不穏





 宴の晩、少し離れた浜辺では幻術が披露されていた。
 ヒノエの部下たちから小船が見えないように施された術。
 熊野の船団には護符が貼られており、迂闊に近づけないのだ。
 今回はせめて陸にある物資を屋島へと、出来るだけ大掛かりにならない策をとった。
 それは自分たちの力を見せ付けるためと、必要な力を手に入れるための布石。
 小さな影がひとつ、浜辺から雪見御所へ続く坂を上る。
 かつて知ったる邸に侵入し、知盛たちから距離を置いて後をつけていた者の肩を叩いた。

「ひっ!・・・・・・お前は小戸?いつ戻って・・・・・・」
 多岐が振り返ると、そこには行方がわからなくなっていた小戸がいた。
「多岐様。その様に神子様を睨んでいても、何も変わりませぬ」
 わかっている事を言われ、怒りで顔が朱に染まる多岐。
「そうは言うけれど。あの女には仲間が多いし、常に誰かの目があるの。それに、源氏の
陰陽師の兄がいたり、とにかく面倒なのよ!」
 恨みが募り、なんとしても一泡吹かせたいのだがどうにも近づくことが出来ない。
「まあ。多岐様らしくない。私も色々ございましたけれど・・・・・・」
 小戸の出自は多岐よりも低い。
 何かと面倒な仕事を押し付けられたり、苛められたものだ。
 小戸はどちらかといえば内気で、多岐たちのように公達に見初められたいという思いはあるものの、
自ら行動にはでられない。宴などでも公達に適当に遊ばれるだけの日々。
 そんな小戸にも恋人が出来たのだ。出自もないような庭の警備をする武士ともつかぬ者。
 それでも二人で幸せにという矢先に源平の戦で命を落とした。
 奇しくもそれは三草山の戦。
 始めは世の習いよと諦めていたが、源氏の神子の幸せを目の当たりにし心に闇が巣食った。
 その闇こそが好物というモノが福原には存在した。


 どこか小戸らしくないと感じるものの、どこという確信が持てない。
「・・・色々はどうでもいいわ。なんだったら手伝いなさいよ」
 今までと変わらぬ態度の多岐。
「まあ。嫌ですわ。私、多岐様によいお話をお持ちしただけですのよ?」
「どういう事?私に逆らうなんて」
 否と言われた事などない小戸からの拒否に、多岐は高圧的な態度をとり続ける。
「私、あの人の仇を取ろうと思いましたの。そうしたら私に手を貸して下さる方がいらして。
よく考えましたら、多岐様にとっても神子様と知盛様を引き離すというお話は楽しいのではと思って。
別に私は神子様に用事はないのですけれど。・・・源氏の神子だったという事以外には」
 小戸の仇は源氏の者すべてという事らしい。
「あなた・・・それがどういう意味かわかって・・・・・・」
 この世を再び戦乱の世に戻そうとしているのだ。
 源氏の者に対し何かが起きれば、間違いなく平氏の残党の恨みと判断されるだろう。
 その対象が和平の象徴である神子に起きたとすれば、再び世が乱れるのは必須。
 多岐も以前は神子を疎ましく亡き者にと考えはしたが、以前の失敗で懲りたのだ。
 に手をかけるのは、源平両方を敵に回す事態になりかねないと覚った。
 だからこそ、に対してささやかな意趣返しをと考えを変え見張っていた。

「わかっていますわ。多岐様って、案外つまらない方。何も自分では行動なさらなくて」
 くすくすと小戸に笑われ、いよいよ多岐が声を荒げた。
「だったら。私も知盛様を手に入れるため、貴女について行ってもいいわ。貴女のいう、手を貸して
くれる人たちのところへ案内なさい」
「あら。まだ私にその様に仰るの?多岐様はお馬鹿さんですこと・・・・・・」
 小戸が手のひらを多岐の眼前で広げる。

「さあ。貴女のその醜い心を食べさせてあげて下さいな。私たちの神様のご馳走なの」
 多岐の体がぐらりと揺れ、小戸の命のままに動く。

「そろそろ陽の気も足りないの。貴女に夢中のお馬鹿な男たちも牢から出してもらいましょうね?」
 牢の鍵はなくともいい。
 幻術を使って開けさせるつもりだ。
 そこに景時の結界があっても、近くにいる別の人間を使えば結界には触れないだろう。


(もう・・・何もいらない。生きていても、死んだとしても、何も変わらない・・・・・・)
 月は隠れている。
 闇に紛れて邸を抜け出す複数の影。
 操られている男たちは自らの足で歩いてくれるので手がかからない。

