失せもの





「そう・・・でしたか。確かに私にも宗盛兄上の記憶はございません」
「だよな〜〜〜。もともと存在感なかったし。それで?俺たちと来るか?」
 やはり教経の推測通り、誰もが記憶していないのだと思い知る。
 確かに戦列には加わっていなかったが、ここにその存在が無いことに誰もが疑問を抱いていない。
 将臣は常に付き従ってくれていた経正を見るが、思いは同じらしい。

(居た・・・んだよ。居たけど・・・出陣したくなかったのはわかる。船に・・・乗らなかったか)
 福原を離れてからは、ほとんど海上生活。
 敗走による流浪は、瑣末な出来事について考える時間を与えてはくれなかった。

(ま、仕方ねぇ。とにかく距離を稼いで時間を作るしかなかった頃の事だ。それよりも・・・・・・)
 後は重衡が仲間に加わってくれるならば、作戦の種類も増やせるだろう。
 返事を促がす将臣に、首を横に振って返した。

「私は・・・仏門に帰依しとうございます。この穢れた身の拠り所は、他にはございません・・・・・・」
「確かに読経ばっかしてたけどよ。それが誰かの助けになるのか?お前は自分だけ逃れようと・・・・・・」
 将臣が最後まで言う前にに遮られる。


「将臣くん!信教の自由。無理強いはダメだよ」
 薬湯を懸命に飲んでいたが話しに割ってはいる。


「重衡さんも気にしないで下さいね。前の戦いだって何とかなったもの。大丈夫。怪我・・・治して下さい」
 の最後通告だ。
 仲間に対していつも諦めるなと言って来たらしからぬ発言に、誰もが言葉を発せず様子を見守る。



 沈黙の均衡を破り、知盛がの飲み残しの薬湯を口に含むと、一息で口移しに飲ませる。
「むぅ・・・けふっ。知盛〜?頑張って飲んでたのにぃ・・・・・・」
 そうは言いながら、碗を手で弄んでは舐めるというペースだ。
 いまだに飲みきっていなかったのがが苦戦していた証拠。
「クッ・・・随分と手間取っていたようなのでな。手助けをさせていただきましたよ。教経。部屋を借りたい。
こいつを休ませる。半時も休めば熱も下がるだろう」
 さっさとを抱え上げ、部屋を退出してしまう知盛。
 その後を女房のように付き従って世話をするのは譲だ。
 菊王丸も主の言いつけを守り、たちに付き従って行った。





「私が・・・ご不快だったのでしょう・・・・・・神子様・・・・・・」
 重衡の視線は知盛たちが退出していった戸へ向けられたままだ。
「不快ちゅうのも違うな。ま!多少無理してでも早く京へ向かえ。尼御前もいらっしゃる。京も手薄で心配だしな。
お前には京を任せる。それでいいだろ?」
 将臣が仲間たちを見回せば、誰もが頷いている。
「還内府殿・・・・・・」
「ああ。それと、もう将臣でいい。俺も早いトコこの役目降りたくてしょ〜がねぇんだな、これが」
 大きな欠伸をすると、将臣がごろりと横になる。

 考えてみれば、もっともな話だ。
 将臣は還内府と呼ばれてはいるが、一門とは無関係。
 それなのに、恩義があるという理由だけで留まり、最後まで見届けようとしている。

「将臣・・・殿・・・・・・私は・・・・・・」
「あ?まあ・・・知っちまってから気にすんなってのは、こっちの都合で申し訳ないんだけどよ。そろそろ通盛来るし。
いいぜ?帰っても。ところで・・・酒とかねぇの?そろそろ陽も落ちてきたし、いいだろ〜が」
 誰の顔色を窺うといって、経正だ。
 何かと世話焼きの、この年長者に頭が上がらない。

「・・・ふう。本日は源氏の皆様もおいでですからね。能登守殿。よろしいでしょうか?」
「ふふふっ。もちろんですよ。こちらの泉の水を使った清酒を用意してございます。すぐに支度させましょう」
 主が自ら客人をもてなす支度を頼みに立ち上がる。
「ラッキー!九郎も飲むよな!」
「あ、ああ。それは・・・・・・もちろん」
 源氏の将が飲むといえば確約だ。
 将臣は胡坐になり待ち受ける。
 密かに重衡が庭を見たまま座っているのが気になるが、こちらからこれ以上言葉をかけても無駄だろう。
 好きにさせておこうとあえて放っておく事にした。





