水滴 デザートが出される前に、が船を漕ぎ始める。 知盛がの頭を己の肩へ引き寄せると、少し長めに息を吐き出し、本格的に眠り始めた。 「・・・最後まで食わないで寝ちまうなんて、珍しい事もあるもんだ」 将臣が関心して眺めていると、もう一人、違った意味で首が落ちそうになっている人物がいる。 「こちらも限界の様ですね」 どうにか食べられそうなものを口にしていた九郎も、昨夜の酒が抜けきらないらしい。 弁慶の隣で身体を揺らめかせていた。 「重衡。部屋に連れてってやれ。今日はダメだな、九郎は」 「畏まりました」 午後には起きられるだろうが、さすがに飲ませ過ぎたかとヒノエも苦笑いをしている。 「こちらも部屋へ戻りたいのだが」 後でデザートが食べられなかったと不平を言いだすに違いない。 しかし、食べさえすれば文句が無くなるのがの良いところ。 そこは譲がすぐに用意してくれ、難を逃れる予定。 ならば、さっさと自由に寛げる場所に戻る方が、何かと都合がいい。 「・・・お前が無理させた所為だろうが」 「さあ。ただ・・・流石に昨夜の宴を退いた事だけは恨まれておりまして。別当殿に足をお運び いただいて、昨夜の余興についてお聞かせ願いたい。目覚めた早々の喧嘩は避けたいもので」 玉積が知盛との膳を除けてくれたので、しっかりとを抱え直し、視線を将臣へ向けた。 「作業はしなくても良さそうか?」 「昨日の分だけで十分。その辺りはよしなに」 水晶を砕く作業をさせたくない。 疲れさせてしまった自覚はあるし、でなくてもよい仕事は、ぜひとも代わってもらいたい。 「わかった。残りはこちらで何とかする。ヒノエ、知盛の件を頼んでもいいか?」 「もちろん。姫君と語らえるのに、否はないね」 ヒノエが軽く片目を閉じて応じる。 「弁慶殿。薬はまだ必要か?」 「生姜湯でしたら、体を温めるためにですよ。知盛殿がそうして下さっているなら不要ですね」 くすくすと笑いながら知盛をからかう。 対する知盛は、からかわれてもなんのその。 己にしか出来ないことだと受け流す。 「残念ながらこの天気では、寝ていても暴れるのですよ。温めておくのはかなりの大仕事だ」 「確かに。が、それでしたら・・・薬ではなく、譲君にとっておきのおやつをお願いしましょう。 疲ればかりは薬ではなく、食べて休むしかありませんからね」 弁慶が譲に合図を送る。 「もちろん考えてありますよ。今朝のプリンもあるし、豆寒天を用意しているところです。起き る頃には固まります」 豆は早々に煮てあるし、寒天も朝一番に汲んだ泉の水を使っており、そろそろ仕上がっている 頃合い。 知盛が満足げに口の端を上げてくれたのが何より嬉しい。 「機嫌良く過ごしてもらえそうだ。お先に」 頬に触れても目覚める気配はない。 腕に抱いたまま立ち上がると、将臣から待ったがかかった。 「ヒノエ。一緒に行ってくれ。が起きられなくなる」 「・・・勘弁してくれよ。姫君がお休みの今じゃ、単なるお邪魔虫」 肩を竦め、行きたくないと首を振る。 「後から重衡を行かせる。いや、教経もついていけ。とにかく!!!少しはを休ませろ」 一部を除き、将臣が言っている意味は伝わっている。 確かに知盛の機転により、昨夜は面白い結果が得られたのだが─── 「私もお邪魔虫というのは嫌だなぁ」 教経までもが笑みを浮かべて拒否をした中、 「それでは、私が適任かと。兄上の事ですから、人がいればいたで見せつけたいお心でしょう」 戻って来た重衡が、恭しく礼をして快諾の意を見せた。 「まとめて来ていただいても構いませんよ。を起こさぬ配慮をしていただけるなら」 誰よりもの睡眠時間を削っている知盛の口から零れた言葉に頷ける者はいない。 「・・・いいからさっさと戻って寝かせてやれ。それじゃ首も痛くなる」 手で払う仕種をして知盛を追い出す将臣。 すべて計算した行動だ。この部屋では人の目と耳が多すぎる。 しかし、知盛の対になると、按察使の仕切りである程度は話せる環境になる。 必要な人員だけを、うまく送り出した。 「還内府殿」 「んあ?ああ。水晶の続きをする手配してくれ。残りは半分くらいか」 経正へ指示をし、部屋に残った弁慶に目で合図をする。 「そうですね。それに・・・雨が降りそうですので、北の対の端でさせましょう。