漂流 出航より一夜明けた早朝、時折り小雨がぱらつく中、朔が甲板へと出る。 気持ちだけが逸り、昨夜はよく眠れなかったのだ。 視界は少しだけ霞む程度で、空には灰色の雲が広がるばかり。 想像よりも蒸し暑さを感じないのは、海風のお陰だろう。 髪が邪魔にならないよう手で防ぎつつ水面を眺めていた。 「生憎の雨雲ですが、我々にとっては悪くない天気ですよ」 「そう・・・なのですか?」 「ええ。この程度なら波が穏やかですので、探し物には丁度いいくらいです」 船縁から海を覗き込んでいた朔の隣に隼人が立つ。 「もう・・・あんなに陸が遠くて・・・・・・」 「まだその島が淡路ですよ。お頭とも話していたんですが、もしも戻るなら、船を乗り換えたふりをして 宵のうちに戻って来たんじゃないかと。そうすると、あまり西へ行かない方が」 「では・・・・・・」 「ええ。福原へ戻るにしても、屋島へ戻るにしても、砂浜まで船では目立つ。ちょうど・・・この辺りで 上陸したと考えられます。海流は西から東、西へ向かう時よりも戻りは早い」 五日に不安はあったが、信頼できる仲間たちがいる。 朔は顔を上げると、遠くに霞む陸地へ再び視線を向けた。 「・・・屋島はもともと平氏の本拠地。天然の要害は守るに易く、攻めるに難い。義経殿が背後から攻め 入ったため、先の戦では源氏軍が勝利しました。平氏軍は海上での決戦を想定したから、背面の攻めに耐 えられなかった。では、小豆島、児島、邑久にあった船団は?」 「その通りです。平氏は船の戦に自信があった。だから・・・侮ってしまったのでしょう。実際に船団は 福原から退いた後、小豆島から西の根拠地、彦島を目指した。だから逃げられてしまった」 隼人の説明を敦盛が引き継ぐ。 視点が平氏から源氏へと変わっているのは、敦盛が源氏軍に加わっていた所為だろう。 敦盛とリズヴァーンも二人の傍へ来て、船縁から、かつて戦で転戦した風景を眺める。 「朔様のお力がどのようにすればいいものかはわかりません。まずは広い範囲で探して、徐々に絞れれば と考えているのですが・・・・・・」 「え、ええ。そういたします」 朔が手を合わせると、式神たちは朔の肩から船縁へと飛び移る。 一応は見張っているつもりらしい。 「しばらくお任せいいたします。何かわかればすぐに海に潜りますので、お声掛け下さい」 さすがにこの広い海で網を使っても無駄でしかない。 待機している者たちへ手で合図を送る。 「ええ。私も準備は出来ている」 敦盛は水面の泡を注意深く観察し始めた。 朔たちが船で淡路を通過する頃、景時は播磨で情報を集めていた。 将臣には土御門家直轄の土地だと説明したが、実はもう一つ謂れのある土地だ。 (蘆屋道満もこの土地の人だった。安倍家や賀茂家の正規の陰陽道よりも、亜流の方が・・・・・・) 一時は土御門もかなり権威が落ち、民間の陰陽師が蔓延っていた。 景時の師に問い合わせても、反魂香を扱える上級者はほとんどいないとの回答しか得られていない。 だが、その回答にはひとつの疑問が残る。 実際に試したことがないのと、出来ないのは違う。 (迂闊に試せる性格と、そうではない性格じゃ違うよな〜) 試せない方の景時としては、出来そうだと思う人物は何人か思い当たる。 ただ、失敗した場合に取り返しがつかないのが反魂の秘術。 まさに己の命と引き替えの大呪術だからだ。 (普段なら出来ない。ある条件が揃ったことにより、試してみようと思ったのなら) その条件が宝珠だとすれば、宗盛親子は持っていた。 さらに、清盛の御魂が閉じ込められているだろう黒龍の欠片の存在。 ある程度腕に自信がある者なら、試してみたい気持ちに駆られたはず。 (清盛を復活させた陰陽師の足取りはもう追えないしね) 遠くに見える海を見ると、今日は特に荒れた様子は無い。 (朔・・・頑張るんだよ。オレも・・・・・・) 手がかりを少しでも掴めればと、祈る気持ちで馬の腹を蹴った。 昼にはまだ少し早い頃、重衡が知盛の対へ向かって簀子を歩いてきた。 