月下の夢 知盛と重衡が舞い始めるとざわめきはピタリとおさまり、楽の音以外の音が消える。 調子を取る太鼓の音がとても大きく感じられるのもそのためだ。 本来ならば青海波の文様の衣装を着るところ、知盛は藤重ね、重衡は葵の重ねを着こなしたまま。 薄紫が共通しており、それはそれで衣装を合わせているようで違和感はない。 似ている背格好の二人が、手の角度、足の角度も狂いなく舞う様は、鏡に映しているのかと見紛う ばかり。 食い入るように見つめているの横顔を確認すると、弁慶は再び舞台へ視線を移す。 (これ以上のとなると・・・ヒノエの話術に賭けるしかないかな) 今宵の宴の話題が欲しい。 知盛とがヒノエたちの来訪を歓迎するのに舞ったのは聞き及んでいる。 和議が成ったとはいえ、源氏の将がそれ以下の扱いに軽んじられても困るし、何も返礼をしないと いうのも後々面倒になる。 (双方が・・・この上なく楽しんだ証が・・・・・・) に対してこれだけ仕掛けてきているのだから、間者が紛れ込んでいるだろう事は計算済み。 余興が盛り上がるほど陰で活発に動いてくれるだろう。 素晴らしい舞に対し褒め称えたい気持ちもあるが、厄介事を解決させてから楽しみたいと、思考を 切り替え周囲の様子を窺っていた。 舞が終わり、楽の音も消える。 放心したように辺りは静寂に包まれたまま。 その目に見えない膜を破ったのはだった。 「知盛!!!」 舞台の上にいる夫君目掛けて駆け寄ると、そのまま軽く飛び跳ねる。 知盛も心得たもので、難なく受け止めた。 「・・・お気に召したか?」 「うん、うん、うん!!!」 返事も首を振るのも同時という、何とも幼い仕種で感動を表わされるが、変に上手い言葉で褒めら られるよりの瞳の方が正直だ。 を抱えたままで寝殿に座する主賓の方へ向き直る。 「舞の褒美を西国の御大将より賜りたく。それと、次の余興をご披露下さる方々に、私どもの代わり を預けたく存じます。月も程よく姿を見せました故・・・・・・」 頭を軽く垂れると、懐からの舞扇を取り出す。 「重衡に・・・いいか?」 「いいよ」 持ち主の了承を得たので、傍らに膝をついて控えている重衡に扇を差し出した。 「続けて舞でも催馬楽でも披露するんだな。得意だろう?」 「何も申し上げる事はございません。兄上様を舞台へ引き上げるのに成功したと油断しておりました」 「最初の約束を果たすまで、それを預けておいてやるさ」 内裏で舞う事、共に飲むこと。 福原で共に舞ったが、約束の場所は京。 すべてを片づけて京にもどった時こそが果たされるべき時。 重衡は両手で扇を受け取り、そのまま控え続ける。 の扇を託してくれた意味を、役目を自覚せねばならない。 「私の妻・・・いえ、元源氏の神子姫様より、平家一門の若輩者ではございますが、我が弟重衡へ扇を 賜りました。さすれば、私の扇は、ぜひ熊野別当殿にお譲りしたいと存じます」 指名されれば姿を現さないのは失礼にあたる。 ヒノエが時間をかけて寝殿の階より舞台へ上った。 「・・・やることが派手だよな。で?こんだけ注目されてる中で、次に何か披露しろって?」 「クッ・・・僅かばかりの手伝いで、一番の褒美を貰える機会を逃すのは、愚かな事だろう?」 を下ろし、知盛の方が膝をついて扇をヒノエに差し出したのだ。 ここにいる勢力は分け方によっては三つ。 まだ何も披露していないのは、熊野水軍のみと周囲に思い込ませる意味もある。 順番としては、源平で最初を飾り、源氏の神子から平家の公達へ褒賞を与え、平家から熊野へ誘い水 という流れ。 「こういった取引は初めてだけど、悪くないね。騒ぎの後から引き受けるよりイイ」 「残りを誰でも好きに使え。若い者に譲ったと、舞台に立たなくなったいとこ殿もいる」 「その辺は重衡殿が采配してくれると思ってるよ。違うかい?」 ヒノエが重衡を見ると、頷かれた。 辺りを確認して、知盛が宴の主催者である将臣に舞台の上から向き合う。 「私は一番の褒美を先に西国の大将より賜っておりますので・・・これで」 再びを片腕で抱えると、ゆるゆると舞台袖より桟敷へ降り、階から簀子を知盛たちの対の方へと 戻って行ってしまう。 九郎からの言葉は一言もないが、そもそも泥酔して寝ている九郎が何かを話せる訳がない。 湧きおこる歓声は兄弟の舞を称え、今後の催しに期待を寄せるものが入り混じる。 九郎が特別に何か称賛の声をかけずとも、知盛の誘導で宴の流れが決まってしまっているのだから、 誰も寝殿の方を見向きもしない。 