暁月夜 「さあ、起きて下さい」 誰をといって、将臣を起こすのも中々に大変な役目だ。 譲あたりは必死に揺り起こして、最後は蹴りを入れていた。 仮にも平氏一門の総領を、そのような扱いをして目覚めさせる事が出来るのは、身内ぐらいだろう。 女房の御簾越しの目覚めを促がす声などではあまりに微か過ぎ、将臣の都合のよい耳まで届かない。 そんな将臣を僅か数十秒、たったひと声で目覚めさせたのが重衡である。 「・・・朝から鳥肌モンだな、まったく」 背筋に殺気を感じ、素早く身構えて起きてみると、すっかり身支度を整えた重衡が正座をしていた。 「譲殿は食事の支度でお忙しいですし、こちらの邸には人手が少ないのです。私のお役目かと・・・・・・」 テキパキと角盥を将臣の前に用意し、さあ起きろといわんばかり。 「・・・・・・起きればいいんだろ。つか、俺より寝起きが悪いのが・・・あっちにはアレがいるか」 すっかり開け放たれた格子の向こうを胡坐で眺める。 首を回せば、寝入った時の姿勢が悪かったのか音がした。 「義経殿たちは朝の鍛錬もお済みですよ」 将臣は重衡に差し出された手拭を受け取りつつ、 「いいんだ、アレは趣味。俺はもう引退予定」 冷たい水で洗った顔を拭った。 「お腹空いた・・・・・・」 小さいながら音が聞える。 「クッ・・・寝ていられないほどにな」 大人しく玉積に着付けてもらいつつ、項垂れているの様子が可愛らしく、脇息にもたれ眺めている知盛が 返事をする。 「うん。消化良すぎの食べ物ばっかりだったから・・・少なかったし」 今朝方は知盛より先にが目覚め、空腹を訴えられ今に至っている。 着付けを終えた玉積が一礼をして部屋から出て行くと、ゆっくりと知盛が立ち上がり、片腕でを抱えた。 「まだ・・・ゴハンできてないよね?」 太陽は顔を出しかけているといった時間。 通常ならば遅い。 けれど、にしては常の起床時間より大分早い。 「少し・・・歩いてくるか」 教経の邸ならば熟知している。 知盛たちが泊まった対より一番近い東屋を目指して歩き出す。 途中、庭を眺めながらになるため、朝特有の爽やかな空気を肺いっぱいに吸い込むと、一気に吐き出す。 「空気がキレイだよね」 「さあな・・・・・・」 味わうほどのモノはないが、悪くはない。 その程度の認識だ。 「知盛はさ〜、排気ガスとかないトコで暮らしているからだよ。朝ね、ちょ〜爽やかな気分で駅に歩いて行くのに、 トラックとか通って真っ黒な煙をかけられると、ゲンナリするもんだよ?」 雨の日など、まんまと泥が跳ねてさらに不快な気分になったりする。 「ほう・・・ならば・・・・・・」 軽くと唇を合わせる。 「・・・変わらんと思うが」 「私で空気を確認しても意味ないよ。もう二酸化炭素だし。酸素の問題なの!」 またも知盛の知らない言葉が飛び出したが、さして興味もないので今回も流しておく。 「わかったから・・・・・・池の魚は食うなよ?」 「わかんない。美味しそうに見えるかも?」 近くに人が居ると、餌をもらえるのかと魚が集まってくる。 知盛の注意を聞いてはいるのだろうが、思考がまとまらない様子のの返事は気が抜けたものだ。 その時、膳を手に玉積が東屋へとやって来た。 「神子様。朝餉まではもう少しかかりますので、こちらを」 のために玉積が持参してきたのは、白湯とお粥の椀が載った膳。 知盛の前にその膳を置く。 「ありがとうございます!これでちょっとは我慢できるかも」 白湯だけは二人分の用意があり、あらかじめ準備してあったのだとわかる。 玉積が立ち去るより早く、は粥の入った椀を手に取り、食べ始めた。 食事中のの邪魔をしないよう、白湯の碗を手に取り一口含む。 料理をしているのは譲。 