嫉み





 将臣がこちらの世界で清盛に拾われてからというもの、風呂には湯に浸かるものがあるという事が認知された。
 よって、蒸し風呂ではなく、がいうところの風呂は福原にも用意があった。
 前日、が気にしていたのだ。
 知盛はが何も言わないうちに風呂へ入れ、今は部屋での髪を拭いて甲斐甲斐しく世話を焼いている。

「知盛様!その様な事は私共が・・・それに、知盛様の御髪も・・・・・・」
 多岐が替わろうとすると、手を払われる。
「・・・こいつに触るな。寝所を整えておけ」
 知盛は軽く自分の頭を布で拭くと、再びの髪を乾かす作業へと移る。



「その・・・いいよ?自分でするし・・・・・・」
 部屋の中の空気が悪化していくのが手に取るように分かる。

(もぉ〜!知盛はどうして気づかないのよぉ!)
 元気な時ならば叫んでいたであろう。
 また、京の邸ならば、とっくに叫んでいたかもしれない。

(・・・あ。そっか・・・これが普通なんだ・・・・・・)
 京にある邸の女房の大半は、ヒノエと弁慶が事前に調査をさせて雇い入れた者が多かったのだ。
 の部屋付ともなれば、にとって不快な人物が雇われるわけもない。
 源氏も平氏も関係無しで働ける者しか採用しなかったという事だろう。


「クッ・・・どうした?髪・・・好きじゃなかったのか?」
 ほぼ乾いたの髪をひと房を手に取り、口づけてみせる。
「うん・・・・・・気持ちイイから好きなんだけど・・・・・・」
 この対の主自らに世話をされている奥方など、貴族社会の塊の様な平氏の邸で受け入れられるわけがない。
 まして、部屋の女房達の視線は、明らかにに対する妬みが込められているのだ。

「・・・疲れたか?・・・・・・今日は休む。対の戸締りはしっかりしておけ」
 を抱えてさっさと寝所へ引き篭もる知盛。
 何があろうと中心の行動しか取らないのには、京での知盛を知っている者ならば常の事だ。
 が、ここ福原に居る女房達は、かつての知盛しか知らない。





「・・・源氏の神子様に、あのようにご機嫌伺いをするなど・・・・・・」
 平氏と源氏は和議を結んだのだ。その実、平氏が負け戦寸前だったのは誰もが知っている。
「不思議な力をお持ちなのでしょう?私、怖いですわ・・・・・・」
 小声でひそひそと話し始める。
「そうかしら?まだ女童じゃない・・・・・・」
「でも・・・あちらの対に、源氏の兄上様もお出でなのでしょう?」
 渡殿を挟み、すぐ隣の対が景時がいる対である。
 さらに奥が将臣と譲たち。
 経正の対は池の向こうと、普通の貴族の邸となんら変わらない造りが整えられている。
「さあ?お目付け役なのかしらね・・・・・・」
「そうそう。新しい男君はとてもお若いですわ。お顔はどなたとも似ていらっしゃらないけれど」
 多岐が昼間に挨拶をしてきた、新しい平氏の一門に連なる若君の話題を口にする。
 しばらくは譲の話題で持ちきりだった。





「知盛・・・明日はさ、私も歩けると思うの。だから、お邸の近所を散歩するね」
「・・・ああ」
 ようやく向かい合って寝られる程度にが回復したのだ。
 今宵は大人しくの髪を撫でながらの就寝に甘んじた知盛。

(・・・近所ね)
 近くに温泉もある。早めに仕事から戻れば湯治も出来るだろう。
 知盛は知盛で明日の予定を考えていた。







 早朝の雪見御所、知盛の対の端にある女房達が控える廂の間。
 よからぬ相談に集まる影がいくつかある。
「・・・やはり、押し付けられたのよ」
 あの知盛が大人しくしているのだ。
 昨夜はお召しがあるのではと期待を抱いて廂の間で控える当番を奪い合った知盛の対の女房達。
「流石に北の方様がこちらの対へ乗り込んでこられると、仕方ないのではなくて?」
 通常、夫婦といえど部屋は別。
 付で部屋に現れた時は、その場に居た全員が少しばかり動揺した。
「昨夜は静かなものだったし・・・それに、神子様ってそういうのは駄目なのでしょう?」
 聞き耳を立てるつもりがなくとも、控えるのが仕事なのだから音は自然と耳に入るものだ。
「だから押し付けられたって言っているんじゃないの!重盛様は一門の総領ですもの。知盛様に押し付け
られてしまったのだわ!」
 小戸の声が朝靄が残る静けさの中で響く。

