虚勢と虚声





 自分の部屋に戻るなり、はぺたりと座り込む。
 騒ぎの場では自信の程を見せて引き下がったが、悔しい気持ちは消えはしない。
 俯いたが泣いているのかと、周囲の女房たちはオロオロするばかり。
 慰めようにも、どう慰めたらいいのか言葉が見つからない。
 何故ならば、知盛の相手をした女房はまだまだ大勢いるし、口には出さないが三条もその中の
ひとり。
 微妙な空気が流れる中、その重苦しい空気を跳ね除けたのは本人だった。
「〜〜〜悔しいぃぃぃぃ。あんなに触った!触らせてた〜〜〜!!!」
 床を叩き出す
 泣いていなかった事に驚く女房たち。
「お風呂の用意お願いします!・・・あのね、私が知盛洗うから」
「は?!」
 按察使を筆頭に、全員の動きが止まった。
「一緒に入って消毒する〜〜〜〜!!!」
 またも床を叩き始めた。
 
 意外にも、いつもなら真っ先にを叱るであろう按察使が佐保に指示をする。
「佐保。湯浴みの用意を。お方様用の準備ですよ、わかってますね?」
 この時代は、風呂ではなく湯浴み。サウナのようなものだ。
 湯を張った風呂は江戸時代からになるが、用に梶原邸でも湯船が作られていた。
 この邸でも、当然に合わせた風呂場がある。湯を張る方という意味だった。

 風呂の準備がされるとわかり、が床を叩くのを止めた。
「・・・・・・そうだ。近江さん、三条さん、怪我とかないですか?」
 やや冷静になり始めたが、閉じ込められていたであろう二人を気遣う。
「私は・・・大きな物音を立てましたら気づいてもらえたので怪我はございませでした」
 三条がに微笑みかけた。
「私も按察使さんに局に閉じ込められていた所を助けていただきまして・・・・・・」
 近江もに報告する。
「よかった〜。巻き込んじゃって、すいませんでした。えっと、皆も騒がせてごめんなさいでした」
 が頭を下げると、按察使が慌てて頭を上げさせる。
「お方様にお怪我がなければよいのです」
「え〜っと。はい、怪我は・・・ないです・・・・・・」
 “怪我はないが、違うものはある”と、そう誰もが思った。
「北の方様、私が涼風の計略を知った時に直にこちらへ戻れなかったために・・・・・・」
 知盛との約束から、三条はこちらの対でとくにそういった方にまで気遣いをしていた。
 おかげで巻き込まれなくていいところで巻き込まれてしまったのだが。
「そういうんじゃないですよ?えっと・・・・・・気持ちって難しいですね」
 事前にを遠ざけられたとしても、相手の女の気が済むまでこの手の問題は解決しない。
 今度こそ本当に口を噤んだまま、が動かなくなった。





 簀子を歩く足音がする。女房たちには、それが知盛のものであることはわかっていた。
 しかし、ここは知盛の部屋にもなってしまっている。
 入室拒否の行動をとるわけにはいかないでいると、御簾を上げて知盛が顔を見せた。
「・・・・・・?」
 いつもなら真っ先に迎えてくれるは、部屋の中央でぼんやりと座っているままだ。
 知盛がゆっくりと近づき、の正面に腰を下ろす。
「・・・・・・・・・怒っているのか?」
 怒って梶原邸へ戻ってしまったかと思うくらいの静けさかと思えば、部屋に居る。
 しかし、煩いくらいにしゃべるが静かで、知盛もどう切り出していいのか迷った。
「・・・その・・・・・・」
「おかえり。後でお風呂入ろうね」
 知盛の話を聞く気がないのか、話を中断させたかと思うとまた黙りこむ
 この春の御殿の東の対で、これだけ静かなのはが嫁いでから初めてだった。

 大きな溜め息の後、知盛がの手首を掴んだ。
、話を聞け。だから、あれは・・・・・・」
「聞かない。聞いたら余計悔しいから黙って」
 言い訳すらさせてもらえないのかと、そのままの姿勢でいる知盛。
「・・・手、痛いから離して。別に、怒ってるんじゃないから」
 手を振り払うと、立ち上がり文机に向かう。手にしているのは、景時が置いていった暦。

 知盛も立ち上がり、を足の間に挟みこむように座る。
・・・話はしないから。居るだけならいいか?」
「もぉ〜!気が散るってば。明日は景時さん家に行くんだから〜。も、勝手にして」
 ぶつぶつとまた暦を覚え始める
 知盛はといえば、“勝手に”と言われたものの、拒否されたわけでは無い事に安堵し、そのまま
の後姿を眺めていた。

