常識やぶり





 いつも一緒に湯殿に入る知盛とだったが、今日ばかりは別になった。
 先に湯浴みを済ませた知盛は、のんびりと簀子で月見酒と洒落込んでいた。
「若君!ご自分の対へお戻り下さい。北の方様におかれましては、月の穢れと
聞き及んでございます」
(やれ、やれ。五月蝿いのが来た・・・・・・)
 知盛に意見できる人間は限られている。
 按察使がの対へわざわざやって来たのだった。
「・・・・・・戻るつもりはないが?」
 手酌でまた酒を呷ると、無視を決め込む体制に入る知盛。
 すると、按察使は隣へ腰を下ろし、小言の体制を整えた。
「若君。北の方様は、塗籠へお篭りになられますよ?こちらへ居てもお邪魔に
なるだけです。それに・・・涼風の件もございますし・・・・・・」
 按察使が暗に告げた“涼風”という名前に一瞬反応を見せるが、やはり知盛は
酒を飲み続けていた。

「あーっ!またお酒飲んで〜。あんまりお酒臭いの嫌だって言ったでしょっ!」
 突然二人の間に乱入してきたが、知盛の盃を取り上げた。
「・・・クッ、少しくらいいいだろうが。今日は真面目に内裏までお供させてい
ただきましたよ?姫君」
 の手を取り、そのまま自分の膝に座らせると、さりげなく盃を取り上げた。
「むぅ・・・お供って・・・別に、そんな風に思ってないし・・・・・・」
 知盛の隣に控える人物に気づき、の語尾はだんだんと小さくなった。
「ほら、按察使。俺の北の方が見たかったんだろう?」
 意地の悪い笑みを浮かべながら、按察使に顎を抉る知盛。
「・・・・・・お初にお目にかかります。按察使でございます」
 頭を下げる按察使の前に、も座り込み、頭を下げる。
「えっと・・・知盛の・・・妻〜?の、です。よろしくお願いします」
 の自己紹介に、知盛が笑い出した。
「・・・、そこはしっかり言うところだろうが」
 簀子に直に座るを、冷えないようにまた自分の膝に座らた。
 常陸が知盛へ手渡した衣をかける事も忘れない。
「だ、だって。自分で言うの初めて・・・・・・なんか・・・変だった?」
「しっかり“妻”と言うもんだろ?間延びした物言いだな」
 と額を合わせて笑う知盛。
「もぉ〜。いいもん!按察使さんから知盛の小さい頃の事聞き出しちゃうんだから」
 期待に満ちた目を向けられ、按察使の方が戸惑う。
「お方様におかれましては、月の穢れとの事。お早めに塗籠でお休みになった方が
よろしいかと・・・・・・」
「・・・知盛と一緒に寝るから、穢れは平気ですよ?」
 按察使の顔が強張った。
「お方様。月の穢れの時は、塗籠にて五日ほど篭られるのが常です。知盛様とは、
ご一緒に寝所でお休みになることはなりません」
 が口を尖らせて、直ぐに反論した。
「一人で寝たら、寒いしお腹痛いもん。それに。どうして塗籠に篭らなきゃいけない
んですか?」
「昔からの習わしです。ましてや、穢れを撒き散らしては・・・・・・」
「習わしって・・・根拠ない時も多いですよね?」
 按察使が目を見開き、視線を知盛へ移す。
「・・・クッ、コイツにはそういうのは無理だ。しかも、穢れを祓う龍神の神子様だぜ?
穢れているって言うのはおかしいよな」
 按察使の出方を見るべく、知盛がわざと“龍神の神子”という言葉を発した。

「・・・若君は変わられました。以前はその様に笑ったりはなさいませんでした」
 肩の力を抜いて、座り直す按察使。
「神子様。若君の事をよろしくお願い致します・・・・・・」
 深々と頭を下げる按察使。
「神子様じゃないだろう?俺の北の方だ・・・・・・」
 知盛が嫌味を全部言う前に、の怒りを買ってしまった。
「知盛!乳母さんにそんな言い方しないっ!!!今までありがとう〜、俺もこんなに
可愛いお嫁さん貰えました〜くらい、言えないのっ?!」
 の指は、しっかりと知盛の頬を摘み上げていた。
 