神子様に耳 触りな音をお聞かせするのは申し訳ないので」 心得たもので、経正は立ち上がり、自ら仕事を割り振るために部屋を出る。 通盛にも経正が言伝してくれるに違いない。 (ずっと一緒に戦ってきたんだけどな・・・・・・) 何から何まで頼っていた。 その人たちを失わずに済む方法があるのならば─── 将臣は右手を軽く上げ、 「おう、任せる。さんきゅ」 手を振って経正を見送り、とり残された弁慶と向き合った。 ここですることは、近隣の噂の報告待ち。 人数は必要ない。 「・・・雨が降る前に色々と済ませたいですね」 「そうしたい所だけどな。天気だけは俺たちじゃ決められねぇ」 泣きだしそうな空が、いよいよ庭まで霞がからせる。 「雨も水なんだよな・・・・・・」 「そうですね」 将臣が何を考えて水と口にしたのかはわからない。 けれど、聞いているという意味で返事をしておいた。 知盛の後ろを歩いていた重衡が、二人を追い越し、部屋へ入りやすいよう御簾を巻き上げて 待ち受ける。 そこを悠々と通過する知盛、続いてヒノエと教経。 菊王丸は廂に控えた。 母屋に几帳も立てずに褥が用意されている。 を寝かせると、知盛までもが肘枕で寝転がってしまった。 「やれやれ。客を迎える態度じゃないね?」 ヒノエが笑いを噛み殺しながら用意されていた円座に座る。 「離れると目覚めてしまうからな」 知盛の言葉通り、の手は知盛の袖を掴んで放していない。 しばし様子を窺うために誰もが口を閉ざしていると、の手が褥の周囲を叩き始めた。 知盛が動かないのだから口出しすべきではない。 そう考えているところへ、昨夜知盛が着ていた舞装束を、の指先に届くように按察使が そっと褥へ置いてやる。 それを探し当てたが満足そうな笑みを浮かべ、知盛の袖を掴んでいた方の手を放し、新 たにそれを抱えて眠りについた。 「妬けるねぇ・・・・・・」 知盛の衣を抱えて丸くなる姿は幼いのに、幸せそうな表情がすべてを物語っている。 「ご自由にどうぞ。もうしばらくは目覚めない」 の髪を梳く手は穏やかで、生田で会った知盛と同一人物に見えない。 (姫君は知っていたのか・・・・・・) ついついヒノエも気が緩みそうになる。 「兄上様。おふざけが過ぎましょう」 「せっかく集まったんだ、何か面白い話はないのか?」 重衡へは肩を竦めてふざけていない態度を示し、ヒノエから話を聞きたいという意味で視線 をヒノエへ向けた。 「休みは有意義に過ごさないとな。俺様も久しぶりに姫君と楽しく過ごしたいと思ってるし。 塀際の方は、土に雑じっちまったりしてハッキリしなかったんだ。ただ、一応はあたりをつけ て回収してある。菊王丸の方が成果があって、階だから混じりものが無い。白龍に言わせると 良くないものってことだから、こちらへ持ってくるつもりはないけど、灰色と黒が混じった色 に変わっている。白い粉だったのにねぇ?」 簡単に経緯と結果のみを伝える。 「チビは嫌ったんだな?」 「ああ。良くないものだって。穢れに敏感なんだ」 玉積が出してくれた白湯を含み、視線を知盛からへと移す。 も白龍ほどではないが穢れに弱い。 封印のためにはあえて怨霊に近づかねばならず、大変な責務を背負わせているなと申し訳な さで頭が下がる。 「菊王丸が早朝こちらを巡回した折に、姿を僅かに」 庭から簀子へ飛び移るのは目立つ。 あれだけ警護の者を一定間隔で置いたからには、普通にしていなければ不審がられ、尋問さ れてしまう。 そうならないために、階から部屋へ上がろうとしたのなら、数歩上れて油断したに違いない。 最上段、簀子に上がる前に仕掛けがあったとも知らず─── 「弾くのではなかったのか?」 「玉だと弾くんだよな〜。除けるっていうくらいだから。粉だと、一定の条件で取り込まれち まうみたいだね。ブツをみたけれど、念も感じられるよ。この手の物は、朔ちゃんの方が得意 だろうね」 魔除けというくらいだ。 通常ならば魔に属するものを除けさせる効果がある。 粉末の場合、どう考えても同調してしまっている。 (粉では祓えない・・・いや、嫌って近づかなくなってはいる。逃げ込んだつもりが、囚われ たか・・・・・・) 庭で何かをしていて逃げ込む先がなく、ようやく逃げ込めた先に罠があり─── 「小さすぎて気づけないのかもしれんな」 「あ、なるほどね〜。