「知盛?」
「いいから・・・すぐに眠くなるだろう。目覚めた頃には譲の飯が出来ている」
 褥にを横たえると、知盛も横になる。
「うん。枕して」
 いつものように頭の位置を決めると目蓋を閉じた。

。しんきょうの・・・とは?」
「ん・・・さっきの話?信じる教えで信教だよ。何を信じても自由ですよって」
「そうか・・・もう眠れ・・・・・・」
 体温を分けるかのようにを抱き締めると、その髪を梳き始める。
 存外には髪を梳かれるのが好きなようだ。
 呪いにでもかかるかのように眠りに落ちるのがわかる。


「今宵が山か・・・あれには見つけられるのか?」
 知盛の呟きは、重衡へ向けたもの。
 知盛とてかつては越前守・通盛を馬鹿にしていた。
 小宰相を毎日のように尋ねる姿は、百夜通いと周囲にも揶揄されていたぐらいだ。
 出し抜いてもよかったが、既にそれだけの噂になっているのだ。
 面倒が増えるだけだと手を出さなかった。
 そうして通盛の恋は成就した。
 それについて何も感じたことなどなかった。今までは───


「知盛さん」
「ああ。入れ」
 戸口で声がしたので入室の許可をする。


 照れながらも手際よく枕上に白湯と泉の水が入った竹筒、桶に手拭と並べてゆく譲。
「按察使さんへ使いを出して、玉積さんにこちらへ来てもらっていますから。俺じゃ無理な事もあると思うので」
 譲が二人の衾の上にさらにかけた衣は知盛のものだ。
 邸から誰かが運ばなければ存在しないもの。
「すまないな。チビも・・・そんな顔をせずとも、少しはしゃぎ過ぎただけだ」
 知盛が手を伸ばして白龍の頭を撫でる。
 どういうわけか白龍は大きくならない。
 自らの意思をもって、本来の姿にならないと決めているらしい。
 真実、龍神の神子を大切に思っており、その伴侶たる知盛を受けいれているのだろう。
 知盛に褒められるのを待っている節がないこともない。
「うん。神子・・・心安らかだからわかる・・・・・・」
 白龍がの額へ手を当てると、小さな光が発せられる。

「ね?神子・・・嬉しい・・・ここなら・・・大丈夫」
 くるりと譲の背に回りこみ負ぶさる白龍。
「・・・静かにしろって言っただろう?ダメだよ、白龍。それじゃ・・・何かあったら廂に玉積さんがいますから」
 知盛に頭を下げると、静かに譲が退出する。

「クッ・・・お前の幼馴染殿は・・・どちらもお前に甘いな・・・・・・」
 余程大切にされてきたのだろうと感じることがある。
 それ故に知盛に対して思わぬ反応を見せることも。

「今は・・・眠れ・・・・・・」
 再びの額へと口づけると知盛も瞳を閉じた。







「ようやく招いていただく事ができましたよ。弟の邸だというのに、兄の私が招かれないというのは寂しいものです」
 到着と同時に恨み言を茶目っ気たっぷりに述べるのは教経の兄である通盛。
 賜っていた任地の役職の越前守とも呼ばれているが、ここは弟の邸である。
 自己紹介からしてお手軽に済ませてしまっていた。

「義経殿とお呼びしても?」
「え、ええ。いかようにでも」
「ふむ。あまりに男前で困りますねぇ・・・教経が負けてしまう。さぞ女子に人気が・・・・・・」
 からからと楽しそうに笑う。
 教経の笑い上戸ぶりからしても、門脇と呼ばれていた教盛の邸は、さぞ明るい家だったのだろうと推測できる。
「兄上。ご冗談が過ぎますよ。義経殿は西国の御大将なのですよ?」
 教経が窘めるが、それで止まるものでもない。
「まあ・・そう煩く申すな。・・・兄に隠し事があるからか?」
「・・・あに・・・うえ?!」
 通盛に知られるような行動はとっていないはずだ。
 教経の瞳が驚愕で大きく見開かれる。

