無生





「・・・足りぬ」
「父上。もうすぐ白龍の神子が手に入ります」
 崩れかかった相貌を見られぬよう、端近には息子である清宗しか寄せ付けない。
 神器を使った清盛による術によって現世に留まれたわけではない宗盛。
 姿を保てたのは僅かな時しかなかった。
 福原の戦で早々と逃げ出し、隠れながら再びこの地まで戻ってきた。
 しかしながら、この地こそ宗盛の人相を知るものが多い。
 源氏の勝利と街道筋に伝わった後では、賞金首でしかなかった。



 小戸が連れて来た男たちの陽の気を喰らい、どうにか此度も姿を保つことが出来た。
「・・・清宗。父上のご様子は?」
「相国様でしたら・・・豊成とか申す者へ」
 豊成を生かしておいたのにはそれなりに理由がある。
 僅かながら黒龍の鱗と清盛の魂の欠片を手にする事が出来た。
 ただし、どちらも完全ではない。
 引き止めるために清盛の御霊は器とする身体が必要、黒龍の鱗の方も陰の気が必要であった。

「まったく。あのような欠片ではこの身をどうにかしてもらうのはできぬな」
 宗盛が斬られた後、すぐにその身体を助け出し、福原の邸跡で術法の準備をしたのは清宗だ。
 金さえ積めばそこそこの術者を呼ぶことが出来る。
 この地は陰陽道とも縁が深く、何かと人々は頼っていたからだ。



「宗盛様らしくございませんこと。宗盛様の御所望の者をお連れしましたのに」
 小戸が御簾から半身だけを見せ立っていた。

「戻ったか!」
 脇息に肘をついたまま、僅かに身を浮かせる宗盛。
「戻るも戻らないも・・・先に食事をされたのでございましょう?」
 多岐の手首を掴んだままで部屋へと入る小戸。
 僅かな明かりから窺い知ることのできる人物は、多岐も知っている者たち。

「宗盛様・・・清宗様・・・・・・」
「久しいな・・・多岐よ。いつも我の誘いを拒んでおったな」
 多岐としては適当に裕福で楽しく暮らせるならば誰でもよかった。
 ただし、その跡継ぎ以外の誰かの中でも選びたいのが女心だろう。
 見た目も麗しい方がいいに決まっている。
 兄である宗盛を袖にし、知盛や重衡、または分家の公達を追いかけてばかりいたのは事実だ。

「・・・力を貸してくれるというのは・・・・・・」
「ええ。宗盛様よ。けれど、先ほど私に力を貸して下さったのは相国様。普段はこのように小さな玉に。
貴女のおかげで久しぶりに丈夫そうな身体が手に入ってよかったわ」
 小戸の胸に首飾りがある。
 それには小さいながら艶やかな勾玉がひとつ。
 清盛が最後まで離さなかった黒龍の鱗の欠片に、清盛の怨念が篭り作られた宝玉。
 幻術を使ったのは小戸だが、それは小戸の身体を通じて清盛が発動した術である。

「本当に連れてくるとは・・・よくやったな」
 清宗より労われ、小戸が微笑みながら清宗の隣に座する。
「此度は僅かな物資しか手に入りませんでしたが、人を何人か集められましたので」
 物ばかりが必要なのではない。
 時には別のモノが必要なのだ。
「今回はとてもいい仕事だったな。父上様も・・・久方ぶりにあのように」
 人の形をきちんと止めている。
 最近では陽の気を集めるのが難しく、完全なる姿は久しぶりなのだ。
 宗盛には陽の気が必要だが、仲間を減らすのは本意ではない。
 仲間内から人が消える噂が立ち、そろそろ人を他から攫うしかないと考えていたところだ。

「父上。お邪魔にならぬよう我らは退出いたしますが・・・程ほどになさいませ」
 清宗と小戸が退出し、部屋には宗盛と多岐だけが残された。
 多岐は声も出ないほど衝撃を受けており、小戸たちが引き上げたのも気づかない。
 どこか遠くから響くように聞える宗盛の声に呼び寄せられるままに身体は動き、意識は途絶えていた。





