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誰も悪くない 「いっ・・・たーーーーーーーーーーいっ!!!」 朝靄が立ち込める時間。 東の対からは、の靄をも吹き飛ばしそうな声。 「?!」 「やっ、触んないで!」 固まったまま動かない。 知盛も、触るなと言われては、触るに触れない。 せめてもと、顔にかかる髪をそろりと除ければは泣いていた。 肘をついて姿勢を変えようとする。 「いっ・・・・・・腰いたっ・・・・・・」 素早く起き上がると、を支える知盛。 「・・・少し我慢しろ」 軽く抱えて横向きの姿勢で褥へ寝かせる。 「・・・っ・・・・・・痛っ」 「脚は・・・どれが楽だ?」 微妙な角度を調整してやると、ようやくが大きく息を吐き出した。 「ふぅ〜〜〜、びっくりした。腰がびりびりって・・・・・・死ぬかと思った・・・・・・」 知盛も安堵の溜め息を吐くと、の涙を指で拭った。 「薬師を呼ぶから・・・・・・弁慶殿がいいな。待てるか?」 「うん・・・・・・」 立ち上がり、寝所を出れば戸口に常陸が既に控えていた。 「すまないが、按察使をこちらへ。それと弁慶殿へ・・・・・・文を至急」 「はい」 常陸に遣いを呼びに行かせると、素早く文を書き付ける。 “、腰痛につき至急───” 呼びに行かせるまでもなく、按察使が馳せ参じた。 「若君?北の方様のお声が・・・・・・」 「局まで聞こえたか・・・・・・」 隣で叫ばれたため、声の大きさが測れなかった知盛。 考え込む知盛の様子を窺う按察使。 「・・・が・・・いや。の世話を任せたいんだが」 「はい」 寝所へ向かう按察使。入れ替わりに常陸が近江を連れて戻ってきた。 「この文を・・・弁慶殿へ至急頼む」 「はい」 常陸が部屋を出ると、近江が控えた。 「弁慶殿が見えられたら寝所へ案内を頼む。他の者は入らなくていい」 「畏まりました」 用事だけ言いつけると、知盛も寝所へ戻った。 「?」 几帳の内側へ入れば、按察使がの腰を擦っていた。 「・・・・・・知盛、出仕サボったら駄目だからね?」 の隣へ腰を下ろすと、 「・・・動けないのだろう?」 「それでも、駄目。みんな忙しいんだから。ただね〜、封印のお仕事は無理っポイ んだよね〜。無いといいなぁ」 時々顔を顰めながら、腰を擦られている。 按察使の視線が痛い知盛。 「・・・その・・・すまなかった・・・・・・」 が知盛を見上げる。 「何謝ってんの?意味わかんないよ・・・・・・」 眉間に皺を寄せ目を閉じ、しばらく痛みをやり過ごすと再び目蓋を開く。 「いや・・・その・・・俺が・・・・・・」 按察使が居るので、どうにも言い難いが原因は自分としか思えない知盛。 「知盛は失敗したぁ〜って思ってるの?私はね、知盛とえっちしたのは幸せな事だ から、謝られると困るんだけど」 に手招きされるままに隣に横になり、鼻先が付きそうな程近くに顔を寄せる。 「・・・もう少し早く夜の決まりも決めればよかったね。でも、こうなっちゃったんだもん、 すっごい大事にしてくれなきゃ嫌だよ?」 頬をに指でつつかれた。 「・・・・・・すまなかった」 が泣いたのだ。その痛さは相当なものだと思われる。 つい謝罪が口をつくと、頬を抓られた。 「もぉ。そんな謝るくらいなら大事にしてって言ってるのに。それに、朝のがまだだよ?」 の指が知盛の唇に触れた。 「・・・そうだったな。おはよう、」 「んっ。・・・今日はもう一回して」 軽く再び唇を合わせる。 「しっかり働いて来てね」 「・・・いや・・・少し遅れて行く。サボリはしない・・・・・・」 いつまでも小袖ではまずいと、一度知盛は出仕の支度をするのに几帳の裏へと消える。 用意されていた直衣に素早く着替えると、の隣に腰を下ろす。 「知盛ぃ?ほんとにサボったら駄目なんだからね〜?」 「ああ。按察使、今日は・・・・・・」 知盛が顔を上げて按察使を見ると、しっかり頷かれる。 「本日は、北の方様のお傍に必ず控えているように致します」 立ち上がると、按察使と場所を入れ替わる知盛。 「後は俺がする・・・・・・弁慶殿が見えたらこちらへ」 「はい・・・・・・」 三条から聞いたが、知盛がに対してだけは態度が違うのが可笑しい。 