 あの知盛が、人に為されるままになっている───
 つい、按察使も吹きだしてしまった。
「・・・楽しそうだな、按察使」
 下を向いて笑いを堪えている按察使に知盛が懲りずに嫌味を言う。
「ごめんなさ〜い、按察使さん。今、知盛に感謝の言葉を言わせますから!」
 が白い目で知盛を見上げると、大きな溜息と伴にの額にキスをした。
「・・・按察使。今まで世話になったな」
 知盛、最大の譲歩である。
「若君から、その様なお言葉を頂ける日が来るとは思いませんでした」
「・・・俺の“可愛い”北の方が煩いからな」
 折れてくれた知盛に満足のは、もう笑顔になっていた。
「それでは・・・あちらの対へ戻らせていただきます」
 按察使が退出の挨拶をする。
「えっ?!帰っちゃうんですか?こっちにいちゃ駄目?」
 が慌てて引き止める。
「私がお仕えしているのは、あちらの対ですから・・・・・・」
「だ、だって!知盛はもう向こうへ帰らないよ?ううん、私、一緒がいいもん。向こうは
お仕事、ないかもですよ?」
 それまで様子を窺っていた知盛が笑い出した。
「・・・クッ、今日は按察使の小言を覚悟していたのにな?按察使もには敵わない
とみえる・・・・・・」
「・・・・・・なんかそれって、私に失礼な気がするんですけど」
 が知盛の前髪を引っ張る。
「・・・さあな?按察使。向こうの対の使用人を整理して、お前はこちらへ移れ。そう、
なんなら三条もこちらへ。それでどうだ?」
 知盛の案に、按察使が肯いた。
「直ぐというわけには参りませんが・・・ご希望に添えるように致します」
「やったぁ〜!・・・ところで、三条さんって誰?」
 意外と話をしっかり聞いている
「俺の乳兄弟だ。・・・だろ?按察使」
「三条は、私の娘でこちらのお邸にお仕えさせていただいております」
 が大きく首を傾げる。
「“ち”兄弟って、兄弟?」
「・・・乳の兄弟って事だ。按察使の乳で俺が育つには、乳が出る条件が必要だろう?
当然、按察使は子を産んだばかりだから乳母になれたって事だ」
 手を叩いて首を縦に振る
「なぁ〜るほど!按察使さんの乳で育ったもの同士って事かぁ〜。本当の兄弟ってわけ
じゃないんだね」
「恐れ多い事でございます・・・・・・」
 平家の若君と、使用人の子供では身分が違いすぎる。
 とても同列でしていい話ではない。
「じゃあさ、三条さんにも知盛の小さい頃の話聞けちゃう?」
 どうやら知盛の弱点を見つけたい様子の
 思惑に気づいてるものの、あえてとぼけ続ける知盛。
「・・・どうしてそう、小さい頃に拘る?」
 に両頬を挟まれた。
「嫌な感じぃ〜〜〜!もう寝るっ」
 知盛の腕をすり抜けて、が室内へ去ってゆく。
 困ったような顔で按察使が知盛を見た。
「・・・余計な事を言うなよ?」
「・・・それは涼風の事ですか?私が言わなくても、本人が直接お方様に言いますよ?」
「わかってる。対移りの件は、早めに出来そうか?の傍には、気の利く女房以外は
おくつもりはない・・・・・・」
 京で再び職探しで邸へ来た者、長い流浪の旅を共にした者、様々な人間が入り乱れて
いる新・重盛邸で、唯一知盛が選んだ女房だけが仕えているのがの対だった。
 出来るだけ年齢の近い者を集めたが、それでは物足りない部分もある。
「三条ならば、常陸と近江とも仲良く仕えましょう。私は奥向きを・・・・・・」
「・・・そうか」
 知盛が立ち上がる。
「愛しの北の方を待たせると、追い出されかねないからな・・・・・・後は頼む」
 按察使は黙って知盛が部屋へ消えるまで平伏していた。

(若君が、他人に頼み事を出来るようになるなんて・・・・・・)
 知盛は、とくに努力らしい努力をしている気配を感じられない子供だった。
 その割には、上の兄弟に見劣りしない程の知識も武芸も身につけてしまい、少々欲から
離れた処で生きていた。
 戦という、死とギリギリの緊張感を知るまでは。
 戦こそが、唯一知盛の全ての力を出せるものだったのだろう。
(神子様のお言葉は・・・面白いですわね)
 おかしな事というより、物事の確信だけを述べるからだろうか?
 “習わし”然り、“仕事がない”も然り。
 それでいて、“妻”と言うのに戸惑いを見せる。
(ご協力させていただきますよ、若君)
 酒の膳を片付けながら、裾捌きも見事に按察使が立ち去った。