「身体は?」
「いつものように山神様へ捧げました」
「そう」
 屋島の山に異形の者がいるという噂はあった。
 その姿を見たものはいない。
 この地が戦火で穢され、その異形の者が悪しき御霊に取り付かれ化け物となり、人を喰らい出した。
 巨大な獣のようなその姿を、何人もが目撃するようになった。
 福原より移り住んだこの地で、それこそが陰の気を保つのに使えると考えたのは清宗だ。
 その上、陽の気を抜いた亡き骸の処分に都合がいい。

「まったく・・・お祖父様は賢すぎる。ほとんど私にはわからなかった」
 清盛が残した書物も術の意味も、読んだだけでは理解できない。
 時には読めない文字で書かれた異国の書物もあった。
「・・・これに宿っていたのは、本当に相国様の御霊なのでしょうか」
「別に。声がそう言っていたから、そうとしたまで。ある程度術が出来るのも根拠にはなったけれど」
 清宗の手が小戸の胸にかかる勾玉へと伸びる。

「何が雑じっているかまではわからない。ただ・・・何か強い思いを持つモノというのだけは確かだ」
 視線を山へと移せば、獣の遠吠えが聞える。

「山神様の食事も済んだようだ。不要なものは海へ返さないと邪魔になる」
「畏まりました。すぐに」
 小戸が一礼をしてその場を立ち去った。



「お祖父様の御霊が宿る豊成を山神様へ捧げたらどうなるのかな。ねぇ?経盛殿、教盛殿」
 清宗が振り返ると、そこに立つ人物はひとりのみ。
 姿だけでその人物を呼ぶならば、名は経盛だ。
「わざわざそのように呼ばずとも・・・門脇殿はもう居りませぬよ」
 壇ノ浦へ落ちた時に、とっさに教盛の御霊を喰らったのは確かだ。
 しばらくは人格も二人分所有し、清宗とも会話をしていたが、もともとの身体の所有者である経盛の方が
勝ったのだろう。
 教盛の人格は最近ではまったく現れなくなっていた。
 
「存在しないと何故わかる?その体内のどこかに潜んでいるかもしれない」
「私の記憶は私のもの。余分な思いは雑じっておりません。それこそが私だけである証では?」
 どこをどう流れ着いたのか、福原までたどり着いた。
 息子たちを心配し、その消息を尋ねて回った。
 その時に偶然に清宗と出会い、今に至っている。

「私は生きている存在だし、父上を貴方の様に還すことも出来なかった。判断しかねるよ・・・・・・」
 何か得られるのではと経盛の身体を調べてみたが、これといった情報は得られなかった。

「何事も最初が肝心といいますから。やはり最初に使われた宝玉の違いでは?」
 この世に還された時の記憶は目覚めてからのものしかない。
 けれど、清盛と酒を酌み交わした時に、自分の素となったのが何であるかを聞いたのだ。
「貴方の時にはあったからいいけれど。一門の宝玉も、価値あるものはほとんど無くなっていた」
 だからといって、軽んじたわけではない。
 手持ちの中でも最高の宝玉を使ったつもりだ。
 国宝という三種の神器には及ばすとも、玉には違いない。

「早く白龍の神子を手に入れなければ・・・彼の者ならば・・・陽の気に満ち溢れているのだろう?」
 逃げ回っていた宗盛親子は、白龍の神子を見た事がない。
「ええ。まだ女の童でありながら、舞うような剣術の使い手で。その剣先からは光が溢れておりました」
 経正に三草山での話を聞いていた。
 実際に姿を見たのは生田になるが、噂通りその姿は華奢なわりに剣を振るう姿は戦女神と称されるに相応しい。

