 としては譲にも春がという意味で言ったのだが、
「ええ。玉積さんも料理が好きらしくて。材料の買出しの穴場とか教わりました」
 残念ながら、まるで見当違いの返事が返ってきてしまった。

「・・・クッ・・・譲は用意がいいな・・・・・・」
 戻ってくる時間を計算してか、食事は温かいものばかりが揃っており、知盛の膳には酒も
ついていた。
「まあ・・・うどんなので、のびちゃわなくてよかったです。俺たちもこちらで頂きますね」
 白龍は食事よりもデザートに目が釘付けだ。
 最後に譲が小さな膳をの隣に置く。
「銀と桜の分ですよ。うどんはダメでも、これなら食べたいかなって」
 イモケンピが少しだけ皿に盛られている。


「・・・ひっ」


 知盛の部屋の女房達が遠巻きで眺めているのを無視して、さっさと式神を膳の上に乗せる譲。
「明日は・・・そうだな。おかきとかどうかな?」
 式神にはわからない食べ物だが、といられるのは嬉しいらしく素直に飛び跳ねる。

「・・・クッ、クッ、クッ。譲は兄上より人が悪いな」
 さすがの知盛も、譲の態度に笑わずにはいられない。
 
(譲も気づいていたか・・・・・・)
 に対する風当たりを知っていて逆利用したのだ。
 式神がいれば、邪魔者達は近づけない。

「知盛さーん?人聞き悪いですよ?それに、知盛さんにはお酒、一本だけですからね」
 とぼけて白龍の世話をしている譲。
 白龍が多少零してもいいように、布をかけなければならない。

「・・・ケチ・・・だな?」
 の真似をして言葉を選ぶ知盛。からかうような口調である。
「いいえ。兄さんに言いつけられていますし。それに、先輩にも。ついでに、按察使さんにも
頼まれてますから。飲みすぎ厳禁ですよ。・・・いただきましょうか」
 肩を竦める知盛をよそに、食事の挨拶をして食べ始めた。





「・・・あれって・・・琵琶の音?」
 微かに楽の音が風にのって聞える。
「あ、向こうで歓迎の宴をしてますからね」
 またも譲がどうでもいいことのようにの問いに答えた。
「ええっ?!それって・・・・・・」
 隣にいる知盛を見上げれば、知っていたらしい表情。

「知盛でなくていいの?それに、譲くんも・・・・・・」
 譲と知盛を交互に見る
 先に譲が口を開いた。

「いいんですよ。一応は還内府殿の戻りと源氏の使者の歓待らしいですけど。実際は飲みたい
だけでしょうし。先輩は具合が悪いし、知盛さんがいないと静かにしてないですから、お二人
については勝手に断っておきました。俺は飲まないし、白龍だって食べるならともかく、飲む席
じゃつまらないですから、当然不参加ですよ」
 だからこそ知盛の対で揃っての夕餉なのだ。
「ええっ?!そんな・・・それって・・・・・・」
 思いっきり景時に悪い。
 将臣はかつての仲間と再会で嬉しいだろうが、景時は源氏側でひとりになってしまう。

「あ、問題ないです。そう、そう。知盛さんへ景時さんから伝言があるんでした。“後で笛を
よろしく〜”って言ってました。それと、“明日の朝ご飯はまぜてね〜、寂しいから”って」
 景時の口調を軽く真似ながら、譲が景時の伝言を知盛へ伝える。

「・・・・・・梶原の兄上らしいな。お見通しか」
 最初から知盛が宴に出るつもりはないだろうと知っての伝言だ。
 景時に楽の番が回った時に助けろという事なのだろう。

(・・・借りは直ぐにお返しいたしますよ、兄上様)
 軽く盃を掲げてから、一気に飲み干す知盛。

「知盛っ。笛・・・するの?」
 琵琶は何度も聴かせてもらったが、笛となれば普段は敦盛の担当だ。
 神泉苑でこそ奏でてくれたが、以来、一度も耳にしていない。
「敦盛ではないのが経正殿には残念だろうが・・・な・・・・・・」
 いちいち言う事が憎らしいのだが、それが様になるから性質が悪い。
「うわ〜、楽しみかもっ。廂まででてもイイ?」
 部屋の中では微かだが、端まで行けばもう少し音が聞えそうなのだ。
「・・・譲。渡殿に・・・・・・」
「ええ。そのつもりで用意してもらってます。一、二曲くらいはしないと、後が面倒でしょうし」
 いかにも冷静な譲らしく、知盛の逃げ道も用意してあるらしい。

「・・・そういう事だそうだ」
「やった!じゃあ、急いでご飯食べなきゃ。・・・・・・知盛もちゃんと食べなよ」
 箸で知盛の膳のおかずを摘まむと、そのまま知盛の口元へ差し出す
 大人しく口を開いて食べる知盛の目は笑っている。

「・・・知盛って、ご飯をほんっと食べないよね。何を食べて生きてるんだか・・・・・・」
 うどんを食べようと、碗を片手に持つと食べ始める
 十分に間を置いてから、知盛が呟く。



「・・・・・・
「はい?」
 呼ばれたのかと隣を見上げると、笑っているだけで言葉を発しない知盛。
「何よぅ!呼んでおいて、用事ナシでしたぁ〜ってオチ?」
 の眉間に皺が寄る。

「・・・いや・・・食べモノ・・・・・・」
 ニタリと笑うと、の手首を掴んで抱き寄せる。
 幸いにもうどんの碗は食べ終わって膳の上にあったので、の手には箸だけが握られていた。
 箸を取り上げて膳へ置くと、そのままに齧りつく知盛。



「やあっ・・・ちょっ・・・私は食べ物じゃないって・・・言ってるでしょーーーーー!!!」
 


 の怒声が邸に響き、何が起きたか覚ったのは京での二人を知る面々。
 、開き直るの図。

「知盛はね、どうしてそういう悪戯が好きなわけ?それに、食事中なんだってば。まだデザート
食べてないんだよ?」
「・・・俺にも食事が必要なのだろう?」
 諦めきれないのか、の髪を手に取りを離さない知盛。
「意味わかんないっ。譲くん!白龍!助けてよぉ〜〜」
 手を伸ばすに、白玉ぜんざいの碗を差し出したのは譲。
 その顔は、耳まで赤くなっている。

「その・・・ま、これなら簡単に食べられます・・・から。・・・そろそろ片付けますね」
「私は譲を手伝う!」
 食えといわんばかりに渡されてしまったデザート。
 そして、片付けられてゆく食べ終わった膳や食器たち。
 手伝うといいながら、銀と桜と戯れているだけの白龍。


「何か間違ってないかなぁ〜?何かぁぁぁぁぁ!」
 の言葉だけ完全無視され、闇が程よく訪れる時間になる。





 宴は単なる飲み会なのが定番───
 





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 あとがき:雅やかに済むわけないでしょ、宴は。将臣くんだしね!     (2006.07.30サイト掲載)




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