が空腹なのも当然計算していたのだろう。 合戦後の船旅でも、の体調の変化に合わせて食事の内容を変えていた。 (いつもながら・・・オマエは大切にされているな) の髪を弄びながら、生憎の曇り空を見上げる。 僅かに日差しが見えたが、空気の気配から梅雨空に戻りそうだ。 天を仰いでいた視線を、南の簀子へと移す。 (重衡・・・・・・) 知盛とを見つめていた視線の主は重衡。 それは熱っぽいものではなく─── 粥を食べ終えたは、知盛を背もたれ代わりに空を仰いでいる。 「雨かな?」 「ああ。雨期は・・・こんなもんだ。降る前に邸へ入るぞ。迎えが来た」 履物を履いていないは、しっかり知盛にしがみついて準備をする。 迎えが誰であるのか気にしていないのだろう。 知盛の肩越しで歌を口ずさんでいる。 「・・・兄上の世話役か?」 「ええ。経正殿のお手伝いが少しでも出来ればと」 知盛は使用人には命令口調だ。 返事も声も、そこにいるのが違う人物なのだという判断材料になる。 が振り返ると、簀子にいたのは重衡だった。 「おはようございます、重衡さん!早いですね?」 階へ下ろしてもらい、簀子まで上がり挨拶をする。 「おはようございます。そう・・・ですね。程よい刻限かと。皆様にお声がけをしているところですよ」 「重衡さんが?」 確かに教経の邸の使用人は少ないが、何も重衡がする事ではなさそうである。 「ええ。先ほど還内府殿もお支度が整いました。朝餉までに本日の打ち合わせをしたいとの事でしたので」 案内のために先に歩き出すと、がその後ろを着いて行く。 「将臣くんの・・・お世話役をするんですか?」 そのような仕事があるのかと、他意はなく尋ねた。 「これは私が自らしている事です」 「お前のように手がかかる場合、誰かがするしかなくなるんだ。姉上様もいらっしゃらない事だしな。 ・・・俺たちが最後か?」 知盛がの手を取り、重衡に並ぶ。 「ええ。お部屋にいらっしゃらなかったので、探しておりました」 入室の声をかけると、知盛とを席へと案内し、重衡は経正の隣に控えた。 「珍しいじゃん?起きて散歩なんざ」 「将臣くんだって。重衡さんに起こしてもらったくせに」 軽い挨拶程度の会話をすると、本題へ入る。 「まあ・・・な。今日の仕事の分担決めるかなと思って集まってもらったんだったな。九郎と弁慶と ヒノエは俺と港へ行ってくれ。細かい事は経正が調整な。で、通盛たちもいつも通り。知盛は按察使と 宴の手配。内容は適当でいい。騒いでりゃ遊んでると向こうさんも思うだろ。譲と白龍は飯の支度。できれば デザート付。女房や下働きから情報収集も兼務で頼む。で・・・景時は自由行動。何か考えあるんだろ?」 昨日の今日ではあるが、各自の分担と配置を決めてある。 「ありがと。俺はちょっと調べモノしたいからさ。罠の件も含めて・・・文献探しに行かせてもらう」 景時いわく、陰陽道はこの辺りではまだまだ残っており、出来る事なら術者に会ってみたいらしい。 昨夜話した限りでは確信はないようだが、僅かながら時間はある。 『播磨と吉備は、土御門家の直轄の地だったからね。ちょっと伝手にあたってみたいんだ』 『はぁ?・・・今のままじゃ負けるって事か?』 『いや。術の系統が違う気がするんだよ。それこそ妖のモノを操るような・・・・・・』 に使った真言は万能ではない。 景時が修行中に偶然知りえたもので、次に別の手でこられた時にも効力があるとは限らない。 『OK!明日、景時の仕事はナシな』 『ありがと〜。で?そろそろ行ってみたら?』 景時に促がされ様子を窺うために部屋を出て、決心のついた重衡を酒宴の席へと呼び戻した。 「まあ・・・朔たちが戻ってくるまでには帰って来いな。明日の仕事は全員休みにするし。