誤解と曲解





 知盛にしては早足で風呂までの簀子を歩く。
 の言葉の真意が知りたい。『聞かない』をそのまま受け取っては駄目だと教えられたからだ。
 戸を開けると、すっかり小袖に着替えて髪を近江に拭かれているが目に飛び込む。
「・・・・・・?」
 一緒にといったわりには、一緒に入る様子がないに知盛は戸を開けたまま立っていた。
「あ、来たんだ。ちょっと待ってて。って、いうか脱いでね」
 近江に手渡された紐で、上手に自分の髪を結う
 それは、知盛がに贈った髪紐ではなかった。
「あ、ああ・・・・・・」
 後ろ手で戸を閉めると、湯浴み用の単が常陸によって知盛の前に用意された。
 
 直衣を脱いで、素早く一人で着替えを済ませる知盛。
 それ以上する事も無いので、その場に立っていた。
「済んだ〜?よしっ!じゃ、近江さん、常陸さん、ありがとうございました。後は平気ですから」
 の言葉を合図に、近江と常陸が脱衣の間から退出した。
「ほら、知盛。お風呂だよ。っと・・・・・・それ、いるの?」
 が指差す先には、知盛が脱いだ直衣があった。
「・・・こんなものどうでもいい」
「そ。よかった。捨てるのも何だし、誰かにあげちゃお。じゃ、こっち〜」
 に右手を引かれ、二人は風呂場へと向かった。



 知盛を小さな椅子に座らせると、後ろから勢いよく湯を頭から浴びせる
「・・・おい」
「そんなに熱くないよ〜?まずは髪から洗うからね」
 知盛の髪を、が楽しそうに洗い出す。
 指で丁寧に洗われるのは気持ちがいい。

「よしっ!流すよ〜〜」
 一気にまた湯を浴びせられる。
 知盛は、とりあえず黙っての思う通りにさせる事に決めた。
「はい、脱いで、脱いで〜〜〜」
 単をが脱がせにかかる。
 一度濡れてしまっているので、肌に張り付いてなかなか脱がせられない。
「もぉ〜〜。自分で脱いでっ!」
(着ろと言ったり、脱げといったり・・・忙しい事だな・・・・・・)
 振り返らずに単を脱いで、床に落とすと、また座る知盛。
「背中から洗うからね〜」
 手拭でが知盛を洗い始める。
(・・・清めなのか・・・三条が何か言ってたな・・・・・・)
 が知盛を洗う理由を思い出す。
(一緒にって言うのは・・・今までと同じ意味じゃないんだな・・・・・・)
 背中を洗われながら、どう話を切り出そうか考えていた。

 が知盛の正面に膝をつく。
「えっと・・・全部洗うからね」
 耳を真っ赤にしながら、知盛の胸を洗い出す
 知盛はといえば、にされるがままだが、視線はしっかりに釘付け。
 今まで身体を女房に洗われても何の感情もなかったのだが、相手がとなれば話は別。

「ちょっと!そんなに顔見ないでよ」
 顔を真っ赤にしているが知盛を見上げる。
「そう言われても・・・・・・そう赤くなる仲でもないだろう?」
 つい、の顎に手を添える。すると、素早く手を叩き落された。
「そ〜いう問題じゃないの!それに、これは消毒なんだから」

 今まで、過去は関係ないと言い聞かせてきたし、言ってきた。
 しかし、実際に目の当たりにすると無理な事をは初めて知ったのだ。
 知盛に触れる手を見ただけで、感情はピークに達した。
(もうね、誰にも触らせないんだからっ!ムカツキっ!)
 つい、洗う手にも力が入る。
 さらに思うことは、知盛なら予想出来ていたはずだ。事前にに話す事も可能だったはず。
(知盛にとってはさ・・・どうでもいい事なのかな・・・・・・)
 『独占欲』と『猜疑心』を経験した
 知盛に対する態度がよそよそしくなっている事に気づいていなかった。

 が怒る理由は分かるが、悲しい理由には思い当たらない知盛。
 から目が離せずに、洗われている自分を見ているだけ。
 知盛にしては珍しく、行動を起こせない。
(また拒否されたら───どうすれば、話を聞いてもらえる?)
 の様子を窺うことしか出来ない。手を伸ばせば届く距離に居るにもかかわらずだ。
 知盛、ようやく『恋愛感情』を知る。相手がどう思うかだけが気になる。
 つまり、自分が動くだけでは解決しない問題に直面している。
 手が勝手に動くほどにに触れたいのに怖いのだ。