「さあ、船に乗りましょうね?」
 小船の船団が闇の中を沖へと引き上げる。
 そろそろ小戸の力もなくなるだろう。

「早く戻らないと・・・・・・」
 夜空を見上げれば月が顔を見せ始めた。
 ある態度の距離が稼げれば、元々が夜なのだから見つかる心配は無い。
 怨霊たちが漕ぐ大船へ乗り換え、屋島を目指した。







「・・・で?ないんだ」
「ないな」
「まあ・・・陸揚げしたのは考えに入っていなかったし」
 浜辺で首を傾げる景時、将臣、ヒノエの三人。
 リズヴァーンは沖を見ながら腕組みをして立っている。

「それが・・・・・・宴の最中なのか、後なのか、今朝なのか・・・・・・」
 港の部下から報告を受けて最初に駆けつけた経正にも事情が飲み込めない。
 わかっているのは僅かではあるが物資が消えたこと。
 ヒノエの部下たちの目をも霞めて奪われた事が気になる。今回はかなりの食料が消えた。

「まあ・・・あれだ。さすがに熊野の船までは狙われなかった・・・と。辰巳はどうした?」
 船を任せていた部下の名前を告げると、すぐさま駆けつけてくる。

「頭領・・・すまねぇ」
「いや、別に咎めているわけじゃない。何か感じなかったか?」
 ヒノエの問いかけは極めて大雑把であるが、そこは船を任されるほどの部下だ。
「へえ・・・月が隠れていた頃、より気をつけて陸を見張らねぇと、とは思ったんですが」
「思ってどうしたんだよ」
 月が隠れていた頃は、宴の席で酒が程よく酔いをもたらしていた頃合だ。
 船にいた部下たちには申し訳ないとは思うが、ヒノエとて本気で酔ったりはしていない。
 少なくとも邸周辺での異変は住吉三神の訪れのみ。

「・・・へえ。今思えば、何も変わらねぇのが変だったと。影が動かなかった・・・・・・」
「なるほど。そういうわけか。よく見てたな」
 腕組みをしていたヒノエが満足気に頷く。
 辰巳もどうにか役目をこなせたらしいとわかり安堵の溜息を零す。

「景時!アンタ得意のあれだ。消えたんじゃない。見えないように目隠しされたんだ」
 軽く指を鳴らし、そのまま景時を指差す。
「・・・これだけの規模のっていったら相当大変だよ〜?もう必死ってカンジぃ〜〜〜」
 眉毛をハの字に寄せながら、肩を竦めて情けない声を上げる景時。
「おい、おい。もっと大きい術使っておいてふざけんなっての!」
「あいてっ!だってさ、オレはあの時必死だったし」
 ヒノエに背を叩かれようとも景時は軽い態度のままだ。

「ここで揉めててもしょ〜もなってことで。リズ先生!先に邸の方へ戻っていてくれねぇか?
あっちは知盛たちしかいねぇし、今日はここの調査してすぐに俺たちも戻るからさ」
 砂浜にしゃがみ、小枝で何事かを書いていた将臣がリズヴァーンに向かって声をかける。
 リズヴァーンは振り返ると、将臣の前へ片膝をついて座り一文字書き付けた。

「これ・・・・・・」
「ああ。砂は足跡が消しやすい。最後に誰かが掃けばいいのだから・・・・・・昨夜は潮が
満ちる時間を計算したのだろう。今朝方の満ち潮で浜辺の足跡は残らない」
 物が消え、その痕跡も消えていた不気味さに基本的な事を見落としていた。
「さんきゅ〜!できるだけ手間いらずの時を狙ってたって事か。にしても・・・・・・」
 リズヴァーンが砂に書いた文字を枝を使って消す将臣。
 顔を上げた時にはリズヴァーンの姿は消えていた。

「玉・・・か・・・・・・」
 将臣もかつては六波羅に全盛の平氏一門と共に住んでいた。
 当時は清盛も将臣を将臣として認識していた。総領たる重盛が病で亡くなるまではの話。
 重盛が亡くなってからの清盛はといえば、腑抜け同然だったのは僅か数日。
 その後は重盛を生き返らせるために怪しげなモノを掻き集め出した。
 
(清盛が集めた書や道具はどうした?)
 儀式に立ち会ったことはない。
 けれど、それはどこかに存在するはずなのだ。

(俺が知ってる範囲じゃ・・・・・・経正か)
 敦盛が殺された戦場から、その亡き骸を携えて六波羅へ帰って来たのは経正だ。
 それから一週間の後に敦盛は蘇って将臣の前に姿を見せた。

(あの一週間の間に起きた事・・・最後の復活者は敦盛・・・・・・か)
 仲間の前で敦盛の真実を曝すような事はしたくはないが事態は深刻だ。

「まあ・・・が一番わかってねぇからなぁ・・・・・・誰も気にしちゃいないか」
 敦盛が半獣の怨霊とわかってからも、をはじめ仲間の態度は変わらなかった。
「それよりも玉だな・・・・・・」
 リズヴァーンの書いた玉の一文字。
 何かを感じて書いたのだろうと思う。けれど、玉は宝玉しか思い浮かばない。