「重衡様。そちらへは・・・・・・」 按察使に引き止められ一端足を止めると、 「人払いがされているのでしょう?問題ありません。兄上ならば気配に気づいていましょう。後で頼みたい 事がある。共に」 「畏まりました」 今度は按察使を引き連れて渡殿を通過。 菊王丸へも声をかけると、何事もなかったように母屋の御簾前で膝をつく。 気配を窺っていると、先に御簾の中から声がした。 「・・・急ぎか?」 「はい。時間が惜しまれますゆえ、還内府様からの言伝を」 「重衡のみ中へ」 まるでそこに何人いるかわかってるらしい。 小声の短い返事を確認すると、重衡だけが御簾内へ身を滑らせる。 あろう事か几帳も除けられ、散らばる衣の上で知盛の直衣をまとって眠るの寝顔に対面する。 よりにもよって庭向きで眠っており、その後ろで肘をつく知盛よりも先に視界に入ってしまった。 「失礼いたしました」 「クッ・・・今更だな。起こさぬよう」 「はい」 出来るだけに気を取られぬよう、床へ視線を向けて用向きを述べ始めた。 昨夜のうちに守りの宝珠を持つ話になった。 景時の話では、玉にはその力があるらしい。 ヒノエの手持ちの中から八葉には配られたが、すでに怨霊である者たちには不要との事で配られなかった。 何故ならば、復活するめたに用いられたものが宝珠。 それ以外に持っても無意味だろうし、その作用が逆に危険との判断だ。 だが、一般の兵には宝珠が無い。 そこで─── 「父上が集めていた水晶を砕き配ろうと。この件につきましては、梶原殿には未確認です。今朝ほど港にて 話し合って決まりました。父上様が甦ってからというもの、遠ざけておりましたアレを思い出しましたので。 還内府様より知盛兄上の許可をいただいてから実行せよとの事でした」 「まあ・・・あんなものどうでもいい。割りたければ割れ。ただし、竜の泉で清めた後に。配るのはに させろ。それに、ただ配っても仕方あるまい。・・・按察使、こちらへ」 知盛に呼ばれ、按察使が衣擦れの音を最小限に止めて入室する。 「守り袋程度のものを、とりあえず三千用意しろ。明後日までに・・・だ。出来るな?」 「急ぎ準備いたします」 意図を理解した按察使が、すぐに女房たちが集まる房へと向かう。 水晶を配っただけでは落としてしまう。 袋へ入れて配れば、腰へ結ぼうと、首から提げようと、身につける事が出来る。 布は端切れが十分にあるが、縫い物をする手が欲しい。 重衡もこれを頼みたかったのだろうと、邸内の仕事配分に無理のないよう手配を整えた。 「重衡。お前はコレを持っているな?」 の衿へ手を差し入れると、金色の鎖に通された指輪を取り出してみせる。 「・・・残念ながら、記憶にございません。昨夜は探しますとだけ告げました」 「ふざけるな。ある、無いの話ではすまされない。・・・・・・菊王丸」 今まで肘枕で横になっていた知盛が起き上がった。 御簾に影がある事を確認し、 「按察使に阿波が残した重衡のからくり箱の件だと伝えろ」 「はっ、すぐに」 気配が無くなるのを待ってから、重衡に向き直った。 「お前は盛長に裏切られたと、そう考えているのか?」 「いえ・・・ただ、判断に苦しんでおります」 信じていた乳兄弟が、生田で戦の最中に重衡の馬を奪って消えたのだから、返答に詰まる。 それこそ知盛と目を合わせぬよう、床を見つめるしかない。 「悪いが、届いた報告のみで処分を決めさせてもらった。阿波については暇を出した」 「そのようですね・・・・・・」 記憶が戻って最初に確認済みだ。 自分を一番可愛がってくれていた年嵩の女房の姿を探したのに、見当たらない。 経正によってその理由を知らされた。 よって、知盛が素早く下した処分の内容も知っている。 盛長の裏切りによる逃走の咎により、阿波には暇を。 盛長は見つかり次第、生きたまま捕縛し知盛の前へ─── (確かに、勤めるにも厳しい事だろうけれど・・・・・・) 己を育ててくれた乳母の存在は、小さくはない。 乳兄弟の盛長は、本当に重衡を裏切ったのだろうか。 