「しっ。そう大きな声を上げたら、知盛様に気づかれてしまうわ。・・・そうね、私たちでなんとかして
差し上げればいいのよ。神子様に消えていただくのはどうかしら?」
 今まで話に加わらなかった多岐が考えていた事を静かに述べると、他の女房達の顔を見回す。

「そっ・・・それは・・・でも、神子様にそんな事をしたら、祟りとか・・・・・・」
 浮田が青ざめる。消えるというのは、追い出すという意味ではないとしか思えない。
「あら、お馬鹿さんね。誰が私が直接・・・と言ったの?他の者にさせればいいのよ、そういう事は」
 あまりに冷静な多岐の態度に、浮田の方が慌ててしまう。
「他の者って・・・噂では、剣の腕前も相当らしいわよ?大丈夫なの?」
 一方、多岐の意見に乗り気の小戸。
「大丈夫よ。私に言い寄っているあの男を利用するから・・・皆さんは私が居なくても、いつも通りにね」
「もちろんよ。事が済んだら・・・その後はそれぞれの自由って事よね?」
 小戸は多岐にいつも邪魔をされていたのだ。
 知盛に召される機会をいつも横取りされていた。
「あら?それはどうかしら。お顔でもなんでも美しくなさる事ね。どなたにも相手にされない花は寂しい事」
 今まで一番多く知盛に召された自信からか、余裕の笑みを浮かべる多岐。
 
(北の方様といえど・・・名ばかりでは役立たずですもの)
 そのまま裾を翻して自分に与えられている局へと戻る多岐。
 文で呼び出すのは、御所の北門の警備を任されている兵士の中の一人だ。

(万が一の時は・・・死んでしまうでしょうから関係ないわ)
 神子の誘拐に失敗したなら、捕らえられ拷問か、その場で斬捨てられるかのどちらか。
 ただし、お頭があまりよいとはいえない豊成の事。
 捕まったとしても変に男気をみせて、多岐の名前が出たりはしないであろう。

(知盛様が福原へ戻られたのですもの・・・・・・こちらへ戻りたかったに違いないわ)
 都合よく知盛が福原へ来た理由を解釈し、さっそく文を書き始めた。
 






「朝・・・か・・・・・・」
 将臣の事だ。ぐずぐずしていると、こちらの対へ知盛を連れに乗り込んでくるだろう。
 しかし、と朝餉を食べたい知盛としては、譲の機転に賭けるしかない。

(ここの女共は気が利かん・・・・・・経正にでも言うか・・・・・・)
 一々言わなくては準備されないのは面倒なのだ。
 が大人しいのは、言い難いからであろうと察してはいる。
 けれど、他人に期待を多く持つのは無駄である。

(言って出来るくらいなら、頭も飾りじゃないだろうさ・・・・・・)
 妙に険しい顔をして眠っているの顔を見つめる。

(・・・痛む・・・のか?)
 馬での長距離は、まだ無理があるだろうとは考えていた。
 出来るだけ時間をかけずに福原まで着けたと思うが、移動距離は早かろうが変わる事はない。
 そう深い意味もなくの腰を擦り始めた知盛。
 間も無く目覚めたが知盛に渋い顔を見せた。

「・・・・・・朝なんですケド」
「クッ・・・そうだな。“おはよう”、
 知盛が悪いわけではないが、どうにもこの対は憂鬱だ。
「・・・おはよ。ど〜して知盛いるの?」
 本当は目覚めた時に居てくれたのが嬉しいのだが、昨日の事を思い出した途端に喜びも吹っ飛んだ。

(・・・ど〜せ皆、知盛のお手つきさんなんだ。だからあんな嫌な視線・・・・・・)
 に対してではない。の立場に対してのものだ。

「・・・さあな。寝坊・・・だな」
 起きていながら無茶な嘘を吐く知盛が可笑しくて、が折れた。
「もぉ!いいや。好きにしよっと。おはよ〜〜、知盛。寝坊ついでに一緒に朝ご飯しよ?」
 知盛に擦り寄ると、知盛に肩を押された
「へ?」
 触れる事を拒否されると思わなかったために、眼を瞬かせる
「・・・挨拶・・・まだ・・・だろ?」
 朝の挨拶は済んでいる。済んでいないのは───


