雅なる遊び





 宴は特別合図もなく始まる。
 将臣が始めると言えば、いつでも始められるだけの用意は済んでいるからだ。
 雨上がりの夕陽の傾き加減がなんとも風情がある。
 知盛たちが部屋へ戻ってから四半時程度。
 そろそろよい頃合いだと将臣が立ち上がった。

「・・・じゃ、夕飯でも食うか。九郎の席はこっちな」
 今宵の主賓を案内するのは将臣の務め。
 その後から経正が弁慶を案内しと、庭に用意された舞台の正面にあたる母屋正面の廂まで出る。
 が水晶を割っていた場所だ。

「朔殿は残念でしたね・・・二人の舞が見られなくて」
「以前の知盛なら・・・な。少なくとも朔に言われたら、いくらでもと舞うと思うぜ?」
 あの計算高い知盛が、朔を向こうに回すとは思えない。
 将臣が頼んでも鼻で笑うだけだろうが、朔にだけは決してそのような態度を取らないだろう。

「それもそうですね。では、遠慮なく」
「そ〜、そ〜。俺様なんて、あいつ等大人しくさせるだけで、もう大変〜〜〜」
 ヒノエの部下たちは舞台脇から観られる特等席。
 一応大人しくするように言い含めてきたが、飲み始めたら騒ぐに決まっている。

「まあ・・・君が頭じゃ・・・・・・」
「親父に言うぞ」
 どちらも喰え無さ加減では変わらない。

「叔父と甥の漫才はそれぐらいにしとけ。そろそろ来る」
 篝火がたかれ、夕闇迫る太陽との明暗に目を奪われそうになる頃、現実に引き戻す元気な声が
辺りに響き渡る。


「わ〜!すっごい綺麗な夕陽」
 小走りに簀子を走ってくるのが誰なのか見なくてもわかる。
 そのまま庭先へ降りてしまうかと思いきや、振り返ると階で立っていた。



 夕陽が沈むのが先か、知盛が階に到着するのが先か。
 知盛は慌てることなくの傍へ歩み寄ると、袖を翻して見せてからを横抱きに抱える。
 すべての演出を考えているだろう知盛の動きに無駄は無く、宴の接待に繰り出している女房た
ちの溜め息が零れた。

 静まり返る中、優雅に舞台中央でを下ろすと、二人同時に舞扇を取り出す。
 教経の笛の音が一際高く響き、次いで他の楽器の音色が追いかけた。



 盃片手に舞を鑑賞する将臣たち。
 九郎は飲むのを忘れて見入っており、九郎が雅ごとに関してかなり気を揉んでいるのが丸わか
りだ。
 ここには九郎に歌を詠め等の無理を言う者はいないのだから、そう肩肘張らずともいいのでは
無いかと思う。
 けれど、いつしか重盛として扱われるようになってしまった将臣としては、そんな気持ちが分
からないわけでもない。
 暗記は得意だったので、覚えた歌をアレンジしてそこそこ詠むのも返すのも出来たし、謡いと
て同じこと。
 学校で音楽の授業があったおかげで、楽に関しても困った記憶はない。
 ただひとつ、舞を除いて。

(あ〜〜〜の、ゆる〜〜〜い動きで表現するってのがなぁ・・・・・・)
 将臣の知るダンスとはまったく系統が違う。
 クラッシックバレエや日舞など、物語を表現するような類は経験がない。
 にそんな才能があったのだと、初めて見た時は驚いた。



 太陽はすっかりその姿を隠し、篝火によって出来る影が伸びる頃、舞台の上は焔の明かりが揺
らめくのに合わせて影も揺らめいている。
 その光と影の中で知盛とが舞い続ける。
 と朔がその名前の如く、望月と朔月、互いの役目が白龍の神子と黒龍の神子で対だという
のならば───

「太陽と月だわな・・・・・・」
「おや?将臣君にしては雅な譬えですね」
 陽の光を、月の光を知盛だと表現するにふさわしい今宵の舞。
 上手い批評だと褒めたつもりだ。

「いや、もっとリアルな理由。月が光って見えるのは、太陽の輝きがあるからなんだよな。あれ
は、太陽がないと何もしない男だ。・・・性質悪いよな」
 月自身は輝きを放てない。
 それを知っている現代人の将臣としては、最近の知盛の行動を見ているとそう考える事が多々
ある。
 という媒体がなければ、すべてに無関心なのではと危惧する事も───

「へぇ?そっちの方がいいじゃん。普通は女性の方を月に例えたりもするけどね。あの兄さんな
らば月読尊と呼んでもおかしくない。むしろ、そのものかもな」
 知盛の持つ独特の気だるげな雰囲気は、闇が似合うと思う。

