先手必勝





 九郎が頭を抱えて呻き声を上げる。
 誰も何もしていない。
 しいていうならば、弁慶が九郎の肩を揺すって目覚めを促しただけ。
 だが、酔いつぶれた者の翌朝など、決まった結果しか残されていない。
 僅かな振動すら地面が揺れる程の衝撃となって伝わっていた。

「九郎。体調管理ぐらい自分でして下さいね」

 酔いつぶさせた張本人が、白々しくも苦言を呈する。
 差し出された碗を手に取る気力もない九郎がとても気の毒に見えるのは、ヒノエの目の錯覚で
はないと思われ───
 
「起きるの手伝ってやれよ。冷たいもんだな」
 ヒノエが九郎を背から支えて起こしてやると、弁慶は二日酔いの薬の碗を九郎の口元にそえた。

「嫌でも飲めば、少しは頭の中が静かになりますよ」
「・・・・・・ああ」
 ようよう碗を手に取り、薬を流し込むように飲み干した後、再び褥に沈んだ。


「飲み過ぎたな〜、九郎。姫君もまだ起きてこないから、少し休むといいぜ。楽になる」
 額へ濡れた手拭を当ててやると、ヒノエは足音を立てないようその場を離れる。
「まったく。これじゃ、噂よりもひどいものです。浴びるほど飲むからですよ」
 九郎の目蓋が閉じているのをいいことに、弁慶は口では厳しく、けれど、顔は笑っていた。







 景時の対では早々に知盛が目覚めていた。
 いつもなら寝坊とが騒ぐ刻限だが、誰も起こしに来ない。
 の髪を手にとっては、すいと指先から零れ落ちるのを楽しむ。

「そろそろ腹が鳴るだろうに・・・・・・」
 昨夜は宴ということもあり豪華な食事であったが、人間の腹というものは、食事内容には比例
せず、量に比例する。
 譲の絶妙な匙加減によりの体調は管理されており、本人よりもの胃の腑について
知っているに違いない。
 だらりと力の抜けているの手首を掴み、その指先を己の唇へあてた。


「ん・・・・・・」
 指先に触れさせられている何かは、の知るモノだ。
 そろりと確認をすると、まんまと食されてしまった。


「あの・・・指食べないで」
「“おはよう”、。あまりに空腹だったものでな」
 まずは定番の挨拶をし、目覚めたのかを試すために軽くからかう。
「嘘ばっかり。・・・おはよ」
 本日は休みと将臣が言っていた。知盛が隣にいても文句のつけようがない。
 定番の朝の挨拶をから知盛に返してみた。

「風呂にでも入るか?」
「う〜ん・・・そうしたらさっぱりするかなぁ・・・・・・」
 身体を起こしてもらいながら考えるが、だるくて選択する気にならない。
 はっきりと返事をしていないにも関わらず、知盛によって次の行動は決められていた。





 軽く汗を流す程度で入浴を済ませて階で並んで座り寛ぐ。
 すぐに譲がのための重湯を膳にのせてやって来た。

「おはようございます。知盛さん、先輩。朝餉はもうすぐですけど、先にこちらをどうぞ」
 譲に手渡された碗を手に取ると、重湯が程よく冷まされており、中には梅も見える。
「ありがとう、譲くん。何か食べたいな〜とは思うんだけど、何だか決められない感じだったの」
 梅雨特有の天気に戻ってしまった今朝は、誰もが身体が重いと感じている。
 体調が万全ではないには、尚更つらいに違いない。

「そうでしょう?昨夜は少しだけカロリーオーバーな食事だったから、胃が疲れていると思って。
今朝はさっぱりしたものにしてありますよ」
 本人が不調に気づいていないのなら、わざわざ言う必要も無い。
 さりげなく食事の所為にして話題をそらし、知盛には蕎麦茶を差し出した。

「ほう・・・珍しいな」
「何?」
 知盛が飲んでいるお茶に興味を示した
 譲が同じものがにもある事を指し示す。

「蕎麦茶ですよ。香ばしい香りがするから、お腹が空いている先輩にはぴったりかな」
 食欲を刺激する香りのお茶を選んだのは正解のようだ。
 香りを胸いっぱいに吸い込んでから飲み始めている。

「うわ〜〜〜。お蕎麦を食べていないのに、食べた気分になるね。・・・食べたくなっちゃう」
「でしょう?今朝はうどんかお蕎麦を選べるようにしてありますよ」
「きゃ〜〜〜っ!朝ご飯、両方食べたい!!!」
 途端に元気になるのもどうかと思うが、それでこそといえる。

「・・・クッ。御大将は?」
「九郎さん、相当辛いみたいで。薬を飲んで休んでいるんです。だから、もう先に食べてしまおう
かって弁慶さんが」
 食事を仲間全員でとりたいのために九郎を起こしたが、思ったより二日酔いが酷く、起きて
こない。
 仕方が無いので先にしようかと話し合ったところに、が入浴を済ませたと連絡があり、今に
いたっている。