 行動派の二人が、お互い動けないでいる状態は傍から見れば妙である。
 当事者だけが気づかない。
 の対の誰もが、ぎくしゃくとした空気を気にしていた。
 これならば、毎日目のやり場に困る方がマシである。
 と知盛が風呂場に入ったのを確認して、近江と常陸が脱衣の間に戻る。
 知盛の直衣の入った篭を持ち、新しい着替えが入った篭を置いていく。
「大丈夫かしら?」
 常陸の口から心配な気持ちが零れる。
「・・・・・・大丈夫よ、北の方様なら」
 近江が自分にも言い聞かせる様な返事をした。

 少し離れた場所で按察使も思う。
 涼風が行動を起こしやすいように佐保をの対へ借り受けしたのは按察使。
 不安要因は早めに排除した方がいいと思っての事だった。
 思ったより涼風の行動は密やかで、佐保が利用される事はなかったが、早々に事は起きた。
(後は・・・若君がどう北の方様と向き合うかですわね) 
 人としての感情の欠落部位が突然押し寄せているのだ。
 知盛がそれをどう受け止めてに接するか?
 乳母としては、成長して欲しいという思いで見守るしかなかった。



「流すからね〜」
 が立ち上がると、桶で知盛に湯を流す。
 弾かれた湯がの着ている単を濡らし、所々肌が透けて見えた。
 自然と知盛の腕が伸び、を抱き締める。
「ちょっ、やだ!何してるの?濡れちゃうじゃない」
 が暴れるが、お構いなしの知盛。
「・・・頼むから・・・・・・拒否しないでくれ」
「・・・え?」
 常と違う様子に、ようやくが気づいた。
「知盛?」
 濡れている知盛の髪を後ろに撫でつけ、そろりと知盛に腕を回した。
 一瞬震えた知盛の腕の強張りがとれ、力が緩められた。

「あのね・・・何も言ってくれなくて悲しかったんだよ?」
「・・・・・・『聞かない』って言っただろ」
 が軽く知盛の頭を叩いた。
「その前にだよ。知盛の事だから、知ってたんでしょ?いつかはああいう事があるかもって」
「・・・・・・ああ。呼び出された時にも・・・一瞬考えた」
 また叩かれる知盛。
「そういう時は、言ってくれないと、私って信用されていないみたいで。悲しかったよ?」
 ようやく合点がいった知盛。ならば───
「俺はにだけは嘘を吐きたくなかったし、嫌われたくなかったんだ・・・・・・」
 按察使に言われた通りに、気持ちを正直に告げてみる。が、顔は上げられないでいた。
「だったら、もう私以外に触らせちゃ駄目だよ?すっごいムカツイちゃったんだよね。やっぱり
前言撤回する。過去の人も気になる。触らせたくないの。約束して?」
 知盛が顔を上げると、に両頬をつままれた。
「・・・約束出来ないの?」
 の手を取ると、その指に口づける。
「約束する・・・だけだ・・・・・・だから・・・協力しろ。その前に、風呂だ」
 を抱き上げて立ち上がると、そのまま湯船に入る。
「ちょっ!なっ、きゃ〜〜〜っ!!!」
 単を着たまま、知盛の膝の上に乗せられる。そこは湯船の中。
 せっかく拭いてもらった髪も水分を含んで重くなり、結んだ紐も取れかかっていた。

「・・・どうしてこうなるかなぁ?」
 諦めて、どっかりと知盛の上に座る。濡れた単が身体に張り付いて気持ち悪いが、脱ぐ
のも手間なので諦めた。
「いくら何でも、寒かったし。それに・・・も身体が冷える」
「それだけ?」
 の手が知盛の頬に添えられた。
「いや・・・こうしたかった・・・・・・」
 知盛がの顔中にキスをする。相手に拒否されない事が嬉しい事だと、今日初めて学んだ。
(大切なのは、駆け引きじゃないんだな・・・・・・)
 今までだってを大切にしていたつもりだが、が喜べばいいとだけ考えていた。
 だか、良いことばかりではない。負の感情だって存在する。
 喧嘩のような口論も、引けばが満足するだろうという考えだった。
 お互いの気持ちをぶつけて折り合いをつけるという事はしたことが無かった。

