黄泉平坂





「戦が終わり、こちらでの仕事を任されて福原へ来た時に違和感を感じたのです」



 たちが京へ密かに向かう時、遅れて教経たちは福原へと舞い戻った。
 表向きは何事もなかったかのようにだが、実のところは和議を成功させるための隠密行動だ。
 少なくとも源平を手玉に取った後白河法皇への恨みは忘れはしない。
 けれど、それについては将臣が処置をするだろう。
 だからこそ、一度は都にまでした福原の地を荒れたままにはしておけないと、この地へ戻ったのだ。


「部下の中にこの邸の敷地へ入れない者が何名かいたのですよ。もっとも、その前にその森の坂道から
先へ登れない者も居りましたが」
 海から上陸すると、必然的に竜の泉がある森を抜ける坂を上らねば教経の邸へはたどり着けない。
「ここへいらした皆様は・・・何事もなくたどり着けたのですから、何のことかわからないとは思います。
けれど、私はその時にある事に思い当たったのです。・・・・・・怨霊は入れないのだと」
 庭先へ視線を移す教経。
 雨が再び降り出した庭先は、薄っすらと辺りが煙り音を掻き消した。
 


「・・・・・・怨霊って・・・だが・・・・・・」
 誰もが言い難かった疑問を将臣が口にする。
「ええ。兄上も・・・この邸を訪れましたよ。もちろん経正殿も。古の宝物を使って復活した者は大丈夫な
様ですね。ただ・・・怨霊使いが無理に呼び寄せた怨霊や、それこそ力がない術者が還らせた者たちは
入れないのですよ。戦で多少は穢されたとしても、ここは神域にあるには違いない。父上が私をここに
住まわせて下さった理由がわかった気がします」
 かつて福原へ一族が移ってきた時に、教経に山側の警備も兼ねてこちらへ邸を構えろと命じたのは父である
教盛だった。
 清盛の許可も取り付けてくれたおかげで、いつでも好きな時に剣術や馬術を出来るだけの広い邸を建てる
ことを許された。



 『お前は・・・他に興味を持てるものはないのか?』
 『いいのですよ。何もないわけではございません。私には武術の方が雅ごとより理解できます』
 『そうは申しても・・・もう少し舞か唄いは稽古をしておけ。恥ずかしくない程度にな』
 『残念ながら・・・父上に似てしまったもので』
 『口の減らん奴め』
 


 一向に妻を娶る気配を見せず、かといって、宮廷でもそう雅ごとに参加するわけでもなくといった次男を
武芸においては頼もしく思うからこそ自由を許してくれた父。
 兄である通盛がしっかりしていたお陰でもあるのだろう。
 門脇殿と称された教盛の家は跡継ぎに困ることもなく、清盛の弟でもあることから一目置かれていた。



「私が自由に振る舞うことを許して下さった父でしたが・・・・・・」
「ああ。俺にもあの最後は納得できない。野心家だったが、それは企むというより堂々としたものだった。
四男にもなると、なにかと不自由だったんだろうな。こっちの世界じゃ跡継ぎとそれ以外の差は酷いもんだ。
そういう意味ではわかりやすいヤツだったよな」
 野心家としても有名だった教盛だが、それはそれでよくあることだ。
 忠盛の息子たちの数は多く、致し方ない点もある。
 基盤を譲り受けられた清盛と、清盛以外の子息たちの違いは大きい。

「・・・時忠殿の甘言につられたのでしょう。我が父上の事は、もしもその身が保たれているのなら己の意思で
戻られないのか、戻れない状態なのか・・・・・・」
 清盛亡き後の時忠の態度は目に余るものがあった。
 清盛の正妻である時子の実兄でなければ、誰もがその存在を排除したいと思うほどに横暴さを極めていた。
 今でこそ口に出来るその名を経正が口にした。

