有明の月を見上げ 「・・・んっ」 目覚めそうなの髪を梳き再び眠りへと誘い、しばし思考の為の時間を作り出す知盛。 福原へ来てからを振り返れば、思い出そうとして思い出せない記憶があるのがおかしい。 正しくは気にも留めていないから思い出せないものは除き、ある程度の事ならば一度 諳んじた程度で記憶する頭なのだ。 考えて思い出せない事こそがおかしいと気づくべきだった。 (景時が言っていたアレは・・・誰に対する効用を狙っての事だったのだろう・・・か) 香炉に仕込まれた何かによってが魘されたのは、清浄な存在にこそ効き目が高かったと 推測できる。 (俺に思い出させたくない何か・・・か。馬鹿らしい。宗盛兄上の知恵など) 昨晩より別の部屋でと過ごしている。 思いつきで泊まったこの部屋に、誰かが何かを仕掛ける時間はなかった。 もっとも、相手が昨晩を決行日と考えていたのだとしたら、この後は大騒動だ。 考えを巡らせながら、はっきりと兄・宗盛の顔が思い出せた。 「・・・部屋へ戻るぞ」 軽くの体を揺すると、 「んぅ・・・・・・ん。歩くの嫌」 目蓋を開く事なく返事があった。 「クッ・・・少し肌寒くなるだけだ。動かなくていい」 を直衣で包んで抱え上げると、自らの肩へは軽くの上着を纏う。 今宵二人が過ごした部屋は、今後は客人用の部屋となるだろう。 静かに立ち上がり、まだ靄の残る庭を眺めながら足を進める。 簀子から渡殿へ歩めば空には月が留まっていた。 「有明の月・・・・・・」 月が消えない内に帰るのが古来よりの決まりごと。 想い人との逢瀬を分かつ月のはずなのだが、変わらず知盛の傍にいるを見つめる。 「決まりごとなど、意味がないのだろう?」 に言わせると根拠がない言い伝えは無視していいらしい。 「そ・・・だよ。自分で・・・考えなきゃ」 「クッ・・・・・・起きていたのか」 対の角を曲がれば、すぐに二人の部屋だ。 隠れて二人に付き従っていた按察使が、先に戻って御簾を上げて待ち構えている。 按察使を確認すると照れくさそうにが挨拶をした。 「あの・・・朝帰りしちゃいました」 「まあ!・・・おほほ。もう半時ほどお休み出来ますよ。ご用意してございます」 公達の朝帰りなど常の事だ。 逆に深夜の帰宅の方が何かと迷惑で、慌しく仕事に取り掛かるようになってしまう。 それよりも姫君の外出の方があり得ない。 そんな時代に朝帰りであると口にするが可愛らしく、つい口元を隠しながら笑ってしまった。 「は・・・い。まだ・・・眠いです」 揺らめかせていた首が、知盛の肩へ寄り添うことで安定する。 僅かに知盛が按察使へ合図を送ると、滞りなく寝所の褥までたどり着けた。 再びが眠りについたのを確認し、知盛が声を発する。 「按察使。梶原殿をこちらへ」 景時ならば目覚めている時間だろう。 己の勘を信じるならば、そろそろ何事か起きている。 その前に確認したい事があった。 「妹の寝所というものは・・・照れるねぇ・・・・・・ここでいい?」 小声で呟きながら知盛たちの寝所に現れた景時。 すでに起きていたらしく、知盛が呼び出してから僅かな時間しか経っていない。 「そこでは声が届かない・・・こちらへ」 を起こさない配慮なのだろう。 低く響く声が景時をさらに奥へと呼びつけた。 「じゃあ、少しだけお邪魔するとして・・・・・・何かあった?それとも何か思い出した?」 几帳の内側まで入ると、背を向けて横になっている知盛に対し、背を合わせて座る景時。 知盛とを見ないための配慮だ。 いかにも彼らしい行動に知盛の口元が緩む。 「いや?そう大層な事は思い出してはいないが・・・の気が・・・な」 「気?・・・・・・あっ!オレとしたことが。それは考えなかったな〜。たはは」 背を向けていた景時が動く気配が伝わる。 「ちょっとだけ・・・手に触れてもいいよね」 「ああ」 知盛にぴたりと寄り添って手を軽く拳にしている。 知盛が体をずらし、景時がの手に触れやすいように隙間を作った。 「・・・・・・今は安定してるけど・・・そういう事?」 「まあ・・・それしか考えられん。ただ・・・・・・」 知盛が言葉を切る。 の手が動き、知盛の肩を軽く叩いた。 「・・・れ?知盛だ。景時さんっぽかった。・・・おやすみ」 景時が素早く床へ寝そべったために、知盛に隠れて見えなかったようだ。 再びの目蓋は閉じられた。 「何故・・・梶原殿と?」 