罅を接ぐ





 の目覚める気配はまったくない。
 三条と交替を終えた佐保だったが、すぐに他の対へ移された。
 いつも通りに控えているのは常陸と近江。

「朝餉・・・どうしましょう・・・・・・」
 とにかくはご飯を食べるのが好きなのである。
 姫君には珍しく、おかわりをする程だ。
「そうね・・・でも・・・お疲れでしょうし・・・・・・」
 妙齢の女房二人、顔を見合わせて赤くなる。

 昨晩の知盛とがどうだったかなど、知らない者の方が少ない。
 同じ対ならば尚更である。
 それきり、会話もしないで二人は控え続けた。





 宿直をしない替わりに日々残業の知盛だったが、今日ばかりは早い退出を許された。
 昨日の今日である。将臣の気遣いを、そのまま有難く受けて帰宅する。
 使いの者が来なかったので、は外出していないだろうと邸へ戻った。

「・・・・・・静かだな」
 先触れもないまま、御簾を上げて部屋へ入る知盛。
 常陸が平伏して理由を述べる。
「北の方様は、まだお休みでして・・・・・・」
「・・・クッ、そうか。飯の支度を頼む。それと・・・そっちが近江だったな?」
 隣で伏していた近江が返事をし、さらに頭を下げた。
「昨日はすまなかったな。後で絹でも届けさせるから、と選ぶといい」
 知盛が寝所へ入るのを見てから、近江と常陸が顔を見合わせる。
「今のって・・・・・・」
「・・・神子様ってすごいわ」
 食事の支度を言いつけるべく、常陸は立ち上がった。




 朝と眠っている姿勢が変わっている
 出かけるときにかけたはずの知盛の小袖は、しっかりが抱えていた。
「クッ、抱えるなら本物にしろよ・・・・・・」
 隣に転がって、の額や頬に触れていると、突然、の両目が開いた。
「あ!えへへ〜、今日は起こされないで起きられたよ」
 知盛を見た後、また目を閉じる
「・・・クッ。・・・・・・おはよう、
 自分で起きられたと思っているらしいに、朝の挨拶をした。
「おはよ。知盛、もう着替えたの?」
「・・・いや」
 のんびりとひじ枕の知盛の様子に疑問を持ち、起き上がろうとした瞬間───

「・・・・・・お仕事サボってないよね?」
 転がったままで知盛を睨む。
「ああ。今、帰ってきたところだな・・・・・・」
 口の端を上げ軽く目を動かし、どうしたといわんばかりの態度の知盛。
「・・・・・・腰が痛くて動けないんですけど」
 昨夜の出来事を、ここにきて思い出す
 つまり、それは起きられなかったという事にも繋がる。
「へえ?それは、それは。・・・夜までに治すんだな?」
 小さな欠伸をひとつして、を見つめる知盛の瞳は笑っていた。


「・・・知盛の・・・お馬鹿ーーーーーーーーーっ!」


 精一杯絶叫すると、くたりと褥に突っ伏した。
「そういわれても・・・なあ?が悪い」
 先程から、ちっとも変わらぬ姿勢で楽しそうにを見ているだけの知盛。
「ど〜してよ。仕方ないのよ、月のモノばかりは。ノーカウントにしなさいよっ」
 転がったまま、パタパタと褥を叩いて知盛へ文句を続ける
「“のーかうんと”?」
「数に数えないって意味!」
 衣擦れの音とともに、の視界に影が出来る。
「・・・クッ、無理だな」
 しっかりと知盛に組み敷かれてしまったの耳元へ囁かれた。