「大方の見方は逃げた・・・というものだったな」 知盛の口の端が上がり、重衡は知盛の考えが違うのだと覚る。 「兄上のお考えは違うのですか?」 「ああ」 寝返りを打ったの髪を梳き、伸ばされた手を軽く握り返して眺めている。 (待っていれば・・・答えを下さるのだろうか・・・・・・) 知盛の様子を窺っていると、徐に顔を上げて重衡を見た。 「お前の馬を奪った後、邸へ取って返してお前の武具を纏ってから逃走した。何もそんな手の込んだ事を して逃走せずともよいとは思わないか?生田の副将首を真似るなど」 の髪を手に取り口づけて見せる。 「武具とはいえ高級品。童子鹿毛の夜目無月毛も名馬だ。盗人と罵る者もいたが、売れば足が付く。その 前に、あの戦で源氏軍から逃げ果せなければ意味も無い。・・・わかるな?」 「では・・・・・・」 知盛の考えに、思わず腰を浮かせる重衡。 「そう。自ら望んで撹乱の囮と身代わりとなったのだろうさ。生田を任された副将、平重衡のな」 「私は・・・・・・」 天井を見上げて座り込む。 「按察使がお前のからくり箱を持ってくる。阿波が燃える邸に飛び込んで取ってきたものだ。・・・探す つもりもなかったのだろう?」 知盛は当初、重衡も指輪を持っていると考えていた。 清盛が重衡にも守りの指輪を贈っていたのを知っているからだ。 ところが、無いのだという。 重衡が失せ物をするとも思えない。 探すといいながら探していなさそうな態度に、ひとつの仮説を立てていた。 (からくり箱・・・か) 阿波が火の海に飛び込んでまで按察使に託した箱。 重衡しか開けられないと言っていたらしい。 「残って・・・いたのですか?」 「ああ。感謝するんだな。・・・・・・中にあるのか?」 「はい」 衣擦れの音に、互いの言葉が途切れる。 が目を擦りながら知盛の着物を掴んだのだ。 「ん?」 「・・・眠いしぃ、疲れてるしぃ・・・何より、お腹が空いたよぅ」 目が開かないのか擦っているを、知盛が横抱きにして直衣で包む。 「起き抜けから文句が多いもんだな」 「だって・・・全部知盛の所為だもん。朝から・・・した」 知盛の肩へと頭を預け、目蓋は未だ開けないといった様子。 「病が早く癒える様に手伝って差し上げただけだが?」 「・・・また都合のイイこと言ってる」 知盛の肩を抓りあげる。 痛くは無い程度で、本当に怒ってしているのではない。 「・・・冷たいな。弁慶殿の言いつけを守っただけなんだが。汗をかいたら着替える、体を冷やさず」 「もう!無理矢理こじつけて〜。・・・あ。熱が下がってる」 額へ手を当てると手と変わらぬ温度。 知盛にだけは絶対に言いたくないが、熱特有のだるさも無い。 体の痛みは別の要因によるものなので、少しは感謝すべきだろう。 それなのに、見上げれば俺が正しいと勝ち誇った表情をしているから憎たらしい。 もともと僅かばかりしかなかった感謝の気持は、すぐさま吹き飛んでしまった。 ふと気配を感じて見回すと、俯き加減で笑っている人物がひとり。 声をかけようとした瞬間、 きゅるる、きゅる─── 慌てて腹部を押さえたが、意味はなかった。 「・・・クッ、間に合わなかったようだな。すぐに按察使が来る」 「うっ。・・・だって・・・・・・それより、どうして重衡さんがここに?」 今朝ほど知盛と二人で話しをしたはずだ。 「還内府様より、兄上と神子様へ伝言がございましたので」 「えっ?!もしかして、お仕事の話?あっ・・・と、お待たせしちゃってましたよね」 襟元を合わせながら知盛の膝から滑り降り、正座をする。 すぐに知盛がの肩から直衣をかけて包んだが、暑いのか腰巻にされてしまった。 重衡はやや顔を伏せ、単姿のを正面から見ないよう気遣いを見せた。 「相国殿が持っていた水晶を、砕いて兵士に配ると決まりました」 「あっ、そうか〜。ですよね!わ〜、気が利いてるな、将臣くん。最近、運動不足で。水晶、がっちり砕きま すね!ど〜んと任せちゃって下さい」 軽く胸を叩いて請け負う。