眼差し 「重衡」 名を呼ぶ声に振り返る。 「・・・兄上?」 「少し・・・話がある。教経はこれを預かっていてくれ」 の背へ手をあて教経へ向けて軽く押し出すと、が数歩踏み出して教経の前に立つ。 「知盛殿?」 「クッ・・・話があるならば、すればいい。それに、も教経に尋ねたい事があるだろう?」 教経がと話したがっていたのはわかっていた。 出来れば知盛抜きがよさそうだという事も。 も知盛の幼少期等について誰かに聞きたがっていたのだから、そういう意味では、知盛の後ろをついて 歩いてばかりいた教経は適任だ。 双方の意を酌みつつ、重衡を呼んだ知盛。 「知盛。そろそろ出かけるから、早めに返せよ」 白湯を飲みながら視線だけ知盛へ向ける将臣。 知盛は、将臣には片手を軽く上げ、重衡にはそのまま指で行き先を示す仕種をしてみせた。 「知盛!聞いてもいいの?」 重衡と並んで簀子へ出た後姿へ声をかけると、知盛の足が止まる。 「いくらでも。ただし、俺が戻るまで・・・だな」 「わかった。朝のトコでおしゃべりして待ってるね」 憎たらしい事に、口の端を上げているのが影になって見えはしないが想像がつく。 質問に制限無しという、にとってまたとない機会だが、時間もないらしい。 は教経の袖を引いて階へと急ぐ。 知盛がわざわざ出掛けの今時間を作ったとなれば、教経の話は多くの人に聞かれたくない事なのだろう。 ほとんどの仲間たちが食事を終えて席を立っており、この部屋には将臣と経正しか残っていない事も判断の 材料になる。 「早く、早く!知盛について聞かなきゃなんです。まだね、この腕輪の件とかしかわかってないの」 急かされるままに教経も部屋を出るしかない。 つられて小走りに庭へと下りた。 二人を見送るのは、残された将臣と経正。 「・・・腕輪って、一門のってヤツ?」 「そのようです。まことお可愛らしいですね、神子様は。知盛殿の言葉が足りないのでしょうが、あの様に 好奇心をむき出しにされますと、わざと困らせたくなってしまう。・・・真意をみつけて欲しくて」 言葉で意味を教えてしまうのは簡単。 そうしたくないのは、気づいて欲しいという我侭から。 さすが年長者の経正は、その辺りの機微に敏い。 いかにも知盛らしい屈折ぶりに、将臣が豪快に笑い出した。 「マジで馬鹿だ、あいつ等。相手にしないに限るな〜。・・・で?どう思う?」 「心配だとは仰らない方ですから」 重衡を疎んじているようでいて信頼している。 過去の戦で知盛と重衡は離れて戦うことが多かったが、いざとなると息の合った連携をとっていた。 「向こうも・・・こっちも兄バカですか。つか、兄バカだらけだな」 「ええ。還内府殿を筆頭に」 将臣に対し、涼しい顔で言い返す経正。 「へっ!言ってろ」 「・・・あの子が見違えるように明るくなって、皆様のお役に立っている。私としても、そろそろ“兄馬鹿”を やめねばいけませんね」 瀬戸内海で黒龍の神子のために頑張っているだろう敦盛。 年が離れていたせいか、ついつい幼い頃から世話を焼いてしまった。 「まあ、なんだ。やめようじゃなくて、必要がなくなれば自然としなくなる。それでいいだろ」 軽く経正の肩を叩いてから立ち上がると、遠くで教経とが話しているのが見える。 どこかで知盛も同じ様に二人を見ているに違いない。 「・・・には、どこまでも世話かけちまって。あの馬鹿は、根っから負けず嫌いだからな・・・・・・」 幼い時は転んでも下唇を噛んで、涙を零さないよう意地を張る。 学校でも責任感の塊の様に、任された委員の仕事はひとりでもやり遂げる。 頼られると嫌と言えない、お人よしな部分も含まれた負けず嫌いだから性質が悪い。 異世界の平和のためにの力が必要と言われれば、出来ないとは口が裂けても言わないだろう。 が福原へ来た時点で、賽は投げられてしまった。 「ええ。