「九郎さん、どうかしたの?薬って・・・・・・」
「病気じゃなくて、単なる二日酔いですから。心配することないですよ」
 しっかり九郎の病名を告げて、余計な心配を取り除く。

「・・・それでも可哀想な感じ。私、これ食べたからもう少し我慢できるよ?知盛。お庭をお散歩
してこようよ。まだ降ってないし」
 空はどんより曇り空ではあるが、雨粒は落ちてきていない。
「かしこまりましたよ、奥方殿。譲・・・・・・」
「弁慶さんに伝えておきますね。それと、どうしても無理そうなら無理強いをしないようにも」
 知盛の言いたい事との考えを酌んだ返事を返す譲。
 庭に控えていた菊王丸も、手早く履物を用意して控えていた。

「お散歩〜〜〜」
 階を数歩下りると、履物を履いてそのまま数歩駆け出す。
 立ち止まり、その場で伸びをすると、ちゃっかり銀と桜がの肩に乗って来た。

「りゃ?お散歩、行く?」
 確認すると頷く。
 それなのに、再び歩き出そうとすると、二匹は菊王丸の肩へと飛び移ってしまった。

「・・・あれれ?」
 もともと重みはなかったが、あっさり去られ拍子抜けをしてしまう。 
 つい二匹がいた肩に手を当てたの手に触れたのは、知盛の手だった。

「どうぞ御手を」
「もぉ〜。繋いであげる!」
 知盛も着いてきてくれるとは思ったが、共に歩いてくれるとまでは思わなかった。
 嬉しくてしっかりと手を繋ぐと、将臣の対まで庭を散策し始めた。



 程なくして、二人の前に教経が姿を見せる。
「おはようございます!教経さん」
「おはようございます。今朝は雨こそ降りませぬが・・・蒸し暑いですね」
 空を見上げる教経につられ、も曇り空を見上げた。

「・・・朔、どうしているかな」
「海の上は幾分かこちらより涼しいと思いますよ」
 に返答しつつ、視線は知盛へ注がれている。
 何を感じたのか、銀が岩へと飛び移り、の関心を逸らした。
「あっ!ダメだよ、銀。今朝、せっかくお風呂で綺麗にしたのにぃ〜〜〜」
 だけが池のほとりの岩へと駆け寄り、知盛と教経が取り残される形になった。

「今朝ほど菊王丸が面白い物をみつけまして、別当殿に預けてございます」
「ああ。後で確認しておく」
 明け方、階付近で物音がしていた。
 菊王丸の気配も感じていたから放っておいただけで、教経自ら報告に来るとは考えていなかった。

(余程おもしろいものらしいな・・・・・・)
 振り返ると菊王丸が自らの懐に手を当てている。
 水晶の仕掛けに他の反応があったらしいと察し、口の端を上げて見せた。

「・・・つまらないな、知盛殿は。それよりも、銀の優秀さには驚いたな」
 教経が手を差し伸べると、桜が菊王丸の肩から、教経の手のひらに収まる。
「もちろん、桜もね。神子様と銀を迎えに行こうか。そろそろ朝餉の支度も整っておりましょう」
 ちょんと桜の頭を撫で、知盛よりも早くの後を追う。

「クッ・・・教経を楽しませても利が無い」
 知盛が独り言をつぶやくすぐ後ろに菊王丸が控え、小声で詳細の報告を始めた。


「昨夜、対の簀子にそって水晶の粉末を撒いたのですが、あえて階付近だけ撒かず、階段の上段に
少なめに散らしました。今朝ほど階段に撒いた分のみを掃き集めてございます。やや黒みがかった
粉末に変わっておりました」
「ほう・・・それは興味深い。面白い事を考えたじゃないか」
 邸の周囲は考えていたが、対の周囲に仕掛けをしようとまでは考えていなかった。

「・・・譲殿と玉積殿の真似でございます」
「行動に移しただけで十分だ。よくやった」
 一度も菊王丸を振り返ることなく交わされた会話。
 だが、あの知盛から褒められた菊王丸は、教経に褒められた時と同様に顔を綻ばせていた。
 知盛はそれを見ることなく、の傍へ向かうべく足を踏み出した。


「そろそろ返していただこうか」
 仲良く教経と式神の相手をしているの背後から近づき、くるりと片腕抱きをする。
「きゃっ!なっ、知盛?」
 慌てて知盛の首にしがみつくに対し、教経は身体を折って笑い始めた。

「やれ、やれ。本当に知盛殿は焼きもちやきだな。君たちも大変だね?」
 落ちる前に菊王丸の肩へ飛び移り、何を逃れた式神たちに微笑みかける。

「そろそろコレの腹が鳴りそうなのでな。事態は急を要している」
「なっ、おバカ!そんなの言わなくていいのにぃ〜〜〜」
 真っ赤になりながらも常のごとく知盛の首に腕を回し、落ちないようしがみつく。
 自然と知盛の後ろを着いてくる教経と向かい合うようになっていた。