 『が俺を誘うから───綺麗だぜ?』

 知盛がの瞳を覗き込む。
 顔は朱色になっていたが、それは怒りによるものではないと判ぜられた。

「・・・お腹空いた」
「・・・クッ、は俺よりも飯が大切か」
 笑いながらを抱き起こす。
「比べる対象が違うよ。もうね、お腹も鳴らない位だよ・・・・・・」
 暴れることもなく、抱きかかえられている。力尽きたという感じだ。
「梶原殿の邸へ行くのか?」
 が着替えてから食事をするは無理と判断すると、そのまま歩き出した。
「・・・行きたいけど・・・昨日の半分くらい忘れちゃったよ」
 知盛の所為と言わんばかりの視線をに向けられる。
「・・・そういうのは、覚えてなかったって言うんだ。一度で頭に入るだろう」
「誰かさんとは頭の出来が違うのっ。何度も暗唱しないと無理っ」
 悔しいのか、が知盛の頬を摘んだ。
「毎晩聞かせてやるから、覚えるんだな。ほら、飯だ」
 を抱えたまま座る。すでに膳は用意されていた。
「うん。そ〜して。とりあえずご飯食べる」
 知盛を椅子代わりにし、もそもそと食事を始める
 あまり構うと叱られる事を学習した知盛は、小出しにに触れつつ白湯を
飲みながら食事が済むのを待った。



「ふぅ〜。ご馳走様でしたっ。・・・景時さん、今日のお仕事はどうなんだろ〜」
 『明日は星を』とは言っていたが、いつどのようにとは言っていなかった。
「文でも書くか?居ないところへ訪ねても・・・・・・」
「そだね。そ〜しよっと!知盛書いてね、私着替えなきゃ・・・・・・あ゛」
 は立ち上がれずに手をついてしまった。ついと白い視線を背後の知盛へ送る。
「・・・クッ、お支度も手伝いましょうか?」
「いい。知盛に手伝われると、永遠に支度出来ない気がする」
 自力でどうにか四足になり、のたのたと寝所へ向かっての移動を試みる
 常陸も近江も手を出しかねていると、知盛が立ち上がった。
「支度は手伝わないが・・・寝所までならお運びいたしましょうか?」
 の正面にしゃがみ込む。
「・・・そういう事は言わないで、さらりとするもんなのっ」
 が腕の力を抜く前に抱きとめる知盛。
「・・・クッ、そうだったな」
 片腕でを抱えて、もう片手での腰を軽く叩きながら歩く。
「なあに?」
「ん?腰が早く良くなる様に」
「お馬鹿っ!」

 知盛にとって、に言われる『お馬鹿』という言葉は、気持ちの良いものだった。



 文遣いの返事が届き、梶原邸へ行くことになった知盛と
「ね、もう実家に帰るとか思われちゃうかな?」
 悪戯をした子供のようにはしゃぐ。どんな噂が立つのか楽しみらしい。
「まあ・・・出戻りとは思われないだろうな」
 戻らせるつもり等、毛頭無い。
「どうしてよ〜。毎日向こうへ遊びに行くようになったら、言われるかもよ?」
「戻りたいのか?」
「違うよ〜。何だか周囲がざわめいてるから」
 牛車で梶原邸へ移動中の二人。町中は騒々しいものだ。
 二人で京で散歩した時も騒々しいとは思ったが、あの時とは違う空気を感じる。