「・・・クッ、が一番気持ちイイな」
 知盛に感情を与える存在。そして、正直に感情をぶつけてくる存在。
「ちょっとぉ!触り心地の話なわけ?ほんとは泣くほど悔しかったのにぃぃ」
 手で湯を掬うと、知盛の顔に浴びせる。
「・・・クッ、怒るなよ。の傍が一番安心するって意味だ」
「余計ムカツクーーー!!!」
 今度は両手で湯をかけられる。
 右手で前髪を払い除け、顔を拭う知盛。
「・・・何だよ。何が不満なんだ?」
 分からなければ聞けばいい。
「いつもドキドキして!私なんて、いっつもドキドキしてるのに、安心されちゃ困るの!」
 が知盛の首に抱きついた。
「・・・クッ、我侭だな。俺の心の臓くらい、くれてやるさ。ところで・・・“ばいきん”って何だ?」
「変なことば〜っか覚えてるんだね?」
 が知盛の膝に座りなおす。
の言葉は全部知りたい」
 途端にが笑顔になった。
「えっとね、泥に手を突っ込んじゃったら汚れるでしょ?あんな感じの時に使うの。洗うまで落ちなくて、
だから・・・そのぅ・・・・・・」
 にしては歯切れが悪く、最後まで言えない様だったが知盛には理解出来た。
 つまり、にとっての“ばいきん”とは涼風で、洗いたいモノは“知盛”なのだ。
(・・・クッ、涼風は汚れなのか)
 いきなりの汚れ扱いをあの場ではしていた事になる。
「・・・クッ・・・クッ、クッ、クッ」
「な、何よぅ。笑わないでよ。どこがおかしいのよ?」
 知盛に言葉の意味がしっかり伝わってしまったと悟る。ある意味、とても恥かしい。
「大切だから、洗ってくれたんだろう?可笑しくはないさ。ただ、あの人数の前で汚れ物扱いはな?」
「い〜でしょっ。だって、そう思ったんだもん。私の知盛に触ったばい菌だよ、あんな人」
 の頬が脹れ、横を向かれてしまった。が人を非難するのは大変珍しい。

(・・・クッ、『私の』か。悪くない)

「・・・きれいになった俺はどうなんだ?」
「・・・へ?きれいって・・・別に知盛は汚くないよ?最初に消毒したし。ただ、触られたって事実が気分
悪かったんだよね。知盛もさ、相手に触られるままになってたし」
 が首を傾げながらも知盛の方を向いた。
「触られたくは無かったが・・・面倒だと思って。斬り捨てたら怒るだろ?」
 知盛の肩を掴む
「な、何言っちゃってるの!駄目だよ、そんな簡単に人を殺めたりしちゃ」
「・・・そうだろうと思った。に嫌われたくなかったと言っただろう。考えていたら、掴まれてたんだ」
 傍目にも分かるほどの顔が赤くなった。
「や、やだ。どうしよ。今日の知盛、可愛いよ?どうしちゃったの?」
「・・・クッ、可愛いか・・・・・・にだけな」
 の脇に腕を入れると、立ち上がる知盛。
「ほら、のぼせる前に上がるぞ」
「う、うん。そ〜だね」
 子供抱きのまま、風呂場から出る知盛。

「単は濡れると透けていやらしいな」
 を着替える部屋に立たせると、全身を眺める知盛。
「・・・その前に。知盛こそ・・・・・・何か着なさいよーーーーーーっ!!!」
 辺りに響き渡るの声に、駆けつけたのは近江と常陸。
 二人が仲直りした様子に安堵しつつ、折角拭いたはずのの髪がまた濡れている事に落胆といった
ところだ。月の穢れ明けという事もあり、念には念を入れて洗ったのに、髪紐は解けていた。
「お方様はこちらで着替えを致しますから」
「では、知盛様はここで」
 二人を背中合わせに立たせて、距離を保って支度をさせる。
「ところで・・・あの髪紐は使わないのか?」
 ここで最初に感じた違和感を思い出した知盛。
「うん。お風呂で使ったらもったいないもん。汚れたりしたら嫌でしょ?大切なものは。これはお風呂用の
髪紐なの」
 
 大切なもの───
 あのように安い髪紐を大切なものという
には値段は通用しないな・・・・・・)
 たとえ邸が買えるほどの値段でも、が気に入らない場合は受け取らないだろう。
の大切なモノか・・・・・・)
 小間物屋の主人との会話でも、無料を拒否したわりには贈り物と言われた櫛は受け取っていた。
 “神子だからタダ”という理由では拒否という事なのだろう。には、理由が大切なのだ。
(何なら喜ぶ?)
 仲直りに何か贈りたいのだが、思いつかない。
 絹も絵巻物も紅もが真実嬉しい物かは疑問だからだ。
 この辺り、譲よりも恋愛初心者かもしれない。
 知盛が選んだものならばそれでいいのだが───

 その時、夕餉を食べずに先に入浴した為、の腹の虫が鳴った。
「・・・・・・お腹空いて死にそう」
 がその場に座り込む。
「・・・クッ、死なれちゃ困る」
 知盛がを抱き上げると、近江がの髪を布で包んだ。
「用意は出来ているだろうから・・・・・・このまま行くぞ」
「うん!」



 知盛は、本当に大切なモノを見つけた。
 大騒動の後に残るのは、いつも通りの日常?
 





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 あとがき:無事に仲直り♪次はどんな事件を・・・(←ヒドイ?)     (2005.8.8サイト掲載)




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