毎日、毎日、 働いてりゃいいってもんじゃねぇ。休みは必要だ」 将臣が大きな欠伸をひとつすると、自然と笑いが起こる。 「あ、そうだ。重衡は俺の下で伝令でも何でものパシリ決定。昨夜一緒に飲んだから、仲間の顔は覚えたな? あっちとこっちの繋ぎとか。ま、働け」 敦盛が居ないのだから、代理が欲しい。 一門の顔を見知っており、源氏の八葉を理解し、なおかつ、位階においても引けをとらない。 都合の良い人材の登場にほくほく顔の将臣。 軽く重衡の肩を叩いて紹介を済ませてしまった。 「・・・将臣くんって、ほんと何にもしなぁ〜い。普段だって、敦盛さんに押し付け〜なのに」 の視点では、出来るのにしない将臣と映っているようだ。 「ま、気にすんな。この辺りの土地勘もあるし、京も西国もわかってる。なんとも便利モノなんだな〜」 仕事分担が決まったところへ食事が運び込まれる。 既に譲が作ったものを配膳し、玉積を筆頭に女房たちが並べてゆく。 「一応・・・それなりに数はいるんだな?」 「ええ。昔なじみばかりですよ。新しく雇い入れた者は居りませぬ」 教経の邸は男が多く、武具も揃っている。 しかし、女房は日常の台所仕事に必要な人数しかおいていない。 少々年齢が上の女房たちだが、余計な噂話などもなさそうで、これはこれでいいのだと思われる。 「様子見ながらこっちも使わせてもらう。向こうはもう手狭だからな〜。玉積・・・だっけ?面倒かけて悪いが、 がいるところで仕事頼むな。九郎たちは主賓だから、今後は雪見の方。ヒノエも向こうだなぁ。 景時はどっちでもよさそうだが、朔と一緒。だとすると、知盛ともセットだな。教経にゃ悪いが、客間、 いくつか専用にしばらく借り受ける。・・・じゃ、そういうことで。飯だ、飯!」 箸を手に取り食べ始める将臣。 「もぉ〜。ちゃんといただきますくらいしなよ。いただきま〜す!」 は手を合わせて軽く頭を下げてから箸を手に取る。 「まぁ・・・兄さんは米さえあればいい人でしょうから」 将臣も食用旺盛ではあるが、細かな内容を求めたりしない。 その点だけはと違っている。 「譲くん!約束通りだね。これ、嬉しい〜〜〜」 ふわふわのスクランブルエッグにムニエル。 そして、煮物ではなく、ジャーマンポテト風になっている。 代わりといってはなんだが、ご飯ではなくパンケーキ。 先に玉積に頼んだお粥は、の胃袋を整え、体温を上げるためのもので、食事用ではない。 「そんなに喜んでもらえると、作り甲斐があります。ただし!今日までは薬湯も飲んでください」 頬を染めて照れているかと思えば、きりりと眼鏡をかけ直し、厳しいひと言。 「弁慶さぁ〜ん。今日も?」 「ええ。治り際が肝心ですから。汗をかいたら適度に着替えて、とにかく身体は冷やさないように。湿気で 蒸し暑く感じるのでしょうが、それとこれとは別です」 音もなく優雅に汁物をすすりつつ、微笑みながら言いたいことはしっかりと告げる。 弁慶がこのような態度をとった場合、逆らうと後が怖いのは学習済みだ。 「・・・はぁ〜い。今日は知盛もいるから大人しくします。どうせ飲まされちゃうもん」 遠ざけようにも見張られているのだ。 もたもたしていると口移しの刑に処される。 「ほう・・・どうせではなく、最初からでも構わないが?」 人差し指での顎の辺りを楽しそうに撫でる知盛。 「すっごく、すっごく頑張るから遠慮します。ホント。飲み込むし」 その指を叩くと、顔を背ける。 即座にが否定する気持ちも分からなくはない仲間たちが笑い出す。 「アレはなぁ・・・効き目はあるけど、飲むのはキツイよな。まさに、神子姫様が言うところの飲み込むって感じ」 ヒノエが声を立てて笑えば、 「まあね。