 知盛がを追い回すという、世にも珍しい構図に誰も口を開けないでいた。
 按察使と三条にしてみれば、事前通告したのに知盛らしからぬ本日の失態に疑問を持っている。
 噂通りの人物だったかと、近江と常陸の知盛に対する評価はがた落ちだった。
 そんな微妙な空気が読めずに部屋へ戻ってきたのは佐保。
 このような場合、空気は読めない方が都合がいい。按察使の人選はアタリだった。
「北の方様、準備整いました」
 が佐保へ顔を向けた。
「うん、じゃ入る。それと・・・・・・」
 今度は按察使の方を向く
「あの・・・呼んでから・・・・・・知盛は後から来て欲しいんです」
「・・・畏まりました。きちんと見張っております。誰か人をお寄越し下さりましたら、ご案内する事に
いたしましょう」
 知盛の見張りの留守居役は、按察使と三条に決まった。
「じゃ、知盛は後で来てね」
 近江に先導され、常陸を引き連れてが部屋を出て行った。
 按察使によって、佐保も風呂の担当を言いつかっていたので、部屋に残ったのは三人。



「若君。先に申し上げた事は、お聞き入れくださらなかったようですね」
 按察使が最初に口を開く。
「・・・・・・聞いてたさ。ただ・・・にだけは嘘を吐きたくなかった・・・・・・・・・・・・」
 按察使と三条は知盛の言い訳に驚き、顔を見合わせる。
「・・・笑いたければどうぞ。別に涼風ひとりくらい斬っちまってもよかったが、それもの事を考え
ると・・・・・・涼風は金も無理。と、すれば・・・下げ渡しもな」
 女に飽きたら他の就職口を紹介して面倒払いをしたり、他の公達へ押し付けるなどは常の事。
 今回ばかりは、が居たから出来なかったのだ。
 過去の噂話より、今の噂話が伝わってしまう事を恐れて。
「・・・・・・若君?」
「・・・クッ、酒くらい用意してくれよ?家出こそしないでくれたが、相当怒らせちまった」
 知盛が仰向けに転がった。
「若君が悪いんでしょう?私なんて、閉じ込められて大変でした」
 三条が面白くなさそうに知盛を睨む。知盛からの侘びは一言もない。
「・・・・・・ウルサイな」
 按察使と三条に背を向ける様にひじ枕で転がってしまった。

「・・・若君。これから湯浴みですのに、御酒はお控えになられないと。今度こそ北の方様のご不興を
かってしまいますよ?それに、北の方様は・・・神子様はお怒りというより・・・・・・」
 按察使の言葉に興味を示した知盛が、首だけ振り返る。
「・・・クッ、何だよ。続きを言えよ」
「・・・・・・悲しくて悔しかったのだろうと思いますわ」
「・・・・・・・・・・・・はぁ?」
 知盛には、按察使の言う意味が理解出来なかった。
 過去の経歴を詰られる、または、浮気と勘違いされて怒りを買うならわかる。
(殆ど話すらきいてもらえないで、悲しいのは俺の方だ・・・・・・)
 そのまま首を戻した。 
 
「・・・・・・神子様は、とても前向きな方でいらっしゃいますね。さて、明日は梶原殿のお邸にお出かけ
のようですし。準備をしないといけませんね」
 立ち上がると、寝所の用意と明日のの支度を整えるべく按察使が動き出した。

「ハッ!そんな事はわかってるさ・・・・・・」
が前向きな事くらい・・・言われなくてもな)
 それでもの気持ちに思い当たらず、転がったままの知盛。

「若君・・・・・・私、神子様にお話しようかしら」
 知盛が起き上がった。
「今更何を・・・・・・それこそが家出す・・・・・・」
「なさいません。お方様は、なさらないです。物事から回避されるような方ではないでしょう?家出では
なく、それこそ退屈で飛び出したりはなさるでしょうけれど」
 きっぱりと言い切る三条。まだほんの数日しかと過ごしていない者とは思えない程の断定口調。
 これには知盛の方が苦笑い。
「・・・クッ、話したとして。が怒ったら責任とってくれるのかよ?」
「あら。どうして私がとらないといけないんですの?すべて若君の身から出た錆というものです」
 面白くなさそうに知盛の口元が歪んだ。
「・・・クッ、この対はの味方しかいなくて居心地が悪い」
「そんなの当然です。ここは神子様のお部屋ですから」
 按察使にしても、三条にしても、数少ない知盛に意見が言える者たちだったが、このように厳しいのは
珍しい。二人がかりでチクリ、チクリと図星を突かれた知盛の周辺にはどんよりとした空気が漂っていた。

「神子様自ら若君を洗い清めたいとお思いなのですよ?ここへお戻りになられた時、仰ってましたもの」
「・・・ああ。一緒に風呂ならいつもの事だ。この邸では、移ってきてからが月の・・・だったからって
だけで。梶原邸でも一緒に入ったぜ?」
 の事を考えていた知盛は、無意識に事実を言い返した。
 しかし、按察使と三条にとっては聞き流せる内容ではなかった。
「わ、若君!いつもとは・・・・・・」
 按察使は、此度の事があったための為にと風呂の用意を言いつけたのだ。
 まさか、これから毎日とは予想をしておらず直立のまま動けない。
 三条にしても、姫君が誰かを世話するなど聞いたことが無いため座ったまま固まっていた。