何よりの褒美というならば、源氏の宝である神子。 その神子を手に入れた男はひとりしか該当しない。 「やってくれましたね、知盛殿」 ヒノエのご機嫌伺いと弁慶の行動から、将臣も含めた三人の謀を推量したのだろう。 宴の表と裏の環境を上手く作り上げられてしまった。 何より知盛に一番都合がいいのだから、取り返し様がない。 寝殿の主賓席へ戻ると、苦笑いの将臣から盃を手渡された。 「やっぱ喰えねぇだろ?アイツは。素直に承諾しやがらねぇ・・・今回は結果オーライ」 「ええ。ヒノエの技量に賭けたんですが、これだと予定以上に盛り上がりますね」 打ち合わせが済んだヒノエと重衡は、早々に催馬楽を披露する。 朗々と綴られる恋歌は女性陣を酔わせるのに十分。 経正の琵琶がとてもよく調和している。 「九郎にゃ悪かったけどな。を源氏の神子って持ち出したのは計算外だが、逆によかった」 九郎が何か返さずとも済む。 盛り上げて有耶無耶というのでもなく、一番きれいに場が落ち着いた。 「ええ。ヒノエをあのように担ぎ出すとは、恐れ入りましたよ。・・・扇を先に頂いては断れない」 はじめはの懐から扇を取った理由が分からなかった。 催馬楽はただの序章。 舞扇は褒美の意味もあるが、もっと実用的な含みがあったのだ。 仕上げに舞手を重衡に指名し、ヒノエに謡いをさせればいい。 もう少し酔いが進む刻限になれば、間違いなく周囲も乱れ出す。 そこで庶民の流行歌、今様をヒノエが、今様舞を重衡がとなれば、お遊び色が濃くなる。 形ばかりの宴どころか、都にまで華やかな噂が届くだろう。 すっかり出来あがっている九郎は横になって眠っている。 傍らに白龍がいるだけで、単なる酔っぱらいが、とても微笑ましく目に映るのだから不思議なもの。 九郎が眠ったことを理由に人払いもしてあり、後はここに座っているだけで情報の方から集まって 来る。 顔が知られていない部下を密かに放ってあるし、別口もある。ただ待てばいい。 「譲が・・・台所は水晶を撒いて確認したらしい。毒の心配もなさそうだ」 「ええ。その辺りはさんのおかげかな。下働きに来ている方々は、実のところ神子様のためにと いう人がいたらしいですから。玉積さんもそうでしょう?」 「そうなんだよな〜。経正が知盛に気を回し過ぎた以外は、偶然にも悪くない方向に転がったんだよ な〜。で〜?」 揚げ物を齧りながら、酒を含む。 「さあ?知盛殿とさんのお世話が終われば、按察使さんがこちらへ来るんじゃないですか?」 今まで食べ損ねていた料理をようやく食べられそうだ。 箸を手に取り、譲が作ってくれた料理を口にする。 「按察使がこっちに来たのも、偶然っちゃ、偶然だよなぁ・・・・・・」 もう少し早ければ、事は未然に防げたのだろうか。 按察使が福原へ来た理由は朔の予感。 の事件はくだらない嫉妬により誘発されたもので、この度の異変とは別。 思わず頭を掻き毟るが、ギリギリでも何とかなって来た運の良さも実力だと思えばいい。 「知盛がを甘やかして見えるんだから仕方ねぇか・・・・・・」 この程度の酒で酔うほどではないが、いまひとつ気分が乗らない。 白湯の碗を手に取ると、一気に流し込む。 「ふふふっ。まあ・・・何でも相手に要求するばかりのお嬢さん方では、その程度の理解でしょう。 よく見ていればわかりそうなものですけどね」 見てわかる甘え方をしているのも、見ただけではわからぬ甘えを許容しているのもの方。 知盛にとっては許される相手が出来たことも、何かしてやりたいと思ったのも初めてで、距離の 取り方が手さぐり状態。 優雅な所作が隠れ蓑になっている。 距離の取り方を間違うと、容赦なくは知盛に喧嘩を売るし、売られれば買う。 そんな二人だから見守りたい。 「朔の件、どう見てる?」 「正直・・・五分五分ですね。声を聞けても、姿が見えないのでは・・・・・・」 記憶や知恵が失われていようと、小さくなってしまっていたとしても、白龍は姿があった。 九郎の隣で眠る姿をつい眺めてしまう。 「俺はさ・・・景時と話す機会がなくて確認してねぇが、八割方見つかると思ってる。白龍がいる んだぜ?相棒がいないのは、陰陽道の理屈でいくと有り得ないんだろ?」 「そう願いたいものですが・・・・・・未知の力も作用しているようですし」 清盛の念という別の力、甦りに使った悪しき力の反動が白龍に出た形跡が見受けられない。 