「うん!今日は大サービスするっ」
 から知盛に飛びついてのキスで朝が始まった。





「ね、普通は誰も起こしには来てくれないものなの?」
 知盛に着付けを手伝われながらの
 昔なら朔が、今なら部屋付の女房の誰かが様子を見てを起こしてくれる。
「・・・いや?に触るなと俺が言ったからだろう」
 別段、どうでもいいことだ。
 それよりは、知盛が留守の間に対への手引きをする不埒者等が居ないようにする事が先決である。
「ふうん?でもさ、お腹空いて起きてからご飯をお願いすると、食べるまでにかなり待つよね〜〜〜」
 福原でも最初の心配は食事らしい。
「・・・クッ、クッ、クッ。そろそろ譲が来てくれるだろうさ」
 知盛が昨晩の食事を頼んだのだ。
 今後はずっと希望していると、一々言わねばならぬほど頭が悪いとは思っていない。
「そっか!譲くんがいるんだもんね。何かな〜、朝ご飯」
 着替えを終えたを抱えて寝所を出れば、何もしない女房達が端で控えていた。


「お目覚めでございましたか。朝餉の用意を・・・・・・」
 安芸が立ち上がりかけると、外に気配を感じる。


「おはようございます。知盛さん。あの・・・兄さんがあちらで一緒に朝餉をって。迎えに来ました」
 御簾を上げられてから入室する譲と白龍。
 そして、白龍の手には式神の篭があり、銀と桜が飛び出した。



「きゃーーーーーっ!物の怪ですわっ」
「いやっ」
「不気味な生き物が!」
 次々と逃げ惑う女房達。
 銀と桜はその声の大きさと騒動に驚き、床から動けないで居た。



 知盛が歩み出て銀と桜を手に取ると、へと差し出した。
「・・・の式神だ。覚えておけ」
 知盛の冷たい視線に、今まで騒いでいた女房達が静かになる。
 

 が手のひらに乗る銀と桜を見つめたまま呟いた。
「・・・ごめん・・・なさい。・・・・・・あの・・・篭から出さないですから」
 自分が悪く言われるのはいいが、銀と桜が気味悪がられてしまうのは可哀想すぎる。
 
(景時さんに習っておけばよかったよぅ)
 力いっぱいに両目を閉じる
 銀と桜を自由に呼び出したり、返したりする方法があるのだ。
 のわがままで、こちらへ呼び寄せたままにしてもらっていた式神たち。
 少し考えれば京の邸でも度胸がウリの三条以外は、誰もが離れて眺めていたくらいだ。


「・・・関係ない。こちらで働きたければ、慣れる事だな」
 式神たちを白龍の手にある篭へ戻すと、を抱えて御簾を片手で勢いをつけて跳ね上げた。
「あ、あの・・・それじゃ、失礼します。白龍、行くよ」
 やや落ち込み気味の白龍の手を引いて、譲も知盛たちの後を追った。





「入るぞ」
「ど〜ぞ。おはようさん」
 朝に弱い将臣がしっかり起きており、着替えて膳の前に座っていた。

「で?今度は何をやらかしたんだ?向こうでスゴイ声と音だったな」
 将臣が笑いながら尋ねると知盛が返事もせずに視線を反らして先にを座らせた。

「おい、おい。朝から無視かよ。機嫌悪いな〜〜、何だ?」
 譲と白龍も、どうにも読めない表情だ。
「何でもないよ。そろそろ景時さんも来るだろうから、お茶でも淹れる」
 食事の準備を始める譲。白龍は黙って篭を抱えて将臣の膝に座った。
「・・・ん?篭、いいのか?開けなくて」
 頷く白龍。
「・・・開けると・・・神子が悲しい・・・・・・」
「は?開けなきゃ悲しいの間違いだろ?」
 あんなに大切にしていた式神たちを閉じ込めたままなのだ。
 将臣が開けようとすると、白龍が篭の蓋を押さえる。
「・・・オイ、オイ。何の冗談だ?」
 

「おっはよ〜〜〜、流石に今朝は起きるのキツかったよね〜〜〜。あれ〜?どうしたの?皆・・・・・・」
 挨拶も適当に景時が将臣の部屋へ入ってきた。
 タイミングを外で計っていたのでは?というくらいの抜群にいい登場。

「いや?何でもねぇ・・・多分・・・・・・。先にメシでも食うか」
 将臣が箸を手に取る。
「お腹空いたよね〜。今朝はさ、何の音かと思ったら、オレの腹の虫だったよ〜〜〜」
 腹の辺りを撫でながら、景時が褥に座るのを合図に食事が始まった。