(次の噂も提供させていただくとするか・・・・・・)
 噂も、自ら立つように仕向けたものならば、そう困るものでもない。

「春も終わるからな・・・人が集まるんだろう、商いをしに・・・・・・」
「ふうん?そうなんだ」
 こちらの世界で生活した月日が短いは、素直に納得した。





「いらっしゃ〜い!わざわざお越し下さり・・・・・・」
「うわ〜、すっごいカタイ挨拶とかしないでね、景時さん。私、そういうの覚えてない」
 が堂々と言い切った。
「・・・
「ごめんなさい!」
 朔の眉間の皺を見て、先に言ったもの勝ちとばかりにがすかさず謝る。
「ま!軽くいってみよ〜。ところで、覚えられたの?」
 先導する景時が振り返った。
「あ・・・そのぅ・・・・・・半分くらい・・・だけ・・・かな?」
 が隣の知盛を見上げる。知盛はそ知らぬ顔で庭へ視線を移した。
 それをみた景時は、深く追求せずに笑い出した。
「あはは!そっか。五行だけでもわかるなら大丈夫〜」
「うん。それは覚えた。天干の十個!それくらいはOK」
 が得意げな顔になった。
「そっか。後は順番だけだから簡単だよ。・・・って事で、これね」
 部屋に入って景時がの前に出したものは、式盤。
「な、なにコレ。何か書いてあるよ?」
「うん。夜空で大切な星が点で示されてるんだ。ちゃん、譲くんと話をしてなかった?近い
感じだと思うんだけど・・・・・・」
 式盤の前に転がって眺めだす
「あ、わかった。星座の話した〜。星はね、好きなんだ」
 肘をついて転がして遊びだす。
「基本は心星。この星はね、北の空で動かない星なんだ」
 景時が指差した点をが覗き込む。
「心星っていうんだ〜。北極星の事だね。うん、わかる」
 の頭を景時が撫でる。知盛の眉が動いたのを、景時は見逃さなかった。
「そ?さっすが〜。星が大切というよりね、万物の事象には理由があるという考えなんだ。だから、
星だけではなく、太陽も月も雲も空も眺めることが大切。雨が降っているのに、火属性の術は無駄
だと思わない?暦の上で、水属性の日にというのも同様。だから覚えて欲しかったんだ。つまり、
いつでも同じ力を使う必要はないんだよ」
 に陰陽術を知って欲しかった理由を告げる景時。
「そっかぁ〜。もったいない事しちゃった。朔に言われてたのに、ただその日の属性の怨霊とは対峙
しないようにしていただけだったよぅ」
 が惜しいことをしたと景時の膝を何度も叩く。景時も苦笑いするしかない。

 すると、知盛が立ち上がりを抱える。
「ど〜したの?」
「別に・・・・・・」
 知盛の表情は変わっていなかったが、その手がしっかり主張していた。
 それに気づかないのは。ずるずるとまたも知盛から離れて景時に話しかける。

「そ〜だ。聞いてよ、景時さん。知盛がね、一回で何でも覚えられるって言うんだよ?暦もね、人が
必死に覚えてるのにさ。忘れちゃったって言ったら、それは覚えてないんだって言うの。ヒドイよね」
 またも転がって景時の膝を叩く

(あ〜らら。困ったね、こりゃ・・・・・・)
 が気づいていないのが可笑しくて笑いたいが、うっかり笑うと知盛に斬られそうだ。
(知盛殿の本当の顔まで引き出しておいて。困った神子様だね〜、ちゃんは)
 頭では違うことを考えながらも、への返事もする景時。
「あれだね〜、知盛殿は何でも出来ちゃうからね。いいんだよ、ちゃんはちゃんで。そうそう、
ちゃんの部屋の庭に“うおいち”と“うおに”を昨日置いて来たんだよ?いつでもちゃんの傍に
いるからね」
 両手を突っ張ってが起き上がる。
「どこ、どこ?あれだよね。えっと・・・式神!」
「正解!今は部屋の入り口。まだ見えないかな〜。でも、ちゃんだからな〜」
 必要以上に姿が見えないよう、景時が結界を施した式神だ。
 が、は龍神の神子である。その力は景時にもわからない。

 部屋の入り口辺りでがうろうろする。
「いないよ〜、どこ〜?それより、今のって名前なのぉ?景時さん、ネーミングセンスないよぅ」
 諦めて戻ってきたは、今度は知盛の膝の上に座った。
「え〜?なんかオレって貶されてる?」
 言葉はわからなくても感じるところはあるらしい。
「“ねーみんぐせんす”とは?」
 すかさず知盛から説明が求められる。
「えっと・・・名づけのセンスがない・・・ってセンスが。名づけが格好よくないって事かな?」
 途端に景時の首が項垂れる。
「ヒドイよ、ちゃ〜ん。いちおうね、サンショウウオのウオと順番なんだけど」
 名前の由来を言い訳し始める景時。
「・・・景時さん。それ、本気でセンスない。私がつけたいなぁ、でもまだ見えないしぃ」
 
 知盛も、これには笑うしかない。
(景時殿らしい・・・配慮もありがたいが、どうせなら・・・・・・)
「景時殿。お手数でなければ、昼間にの相手をする式神もお願いしたいのですが」
「あ、それいいね。それじゃ・・・・・・」
 式神を出そうとすると、が手を上げた。
「は〜い、は〜い!男の子と女の子がいい。でね、名前は・・・何がいいかなぁ」
 すっかり名前を考えるのに夢中になってしまった

