暗闇の道標 「と、知盛?あの・・・宴をしてるのに・・・・・・」 知盛が向かう先は主賓が揃っている寝殿ではなく、知盛の対がある方角。 宴はまだ始まったばかり。 いきなりの退席は失礼すぎる。 知盛の肩を叩くが、指を口の前で立て、静かにしろという仕種を返されただけだった。 釣燈籠に火が灯る簀子を進み、部屋に着く前の渡殿で降ろされる。 「あの・・・・・・」 「風呂。先に行け」 振り返れば按察使が控えている。 説明なしの態度に大いに不満があり、口を尖らせ渋っていると、 「文句なら・・・後でまとめて聞いてやる」 「ひゃーーーーっ!!!」 耳元で囁きながら耳朶を甘く噛まれ、絶叫する羽目に陥ってしまった。 残念ながらの叫び声の聞き分けが出来る優秀な女房しか、今の知盛の対には仕えていない。 庭の警備の者たちも然り。 知盛がまたをからかったのだと判じ、ひとりも騒いだり駆けつけたりしない。 寝殿では宴をしていることもあり、知盛の読み通り辺りは静かなまま。 「・・・先に入るっ!」 くるりと背を向けると小走りで按察使を追い越し、風呂の支度が整っている部屋へ飛び込む。 その様子がいかにも慌てて逃げた仔猫の様で、知盛が俯いて笑いを堪えていると、菊王丸が庭先 から参じた。 「今宵は梶原の兄上の部屋で休む。一度、教経の所へ行って来い」 「はっ」 菊王丸の肩に乗っていた二匹の式神たちは、自ら簀子に飛び移りその場で戯れている。 知盛が指で呼び寄せると、ちゃっかり知盛の手のひらへおさまり、そのまま湯殿に伴われていった。 珍しく手早く入浴し、先に出てしまった知盛。 布に乗せてきた式神たちを軽く拭いてやり、敷物の上へ順に放してやる。 二匹は並んで大人しくしており、が来るのを待っているように見えなくもない。 そう長く待つこともなく、も部屋へ姿を見せた。 「・・・あの!まだ宴してるよ。それに、重衡さんとヒノエくんがあの後何か披露したんでしょう? 扇あげたし。見たかった!」 知盛の正面に座り、今まで我慢して黙っていたことを一気にまくしたてる。 の後ろには按察使がおり、ふんだんに布を使って髪を乾かしている最中だ。 「今宵の宴は・・・酒宴のためのもの。酔いどれ共の中に長居は無用と思ったまで」 「まだそんなに酔ってなかったよ〜、みんな。舞台で何してるのか、これから見に行こうよ〜」 知盛の単を掴むが、掴んだ手を取られてしまった。 「・・・食事は満足したのだろう?」 「食べたけど・・観覧は別っていうか・・・酔っぱらいって言っても、知ってる人ばっかりだし」 だから問題は無いと続けたかったのだが、やはり口に指を立てる仕種で返されてしまった。 手首を引かれるままに知盛の膝上に座ると、乾かしたての髪を梳かれる。 そこへ市杵が白湯等を運んできた。 「弁慶様より、こちらをとのことでした」 「えっ?!薬湯は終わりでいいんじゃ・・・・・・」 先に手渡された碗を手に取ると、あの青臭い嫌なにおいはしない。 むしろ爽やかな香り。 「生姜湯だ!わ〜〜〜・・・・・・蜂蜜がちょびっと入ってる!」 「譲様が神子様のために蜂蜜をひと匙加えて下さいました。弁慶様も了承されております」 譲が勝手にしたのではないと言葉をつけ足す。 弁慶が譲に生姜湯を頼んだのだが、譲がには甘みがないと無理だと提案した。 効果に変わりがないのなら、が飲めるものであることが先決。 妙な味ではあるが、あの薬湯に比べれば味について議論出来る余地があるだけ断然ましである。 飲まされている理由はどうでもよくなり、急かされるまでもなくせっせと飲む。 市杵は辺りの布を片づけ一礼をすると部屋から退出しており、その場に残っているのは三人と 式神が二匹。 「・・・按察使さん。式神・・・平気なんですよね?」 よくよく考えれば、按察使は式神に触れこそしないが、悲鳴も上げていない。 