が眠りかけているにもかかわらず即座に質問をする知盛。 「ん・・・熱出たとき・・・朔とかわりばんこで看病してくれ・・・た・・・・・・」 知盛の存在が確認できれば後はどうでもいいらしい。 すぐさま眠りについてしまった。 「・・・ふう〜〜〜っ。焦った」 腕をつっぱり、知盛越しにが眠ったことを確認する景時。 一方の知盛は、が知盛を他と区別して認識していることにご満悦だ。 「で?ただって言ってた続き・・・・・・」 「ああ。これだけ睦み合って子を成さないのは・・・俺の陽の気を求めてだから・・・だろう?」 孕ませないよう過去の女たちに対しては上手くやって来た。 に対してはその配慮の必要ないのだ。 子供は嫌いでも、それを遠慮する仲ではないし、ましてや正式に知盛の妻である。 「不満とか?陽の気というなら、白龍は全身陽の気の固まりだし。いわゆる陰陽道だと男は陽で 女は陰なんだよ。陰を持つ存在でありながら陽の気質のちゃんの方が稀有な事でさ。陽の 気ならば、知盛以外でも補充はできるんだよね〜」 座りなおすと、指で知盛の頬をつつく。 景時に向かって背中を見せたり、寝所まで招き入れられる程の信頼関係があるからこその行動だ。 そうでなければ知盛の面倒くさがりな性格からして、その場で命はないだろう。 「・・・わかっている」 「ならいいんだ。ちゃんはいつだって知盛を選んでいる。そこは疑わないであげて欲しいな」 景時の妹を心配する兄の心遣いに素直に頷く知盛。 「昨夜・・・嫌というほど聞かされたからな。こいつは面白い・・・・・・」 の頬を撫でると満足そうな笑みを見せる。 眠っていても知盛の手とわかって安心しているのだ。 重衡の部屋で飛び起きた時の事を考えれば、にとって区別すべき人物とその他大勢は しっかり分けられているらしい。 そこまで知盛にこだわって追いかけられたことなどなかった。 また、それが嬉しいと感じたこともなかったのだ。 ついつい寝顔を眺めて、景時の存在を忘れかけていた。 「思い出したのは何?」 わざわざ早朝の寝所にまで呼びつけたのだから肝心の内容は別にあるはずだ。 知盛がを大切にしている様子は嬉しいが、何かがそこまで来ている気がする。 珍しく景時の方から話の先を急かした。 「宗盛兄上を。・・・がここで魘されたのは、俺が受けるべき事だったのかもしれない。 俺に対する何かを期待して・・・・・・を狙うのは俺へのあてつけか・・・・・・それに、 偶然かもしれないが、俺は兄の顔がはっきり思い出せなかった」 「はは〜ん。そうか。何か思い出して欲しくないんだ。・・・宗盛殿は・・・・・・」 異変の元は屋島にあり、鍵は知盛の記憶という事なのだろう。 「ああ。恐らく・・・もう怨霊なのだろう。ただ、兄上の復活に関しては父上がしたわけではない。 経正たちのように、姿を保っているかもあやしいものだ」 戦が嫌いで頭も悪く、雅ごとも解さない。 宮廷でも清盛の威光が無ければ内大臣の地位もなかったかもしれない。 そんな宗盛に対する関心は誰もが持ちあわせていなかった。 「えっと・・・知盛の兄上は・・・・・・」 景時が知盛の兄弟を思い出そうと指を折り始める。 「クッ・・・重盛兄上だけだ。基盛兄上は重盛兄上と同母だったが・・・早世されたのでな。 武道に秀でた方だったと記憶している。俺が出仕を始めて間も無く亡くなられた。理由は怨霊に 祟られてと世間では言われているが、実のところは熱病だった。戦を仕掛けるための戯言で、わざと 藤原の怨霊だと言いふらしたと・・・そう父上が仰っていた」 珍しく饒舌な知盛に驚き目を見開くが、平氏の一族について聞くいい機会だ。 景時は姿勢を正した。 「・・・宗盛殿は知盛と同母兄なんだよね?」 「ああ。酒と女に溺れるしか能のない兄だったのでな・・・ほとんど顔を合わせはしなかったが。 何かと向こうが気にかけてくださるので、時々は見かけていたな」 兄だけれど兄とは思っていないらしい。 「ふ〜ん。内府は極めて臆病におはせる人なれば、自害などはよもせられじ・・・噂通りな感じ」 源氏内での宗盛に対する噂話を思い出す。 宮廷の行事には名前があるものの、何か実績があるかといえばまるでない。 ところが、醜聞では名前が出ない事がない。 「クッ、クッ、クッ・・・愚鈍な輩に何を言っても意味などないだろうに・・・・・・」 「まぁねぇ・・・それこそ、本当は二位の尼君が産んだ子ではないという噂まであるしね。