「まあ・・・な。宗盛には悪いが、アイツじゃオッサンを諌められるどころか使われ・・・・・・」
 将臣も当時の事を思い出したのだろう。そして、違うことにも思い当たった。


 


「伯父上が甦られた日の事を、覚えておいでですか?」





 今日、教経が話したかったこと。
 その話題についての問いが投げかけられた。







「・・・俺が重盛と勘違いされた日・・・だよな?」
 いきなり清盛に勘違いをされた日。そして、将臣の存在を打ち消された日だ。
「ええ。宗盛殿が連れて来た陰陽師が、伯父上を奥の間にて甦らせた日です。私は万が一、術が失敗した時の
ために、手前の間で控えるように命じられておりました。・・・もしもの場合は伯父上を斬る人物が必要でした
から。当時の総領は仮とはいえ宗盛殿でしたし」
 清盛の御霊がそのままで戻るとも限らない。
 悪しきモノ、悪しき状態で戻ってしまった場合の備えとして命じられたのだろう。
 知盛に命が下らなかったのは、知盛が引き受けなかったからだ。


 『知盛。もしもの場合に備えてお前はこちらで控えていろ』
 滅多に知盛に命じることが出来ない宗盛。
 ここぞとばかりに一門の者が揃う中で命じたのだ。
 ところが、知盛はその場を去ってしまった。

 『クッ・・・愚かな事を。あれほど一門の総領になりたがり、念願叶ったばかりでしょうに。父上がいなければ
 その御霊にまで縋ろうとでも?ようやく今生を終えた父上を呼び出すような無粋な事は賛同しかねますな。失礼』



「・・・そうだったな。コイツ、協調性の欠片もなくて。しかも、次に指名された重衡は見つからねぇし。
女の所に転がり込んでいて見つからなかったってオチだったよな」
 将臣にしても、別段その場にいる必要はなかったのだが、何かと尼御前に頼られていたために時子の側に控える
事になり、ずるずると清盛の復活を待つ者たちが集まる広間にいる事になったしまったのだ。
「ええ。私と宗盛殿、時忠殿だけが隣の控えの間に居りました。そうして甦った伯父上と、陰陽師が奥の間から
戻ってこられた」



 『よくもこのような幼子の姿にしてくれたものだ。宗盛が見つけてきた者だそうな?』
 『父上!・・・・・・』

  清盛が軽く手のひらを広げると黒い煙が噴出す。
  その煙は陰陽師を包み、煙が消えた時には陰陽師は事切れていた。

 『つまらん事を。術者が消えれば術は意味を成さないのだぞ?のう・・・宗盛』
 復活した清盛を操ろうとでもしていたのだろう。
 植えつけられた呪いは、その発動を待たずして滅された。

 『時忠殿。時子の兄と思うからこそ何かと目をかけておりましたが。我の居ぬ間に何ぞ楽しい事を考えておいでか』
 『相国殿・・・私は・・・・・・』
 『東夷に贈り物を考えている事、我は知っていて見逃してやっていたというに。改めては居られなかったか』
 再び巻き起こる黒い煙に、時忠の体はすべて飲み込まれる。
 その間、宗盛はただ震えて蹲るばかり。

 『そなたは・・・教経か。いい若者になったのう・・・あれとは大違いじゃ』
 宗盛の姿を見るにつけ不快が増すのだろう。
 清盛が顔を顰める。
 
 『それにしても、この姿には困ったものだ。これでは時子は我とわかるまい』
 『伯父上。それには及びませぬ。尼御前がお待ちですよ。広間へ参りましょう』
 『ふむ。出て行かぬわけにもいくまいな。教経、案内せい』







「そうだったな。いきなりチビが出てきて驚いたんだが・・・・・・」
 将臣は幼子の清盛が誰であるかなど想像もつかなかった。
 その清盛はといえば、真っ先に時子を見つけ近づいた。
 そうしてその隣に座る将臣を見たのだ。