黒龍に何かあれば、天秤のように白龍にも負担があるはずだ。 実際、最初に会った時は幼子の姿。そこまでは辻褄が合う。 そうして壇ノ浦の最後の戦で、黒龍は破片にまでなってしまった。 白龍の存在自体に疑念が生じる。 見た目は幼い姿をしているが、のおかげで力を取り戻した白龍。 均衡の意味を持たなくなったと考えられなくもない。 応龍は不要になったのだろうか。 「そこなんだけどよ、そもそも白龍の神子にだけ八葉がいるじゃん。朔にはいない。八葉の役目って のは、実はもうひとつあるんじゃねぇのか?丁度、白と黒のクッションみたいな」 碗を二つ並べて、その間に盃を置いて見せる。 「クッション?」 「ああ、悪い。天秤っていうなら、これとこれで釣り合う。こっちが重い時は、八葉がこっちに動い て、こっちが重い時は逆。だとしたら、直接白龍に影響でる程ってのは相当な時なわけよ。例えば、 八葉がいない時に黒龍が失われた時。ただし、八葉が揃っていなかっただけで、この世界に八葉は六 人まで存在していた。時間で考えると俺もこっちの世界にいた。迎えに行った白龍とその神子、譲だ けが居なかった計算になる。と、すれば・・・白龍の姿が残った理由にはなる」 碗と盃を使って、考えていた事を説明する。 「確かめる術はありませんが、陰陽道の考えとは合いますね」 過去の文献は失われているし、もともとどれだけあったのかも未知数。 陰陽道もかなり廃れており、神話の時代ともなれば記録が正しいのか定かではない。 結局、自分たちで考えて解釈するしかない。 弁慶も龍脈に細工をしたが、清盛の術を無効にするためにだ。 清盛が使った呪詛の所為で、応龍が白龍と黒龍に分離し、黒龍は逆鱗ごと清盛に縛られてしまった。 「だろ?・・・あ、経正が引っ張り出されてら」 いつの間にかヒノエたちは桟敷に降りており、舞台には通盛がいた。 ひとりでは嫌なのか通盛が経正を手招きし、それが余計に周囲を盛り上げている。 「知盛殿は随分と用意がいいな。舞わせられるならば、もろとも・・・ですか」 「いつもなら青海波は惟盛の役目だったからな。・・・経正は舞じゃないぜ?」 将臣の言葉通り経正は得意の琵琶を構えており、通盛はヒノエに持たされた舞扇を手に中央に立つ。 桟敷にいる教経にも上がって笛を奏でるようにと、周囲に拍手をさせて煽る始末。 「・・・知盛も喰えねぇが、通盛もだな」 「みなさん協力的で助かりますね」 「・・・・・・まあな」 誰がと言って、知盛と双璧を張る喰えない男の言葉は重い。 思わず、控えようと置いておいた酒盃の方を手に取ってしまった。 「頼もしい面子が残ってくれて助かってるさ」 「出来るだけ楽をさせて貰えると助かりますね」 楽が出来る要素など、どこにも無い。 わかっているからこそ軽口を叩きたい。 「あの男が本気を出すなら、そう悪くならない・・・かもな」 知盛がを失いたくないと考えているならば、一番の戦力に数えられる。 「彼の天女は羽衣無しで飛び回ってしまうから、かなり大変でしょうが・・・・・・」 わざとらしく溜め息を吐いてみせると、将臣が大笑いした。 「あっはっは!羽衣ナシ!!!上手いな〜、それ。飛び回るっていうか、壊して回ってるぜ」 水晶を割る仕事がしたいなど、港で報告を受けた時はらしすぎて馬鹿笑いしてしまった。 腰痛の事もあり、福原に着いてからは大人しくせざる得ない状況だったのだから、言われてみれば そろそろひと暴れしたい頃合い。 邸へ戻ると、はひとり腕を丸だしにして、鍛冶職人用の長く重い金槌で水晶を叩いている。 これだけ男衆がいるのに、力仕事を自ら進んでする姫君は、都中探しても見つかるまい。 「あまり負担にならないといいのですが・・・・・・」 「それは知盛次第。・・・初めて溺れる想いを味わっている最中の可愛い弟君だしな。そこは大目に 見てやってくれ」 弁慶の盃に酒を注ぎ、少しばかりの目こぼしを頼む。 「あてられないよう、見逃しておきますよ」 「あ〜、それは・・・・・・目を閉じるしかないな!」 乾杯の意味で盃を交わし、宴の中心になっている舞台を眺める。 月は静かにその姿を夜空に見せる。 舞台を照らす光は明るく、やわらかだった。 |
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あとがき:白黒の謎がございまして。一説に景時くんの出番作りのため(笑)。 (2009.08.08サイト掲載)