「大輪田の泊へは俺と景時で行く。今日だけ知盛も経正とついて来い。そこで教経たちと一度会って、まとめて
話を合わせようぜ。何度も同じ事を言うのはめんどくせ〜〜〜から。で、各自担当の場所へ就くって事で」
 箸の先を景時、知盛へ向けてから再びご飯を食べ始める将臣。
「・・・兄さん。モノで人を指すなって言われただろっ!」
 杓文字が将臣へと飛んだ。
「・・・・・・何だよ。モノは投げるならいいってか?」
 将臣が空いている手で杓文字を叩き落す。
「そういう事じゃないだろ。で?俺は何もしなくていいんだ」
「ははぁ〜、譲君にはお仕事がなくて拗ねてたってワケ?」
 またも箸を使って譲を指す将臣。まったく懲りていない。

「・・・譲。お前はを見張ってくれ。今日はこの周辺を散歩するらしい」
 将臣の部屋で初めて口を開いた知盛。
「先輩が?・・・歩けるんですか?」
 確かに立ったり、わずか数歩程度ならば歩くようにはなってきていたが、散歩となればもう少し長い距離だ。
 の表情を窺えば、当然とばかりに微笑まれた。

「もちろん歩くよ?一応、怨霊調査も兼ねてだし。白龍は一緒だよね〜〜〜」
 先に白龍へ誘いをかける
「うん!神子とお散歩だね」
 落ち込んでいた白龍も、ようやく顔を上げた。

「・・・チビ、篭を開けろ。銀は俺が連れて行く」
 知盛が言うと、白龍も素直に篭を開けた。すぐに銀は知盛の傍へと移動する。
「知盛?・・・いいの?その・・・式神・・・・・・」
 が隣に座る知盛を見上げれば、桜を手招きする知盛。
 近づいてきた桜をそのままの膝へと置いた。
「見張り・・・必要だろ?」
 口の端を上げて、知盛が笑みを見せる。どちらかといえばシニカルな表情。
「いかにも信用してないって顔したーーーー!!!」
 ここへ来てからというもの大人しかったが、久しぶりに知盛を怒鳴った。


「ハッ!・・・この辺りは不案内だろうしな?迷子にならない程度の散歩にするんだな」
「むぅ〜〜〜っ!迷子になるくらい歩けないの知ってるくせにっ。んべっ」


 いつもの知盛との遣り取りが見られて、密かに胸を撫で下ろす景時。
(ここはなぁ・・・少しばかり大変そうだよね。うん)
 景時も昨夜は歓待を断るのに大変苦労したのだ。
 ただ、景時も苦労したのだから将臣や譲もと思うのだが、微塵もそんな素振りは見受けられない。

(それにしても・・・式神か・・・・・・オレの式神の中で可愛いのいたっけなぁ・・・・・・)
 白龍が篭を開けるのを拒否したのは部屋の外で知った。
 今朝の騒ぎは景時の式神が原因で、それによって落ち込んだのがと白龍。
 他への配慮が足りなくてと白龍に不快な思いをさせたと落ち込んでいるのが譲。

(で?将臣君は気づいてなくはないだろうな。静かに怒ってるのが知盛殿・・・ってね。困ったな)
 景時が、可愛い、それこそ仔猫の様な式神を出せれば即解決する程度の問題である。
 つい小さな溜息が零れる。

(出せれば・・・なんだよねぇ。情けないな〜、オレ)
 妹に話せば、何と言われただろうか?

 『はぁ〜〜っ。また出来もしない事を引き受けるから・・・・・・』

 心底嫌そうに溜息を吐きつつ、それでいて景時を助けてくれる心優しい妹を思い浮かべる。

(今のオレに出来る事は・・・っと)

「今日は天気も良さそうだし、お散歩日和だよね。お昼寝にもよさそ〜〜〜」
 あまりが無理をしない様に、昼寝の方をやや大きめな声にした景時。

「・・・クッ。だ、そうですよ?重盛兄上。私も昼寝は賛成ですが?」
 知盛がいかにも午後は休ませろという態度になる。
「おい、知盛!お前って奴は・・・・・・」
 将臣が額を押さえる。
 知盛をやる気にさせるのは至難の業だ。

「知盛・・・遊びに来たわけじゃないよ?」
「そうそう、遊びに来たわけじゃな・・・・・・。熱あんのか?お前がまともな事言うのも・・・・・・」
 今度は両手を頬に添えて不気味がる将臣。
「将臣く〜ん?将臣くんも後で少し稽古が必要なのかな〜?」
 こめかみの辺りをピクリと動かしながら、細い目で将臣を睨む
「イイエ。知盛の奥方様におかれましては、邸の留守居をお願い致したく・・・・・・」
「ん!いいよ。皆の仕事、決まったね」





 一日、晴天に恵まれそうな福原での初日。
 各自任された仕事を始める。






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 あとがき:ようやく何か始まりそう。事件は・・・起きるんだか、起きないんだか(笑)     (2006.06.11サイト掲載)




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