水晶が守りになるのは、景時に教わったので知っている。 それを味方全員に配ろうという案に反対する理由はない。 対して、知盛、重衡の両名は、視線を合わせたのち笑い出した。 「あ、あれれ?割るくらいまで?砕くのはやりすぎって感じ?粉々じゃないと重いよね?」 粉砕していいと勝手に理解したのが間違いかと、二人を交互に見る。 「重衡」 「はい。水晶の件、還内府様へ確かにご報告いたします」 元々は清盛の水晶を有効活用しようという話のみ。 そこに知盛が兵たちの士気を上げるのと実際の効用を上げるために、泉での清めとによる配布を付け 加えた。 誰も水晶を砕く作業について思い当たっていなかったのだ。 「まったく、お前には敵わん」 「えっ?知盛がしたかったとか?いいよ、半分こにしよう?」 「いや、好きなだけ砕いて発散するといい」 の頭を撫で、御簾の外へと視線を向けた。 「若君」 「入れ」 御簾前で控えていた按察使が小箱を手に入室してくる。 「それを重衡に。の支度と昼の用意を」 「畏まりました」 小箱を重衡の前へ置き、続いての傍へ膝をついてその手を取る。 「あ、あの・・・・・・」 「あちらでお支度を致しましょう。すぐに玉積が食事を運んで参りますよ」 「やった!さっき、重衡さんもいるのに、お腹が鳴っちゃったんです」 「それは、それは。いま少し早く準備をすれば間に合いましたのに、申し訳ないことを」 他愛無い会話をしながら二人が寝所へ消えるのを見送ってから、知盛が当初の話へと戻した。 「開けられるか?」 「はい。ですが、兄上様の前でこれを開けるのは・・・・・・」 「その箱の大きさならば、中味は精々指輪と腕輪だけだろう?」 重衡が両手で持ち上げた箱を指差す。 現代ならばオルゴール箱程度の大きさになる。 「確かにその通りでございます。が、今後宝を収めても兄上に開けられてしまうかと思うと・・・・・・」 「どんな宝を入れるつもりがあるかは知らないが。さっさとしろ」 肩を竦めると、順に外側の仕掛けを外してゆく。 一見ただの箱だが、この手順を誤ると決して開かない。 幼い時に清盛に与えられたものだが、重衡の他には清盛しかこの箱を開けられなかった。 「・・・ございました」 小さな指輪と一族の紋章入りの腕輪が姿を見せた。 「もう指には嵌められまい。首にでも下げるんだな」 言われた通りに腰から下げている飾り紐を一本抜き取り、指輪を首から下げてみせる。 腕輪はとりあえず左手首へと嵌めた。 「これで・・・よろしいでしょうか」 「ああ。ついでといってはなんだが、こちらへ家長を留め置いていた。平重衡の行方を捜している男について の情報を集めさせる為に。何でも、馬を供養してくれと出家したものがいるそうだ。お前が福原へ戻った噂は 聞き及んでいる頃だが・・・屋島の件が済んだら、会いに行ってやるんだな。近くの庵に母親らしきもいるそ うだ。この件は今後一切他言するな。生憎と追捕の命を出してしまった手前、俺の前に連れて来られては処分 せざる得ない」 立ち上がると、の袿を拾って肩からかける。 「神子殿が水晶を粉々にして下さる件だが・・・菊王丸に港の連中のところへ行かせろ。代わりにお前がここ へ残って飯を共に食べるんだな。ここで水晶探しをしなくてはならない」 「は、はい。そのように・・・させていただきます」 重衡の涙が床に落ちる音がする。 「着替えたら戻る」 が着付けられているだろう寝所。 按察使は呆れるだろうが、構うことはない。 知盛はまっすぐ寝所へと姿を消した。 少しして、やはり寝所の方からの叫び声が上がる。 福原でもいつも通りの二人。 変な気遣いをされるより、余程いい。 重衡が常の表情を取り戻し菊王丸へ伝言を頼むまでに、そう時間はかからなかった。 |
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あとがき:朔たちと景時くんの動向も。で、重衡くんにも乳兄弟はいたりして。 (2009.04.09サイト掲載)