「まあ・・・今日はご機嫌ですから。このあと頼みごとをしても、断られないと思いますよ」
「おっ!それいいな。・・・が怒り出さない程度までだな。扱き使ったとか言われんのは、
こっちになるんだからな〜」
 何れにしても知盛の取り扱いには手を焼く。
 そんな考えを巡らせつつ盃に残る酒を一気に飲み干せば、舞は最後の一振りを終えて扇が止まっ
たところだった。



 を称える太い声と、知盛を称える黄色い甲高い声が、夜空に向かって立ち上るようだ。
「あ〜あ。あいつ等やっぱり大騒ぎだ」
 ヒノエが頭をかきながらぼやくが、表情は楽しんでいるようにしか見えない。
「いいさ。賑やかな方が」
「そうですよ。辺りに聞こえるくらい、賑やかに楽しんでいるのが分かる方が・・・ね」
 弁慶がにっこりと微笑む。
 瞬時、ヒノエが肩を竦めるが、それはこれから九郎を襲う哀れな運命を思ってのこと。

「飲むか!九郎」
「あ、ああ。そうだな。楽しい宴になりそうだ・・・・・・」
 将臣が九郎の盃に酒を注ぐ。次はヒノエがと、間断なく酒を注ぐ、飲むが繰り返される。
 悪気はないが、九郎は真っ直ぐ過ぎるのだ。
 嘘を吐くのにこれ程適さないのも珍しい。

(西国の大将には、酔いつぶれる程楽しい一夜だったと。そう広めなくてはいけませんからね)
 九郎が福原まで出向いてきた理由について、探りを入れたい者は大勢いるだろう。
 頼朝の部下も送りこまれているかもしれない。
 今回に限っては、そのような瑣末な事に手を煩わせたくない。
 
(九郎にひと芝居頼むのは、無理がありますからねぇ・・・・・・)
 いつもながらヒノエの達者な話術には感心してしまう。
 九郎に酒を飲ませるのにさしたる工作もなしで、既にほろ酔い加減にさせている。
 弁慶としても周囲の目が無くなる宴の中盤から情報集めを始めたい。
 ふと視線を感じて飲んでもいない盃から顔を上げると、視線の主は知盛。
 気持ち盃を上げて見せると、を抱えた知盛は、ヒノエの部下たちがいる席の方へ向かった。

「ヒノエ。さんは皆さんと食事を楽しみたいようですよ」
「・・・問題ないと思うけど、顔出ししてくるかな。こっち頼むぜ」
 九郎の隣の席を弁慶に譲り、ヒノエが立ち上がる。

「ついでがあったら承るけど?」
「・・・いいでしょう。あちらにお伺いを立ててから顔出しして下さい」
「ま、そういう順番が妥当だね」
 ヒノエは桟敷にいる教経たちの位置を確認してからその場を離れた。





「わ〜、皆は飲んでるだけなの?」
 料理らしい料理もなく、あるのは酒とつまみばかり。
「わしらにゃコレが糧ですから。神子様の握り飯と同じですよ!」
「え〜〜〜っ。ご飯と飲み物が一緒って納得出来ないなぁ。でもそうだよね。好きな物の方が
いいもんね」
 元々二人の席は無かったが、知盛が足を向けただけで二人分の場所がさりげなく空けられている。
 ヒノエの部下たちの反応の早さは実に気分がいい。
 寝殿に用意されているだろう席に戻るつもりは最初からまったくない。
 と並んでその場に座ると、すぐに玉積がこちらへと知盛の膳を届けに来た。
 
「まずは・・・神子様に。本日は九郎様がお好きとの事で、カレーのお料理になります」
「きゃ〜!ドリア!!!美味しそ〜〜〜」
 膳の前にしゃんとして座ったが、玉積の手が待ったをかけた。
「・・・先にこちらをお飲みになってからと、譲殿から」
 手渡された碗は温かく、覗くと白い飲み物。
「・・・ホットミルクだぁ」
「胃の腑を整えてからお召し上がり頂くようにとの事でした」
 続いて玉積は知盛の膳を整え、酒を注ぐまではせずにの脇に控える。
 薬湯の時と違って嫌々ではなく飲んでいるのがわかり、玉積も一安心だ。

「はいっ!・・・あのぅ・・・白龍は?」
「白龍様は、お菓子を下さる方の後をついて歩いておりますよ」
 幼子の姿で愛想が良い龍神は女性陣に大人気。
 に返された碗を受け取り、袖で口元を隠して返答する。
 ちょこちょことついて回る様は雛鳥のようで、誰もがつい相手をしてしまう。
 口を開けて待っている姿を思い出すと、笑わずにはいられない。