通盛殿もその様に仰っておりました。だからこそ、我らの結束が」 「ああ。どう転んでも結果は出す。・・・悪いな」 それ以上の言葉は言えない。 「なんの。まったくもって問題ございません。すべてが・・・還るだけですから」 悪いのは誰だったのか。 この心優しい青年に縋るしかなかった一門の末路。 誰もが望む結果にならなかったとしても、文句も未練もない。 経正が目を凝らすと、渡殿に知盛と重衡が見える。 「皆、言葉には出来ませんが・・・同じ気持ちでしょう。ならば、最善を尽くすのみ」 「そうだな」 大きな溜息を吐き、瞬時止んでいた雨が再び降り出しそうな空を見上げた。 「あのぅ・・・私に何か?」 知盛と散歩をした東屋の池を眺められる場所で、と教経は並んで座った。 「神子様と知盛殿の馴れ初めは伺っております。・・・私にはそれほどに信じられるモノや人がない。 この胸の中は空虚である事よ、と・・・常々考えておりました」 父親に妻を娶れといわれようとも、朝廷での位階も、すべてどうでもよかった。 知盛も同じであると思っていた。 手ごたえがあると感じたのは、武芸の鍛錬のみ。 幼い頃から知盛の後をついて歩いたのは、平氏一門でも武道派といわれた重盛の派閥に知盛がおり、年が 離れすぎていた重盛や経正よりは年齢が近く、考え方も似ているように常の行動から思っていた。 その知盛にも置いていかれたような、以前より一層募るもどかしさに当惑している胸の内を、知盛を変えた 人物ならば的確に表現してくれるのではと密かに期待していた。 「空っぽでもイイと思いますよ?これから詰めればいいんだし。変なモノ詰め込んじゃって悪巧みするより、 何を詰めようかな〜って、楽しみじゃないですか?これから良いコトたくさん詰められますよ。私も同じです。 えっと、私がいたところには何でもあって、何でも便利だったから。毎日、何かしなきゃいけないなんてことは なくて、昨日の繰り返しで何とかなっちゃう。それって、とっても楽なんだけど、何にも無かったな〜って」 は伸ばしている両足を動かすのを止めた。 「ここに必要なモノは自分で選ばなきゃ。私がこっちの世界で学んだ事です。待ってても見つからないけど、 探したからって見つからないの。自分の気持ちに、ひとつ、ひとつ確認しながら選ぶの。その為に最初は空っぽ」 軽く心臓辺りを指してみせる。 「神子様は・・・知盛殿がお好きですか?」 壇ノ浦での決戦時、知盛が単身で源氏の主軍をひきつける作戦だったのだから、教経は現場にいなかった。 女人であるから知盛へ告白するという、有り得ない出来事だったと聞き及んでいる。 戦いの最中、その様に気持ちが通じ合えるものだろうか。 すべての疑問を内包した問いかけ。 「うん、大好き。他なんてない。・・・景時さんにも確認されたなぁ。ひとめぼれについて」 くすくすと楽しそうに笑い、何でもない事のように断言された。 「好きって何だろうって考えていた時期もありましたケド。いざ自分がその立場になったら、知盛だけ違って 見えた。知盛だけを目で追ってた。だから、そんなに難しく考えるものじゃないみたいですよ。ね?」 が顔を上げた先の渡殿には、知盛と重衡が立っている。 「知盛の視線もわかるんですよ。誰かがじゃなくて、知盛の。こういうの、言葉で説明するのムズカシイ」 再び爪先を見つめ、足を動かし始める。 「片鱗を掴めた気がいたします。・・・待つのでもなく、無理に動くのでもなく。時が来た時に、自ら選べば よいと。・・・いかがでしょう?」 教経が隣に座るへ向き直った。 「そ!そんな感じで。きっと逢えますよ、大切な人やモノに」 教経の膝を叩き、笑いあう。 「で、ですね。私ね、これについては按察使さんに聞けたんですけど。知盛の小さい頃の話とか聞こうとすると、 知盛に邪魔されちゃうんです。