「陽の気集めも楽ではないし、さっさと屋島へご招待いたしましょう。有川も誘き寄せれば一石二鳥。あの知盛殿や
重衡殿の表情が歪むのを見られれば、さらに上々。ああ。貴方のご子息方は既に怨霊でしたね。邪魔さえしなければ
処分はいたしませんよ」
 何が憎いといって、重盛と認知されてからの将臣だ。
 御大将として一門を指揮し、我が物顔で振る舞っていた。

「そのように憎まれずとも・・・あの者がいなければ、一門も散り散りでしたでしょうに・・・・・・」
 誰もが口にしなかったが、宗盛が武術の鍛錬をした姿を見た事がない。
 一方の将臣は、知盛や経正相手に庭で剣術の修行をしており、一門の武道派の中でも秀でていた。
 何より頭が良かったのだ。神がかりとしか思えないほどの先読みの力も有していた。
 信頼がどちらによせられるかなど、尋ねるまでもない。

「経盛殿は・・・どちらのお味方なのか?確かに父上は争いごとは好まれてはいなかったが・・・このような乱世に
ならなければ、相国様の跡を継ぐのは我が父上のはずでしたが?」
「はっ。失礼をしました・・・・・・」
 実力主義ではない。血筋こそがものをいう時代。
 この場合、清盛の直系にあたる宗盛の家の方が主筋にあたるのだ。
 年下の年端もいかぬ若者に丁寧に対応するのは、そういった家柄の関係によるもの。

「父上から正式に譲り受けないと困るのですよ。・・・色々とね。横柄な態度のあいつ等を苦しめる手でも
考えるとするかな。そう遠い日の話じゃない・・・・・・クククッ」
 若いのにどこか暗く陰鬱な気配を漂わせている清宗。
 自分の父親の無能さに、己の立場の危うさを知っていたのだろう。
 父親のためというよりは、自分の将来のために今を維持するのに躍起になっているようにも見える。
 部屋へと戻る清宗の後姿を眺めていた経盛が、心の中で会話を始める。
 自らの足取りは海が見える場所へと向かいながら───



 (やれ、やれ。我のことをわかっているのか、いないのか)
  教盛の人格は消えてはいない。
  清宗には消えたように見せかけたくて途中から誤魔化していたのだ。
  表面上隠すことは造作もないことだ。

 (最初に人格を出してしまうからだ。お前は昔からいまひとつ考えが足りない)
  少なくとも、怨霊ではなかった教盛が最後に死を選んだことは許せるものではない。
  しかし、引きとめようとした時に、その真意を知ったのだ。

 (兄者は昔から控えめで信頼されていたからだ。私は・・・息子に対して・・・酷い事をした)
  息子に跡目を継がせるには、誰もが認めざるえない事実が必要だったのだ。
  そして、一門内での立場をより強固にしてゆくために立ち回った結果が壇ノ浦での入水。
  悪者を、例えそれが身内でも断罪できる人物ならば、周囲から信頼されることは必定。
  元々がどこか生真面目で頑なな教経だ。
  残念ながら怨霊となって甦った長男である通盛は、人の世で跡継ぎとして暮らすには無理がある。
  時がそれを知らしめてしまう。
  だからこそ教経にすべてを託した。

 (お前には・・・残っていたからな。私は・・・経正と敦盛が無理をしてまでこの世に留まらぬようにと)
  無事を確認できたなら、言葉を伝えたいだけだ。
  陽の気が不足し始めたら、人を喰らうかもしれない。
  そして、一度それをしてしまえば、後戻りできなくなる。
  特に敦盛はその身に怨霊を宿しているのだ。
  ヒトであった時の心が失われる可能性が大きい。
  緊急時ではあったが、異母弟である経盛の御霊を喰らった今だからわかるのだ。
  意識が僅かながら揺らぎ始めている己の心に。