京で箱庭を用意してくれたのも按察使だ。 「三条が居りましたから。若君の乳兄弟ともなれば、幼い時分にはじめに覚えた遊びは、外のも のばかり。蛙やトカゲなど、よく簀子に並べておりました」 「そっか〜。私、蛙とかは嫌かも・・・・・・」 式神ならばいいが、本物ではさすがのでも怯んでしまう。 「中宮様がお生まれになってから、ようやく部屋で遊ぶようになって」 「内裏で会いました。とっても綺麗なお姫様・・・・・・帝のお母さん」 帝の生母というには、若く美しかった。 知盛の妹なのだから、知盛が知る姫君の基準は、中宮なのだとも思う。 を抱えている人物をまじまじと眺めてみた。 「クッ・・・今度は何だ?」 からかう口調での鼻先を指で弾く。 「知盛が変人でよかったな〜とか思っただけ」 「そうか。ならば・・・その“変人”にもう少し付き合うんだな」 横抱きにしたまま立ち上がると、按察使が御簾を上げて部屋を出やすいよう準備する。 「どこかへ行くの?」 「ああ」 返事の中に答えがない時は、聞いてもはぐらかされる。 とにかく今夜に限っては、宴を中座してから誤魔化されまくって、何一つ答えを得られていない。 まとめてどこかで答えてくれるのだろうと、諦める事にした。 知盛が向かったのは、簀子をぐるりと半周した隣、景時の対。 景時は留守なのに、知盛の歩みに迷いは無い。 簀子から対へ入ると、廂に玉積が控えていた。 「支度は出来ているのか?」 「はい。すべて塗籠にご用意してございます」 玉積の手によって御簾を上げられ、景時の居ない部屋に入ってしまった。 御簾が下ろされた音がし、玉積が二人の後ろを着いてくる。 仄かに灯されている明かりとの好きな香が焚かれ、一瞬誰の部屋か間違いそうになるほど 過ごしやすい。 塗籠の戸は開けたままで、知盛が静かにを褥へ降ろした。 「すべて一人で?」 「はい。あの・・・他の方はこちらの母屋へ入れないようでしたので」 玉積は理由をわかっていないらしい。 景時の術が施されたままのこの対の母屋まで入れるのは、の事件があったあの日に入った者 に限られている。 按察使にこちらで休みたいと伝えておいたが、その件については失念していた。 結果として玉積は入れたし、問題はなかった。 が、腕まくりを必要とする程の用意を頼んだ覚えもない。 僅かに首を傾げただけのつもりだったが、玉積は襷の存在を思い出したらしい。 「あの・・・譲様とお話をして、神子様には清らかなお水がいいとの事でしたので。お部屋を泉の 水で雑巾がけをと思い立ち、急いでしたものですから・・・・・・」 風呂は結構な時間を要した。 その間となれば、この部屋の雑巾がけは、さぞ大変だった事だろう。 側室狙いで勤めに来ている下級貴族の娘ではここまで働けないし、気も回らない。 「手間をかけたな・・・・・・」 「とんでもない!思いつきですので・・・間に合ってようございました」 床に額が付くほど平伏されてしまった。 「あのぅ・・・玉積さん、ひとりでお掃除頑張っちゃったんですか?ごめんなさい。急にこっちで 休みたいって知盛が言ったからですよね?」 「お掃除というのも違うのです。今宵、涼しく、心地よく寝られるようにでございます。また薬湯 を飲むのは大変かと思いまして」 掃除なら普通に毎日している。 それとはまったく別物の理由なのだから、上手く伝わるよう言葉を選ぶ。 「薬湯!今夜から違うの。さっき飲んだのは甘い生姜湯で、もうおしまいなの!」 「左様でしたか。・・・何かございましたらお呼び下さいませ」 自慢気に胸を張って話すはとても可愛らしい。 あの酷く困った匂いのする薬湯から解放されたのが、余程嬉しいのだろう。 だからこそ、いつまでも話をしていては知盛の気に障る。 明かりの油を確認すると、閉め切りを嫌うのために塗籠の戸を閉めずに玉積が戻って行った。 