の状態を見れば笑っている場合ではなく、薬師の到着を待つべく御簾際まで迎えに 出て待ち続けた。 微かに人が増えた気配を感じ、知盛が顔を上げると寝所の入り口辺りで音が止まった。 「弁慶殿、お見えになりました」 按察使の案内により、几帳の前まで案内されたらしい弁慶。 「知盛殿、さん、お邪魔しますよ?」 「待ってたぁ〜〜。痛い〜〜」 今まで黙って腰を擦られていたが、声を上げた。 弁慶と按察使が几帳の内側へ入れば、知盛がの腰を擦っている。 つい弁慶も小さな笑いを零してしまった。 「・・・さん、うつ伏せになれそうですか?」 「うっ・・・で・・・きる・・・・・・かも」 が少しずつ動くのに知盛が手を貸すと、どうにか姿勢を変えることが出来た。 「ふぅ〜〜〜〜〜。これ、長くは無理」 「そうですか・・・・・・これから腰の辺りを押しますから、痛かったら言ってくださいね?」 今でも痛いのに、これ以上どう痛いのだろうと考える。 すぐに意味は分かった。 「んぎゃーーーーーーーっ!!!」 「?!」 知盛が押さえるまでもなく、軽く背中が反ったかと思うとがぐったりと大人しくなった。 「ここ・・・みたいですね。薬を塗らないといけないのですが・・・・・・」 弁慶がゆっくりと顔を上げて知盛を見つめる。 「患部に薬を塗って、布を巻いて固定するとなると・・・・・・」 静かに褥を掴んで、首を弁慶が座っている方へと向ける。 「えっと・・・小袖を自分で脱げないから、引ん剥いちゃって下さい。・・・按察使さん、髪を結ん でもらってもいいですか?薬付いたら嫌だし、邪魔ですよね」 按察使が用意をするために席を外した。 「・・・俺がするのは無理なのか?」 知盛の申し出に、弁慶が下を向いてクスクスと笑い出した。 「・・・だと思いました。怪我の手当てと変わりませんから、向こうで説明しましょう」 薬箱を持って弁慶が立ち上がろうとすると、 「知盛、出来るのぉ?なんだか心配〜〜〜」 「大丈夫ですよ。知盛殿の方がさんも安心でしょう?」 そのまま几帳の後へ二人は消えた。 「この薬を油紙で覆って。この木綿布で腰を固定するように巻いて・・・結び目は背中がいい でしょう。仰向けでは寝られないでしょうから」 弁慶の終始笑いを堪えている様子に、知盛の方が先に口火を切った。 「・・・笑ってくれて、かまわないぜ?」 弁慶が手で知盛の次の言葉を制した。 「僕も今日は内裏に用事があるので。牛車に同乗させていただいてもいいでしょうか?」 「・・・ああ。ただ、我慢しすぎは体に毒だ」 手に必要な物を持つと、知盛が几帳の内側へと戻って行く。 「確かにそうですね」 口元に軽く拳をあてると、弁慶が静かに笑い出す。 (噂は外れたものばかりでもないようですし・・・ね) 薬箱から次の分の薬を用意し始めた。 「少し・・・冷たいだろうが・・・・・・」 薬を塗った油紙をの腰へ貼る。小袖を脱がせるのは慣れているので作業が早い。 「ひゃっ!冷たいぃ・・・・・・しかも、クサイ気がする」 「文句を言うなよ・・・・・・」 軽く布を巻きつけると、を膝立ちさせる知盛。 「ほら・・・手はここ。つらくなったら力を抜いていいから」 の手を自分の肩へ置かせると、丁寧に腰を固定するように布を締めながら巻く。 最後に少しだけ強く締めて背中で軽く結んだ。 「・・・・・・これを弁慶さんにしてもらうのはちょっと恥かしかったかも」 弁慶の気遣いと、知盛が先に申し出た意味を漸く理解した。 軽く眉を上げるだけで、按察使が差し出した新しい小袖を着せる作業を続ける知盛。 「ほら、横にするから」 悲鳴を押し殺したが痛々しいが、出来るだけ静かに横たわらせた。 「ふぅ〜〜〜。困ったぞぉ、こりゃ。首が痛くなりそう」 「待ってろ」 衣を折りたたんで頭の高さを調整してやると、が知盛の袖を掴んだ。 「も、平気だから。遅くなっちゃうよ?」 「わかった。昼には帰るから」 「うん」 軽くの頬に口づけて、知盛は按察使へ手で合図をすると出かけて行った。 「噂通りの中納言様を見られて、朝から楽しかったですよ?」 「・・・クッ、見世物を提供したんだ。そっちも何か出せよ」 内裏へ向かう牛車の中では、知盛と弁慶が向かい合わせに座る。 「そうですね・・・出し物はないですが。さんの腰痛は貴方だけが原因ではないという事 ではどうですか?」 