「還内府殿。ほんに・・・教経はいまひとつ考えが足りませぬ。砂浜に妙なモノがうちあげられていれば、人の口の端に
のぼろうというもの。隠したつもりになっているとは愚かな事ですな?」
 弟の肩を叩きながら、再びからからと笑ってみせる。

「・・・お前、頬がこけてたのは演技か?」
 呆れ顔で将臣が通盛の盃に酒を注ぐ。
「いえ、いえ。何かと扱き使われて・・・気苦労がございまして」
 またも豪快に笑ってみせる通盛。

「それよりも・・・我らが父・教盛の事について何かお話でも?わざわざこの様に手回しよく場を設けたからには」
 軽く酒を飲み干し盃を置くと、表情ががらりと変わり真剣なものになっていた。

「やっぱ喰えねぇ、お前。普段はいかにも都の公達してるのに。二重人格だよな〜」
 通盛も教経も、容姿についていうならば文句なく上級に分類される。
 この兄弟の一番の違いは、通盛のコミュニケーション能力の高さに尽きる。
 誰とでも打ち解け、警戒心を持たせない。
 実直な教経は、案外気持ちが表情に出てしまう。
 通盛に限って言えば、表情や言動からは、まったくその心が読めない。

「何を仰いますやら・・・私など、御大将殿の前では赤子も同然でしょう・・・・・・」
 何が足りないといって、唯一行動力が足りない。
 それは通盛自身も自覚しており、将臣や教経を眩しく思う。
 よって、戦でも副大将としての出陣が多かったのは、補佐に適した性格を見抜いている将臣の配慮ともいえた。



「・・・そう言うからには、何か掴んでるのか?弁慶と気が合いそうだよな〜、通盛は」
「ええ。旧知の間柄ですよ。お久しぶりですね」
 通盛が座ったのは弁慶の隣だ。
 本来、客人側に座するというのも妙な話だが、この客間では誰もが好きなように座っているらしく、接待する側と
客人側の隔てがない。
 場を見て通盛は自由に座する事にした。

「そうですね。こうして再び話が出来て・・・・・・」
「ええ。そうでしょうとも。それに、此度はお仲間というわけですから・・・よしなに」
 通盛の変わらぬ態度に、変わらぬ口調で返す弁慶。
 それこそが二人の間柄を示している。


「で?お前、何か知っていそうだな」
「そう大した事ではございません。経正殿からの報告と変わらないかと。ただ・・・山神伝説を少々。あれの由来を
調べたのですよ。神隠し・・・というのは、本当に神隠しの場合はいいのですが。光源氏でもあるまいし、ただ人が
そうそう神のお気に召すはずもない。大抵は強盗か人攫いの類に違いないのですから」
 ロマンチストかと思えばリアリストな通盛が、ここまで打ち解けて本来の性格を見せている。
 それだけ八葉を信じてくれたのだと安心した将臣は、まずは情報を集めようと続きを促がす。

「で?」
「ええ。簡単な事ですよ。本来、人攫いならば女、子供を狙います。ところが此度は違う。狙われるのは
まだ若い男が多い。これは何を意味するのかと思いましてね。そもそも山神(サンジン)、この辺りでは山の神と
いうものは、女神なのですよ。田畑の豊饒をもたらすとされている。若い男を喰うのは正しい」
 一息に話し、盃を軽く煽る。

「古の神話ではその辺りはそう詳しく記されてはおりませんが、喰うとは男女の交わりを指し示す方が多く、
この豊饒の女神も毎年多くの子供を産むとされている。ところが、浜辺に打ち上げられしモノは、真実喰われて
骨ばかり。本来の神が変化したのだとすれば、どこに歪みがあったのかと。・・・思い当たるのは我の姿。
自然の理を歪めたのは、我ら一門なのでしょう。ならば、歪みを正すのも我ら一門でなくてはならない。
そうでしょう?我が父も何かお考えがあり、あのように罪を被って姿を消したに違いないのです。そのお考えが
わからず、出来れば直接伺いたかったと案じているのですが」
 いくら泳ぎが達者だったとはいえ、刀傷を負ったままで戦場の壇ノ浦を泳ぎきり、福原まで戻るとは考えにくい。
 さすがに通盛の言葉は最後を濁したものとなった。