 『重盛!そなた・・・先に還っておったのか。なるほどそなたを先に甦らせておったのならば、あの小者では我を
 幼子にしか戻せないのも道理。宗盛にしては上出来だぞ!はっはっは!』
 何がどうして勘違いをされてしまったのか、将臣は重盛として認識されてしまった。
 宗盛はこれ以上清盛の機嫌を損ねたくはなかったのであろう。
 追随することにより、その場で将臣を重盛ということにしてしまった。 






「私も驚きましたが・・・将臣殿ならば御大将の器と思っておりましたし、周囲も納得している様子でしたから。正直、
宗盛殿の無理な命により、戦況は傾くばかりでしたし」
 都を追われてからというもの、逃げることしか考えていない宗盛の逃げ腰の戦略では、勝てる戦も勝てはしない。
 一門の結束も揺らぎ始めていた時だったのだ。
 要である清盛を甦らせようという案に、誰もが縋ったのも仕方のないことだ。
「まあ・・・尼御前も俺を側に置いていたのは、重盛に似てたからだろうしなぁ。知盛たちがいねぇから」
 時子の子息はことごとくその場にいなかったのだ。

「な〜、知盛。お前、ほんとに使えねぇ」
「クッ・・・別に過ぎたことだ」
 知盛は清盛が復活した後も、否定するでもなく現状を受け入れていた。
 知盛にとってはその程度の事なのだろう。
 相変わらずの態度で座っている。

「・・・奥であった事はなんとなく想像はついてたけどな。それで?」
「ええ。それはそうでしょう。叫び声までは消せませぬ。・・・・・・話の始まりは始まりとして知っていただき
たかったのです。問題は、我々にいつ宗盛殿が姿を消し、どこへ行かれたかの記憶がありますか?」
 将臣の目が見開かれる。
 いわれてみれば、いつの間にか総領としての地位を確立してしまった将臣。
 平家の将たちをまとめ、一門の結束を図るよう働いてきたつもりだ。
 が、宗盛に何かを命じた記憶はない。
 しかも、その存在を記憶してはいるものの、目にしたかと尋ねられると自信がない。

「経正・・・お前は・・・・・・」
 ゆっくりと首を経正へ向ける。
「私も教経殿に指摘いただくまで考えてもおりませんでした」
 経正も動揺したのか扇を取り落としている。

「教経・・・お前・・・・・・」
「ええ。私とて皆様とそう変わりませぬ。ただ・・・この地で他の者たちはどうしているだろうと、ふと考えたのです。
ただそれだけのことです」
 気になっていた事を信頼出来る相手に話せた教経の顔は穏やかだ。
 白湯を再び口へ含む教経。


「教経さん」
 

 起き上がったが教経の傍へ歩み寄ると、眼前へ座る。
 教経の手をとり語り掛けた。


「ずっと一人で・・・話せないでいたんですね。私、どうしても福原に来なくちゃって思ったんですよ。知盛が
仕事で来なきゃいけないって言ったのもあるけど、呼ばれた気がしていたんです。それって、教経さんだったのかな。
こんなに大勢で押しかけちゃって迷惑かもだろうけど・・・・・。もしかして、教経さんはひとりで宗盛さんを
探していて、何かありました?」
 教経が弱々しくに微笑みかけた。
「神子様はすべてをご存知なのですか?私が思い出した事は・・・かつて伯父上が一門の者を復活させるために
集めていた異国の書や道具が消えていたことですよ。最後に伯父上自ら復活させたのは敦盛で、その敦盛は神器の
力が足りずに慌てたものです。そうでしたね?但馬守殿・・・・・・」
 教経の視線に頷く経正。
 残念ながら当人には記憶がないため、敦盛は不安そうに経正を見つめるだけだ。

「敦盛の死を・・・私は受け入れることが出来なかった。神の気が宿る宝物も残り少なく、敦盛を取り戻せるのか
私にとっても賭けでした。この子の亡き骸はまだ温かく・・・・・・伯父上を頼みに夜通し戦場から駆け戻った」
 敦盛本人の前で話したくはないが、いつかは知られてしまう事だ。
 今がその時なのだろうと経正が当時を語りだす。