顔、 似てないんだって?麗しいという話は聞いたことがないんだけどさ」 知盛にしても重衡にしても、いわゆる美丈夫と呼ばれる部類だ。 直接中宮の顔を見たことは無いが、の話の様子からして美しいのだと思われる。 常々平氏の一族は美しいと、事あるごとに言っている。 「鍛錬もされず・・・酒と食と・・・女に溺れた者の末路は・・・・・・」 ふとの言葉を思い出す。 「腹がでっぷりと波打つ姿になるばかりなり・・・・・・クッ・・・醜悪だな」 の頬へとキスをし、京の宮廷での遣り取りを思い浮かべる。 「・・・何が詰った腹なんだか。黒いよりいいんじゃないのかな〜〜〜。御名には白があるのに」 さり気なく後白河法皇を非難する景時。 「何れも大差ない」 「ま、確かに」 互いに笑いを堪え、の寝顔を伺う。 「昨夜は?」 「ああ。何も起こらなかった。はこの通り・・・・・・」 知盛の言いたかったであろう続きを景時が受け取る。 「嫌だねぇ・・・いかにも何か起きそう。早く朔の姿を見たいかも・・・無事に着いてくれれば」 どこで何がというのが一番予測が出来ない。 景時の心配は福原へ向かっている朔へと移る。 「ああ。義経殿と弁慶殿がご一緒だから、めったな事はないと思うが。さしあたり何かは起きる だろうな」 「嬉しくないお言葉をどうも。たはは・・・・・・あっちもこっちもそっちも参るよなぁ」 知盛に寄りかかり、しばし考えを巡らせる。 すると、寝所の入り口に気配を感じた。 「梶原様・・・こちらへ」 「え〜っと・・・・・・知盛の勘がアタリみたい。繋ぎはつけるから、知盛たちはいつも通りにね」 素早く立ち上がり、足音も立てずに部屋を出て行く景時。 「クッ・・・どうにも面白い男だな」 普段は足音が煩く朔に叱られたりしているのだ。 ところが、抜け出す時は音をまったく立てない。 その使い分けこそが景時の力を示している。 「兄上様は頼りになる・・・・・・」 さらりとの額にかかる髪を除けると、飽く事無くその寝顔を眺める。 (別当殿たちが御出での夜に・・・か。とても何かが出来たとは思えないが) 知盛もヒノエの部下たちの実力は認めている。 知盛まで呼び出されないとなれば、精々陸揚げされていた物資だけが消えたのだろう。 (経正たちを甦らせたのは名のある宝物ばかり・・・古来より、神々の力宿りし・・・・・・) 景時とヒノエに同じ質問をされたのだ。 残念ながら知盛にとっては興味がなかったために、復活の現場に居合わせたことはない。 後から話を聞いただけだ。 一般に神々は天、地、海と分かれているとされている。 一部の亜神が神々の国から追放されし者といわれ、人々に悪事を働かせると考えられていた。 怨霊という存在とは区別された悪しきモノ。 (何かが引っかかる・・・・・・敦盛の時が最後だったな・・・・・・) 敦盛をこの世に呼び戻したのが一門の復活者の最後だ。 八尺瓊勾玉は一部が欠損しており、敦盛の復活が危うかった時に怨霊をも引き込んで甦らせたと 経正から聞いていた。 始めは怨霊の力が強く、敦盛は人の形を成していなかったらしい。 「怨霊は陰・・・使ったのは陽の神気・・・か・・・・・・」 答えが導けそうで導けない。 ただ、自らの呟いた言葉での役割に思い当たる。 「陽の神気を持つ白龍の力を引き出す存在・・・・・・」 幸せそうに隣で眠っている。 何も言われはしないが、福原へ来てからというもの散々な事ばかりだ。 体調もいまひとつ良くならない。 「俺といると・・・・・・辛いだけかもしれないな」 に見つめられるのは気持ちがいいのだ。 視線を独り占めできるのが己だけだという優越感。 己の存在を確認できる瞬間でもある。 を大切にしたいと思ったのは、自分のためではないかと心が揺らいだ時─── ドカッ、バサッ・・・・・・ 大きく大の字になってが寝返りを打つ。 知盛を突き飛ばして向きを変えると、そのまま背を向けてしまった。 「クッ・・・眠っていても油断できない女だな・・・・・・」 が蹴り飛ばしてしまった衾をかけなおし、無理矢理引き寄せる。 朝日が部屋へ差し込み始める中、まだまだ目覚める気配のないを眺めて過ごしていた。 |
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あとがき:白い月が浮かんでいるのも好きです。 (2007.07.15サイト掲載)