横になっているの枕上に座り、額にかかる前髪を除けるように撫でている知盛。 辺りに音が無いせいか、宴の騒ぎが微かに聞こえる。 「・・・銀と桜ちゃんは?」 「塗籠の外にいる」 「ふうん?」 景時の式神なのだから部屋に入れる。 ただ、景時の気配があるのでその近くにいるだけだ。 景時が文机に残した形代がくるくると動く様を眺めるように、二匹も文机に乗っていた。 ずるずると膝を立てて移動し、頭を知盛の足へ乗せる。 胡坐の上なので角度がそれほど急ではない。 首も痛くならず、丁度知盛を見上げる位置。 手を伸ばして知盛の顎に触れると、知盛の手が伸び、の額に当てられたまま止まった。 「そうそうお前の仲間たちと内緒話も出来ない状況だからな。今宵の宴には、いくつか意味がある。 ひとつは・・・東国の大将様の間者に対して、反意を抱いていない証明」 「東国のって・・・頼朝さん?」 確認の意味で小声で名前を告げると頷かれた。 単純に、西国の大将である九郎が移動すれば、何のためかというのは誰もが知りたい情報だ。 朔が黒龍の声を聞いたのが発端だが、それについてはかなり特殊な事情で、下々の者たちにまで 知らせる必要は無い。 平家の拠点があった港も近い福原へ九郎が来たことで、東国の方では穏やかではない。 間者が潜り込んでも、熊野衆と違い、日雇いが多いこの地で顔の判別は出来ない。 だが、向こうもこちらの手の者の顔の判別は出来ないという利がある。 間者は見たまま、聞いたままを報告するのだから、判断は頼朝次第。 幸いにも港は元通りになり、その宵に歓迎の宴。 還内府である将臣は九郎の下である事の強調をし、知盛は源氏からの賜りものに感謝の意を再び 示した。 「・・・なんか、面倒くさい感じなんですが?」 「クッ・・・上に立つ者は常に裏切られる不安と背中合わせだからな。まして、九郎殿の実力から すれば、血縁である弟が故に脅威だろうさ」 知盛にしては珍しく、が理解できるよう、各陣営の思惑を解きながら話して聞かせている。 「後は?」 「ああ。屋島に向けてだ。向こうもこちらの動向が知りたいだろうから、話題作りに派手な宴にして やった。九郎殿には申し訳ないが・・・楽しみ過ぎて酔いつぶれという噂が明日には広まるだろう。 こちらに潜入していた者たちには、出られない仕掛けをご用意してある。月が高くなったら手の者が 水晶を竜の泉の水と共に撒く」 騒ぎに便乗して、常より潜入者が増えるかもしれないし、取り込まれる者もいるかもしれない。 帰らなければ向こうも不審に思うだろうが、決め手は無い。 港にはヒノエの部下たちがいる。万が一逃げおおせたとしても、そこまでだ。 「水晶があると・・・何?」 「さあ?何らかの反応があるだろうというだけだ。幸い・・・経正殿も通盛殿も水晶には反応しない。 その違いを解決して下さるのは、梶原の兄上だろうさ」 知盛が考えても無駄な事は考えない。 この手の問題は、景時や古の書に詳しい弁慶、神職にあるヒノエが知恵を絞ればいい。 「景時さん、どうしてるかな・・・・・・」 「何かあれば式神に反応がある」 「あ、そっか」 の手元にいるから忘れがちだが、景時が召喚した式神。 二匹が元気なのは、景時も元気な証拠。 「朔はどうしてるかな?屋島の方の人たちがとか・・・・・・」 「ヒノエ殿が用意した船と部下に間違いは無い。それに・・・姉上様には近づく前に怨霊の声を聞かれ てしまうだろう?お供に敦盛と源氏の鬼もいる」 「鬼とか言わないで!リズ先生だよ」 知盛の膝を軽く抓った。 「で?私が宴の席にいちゃいけない理由は?」 「狙われているのはお前だ。少しは自覚するんだな。何かの混乱が生じた場合に備えて、兄上の結界が あるこちらへ引き上げてきたんだ。ここはかなり限定されている場所だからな」 知盛たちの対にも景時の結界が施されているが、出入りできる人間を選んでいない。 