「知盛〜、遅いよぅ。昨日みたいにしてね!」
 褥の上で転がりながらが知盛へ手招きをする。
「・・・ああ。ところで、おしとやかに・・・ではないのか?」
 の隣に横になり、腕を伸ばす知盛。
「煩くしてないから、静かでしょ?」
 知盛の腕に頭をのせると、が褥を軽く叩く。
 背中抱きのと自分に衾をかぶせて、の腹部に手を当てる知盛。
「・・・ご満足いただけましたか?」
「うん!やっぱり温かいと少し違う感じぃ・・・・・・」
 すでに睡魔が訪れているらしいは、動きも鈍くなっていた。
「今日は疲れたか・・・・・・」
「・・・ん、ちょこっと。でも、中宮様ともっとおしゃべりしたかったかも・・・、あれこそが
本当の貴族のお姫様って感じだよね・・・知盛の事、知りたいなぁ・・・・・・」
 最後まで言い終わらないうちに、は夢の世界の住人になっていた。
「何が知りたいのやら・・・・・・」
 人に自慢できる過去はなく。また、今後の足枷にもなりかねない懸案事項がある知盛。
(涼風の件は、早めに手を打たないと───)
 は知盛の過去を知りたがっている。
 どこから、どう話を聞かせようとする人物が現れるかは予測不可能。
にどう思われるかが怖いなんてな───)
 腕に眠るの温かさに、知盛も眠りについた。







「ぅん・・・重い・・・・・・」
「朝から随分な言われ様だ・・・・・・」
 に言われて、の腹部を温めていた手を離す知盛。
「あ゛〜〜、すっごく冷える感じがする・・・・・・」
 がゆっくりと仰向けに転がった。
「・・・クッ、どちらがお好みか」
 知盛の手を取り、自分の腹部にのせると、その上には両手を重ねた。
「これだ〜〜〜。このままだったら平気そうなのにぃ」
「じゃあ・・・花見はいいのか?」
 あれほど花見に拘っていたのは・・・・・・?
「それは、それだもん。たくさんの桜の下で〜、幸せですってトコを、たくさんの人に見て
もらうんだ。・・・そう決めてるの」
「・・・そうか。では・・・大人しく起きるんだな?残念だが、今日も正装してもらう」
「えぇ〜?!重いよぅ、アレは」
 の手の下から自分の手を抜き取る知盛。しっかりとの上体を起こさせた。
「外は冷える・・・・・・足りないくらいだ・・・おはよう、
 朝の定番のキスで挨拶をする知盛に、がこたえる。
「おはよぉ。いいもん、今日も自分で歩かないから!ね、知盛」
「・・・ああ。大人しく、支度するんだな」
 知盛が寝所を出ると、待ち受けていた常陸と近江が入れ替わりに入ってゆく。



「・・・早いな」
 隣室で知盛が控えている女房へ声をかけた。
「若君たってのご希望との事でしたので」
 三条が顔を上げた。
「・・・ハッ!約束を守らせてやろうと思っただけだ」
 幼い日からの約束。
 お互い、大切なモノをみつけたら───
「・・・若君に負けるとは思いませんでしたけど。こちらの対で頑張らせていただきます」
「いい心がけだ」
 知盛も昨日に引き続き正装。三条に着替えを手伝われる。

(俺の一番大切なものを守る手伝いしろよな)
 約束した日を思い出している知盛に、三条からの厳しい声。
「手伝いますけど・・・涼風の件は別です。過去の悪事は黙っていて差し上げますけど」
 知盛の肩眉が上がる。
「・・・おい」
「何でしょう?若君」



 知盛、密かに自分との味方を増やしたつもりが───
(敵を増やした・・・か?・・・・・・)
 大きな溜息を吐く知盛。
「若君、ご安心下さい。とても素敵な北の方様なのでしょう?私、とても気が合いそうで
すわ」
「ああ。いい女だぜ?よろしくな」
 が着付けされているだろう方角へ視線を移す。
(・・・クッ、と組まれそうだ。俺だけ敵か)
 それならば、それで。が打ち解けて話せる人物が居ることは有難い。



 今日は待ちに待った花見の日。
 まだまだ事件が起きそうな予感───

 







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 あとがき:知盛くんピンチ?!たくさん恋人いそうだったもんね。一応過去ってことで(笑)     (2005.6.28サイト掲載)




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