「よ〜いせっと」
 景時が小さく印を結ぶと、小さなサンショウウオが二匹、煙とともに姿を現した。
「わ〜!わ〜!えっとね、男の子が“銀”で、女の子が“桜”にするっ。ね?」
 が手を伸ばすと、手のひらに二匹がのった。
「こっちがぁ・・・銀くんかな?こっちが・・・桜ちゃん。桜ちゃんにリボンつけたいなぁ」
 二匹を顔の前で眺める。
「よろしくね」
 二匹もにお辞儀をした。
「うきゅぅ〜、可愛いよぉぉ。朔に見せてくるっ」
 すっかり二匹の式神に夢中になってしまった
 客人への白湯を出しただけで部屋から出て行った朔を探しに、が駆け出していった。


「・・・知盛殿。時々でいいので、ちゃんと星を眺めていただけると・・・・・・」
「もちろん、そういたしますよ。兄上殿・・・・・・」
 この後、に星の話をするのは無理だなとお互いの視線で通じ合う。
 すうっと景時の表情が、真剣になった。
「・・・・・・大切な神子姫なんですよ、ちゃんは。貴方が本気になってくれてよかった」
 知盛が姿勢を正して景時に向かい合った。
「気づかれていましたか。まあ・・・色々ありまして・・・・・・」
「何がどうあろうと、いいんですよ。ちゃんが知盛殿とある事を望むのなら」

(やはり、手強いな・・・景時殿は)
 船上での弁慶の言葉を思い出す。
 『景時は気づいている』───
(策略のような考えだけでなく、気持ちの変化まで気づかれてるとは・・・な・・・・・・)
 自分が甘くなったのか、景時が機微に敏いのか?

「正直・・・・・・自分の気持ちを持て余してますよ。数日前は気にならなかった事が、嫌になる
くらい気になりだして・・・・・・」
「“うおいち”はね、知盛殿にだけ見えるようにしましょう。もともとちゃんに何かあったら、
真っ先に知盛殿へ知らせに走るようにと思って置いて来たんですよ。“うおに”はね、オレの
とこ」
 景時が指を鳴らすと、先程の手のひらにのったものよりやや大きめの式神が見えた。
「それは・・・・・・」
「内裏で言われてたでしょ?探してって。朔がね・・・オレの式神でもないよりはマシだって」
 景時の口調が、砕けたものに戻った。
「・・・クッ、何から何まで。兄上と朔殿には世話をかけて・・・・・・」
 知盛が謝辞を景時に言う前にが戻ってきた。家の中を駆ける者は限られている。

「見て〜!朔にね、可愛くしてもらったの。桜ちゃんは女の子だから、お洒落さんにしないとね」
 が景時に桜を見せる。銀はの肩にしがみ付いていた。
「へえ〜。そういえばさ、まだ名前の由来を聞いてなかったよね」
 見当はついているが、ここはの口から言わせようと景時が話しをふる。
 朔も、修行が終わったのならばと部屋へ丁度やって来た。

「えっ?!そ、それはさ・・・そのぅ・・・・・・」
 まさか今頃話が蒸し返されるとは思わず、口篭る
「だ〜ってさぁ、オレのねーみんぐせんすが無いっていうなら知りたいなぁ〜」
 周囲の視線に負け、の口が開く。
「知盛の髪の色と、私の髪の色なのっ!いいでしょ、銀くんと桜ちゃん可愛いもん!!!」
 やけっぱちのように大声で宣言。銀が驚いての肩からすべり落ちた。

「・・・クッ、だったら落とすなよ?」
 知盛が床に落とされた銀を拾い上げる。
「あ゛あ゛っ?!ごめんね、痛かった〜?」
 が慌てて銀を知盛から手のひらにもらい受け、その頭を撫でる。
「・・・・・・ちゃん。痛くはないと思うけど、あまり衝撃があると消えるから」
「気をつけマス・・・・・・」
 がそろりと朔の表情を窺うと、大きな溜め息を吐かれた。
「その・・・・・・おしとやかも頑張る」
「そうしてちょうだい」



 久しぶりに梶原邸に旋風が吹き荒れた。
 木々はもう緑を濃くし始めていた、ある日の出来事───
 





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 あとがき:修行はどうなったんだろう(笑)     (2005.8.13サイト掲載)




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