大きけりゃ気づくし、弾かれるけど、小さすぎて直前まで気づけないの か。だったら話が通じる」 ヒノエが指を鳴らすと、教経が立ち上がる。 「急ぎ還内府殿に」 「ああ」 一部は撒くためにあえて粉末にしたが、守りにするならば固形の方がいい。 が砕いた大きさに統一するよう意見をするため教経が席を離れた。 「数珠・・・・・・」 知盛の呟きを聞き逃さなかったのは重衡。 (父上の・・・・・・) 恐らく、清盛が愛用していた数珠を指していると思われ、現在は二位ノ尼が所持している。 確かにあれも水晶で作られていた。 (何か考えていらっしゃるのか?) もうの髪を指に巻いては弾けるのを眺めて遊んでおり、あの一瞬の表情は見られない。 ヒノエはヒノエで、安心しきって眠っているを眺めて何か考えているようだ。 何れにしても、教経が戻るまでこの場は離れられない。 「んぅ・・・・・・」 寝返りを打ったが来客たちに背を向け、知盛の懐に潜り込む。 慣れたもので、空いている手をの背に添え、あやしはじめる知盛。 「・・・だから嫌だったんだよ。姫君が寝てるのに来るのは」 ワザとらしく大きく溜め息を吐き、身体の向きをやや庭に面する方へと変えるヒノエ。 「別当殿には申し訳ないですが、私共が居りませんと、神子様がお休みになれませぬので」 このまま席を立つような事はしてくれるなと、将臣から言い付かった役目を口にする。 「ま、確かに。姫君の愛らしい寝顔が見られなくなった分の特典があればね」 「それでしたら、昨夜の余興のひとつでもこちらで披露すれば、神子様よりお言葉が賜れるか と。いかがですか?」 重衡の誘いに、 「譲の菓子以下だろう?いいとこナシじゃん」 さりげなく褒美を差し出すべき人物に水を向けた。 「別当殿のおかげで・・・妻には大層よろこばれましたのでね。商売のお話でも構いませんよ」 の胸元へ手を挿し入れ、金の鎖と指輪を取り出して見せる。 「儲けが薄そうだな〜」 「水晶の数珠と、飾り紐を。数珠をバラせば、三十には分けられるだろう?」 知盛からの注文に、ヒノエが目を見開いてから口元に笑みを浮かべる。 「午後までに用意させるよ。数珠は三組、紐は玉の数でいいかい?」 「ああ」 「だったら、少し失礼してくるとするか。港にいる奴等に使いをしないといけない」 膝に手を当て立ち上がるヒノエ。 重衡に頷いて見せると、素早く庭から姿を消した。 ヒノエの姿を追っていた視線を戻す。 「兄上?数珠は・・・・・・」 「コイツがお守りとして配れるように。少なくとも、按察使のように母上から何かを賜ってい たり、家長のように父上から俺の守を仰せつかった時に何か賜っている者ばかりがここにいる わけではないのでな。俺の対に仕える者には、勝手に配らせてもらう」 重衡が片手をついて立ち上がりかけると、 「還内府殿が対の者にも小さな水晶を配るおつもりらしいですよ。それとは別にですか?」 教経が御簾を上げて顔を出していた。 「そうだ。仕える者の家族も含めて・・・だ。手に余る範囲までは責任が持てん」 温かいようで冷たい知盛の判断。 しかし、知盛自身が手に余ると判じているのならば─── 「出来うる限りのことをいたしましょう。私は私の邸の者たちに同じように配りましたしね。 そういうことなのでしょう」 知盛と教経だけが通じ合っているように感じてしまう。 ヒノエは知盛の言葉からすべてを理解して手配をしているに違いない。 (私は───) 「重衡。お前はお前でいい。言っただろう?合わせるものではないと」 「兄上・・・・・・」 再び座ると、知盛の言葉を待つ。 「ひとつだけ。約束を違える事は許さん。いいな?」 「・・・はい」 知盛と交わした様々な約束。 ひとつたりとも違えてはならぬという厳命。 「この身に代えましても」 霧のような雨が降り始め、軒先から忘れた頃に雫が滴り落ちる。 透明な水は清きもの、恵みの雨。 音が掻き消され、静けさが広がり続けた。 |
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あとがき:まだまだ続いていいのかなぁ。 (2012.04.30サイト掲載)