「・・・クッ、どうした?二人揃って」
 突然小言が止んだことに、知盛が三条と按察使を見た。
「ど、どうと言われましても・・・・・・湯浴みを共に・・・毎日とは・・・・・・」
 若い分、三条の方が立ち直りが早く、知盛に返事をした。
「そのままの意味だが?それくらいいつもの隣に居たんだ。より、俺の方が悲しいだろうが」
 に言われるまでもなく、傍にいると決めていたのだ。
 ただ、の方が口数が多いので、自然が知盛に要求しているように見えてしまうだけ。
 それこそ、手を繋げだの、抱き上げろだの、一見の我侭に周囲には映っている。
「・・・・・・若君。よ〜く反省なさいませ。神子様に嫌われないよう」
 三条が意地悪く笑い、口元を袖で隠した。
「若君が、すっかり人らしくなられて。神子様のおかげですわね。そんなに神子様が大切ならば、此度の
ような事を繰り返さないよう、しっかりなさる事です」
 知盛の弱みを握ったとばかりに三条の表情が見る見る明るくなってゆく。
「そうそう、神子様がよく若君の幼い頃の話を聞きたがるんですの。どこまでお話ししていいのか、悩まし
いですわね?」
 三条は立ち上がると、呆然としている母の背を軽く数度叩く。
 按察使が瞬きをして、意識を取り戻した。
「若君っ!毎日とは・・・・・・男女がそのような・・・ましてや神子様に!!!」
「・・・ウルサイ」
 知盛が大欠伸をする。
「三条も。話したければ、何でも話せばいいさ」
 そのまま後ろへ倒れ、天井を仰ぐ知盛。

(・・・ったく。退屈どころか割りに合わないぜ。なぁ?
 今頃入浴しているであろうの姿を思い浮かべる。

「若君!」
「・・・・・・ウルサイよ、お前たち親子は。が一言もしゃべらなかったらどうしてくれる」
 知盛は右手で自分の目の辺りを覆った。
「若君、神子様の事を考えるならばきちんと自分のお気持ちをお話しなさいませ。そうすれば・・・・・・」
「『聞かない』って言われたんだぜ?」
 按察使が知盛の隣に腰を下ろし、その右手を顔から除けさせて覗き込む。
「これだから。・・・若君は姫君にふられたことがございませんからね。普通はせっせと口説くものなんです。
すべては姫君のお心次第。素直に気持ちをお伝えなさる事ですよ」
 
 按察使の言葉は、面白くはないが事実。フラれたことも無ければ、女に謝った事もない。
 知盛にしてみれば、に対するこの気持ち自体初めての事で戸惑っている。
(・・・・・・正直に言っても、怒られそうだ)
 しかし、怒られるならば無視されるよりはマシ───
 あるひとつの決心をした知盛の表情は、先程までのものとは変わっていた。

「・・・俺には、だけだって周りに分からせればいいんだろ?」
 いつもの如く、口の端だけを上げて余裕の笑みを見せる知盛。
「・・・若君?」
 三条が問いただそうとしたときに、佐保が知盛を呼びに来た。
「・・・あの・・・北の方様が・・・準備が出来たからと・・・・・・」
 一応今回は、場の空気が怪しい事がわかったらしい。途切れ途切れに言葉を紡ぐ佐保。
「ああ。すぐ行く・・・・・・案内はいい」
 さっさと立ち上がり、知盛は御簾を跳ね上げて部屋を出て行ってしまった。

「母上・・・・・・嫌な予感がするのですけれど」
 三条が按察使に視線を合わせる。
「・・・・・・そう悪いものでもないでしょう。そうですね、明日の予定は変わるかもしれないからしっかりね」
 按察使も立ち上がり、奥向きの仕事をすべく部屋を退出する。
「・・・・・・わかったわよ。今晩の担当は私がしろって事よね」
 いつ何時呼ばれてもいいように、渡殿で控える当番が女房にはある。
 順番だと佐保のはずなのだが───

「佐保。本日の控えは私がするから。貴女は明けの頃に交替をお願いします」
「はい!わかりました、三条さん」
 はっきりいって、ただ耳を澄ませて主人の命令を待ちながら様子を窺うだけの当番。
 仕事があれば目も覚めるが、つい転寝をしてしまう様な内容の仕事だ。
 ただし、邸の情報が欲しい者にとってはぜひ任されたい仕事。
(手が足りなくて佐保をこちらへ借り受けたけれど・・・・・・邪魔かもね)
 按察使が今頃、佐保の対移りを指示していそうである。
(こうぼんやりされては、困るのよ。気も利かないし。神子様を守るのには足手まといだし)
 佐保を按察使が借り受けたのは、此度の為ではとまで疑いそうになる三条。
(まさか・・・ね?)



 一番の狸は、誰だったのか?───
 誰もが誰かを疑いつつも、己の行動を省みるような不思議な夕刻だった。
 





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 あとがき:やっぱり悔しいのでした(笑)     (2005.8.7サイト掲載)




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