「やっぱ宗盛か・・・・・・。でもなぁ、アイツ、あんまり頭良くなかったし?」
 あまりに言い難いことをさらりと言ってのける将臣。
「・・・・・・あはははははっ!いくら何でも・・・私はそこまで申し上げておりませんが?くっ・・・・・・」
 口元を隠して笑い続ける通盛。

「ま!お前は態度に出しちゃいなかったけどな。それにしたって、誰も覚えていないくらい出陣してなかった。
最初から頭数に入れない程度の扱いだったろ〜が」
 将臣が盃を勧める。
「そこは、それ。優秀な大将たる器の将が大勢おりましたから。何も無理に宗盛殿にご出陣いただかずとも
将には困っておりませんでしたよ」
「俺は困っていたっちゅーの!扱いにくいのもいたしな」
 客間にいない人物についての話だ。
「まあ、まあ。知盛殿もあれで中々どうして。神子様と睦まじい様子は和みますな。・・・さ、教経。何をしている。
さっさと事を起こそうではないか。我のことならば気にするな。妻も共に歩むと言ってくれている。間違いを
正すための機会を得られたのだ。・・・今更兄がもう一度消えたとて、仕方あるまい?本来ならば、存在しない
はずの者が留まっていたのだ。妻との時を少しでも長く過ごせ、感謝こそすれ未練はない。何より・・・・・・」
 通盛が将臣、経正と順に視線を移し、九郎へ微笑みかける。

「これ以上扱き使われるのは、老いた私には少々酷でして。西国の大将殿。迷うことはございませんよ。誰も恨みは
ございません。ただ、一度栄華を極めると手放しがたい。それが高じてしまった一門の罪をお許しいただけるならば、
共に戦わせていただきたい。恐らく、我ら兄弟の父の御霊だけでなく、経盛殿も屋島におりましょう。なあに、簡単な
事です。偶然ですが、同じなのですよ。我を甦らせた時に使われた玉が。竜王の宝珠と呼ばれた八つの宝によって甦った
のは、私と妻、そして経盛殿、経正殿に惟盛殿。経正殿も感じておられたのでは?経盛殿の呼びかけを。方角からして
屋島でしょう」
「父上の声らしきは数度ございましたが・・・・・・」
 父である経盛の声らしきは頭の中で響いたことがある。
 残念ながら確信がもてるほどの言葉は聞き取れていない。
「左様でしたか。何れにしても我らが父上は最早存命ではなく、経盛殿に頼って御霊を留めているのでしょう。早く
迎えに行かねば、最後の言葉を聞き届けてやれなくなる。教経。わかっているな?」
 普段まったく掴みどころのない通盛だが、いざという時には頭が上がらない教経。

「・・・に・・・うえ。私に力がないから・・・・・・」
 拳にした手が震えだしている。

「馬鹿者。その様な理由で力を求めるな。正しく使うべき時に使うのだ。此度の決戦は、神子様もお出でになるだろう。
少しは見習え。あの方の力は、戦うためのものではなかっただろう?新しく創るための力。間違うな」
 通盛が教経の頭を撫でる。
 幼子にするような慰め方ではあるが、言葉ではない気持ちが伝わるのはこちらの方だろう。


「・・・っしゃ!やるしかなさそうだな〜。竜王の・・・って、残ってねぇの?八つだろ?」
「ええ。小松内府殿に試した折に八つを使ったのですよ。その時に割れなかった残りで我らが・・・という事です。
相国様もお人が悪い」
 からからと笑い出す。
 それほどに重盛を大切に、また、頼りにしていた清盛を思うと、哀れですらある。

「しょ〜もな。じいさんの最後の願いもきかね〜とな〜〜〜。だからここまで戻ってきたんだろうしっと!まずは飯」
「おや、おや。あまりさんと変わりませんね?」
 弁慶が口元へ手をあて笑い出す。

「まあな。何はなくとも腹ごしらえだ。・・・その前にもう少しだけこっちな?アイツがいない隙に」
 盃を掲げ、いま少し飲ませろという仕種をする。



 否を唱える者はいない。しばし情報交換と束の間の平穏に浸りきる。
 まだ月が姿をみせようとする刻限───










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 あとがき:「おかしい」と誰もが感じなくなっていた!存在感の問題か?     (2009.01.02サイト掲載)




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