何かとっておきっていうのありますか?」 手首を軽く振り、腕輪を教経へと見せる。 「なるほど。知盛殿らしいといえますね。幼い時から何事にも秀でておりましたよ。子供らしくない子供だなと 口では仰りながら、重盛殿がとても可愛がっておいででした。唯一、知盛殿が敵わぬ相手でしたから」 総領たる重盛は、忙しかろうとも平氏一門の面倒をよくみていた。 中でも武芸の上達が早かった知盛には、とくに目をかけており、教経も共に手ほどきを受けられた事があった。 「その頃の重盛殿に生き写しですね、有川殿は。還内府と呼ばれるほどに・・・・・・」 「将臣くん・・・ですよね」 時の狭間で逸れた将臣を案じていた。 平家の陣の総大将・還内府と同一人物とは、すぐには信じられなかった。 「ええ。ただし、故人より決断が早く、大雑把です。適当とよく仰いますが、我々の考える意味と違って おりましたよ。うまくあてはめるのではなく、おおよそ出来ていればよいという」 「あ〜〜〜、そうなんですね?私も大体できていればOKって意味だと思ってた」 言葉は同じでも、理解している意味は違うらしい。 「六波羅の邸で相国殿が客分扱いで招き入れた彼の面倒を、経正殿と知盛殿がみておりました。主に日常生活を 経正殿、武芸全般を知盛殿といった分担でした。馬に乗ったことがないという将臣殿を無理に馬に乗せて、 そのまま馬の尻を叩くなど、とんでもない教え方でしたが」 思い出すだけで可笑しいのだろう。 教経が額へ手を当て、俯いた。 「いかにも知盛っポイ。他にもたくさん騙されて、遊ばれたんだろうなぁ。あはは」 将臣の方が兄貴分に見えるのは知盛の性格ゆえで、仲は良いし、実のところ将臣は知盛を頼っていると思う。 「ええ。あまり話すと、知盛殿ではなく、還内府殿に叱られてしまいそうです」 「大丈夫ですよ。将臣くんて、恥って言葉ないみたい。格好つけかと思うと違うんですよね。ところで・・・ 教経さんって、どうして私に敬語なんですか?教経さんの方が年上だと思うんですケド・・・・・・」 教経の瞳を覗き込む。 「神子様に対して恐れ多い事です。ましてや、知盛殿の北の方様なのですから」 「でも、友達っぽくなくて嫌なんですけど。ヒノエくんみたいに、いつでもどこでも口説き文句も困りますけど。 とっても、とっても難しい感じですか?普通に話すのは」 無意識に教経の袖を両手で掴んで揺する。 しばし睨み合いの様な時間が過ぎた。 渡殿で知盛が立ち止まり、次いで重衡も同じ様に庭へと体を向ける。 が強引に教経を東屋へと連れ立っているのが見え、知盛は口元に手をあて笑っていた。 「兄上の事をとても知りたいご様子ですね」 「・・・知られて困る事などない。一時、教経に貸してやる口実だ」 教経がに相談したい悩みは見当がつかない。 あるとすれば、父親である教盛のことか、通盛と妻の封印の件か、その両方か。 「昔から兄上は教経殿に親切でした。私には・・・神子様と二人きりの時間はいただけないのでしょう?」 「何だ、焼きもちか?あれは・・・武芸だけが生甲斐の男だ。剣術の相手がいなくては可哀想だろう?お前は 鍛錬はあまり好きではなかった。違うか?・・・の事なら、俺がいない時でも狙うんだな」 同じ年頃の者では、教経の稽古の相手にならなかった。 教経より勝る人物は僅か数名のみ、自然と相手は限定される。 もしもと手合わせを願っているならすればいい。 今なら教経が勝つだろうが、の剣に何かを感じとれるはずと考えていた。 「よく酒の相手にも誘っておいででした」 「その場で言えばいいものを。お前は酒より・・・花々と戯れるのに忙しかったようだが?」 いつからか、重衡は邸に戻らない日が多くなっていた。 一門の宴でも早々に姿を隠し、内裏で聞く華やかな噂に違わずの行動ばかり目立っていた。 「・・・母上に何か言われたか?