飲み方を失敗しちゃうと後で味がこう・・・ね。確かに一発で熱は下がるけど」 景時も追随する。 「お前たちは鍛錬が足りん!あれぐらい・・・飲める状態なだけマシだ!」 「て〜、ことは。九郎は薬湯になる前のモノでも食わされたか?」 今度は将臣が九郎をからかう。 「なっ!それは・・・だな・・・・・・」 「ええ。飲めないと駄々を捏ねましたから。以前、材料そのものを並べて差し上げたことが」 冷や汗で弁慶の様子を窺う九郎に対し、笑顔でさらりととんでもない過去を述べる弁慶。 瞬時に勝敗は決し、この日を境に、は薬湯に対する不平を弁慶の前で言わなくなった。 「・・・知盛は平気なんだよな」 「別に。薬に文句を言っても始まらん」 知盛は弁慶に近しいらしく、薬と割り切れるらしい。 「体が資本ってのはそんなもんか。お前は文句が多いかと思うと、こういう文句はないんだよなぁ〜〜〜」 知盛の返事は大きく二つ。 無視か面倒等の文句と相場が決まっている。 気分屋で手を焼くのだが、思わぬところで文句を言わないので拍子抜けしてしまう。 「このグルメな知盛が飯を食ってるだけで感動もんだ。普段はやれ魚が硬いだの焼き加減にまで文句だったしな。 ・・・まあ、戦の時は黙ってかっ喰らってたが」 将臣の隣で経正も笑っている。 京にいた頃は、魚の分解が趣味かと思うほど嫌々食べていたのだ。 そうかと思うと、戦の時には何が出されようとそこそこ食べていた。 「うわ〜。譲くんって天才じゃない?ほんっと美味しいもん。知盛も自分で食べてるし」 知盛の食が細いのは知っていたが、薬湯の件など、味覚はどうなのだろうと疑ったことも無きにしも非ず。 知盛の膳を覗き込むと、箸使いも見事に順に料理が減っている。 「と、いうわけだ。譲。知盛を餓死させたくなければ頑張るんだな。重衡も。お前は好き嫌いがない風を装ってるが、 わかるっつの。ちゃんと食え。先に言っとくが、俺の世話役は体力勝負だからな。敦盛は相当根性あったぜ?」 将臣の性格を熟知し、先回りするあたりは経正にそっくりだ。 しかも、華奢な見かけによらず、徹夜も厭わない根性をみせる。 敦盛は見た目で損をしているかもしれない。 対照的に重衡は、見た目を上手く使いすぎて損をしているところがある。 「・・・畏まりました」 初めて目にする料理もあり躊躇していたが、口に入れれば確かに美味しい。 誰もが食事を楽しんでいる空気が懐かしく、つい口元が綻ぶ。 「それでヨシ!お前は生きてるんだ。それを忘れるな」 重衡の頭をボールでも持つかのように掴む将臣。 その視線は少し離れて座っている通盛、教経の兄弟に注がれている。 怨霊と生ある者。 片方が違う留まり方をしている場合、悲しい結末が訪れる予感がしてしまう。 だが、生ある者には、先を導く義務がある。 「私に出来る事を・・・精一杯努めさせていただきます」 「ああ。そうしろ。もうしばらくはお前の兄上やってやるから」 すべて平等とはいかない。先が見えない道が標されているのみ。だからこそ、迷うのだろう。 選ぶたびに後悔するかもしれない一歩を、この仲間たちとならば踏み出せるかもしれない。 重衡の視線は、将臣でもなく、知盛でもなく、ただひとりを見つめている。 (光の姫神子に導かれるならば───) 目蓋の裏に焼きつく南都が炎上する光景。 怯えることなく、すべてを受け入れる覚悟が出来た。 外は霧のような雨が降り始め、これからの蒸し暑さを誰もが感じとっていた。 |
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あとがき:ちょびっと可哀想な重衡くん。ま、そこはそれってことで。横恋慕は王道でしょう。 (2009.02.22サイト掲載)