「は、恥ずかしい〜。食べ過ぎないようにって伝えて下さいね」
「はい。ですが、今宵は無理でしょう」
 真っ赤になって両手を頬へあてる
 玉積の視線にならって寝殿の方角へ首を回すと、主賓席でおもに弁慶に餌付けされている。
 
「・・・伝言、訂正です。弁慶さんに白龍の食べ過ぎを見張って下さいにします」
「畏まりました。確かにお伝えいたします」
 玉積が一礼をしてその場を去ってから、隣に座る知盛を見上げる。
「ちょびっと飲む?」
 提を手にして知盛が酒盃を手にするのを待った。

「・・・悪くない。ぜひ頂こう」
「もう!調子に乗って〜。お疲れ様で〜した」
 波打つほど注いでやると、難なく飲み干される。
「・・・せっかく美味しそうなお料理もあるんだし、飲むのは後にしたら?」
 知盛の前に用意された膳には小皿がいくつもあり、酒の肴になりそうな料理が種類も豊富に
取りそろえられている。
「ああ。も早めに食べるんだな」
「うん!いただきま〜す」
 匙を手にして、譲、会心の作であるカレーシーフードドリアを食べる。
 表面の焦げが食欲をそそる。

「美味し〜い。九郎さん、カレー気に入ってたんだよ?きっとカレーだと苦手な野菜も食べられた
んだと睨んでるんだ。それにね、弁慶さんがね、カレーは薬草をたくさん使っていて身体に良いっ
て言ってたし。言われてみれば、カレー粉ってスパイスの大集合って・・・・・・。スパイスって
いうのは、薬味って意味。トウガラシ〜とか、色んな種類。薬草もなんだ」
 説明しながら食べる事も忘れないこそが流石と評されそうだ。

「クッ・・・いいから大人しく零さずに食べるんだ」
 の頭を掴んで顔を膳へ向けさせる。
「・・・まだ零してないもん」
 頬を膨らませたものの、まったく懲りていない。
 再び知盛を見上げてしゃべりだす。

「そういえば、銀と桜ちゃんはどこへ行っちゃったのかな?ここに来た時までは居たのにね?」
「そこにいる」
 知盛が顎をしゃくって菊王丸がすぐ後ろに控えているのを指し示す。

「あっ!菊王丸くん、ごめんなさい。ご飯・・・食べてますね!よかった〜〜〜」
 たちの後に菊王丸と式神たちの食事も用意されており、式神たちはより先に菓子に齧り
ついていた。

「う〜ん。私より食べ物かぁ・・・・・・」
 
 のこの一言で、周囲が一斉に笑いだす。
 船旅も共にしたものばかりが揃っているのだから、の食欲を知らない者はいない。
 その言葉は、周囲がに対して使う方がふさわしい。


「相変わらずのとぼけっぷりだね、姫君は。お前たちも・・・飲み過ぎるなよ?」
 口笛を吹いて周囲の注意を惹きつけたヒノエ。
 頭の言葉に素直に頷く面々では無い。
 酒に関してだけは別物で、頷きながら飲み続けている。

「あ!ヒノエくんだ〜。こっちに来たの?」
「ああ。こいつらの様子を時々見に来ないとね。水と酒の区別もつかない奴等だし」
 の隣ではなく知盛の隣に座ると、すぐに盃が手渡される。

「お頭だって、水も酒も浴びる程でしょうに〜〜〜」
「あのな。・・・いいから飲んでろ」
 片手で追い返すように子分たちを引かせると、知盛を見上げる。

「言伝。約束、ここで果たして欲しいってさ。偶然にも俺たちが考えていたのと、同じ事だったみ
たいでね」
 注がれた酒を断る理由もない。
 ヒノエが盃を傾ける。

「元より・・・違えるつもりもないが。そう急くこともないだろうに・・・・・・」
 の膳を覗けば、ようやくカレードリアとやらを食べ終えたところ。
 まだまだ食べるのだろうと、の脇にある提を手に取り、ヒノエの盃に酒を注ぐ。

「さあ?そっちはよく知らないけれど。頼まれていただけると有り難いね」
 今度はヒノエが酌をして返す。
「クッ・・・利が無い事はしない主義でな」
「無くはないと思うけど。仮決定でいいかな」
 もう知盛の返事は必要がない。
 利があればすると言っているのだから、事は簡単だ。

「姫君。あまり食べ過ぎるなよ?」
「それは白龍だよ。弁慶さんに言っておいて?可愛いからって、おやつあげすぎないでって」
 弁慶が白龍に食事をさせているのは別の理由。
 可愛いのも確かだが、大きくならないように見張っているのが本音だ。
 の舞は白龍を高揚させてしまう。
 ここで龍神の存在が明らかにされ、噂が立つのは困るのだ。
 立てるなら、別の噂がいい。