「なあ、将臣。潮の満ち引きってのはいいんだ。それはわからなくもない。ただ、ここからは
見えなくても、他からは見えていたんじゃないか?仲間に探らせてはいるけど」
 将臣は傍らに立つヒノエを見上げた。
「・・・淡路か?」
「さあ・・・そもそも人が起きている時間ではないしね。どれだけ情報が集められるかは
わからないけど、やってはみる」
 油は高い。人は日の出と共に起き出して働き、日の入りと共に休む時代。
 貴族や裕福な者でなければ夜はそうそう起きてはいない。
 声には出さないが望みの薄さに溜息が漏れた時───


「あ!やっぱりそういうことかな〜?」
 景時が手を叩いて声を上げた。


「・・・そこ!ひとりでやっぱりとか突然言うな」
「ごめん、ごめん。それがさ〜・・・っと。朔がそろそろ着くかな〜。オレも戻ろ〜っと」
 くるりと将臣とヒノエに背を向け駆け出す景時。
 慌てて家長が後を追いかける。その後ろをヒノエに合図をしてから隼人が追いかけた。


「・・・妹思いっていうと聞えがいいけど。あれだな。妹バカ?」
「将臣も似たようなもんだろ?なんのかんのと譲のコト、構ってるしな〜」
 すっかり脱力したヒノエが大きく伸びをする。
「アイツの反応が昔から面白いんだから仕方ねぇだろ。真面目ちゃんだからな〜」
「家にも似たようなのがいるからわかるけどね。親父も叔父もうるせぇの」
 二人並んで砂浜を歩き出す。
 調査するほどの物的証拠はここには残されていないだろうとの確信を得たからだ。

「もうひとりいたな、弟バカ」
「あ〜〜〜・・・あれは仲がいいって範囲だろ」
 将臣の視線は部下に指示を出している経正に注がれている。
 ヒノエもそれに気づいて追随する。
「アイツと話をしないと・・・な」
「ふうん?ま!敦盛は覚えちゃいないだろうから、他に聞くしかないのは確かだね」
 ヒノエは将臣の含みのある言い方ですべてを理解した。

「まあ・・・何かあんだろ。何か・・・な」
「さ〜てね。とりあえず、景時の事でもからかうかな〜。九郎が来るまで退屈だし」
 呆れた視線でヒノエを見つめる将臣。
「程ほどにしとけよ?朔がキレるから」
「わかってるよ。朔ちゃんはお兄ちゃんが大好きなのに天邪鬼だからね〜」
 軽い足取りで坂を上りだす。
「つか、九郎にもだ。弁慶が怖いよ、俺は」
「あれは怖いというより・・・黒いんだよな!」
 男二人、笑いながら邸への道を歩く。
 何か手がかりがないかとあえて徒歩を選んだのだ。
「そうか〜、ヒノエは毒を盛られたかったのか。弁慶に言わないとな!」
「マジかよ。アイツは本気にするに決まってるだろ〜。勘弁してくれよ」
 傍からはふざけているだけにしか見えないだろうが、周囲の気配を丁寧に探りながらの二人。

「・・・重大な事実を忘れていた」
「何だよ」
 将臣が神妙な顔でヒノエを見つめる。
「知盛が起きて客を迎えるわけがないという重大な事実だ」
 今朝方の異変は知盛には知らせずともいいと、菊王丸へ伝言のみを残してきた。
 それ故に知盛がいつも通りとしか思えない。
「・・・あははははっ!そりゃすっごい手落ちだね。まあ・・・あの古株の女房さんもいるし。
姫君が腹が減って起きるんじゃないかな?」
「それもそうか。の腹はよく鳴るよな〜。俺たちの世界じゃ食い物に困るって事がなかった
から仕方ないけどな。いつもアイツは菓子だのなんだの食ってたし」
「へえ?それは、それは。また姫君のために唐菓子でも取り寄せようかな。俺様の愛をわかって
もらえるように」
 それこそ冗談でしかない。
「・・・不毛な発言は無視するとして。こうジメジメしてるのはイライラするな。降るなら
ざぶっときてくれりゃいいのに」
「将臣こそ情緒がないよ。いいんだよ、こういう風情がさ」



 男二人、どこまで本気かわからない話をしながら帰路に着く。
 いかにも梅雨の雨が降り出した朝。
 昼には九郎たちが到着した。








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 あとがき:そろそろ事件のアウトラインをちょろり。     (2007.09.01サイト掲載)




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