「食事の時間が楽しみなのですね」
「楽しみっていうか、お腹が可哀想っていうか、美味しい食べ物は幸せっていうか」
 食べる行為だけが楽しいのではなく、誰と、どのようなものを食べるか、すべて含めて楽しい
のであって、空腹を満たせればいいのとは違うように感じる。
 まとめれば、まさに教経がいうところの時間。

「すごぉ〜い、教経さん。そうなの。食事だけじゃなくて、食事の時間も!」
 食べる事は大好きだ。
 大切な人たちと───

「ええ。私も本当に大切なものに気づきましたよ」
 夜毎に誰かの邸で宴が催されていた京の六波羅。
 時に挨拶を面倒だとも思ったが、失くしてみて一門の者たち、知盛たちとの語らいを楽しみに
していたのを知った。

「気づけたのならいいんですよ。だって、知らないならいいけど、知っていたのに失くしたまま
じゃ悲しすぎるもの。今は、皆がいるし、楽しいですよね!」
 知盛は会話に加わらない。
 それでも、目に見える背が教経に応えてくれている。

(そう。貴方が一番変わられました。ずっと表に出されなかった優しさをお見せになった)
 知盛は見えるような類の気遣いをしないし、その気遣いもかなり限定された人物にしかしてい
なかった。
 それでいて守りたいモノの順番が常に決まっている。
 今なら、を救うために教経のことを見棄てるだろう。
 
 ふと、そんな考えを巡らせていると、知盛がいきなり振り返った。
「教経。神子様の命に従うならば・・・手放すことを先に考えるものじゃない」
 考えを読まれていたかのような言葉に、教経は目を見開く。

「クッ・・・いいから着いてこい」
 今、将臣の対に行くことについてなのか、これからについてなのか。
 知盛が歩き出したことにより再び教経と向かい合ったが、歌を歌いながら微笑みかけてく
れた。

 早口で聞き取りにくい言葉が独特の調子にのっている。
 聞きかじりを繋ぎ合わせれば、日頃の知盛とそのもの。
 陽の下で女人が口にする内容とは思えないが、だと頷けてしまうのだから不思議なものだ。

(口づけを強請る歌・・・か)
 本来、誰が誰に対して歌うべき歌なのだろうか。


「教経さん!私ね、知盛が大切で大好きなの。だからって、皆がいなくていいなんてない。少しで
も一緒にいたいと思うのなら・・・自分から手放しちゃうのはもったいないんだよ」
「ええ。花の京で・・・神子様の舞を見せていただけるのならば、此度も頑張れましょう」
「約束しましたよ」
 片手を伸ばしたに小指を差し出される。
 歩みを速め小指を絡めて返す教経。

「破ると拳万なんですからね。私、本気でボコリますから覚悟して下さい」
「はははっ。大男でもあっさりお倒しになられたという噂の神子様の拳万は、痛そうですからね」
 指が離れ、約束が結ばれた。

 将臣の対の階へを下ろし、知盛の指が教経の眉間に触れる。
「クッ・・・痕が残るほどの拳だ。腹を決めておけ」
「あ〜っ!またそういう余計なことを〜〜〜」
 下ろしてもらったというのに、靴を脱いで上がった知盛へ、段差を利用して飛びつく

「少しは歩いたらどうだ?」
「夫は妻を背負うものなんでしょう?正しいんだよ、これが」
 もう言い返す気は無いらしく、知盛はを背負ったまま、さっさと廂へ入り込む。
 そんな二人の掛け合いを見るにつけ、胸の辺りが温かくなる。



「菊王丸」
「はっ」
 教経が階に上がると、すぐに駆け寄り膝をつく。
「私はまだまだ修行が足りないようだ」
「そのようなことは・・・・・・」
 日々欠かさず剣を振るい、馬に乗り、努力を尊ぶ主を知っている。

「天に委ねるものと考えていたが・・・運は掴むモノらしい」
 どのように答えればと、とっさに言葉に詰まるが、それは教経も承知らしい。
 菊王丸の頭を撫で、簀子へ上がってしまった。
 そんな菊王丸を簀子で銀と桜が待っている。

「左様・・・ですね。私も、そう思います」
 に呼ばれる前に菊王丸も簀子へ上がり、教経に続く。
 食事を楽しみにしていることを知っているのに、待たせるのは申し訳ない。



 いよいよ空が灰色になり、雨は免れそうにない。
 それでも邸内が明るく感じるのは、笑い声が絶えないからだ。

(たったお一人が輪の中心にいらっしゃるだけで)

 福原の新築した邸を取り巻く空気が変わった事を、ここで仕えていたからこそ感じられる。


「お前たちも、良い主に恵まれて嬉しいかい?」
 手のひらにのる銀と桜に問いかける。
 二匹は返事もせずにと知盛が座る場所へ向かってしまった。
 それこそが返事。


「菊王丸くん!早く」
 に手招きされ、急いで用意されている席に着く。



 いつもの朝餉の時間が始まった。










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 あとがき:あれ〜?だいぶお久しぶりの更新☆     (2011.09.24サイト掲載)




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