それとも・・・・・・」 「何も。誰にも己を見てもらえないのだと、誘われるままに気ままに移ろい続けておりました・・・・・・」 当時を思い起こしているのか、短く息を吐き出してから知盛へ顔だけを向けた。 「少しは頭を使え。・・・此度は決心がついているんだろうな?迷いが少しでもあるなら、今すぐ下りろ」 重衡の顎を掴み、目を合わせ睨みつける。 「兄上は・・・私を信じていらっしゃらないと?」 重衡の表情が曇るが、それを許さないとばかりに重衡の顎を無理に上げさせる知盛。 「頭を使えと言っただろうが。俺にも限界はある。お前が逃げるようじゃ困るんだよ。アイツは封印の力を 恐れているが、いざとなれば使うだろう。今のが扱える龍神の力は、壇ノ浦の時とは比べ物にならない。 だから恐れている。・・・こちらの大将格たちも封印されたら、後は誰が残る?」 「あっ・・・・・・」 知盛にしては珍しく饒舌に、諭す様に、懸念事項について素直に述べた。 己の考えを他人にそうそう披露しない知盛が、重衡にだけは話したのだ。 「俺はの邪魔をするつもりはないが・・・アイツを失うつもりもない。わかるな?」 重衡の頬へ手を添え、がいる方へ向かせる。 「有川の事だ。お前ひとりで十人分には勘定しているだろう。それぐらい解ってやれ」 知盛は何があっても白龍の神子を最優先するというのだから、戦線離脱すると宣言しているようなものだ。 もしもの場合に残る駒を数えるならば、主だった将は源氏側の八葉ばかり。 いつも頼りにしていた経正や通盛に加え、敦盛もどうなるかわからない。 兵の数も怨霊兵が封印され、手勢半分以下の激戦になった時、将がいない平氏の隊をまとめきれるのか。 「あに・・・・・・」 「南都の時と同じでは困る。ひとりで立てる程度の将ならば不要。お前は・・・率いる立場だ」 重衡は戦況を読むのに長けている。 しかし、人の気持ち、とくに、不安という名の本人ですら無自覚の感情が軍に広がった時、読み誤った。 覚悟を決めた人間が最後にとる行動を計算できなかった。 「・・・出来るな?」 知盛の視線は変わらずに注がれたまま。 教経の物思いが晴れれば、自然との動作は変わる。 その瞬間を見極めるべく二人の様子を見続ける。 「覚悟は出来ております。・・・既にこの命は無いものとし、償いをすべきと神子様よりお言葉を賜わりました。 還内府殿の片腕として、お仕えいたしとうございます」 膝こそつかないが、恭しく礼をする重衡。 「京で・・・楽を合わせる約束をしたな。飲む事も加えておけ」 重衡の返事を聞くことなく階を降り、東屋へ向かって歩き出す知盛。 重衡は知盛の後ろ姿と、その先にいるへ向け、今度は深い礼をとる。 「私でお役に立つのなら・・・・・・」 知盛が教経との間に割って入ったのを見届け、静かに簀子を将臣が待つ対へと歩む。 (経正殿とも話をしないと・・・・・・) ほとんどの事務処理を経正が行っていた。 それらを引き継いでおかねばならない。 「失恋の胸の痛みに酔う暇もありませんね」 曇り空ながら、どこか晴れやかな心地がする。 雨雲の向こうにある青空を想い、ふと歌を口ずさむ。 「いで我を人なとがめそおほ舟の・・・・・・たゆたえずになってしまいましたよ。神子様」 本来ならば、“ゆたのたゆたに物思ふころぞ”と繋がるのたが、知盛の覚悟を聞かされては焦らざる得ない。 「空を・・・見上げていらっしゃるでしょうか・・・・・・」 京の空の下で暮らす家族や、かつての知り合いたちを思い浮かべる。 梅雨空が晴れるまでに。 流れが止められないなら、せめてよき方向へ流れ着けるよう─── |
Copyright © 2005-2009 〜Heavenly Blue〜 氷輪 All rights reserved.
あとがき:銀色な兄弟の絆とか、色々。 (2009.02.27サイト掲載)