知盛の表情が変わる。 「さんは戦の移動は徒歩だったんですよ。その後は船。恐らく、多少はずっと痛かった ハズですよ?痛い時は早めに言ってくれた方が、早く治るのに。僕も忙しかったし、気づかな かったのは申し訳なかったです」 弁慶が知盛へ頭を下げた。 「・・・意地っ張りなのを知っていたのに・・・・・・やはり俺が悪かったな」 無理をさせている意識はあったのだ。早めに手を打たなかったのは知盛。 「でも・・・内裏でも宣言されるおつもりでしょう?」 「・・・クッ、わかりきった事を」 明確な返事はなかったが、知盛の意図はわかっている弁慶。 「それで・・・・・・修行の方は?」 知盛が軽く頷いた。 「景時殿が上手くをのせてくれた。知らずに気の流れの使い分けを学んでいるぜ?無茶 な神気の降ろし方はしなくなるだろうが・・・・・・他の意味で無茶な事をやらかしそうだ」 「さんに怪我が無いことならば、構いませんしね?」 「ああ。後始末は景時兄上や譲がしてくれるだろうさ」 二人は視線を合わせると、静かに笑う。 「それと・・・式神をつけてもらった。見えない方は見張り用で、見えている式神は遊び相手」 「それは、それは。・・・アレ・・・・・・ですよね。景時の式神ならば」 「・・・クッ、名前で言うと、“うおいち”と“うおに”だな」 知盛が、名付けの由来を思い出して口の端を少しだけ上げた。 「それを遊び相手にも?」 「ああ。そっちはこう手のひらにのるくらいの大きさで。銀と桜」 いかにもらしく、物怖じしないで楽しんでいる姿を想像して弁慶も口元を緩めた。 「周囲の方々には大変な事ですね。女性はああった生き物は苦手でしょう?名付けはさん ですか・・・・・・」 「ああ。ねーみんぐせんすとやらが大切らしいぜ?」 日々の徒然を話している内に、牛車は内裏へと到着した。 「よう、遅かったな。今朝は何をしてに怒られたんだ?ものすごい声だったぜ?」 事情を知らない将臣は、他意はなく知盛に都合のいい質問をぶつけてきた。 「・・・・・・今朝はって、そんなに聞こえてるのか?」 「んあ?ああ、まあな。の声はデカイからなぁ」 話をしながらも、今日の分担図を広げている将臣は話半分といった風。 「・・・クッ、今朝に限っていうなら怒られてはいないぜ?ただ、毎夜愛しの妻を愛で過ぎただけ なんだがな」 さらりと言ってのける知盛を、図面から顔を上げた将臣が見つめる。 「なん・・・だって?誰が朝っぱらからそんな話を・・・・・・」 ようやく知盛の言う意味が脳に到達した将臣。 顔を顰めて知盛へ続きを言えと首を杓った。 「・・・腰が痛くて叫んだんだよ。だから弁慶殿と参内した」 「弁慶は早く来てくれて助かったぜ・・・・・・つうか、の具合はどうなんだよ?」 弁慶が診る程の症状なのかと、将臣は二人を交互見た。 「まあ、まあ。ただの腰痛です。安静にして薬を塗っていれば治ります」 大きく安堵の息を吐き出す将臣。 「・・・知盛。あんまりに無理させるなよ。それでなくとも邸中を春にしやがって・・・・・・」 知盛の策により漏れ聞こえる声は、邸中に恋の逢瀬をもたらした。 「・・・さあ?妻を大切にするのは悪いことじゃないだろう?」 いかにも自分の正当性を主張するといった態度の知盛。 「もう、オマエに話す事はない。大人しく仕事して、昼で帰るんだな。そうそう、弁慶。やっぱ薬が 足りないみたいなんだ」 朝から桃色の話をしている場合ではないと思った将臣は、さっさと話の方向を変える。 しかし、その場に控えている他の貴族へ噂の提供をしたようなものだった。 (しっかり広めてくれよ?は・・・俺の妻だ・・・・・・) 口の端を上げ、庭を眺めながらほくそ笑む知盛。 (手を出す勇気があるならば、受けて立つぜ?) 渡すつもりはない。が、自分に好からぬ噂が立ってを不機嫌にさせるのも避けたい。 俺が守るべきは、自身との心だからな─── 八葉ではない知盛が導き出した答えは、心。 明るい日差しは初夏を思わせながらも、梅雨の到来を予感させるものだった。 |
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あとがき:腰痛は・・・ツライっすよ(笑) (2005.9.11サイト掲載)