 (兄者。最後まですまない・・・・・・ほんに我は考えが足りぬな・・・・・・)
  経盛の心の変化は、同じ身体を共有している教盛もわかっていた。
  しかもそれは、自らが兄に強いてしまった結果なのだ。


「今更・・・救われることなど期待をしてはいない。ただ・・・・・・」
 遠く福原のある方角を眺める。

「後悔はしたくはないと思うぞ」
 決意は声に出すに限る。
 誰にも知られないとしても、己の声は耳から再び心に木霊する。


 (クッ・・・兄上様は、生真面目すぎるからの。もっとも・・・我も同じ思いよ)
  最後に息子たちにひとめ会いたい。
  詫びて済むものではないが、僅かながらの手助けがしたい。

 (お前は・・・アレを相国殿だと思うか?)
  以前から気になってはいた。
  小戸が清宗に確認してくれたのは都合がよかったのだが、清宗も真実はわかっていないという、有り難くない
 結果に終った。

 (さあ・・・な。ただ・・・相国殿ならば・・・最後は時子殿のもとへ行きたかっただけではないだろうか)

「かもしれぬな・・・・・・」
 弟の言葉を嬉しく思う。
 一門のためには相手を陥れる手段を選ばなかった長兄である清盛。
 そんな清盛ではあるが、家族との時間を何より大切にしていた。
 世間がどう口さがなく言おうとも、清盛という人物を一番理解していたのは時子であろう。 


「さて。今のうちにこの風景を愛でようか」
 屋島に内裏を建てたのは、断崖に守られた天然の要塞としての地の利のため。
 よもや源氏に陸と海から攻められるとは考えておらず、程なく一族の夢であった都は灰となった。
 思い出の地でありながら、今となっては何も残っていない土地。


「お可哀想な宗盛殿。・・・京の暮らしを懐かしみながら過ごしたこの地にしか戻れなんだか・・・・・・」
 海を眺めながらぽつりと経盛が呟く。

 (案外、ここでの暮らしが気楽であったのよ。戦へ行くことも無く、敵にも怯えずにのうのうとしていた)
  辛らつな教盛の想いが頭の中で響く。

 (手厳しいな・・・確かに何もなさりはしなかったが。・・・あれで苦しかったのだろう)
  何かと父親である清盛を頼っていた。
  誰かに頼り続けて生きながらえていた。

 (さあ。・・・ただ、時子殿が産み落とされたとは思え・・・・・・)
  教盛の意見は最後まで紡がれなかった。

「それは・・・誰も聞いてはならぬし、知ったとて誰の得もないことよ。なあ?」
 知盛がいるであろう福原。
 雅を解さぬのではない、ただ興味がなかったのだろう。
 一族で一番武芸に秀でていたと誰もが認めていた、武人と呼ぶに相応しい人物。

「・・・重衡殿も見つかったと報告があったな」
 母親を同じくする優秀な弟たちに抱く劣等感が、どのようなものか経盛にはわからない。
 ただ、宗盛が苦々しく思っていた事だけは察せられる程度の事。



「まあいい。すべては屋島で再び灰になり、土へと還る。輪廻の輪へ戻さねばならん」
 生田だけではなく、瀬戸内海を行きかう交易船を襲い手に入れた物資で懐かしの邸が復元されている。
 何もかも元通りに造りたがったのは宗盛と清宗。
 経盛と教盛にはかつての栄華を懐かしむつもりはない。


「一度壊れたモノは・・・元には戻らないもの。以上か以下か・・・どちらかだ」
 踵を返すと邸へと向かう。
 誰かが見張っていようとも、単なる独り言程度。
 なんら問題はない。
 


 出来る事ならば・・・最後は神子様に封印していただきたいものよ───



 波間に二人の最後の願いが沈んだ。










Copyright © 2005-2008 〜Heavenly Blue〜 氷輪  All rights reserved.


 あとがき:舞台裏ちっく。屋島ではこんな感じ。     (2008.05.06サイト掲載)




夢小説メニューページへもどる