景時の部屋だけは人まで選ぶ。 出入り出来るモノが操られていたりしない限り、防げるモノがより多い。 「そんなの・・・向こうが悪いし、私、自分の事は自分でなんとかするもん」 「それが出来ないから言っている。腰痛の妻を肩に担ぐ夫の身になるんだな?」 猫をかまうようにの顎を撫でるが、ちっとも機嫌は直らない。 むしろ悪くなるばかりで、知盛をじっとり睨みつけていた。 「・・・馬鹿の相手は、行動の予測がつかないから心配だと言えば満足か?」 盛大に溜め息を吐くと、の腕を掴んで膝へと座らせた。 「私が馬鹿って意味?すっごく失礼なんですケド。だいたい・・・・・・」 「宗盛兄上の話をしている。あれは頭が悪い男なんだ。馬鹿は普通じゃ思いつかない事をやってのける から性質が悪い。将臣じゃ太刀打ちできはしないし、弁慶殿とて同じだ。アレの考えが解るようなら、 父上様が取り立ててやった分程度には上手く使えたはずだ。相国殿と恐れられた我が父上でも手に余る 馬鹿者だぞ?」 あまりに知盛が実兄を馬鹿呼ばわりし、それを連呼するものだから、可笑しくて笑い出してしまった。 「・・・知盛が敵わない人、いるんだね?」 「敵わないのではない。理解できない・・・だ」 「ふ〜〜〜ん」 確かに文武とも知盛の勝ちだろう。 それにしても、あの知盛が誰かをここまで評するのは珍しく、としても真面目に話を聞かねばと いう雰囲気になる。 「馬鹿が妙な力を手にするのが一番やっかいなんだ。・・・扱いきれなくなった時が・・・な」 景時ならば反魂香が手に入っても、秘術は使わないだろう。 もしも己の命が無くなった時、かけた術の結果を見届けられない。 術が大きければ大きいほど反動も大きいものだ。 (そっか・・・扱えない大きな力だと気づいていない怖さ・・・・・・) 胸元にある逆鱗を単越しに握りしめる。 にも思い当る。 力を取り戻した白龍が、の願いで浜辺の怨霊を一掃してしまった時のことを。 どれだけの影響が出るとも考えずに願った結果は、気付けばすべてを薙ぎ払ってしまっていた。 力の源は白龍だが、使わせたのはだ。 「お前は力の怖さを知っている。だが・・・愚か者は、力があれば何でも願いが叶うと勘違いをする。 まさにあの愚兄が今しようとしている事だと思わないか?」 震えるの手を包むようにし、いつもの皮肉った笑みを称える知盛。 「・・・ちょっぴり損したけど・・・いいよ。我慢する。宴で何したのか後で聞くから」 「今宵は・・・と、言っただろう?お前の八葉が欠けていて、対の神子たる姉上様がいらっしゃらない。 用心のためだ。・・・次の約束が出来るよう、屋島の件を片づければいい」 「うわーっ。・・・ごめん。前向きな知盛って、かゆい」 が肩や腕を掻き始める。 知盛なりにを慰めてくれているのだろうが、いつもならこの手の前向き発言はの役目。 感謝を素直に表すのが恥ずかしく、つい誤魔化してしまった。 「そう面白くもあるまい。姉上様がお戻りになる前に水晶の仕事を終えておくんだな。・・・なあ?」 「だっ、だっ・・・れ・・・仕事だも・・・・・・」 仕事といえば仕事。 ただ、でなくてもいい。 朔の言いつけが頭の中で木霊する。 (怠けてはいないと思うけど・・・お転婆といえば、お転婆枠の仕事だったかも〜?) 背中に冷たいものが流れるが、それを気取られれば不利になる。 口元を引き締め、知盛の瞳を覗きこむ。 「お願いの仕方は覚えているだろう?」 知盛の手がの顎に添えられた。 の叫びもかき消される宴の盛り上がりぶり。 その噂は僅か数日で京まで届いた。 |
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あとがき:バラバラに行動していて面倒だな〜(笑) (2009.09.09サイト掲載)