「伯父上の力も足りなくなっていたのですよ。黒龍の鱗では、陰の気しか集められない。冥府に属するものに
必要なのは、陰にのまれないための陽の気。残る神器も始めから欠損していた八尺瓊の勾玉のみ・・・・・・。
だから敦盛は・・・はじめは人の形を保てないでいたのです・・・枷が必要なモノを使うことでしか御霊を引きとめる
ことが出来なかった・・・・・・すまない・・・敦盛」
 経正が敦盛を抱きしめ涙を流した。



「・・・・・・経正。お前は父上がしていた呪法をどこまで知っている?」
 知盛が冷静に口を挟む。
「私は・・・・・・立ち会っておりました・・・ただ・・・その場に居たというだけではございますが」
 経正が顔を上げ、知盛の問いに答える。


「ならば、教経。お前が考えていたのは、宗盛兄上は誰かに復活されられたモノであり・・・・・・」
 知盛は立ち上がると、を教経から引き離して抱きしめる。
が扱える陽の気を必要としている状態だと・・・そう考えているわけだな?」
 今度は教経が知盛の問いに頷き、答えた。


「私の浅はかな考えではありますが・・・胸騒ぎがしたのです。伯父上が施した術は何であったのだろうかと。
怨霊使いたちはどうしているのだろうかと。そして・・・・・・何が違うのだろうかと。経正殿や敦盛は正気を
保てているではありませんか。惟盛殿などはすぐに陰の気にあてられてしまったというのに」
 誰もが考えていた事だ。
 神気を宿した宝珠を使って清盛が黄泉還りをさせた一門の者たち。
 どこに違いがあり、姿を保てているのか謎である。



「何だ。それなら簡単ですよ?大切な人がいる人の心は強いから。自分を見失わない人だけが自分を保てるの。
そう思うけどな〜。確かに、最初にどうしたかは気になりますケドね」
 知盛に抱きかかえられたままのが笑ってみせる。
「・・・お前にかかると何でも簡単にされちまうな。まあ・・・清盛も人によって違う術を使ったってもんでも
ないだろうしな。重盛だけは復活させられなかったみてぇだけど」
 将臣もの意見に賛成なのか、違いの部分に関して考えはないらしい。


「・・・重盛兄上についてならば・・・魂魄が体に戻れなかっただけだと思うがな。肉体がなければ戻る器が
ないのだから、いくら呼んでも戻れまい?」
 知盛が己の考えを周囲に披露するのは珍しい。
 今日の知盛はとにかくよくしゃべる。


「ふう。随分と重い話ばかりですね。朔殿が感じていた不安はどのようなものですか?」
 祈るように手を合わせていた朔に弁慶が話しをふる。



「私は・・・私には声が・・・・・・黒龍の嘆きが聞えたのです。微かな嘆きの声が。悪しきモノに利用されたく
ないという叫びが・・・・・・だから」
 きつく目を閉じると、朔が震えだす。
 考えたくはないが、黒龍の鱗の欠片が何者かに作用しているらしい。


「朔。大丈夫だよ。見つけよう?黒龍を。取り戻しに行こうね」
 親友を抱きしめ慰める
 慰めるだけではなく、行動に移すのがたる所以だろう。

「さ〜てと!知ってることや気になることは全部話しちゃいましょう!これから全員で集まれる機会が何回あるか
わかんないし。お互いに隠し事ナシ!ね?」
 立ち上がり拳にした片手を振り上げる。


「と、いうわけで。まずは九郎さんかな〜。何かない?」
 



 一番何もなさそうな人物を名指しし、の仕切りで話は続いた。










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 あとがき:あの世ってやつですね。還内府ってそういう意味なんですよね〜。     (2007.12.02サイト掲載)




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