「それなら大丈夫。おやつばかり食べていたから叱られて、食事をさせられてるんだ。じゃあな」
「じゃあなって・・・ヒノエくん、何しにきたの?」
 とはほとんど話さずに寝殿へ戻って行くヒノエの後ろ姿に、首を傾げる。

「商売をしにきた」
「ええっ!?ヒノエくん、商売上手だな〜。・・・知盛。無駄遣いしちゃダメだからね?」
 今度は何を隠して買ったのかと、知盛の瞳の奥を探る。
「何も・・・買ってはいない」
「そう?よかった。あ、玉積さんだ。デザートかなっ」
 玉積のおかげで追及を逃れられ、知盛は寝殿の廂に座る人物の方へ顔を向ける。
 ヒノエの商談が成立かどうかは、弁慶と将臣次第。

(人にモノを頼む時は、頼み方があるだろう?)
 弁慶が立ったのを目の端に捉え、何事もなかったようにの口元を指で拭ってやる。

「・・・んぐっ。・・・何?」
「クッ・・・先ほど注意し忘れたようなのでな。零さずと・・・・・・」
 今宵のデザート、豆寒の黒蜜で光るの唇を啄ばみつつ、最後に名残惜しそうに下唇を舐めた。

「綺麗に食べるように」
「・・・口で言えばいいのに」
 差し出された帖紙で音を立てて口元を拭う。
「口で教えて差し上げたと思うが?」
「・・・・・・知盛の屁理屈に付き合ってられない」
 丸めた帖紙を知盛へ押し付け、残りのデザートに着手する。
 ふわりと風が吹き抜け、知盛の隣に弁慶が座った。

「ご機嫌いかがですか?さん。白龍は酔いつぶれた九郎と仲良くお休みしてますよ」
「あ!・・・よかった〜。ちゃんとご飯を食べさせてくれて、ありがとうございました。譲くんが
目を放すと、すぐにおやつだけでお腹いっぱいにしちゃうから」
 子供と変わらぬ龍神は、周囲が気に掛けてやらないと限度を知らない。
「大丈夫。九郎より素直で可愛らしいですよ」
「九郎さん、そんなに飲んじゃったんですか?」
 食事を食べ終えたは、知盛越しに身を乗り出す。
「ええ。何かさせられはしないかと、気を揉んでいた様で。誰かが代わりをして下されば、万事解決
なんですが。さん、知盛殿に舞っていただくのはどうでしょう?・・・重衡殿と」
 知盛にではなくに尋ねる辺り、いかにもな参謀ぶり。

「わ・・・見たいかも。知盛!まだそんなに飲んでないよね?」
 衣の袖を掴んで、今まで会話に加わらない知盛の気を惹きながら強請ってみる。

「妻の頼みとあらば・・・と言いたいが。褒美はつきものだな?」
「なっ、何それ。交換条件って・・・・・・」
 の指の力が抜け、袖から離れる前に手に取ると、その甲へと唇を寄せた。

「・・・わかっているだろう?」
「わかんない」
 自由がきく方の手で知盛を押しやる。
 ところが知盛は空いている手での懐からの舞扇を抜き取り、己の懐へ入れる。

「青海波を一差し。・・・後をお任せしたいのだが?」
「琵琶を経正殿、笙を教経殿が受け持ってくれるそうです」
 場を盛り上げる事については構わないが、その後が問題だ。
 何度も舞わされるのは面倒だし、引きが上手くいかないと舞った甲斐もなくなる。
 楽人について言うからには策があるのだろうと、懐の扇の辺りをひと叩きすると立ち上がった。

「月の下も一興・・・いざ」
 ゆるゆると舞台に向かう後ろ姿からは、緊張が微塵も感じられない。

「弁慶さん。知盛と重衡さんが舞うのって、前から決まってたんですか?」
「いいえ。先ほど重衡殿から申し出がありましたので、知盛殿のご意見はどうかと、代表で僕が
こちらへ伺わせていただきました。さんが口添えしてくれて助かりました」
 弁慶に頭を下げられても困る。
 見たかったのは、の方なのだから───


「二人並ぶと・・・綺麗ですね」
「映える・・・とは、こういう事なのでしょう」
「うん。楽しみです」
 瞬きも惜しいという風情で、居住まいを正してが見ているのは舞台中央。
 立ち位置を決め、知盛が頷いたところで楽の音が流れ始める。



 月夜の晩に、月読尊が二人───










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 あとがき:銀色兄弟二人が舞ってもいいかなと思う。     (2009.07.06サイト掲載)




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