怪異 知盛に寄りかかり目を閉じている。 薬が効いてきたのだろう。 眠気らしきが訪れるが完全に眠るほどではない心地よさを楽しんでいる。 知盛もそれに気づいているらしく、時折の髪を梳いては口づけているだけだ。 「兄上は・・・変わられました」 「・・・そう見えるならば・・・そうなのだろう・・・・・・」 重衡は何をするわけでもなく、を抱えた知盛が座る一角に腰を下ろしている。 「昔の兄上ならば・・・私が欲したものは何でも下さった」 「・・・別に。不要なものばかりだったからな」 知盛の言葉に重衡が反応し、庭へ向いていた顔が知盛たちの方へ向き直る。 大きく息を吐き出すと続きの言葉を紡ぐ。 「そう・・・ですね。兄上には欲しいモノなどなかったのやもしれません」 「ああ。何も・・・この命さえも・・・な」 隠れた月はいまだ顔を見せない。 夜空を見上げていた知盛が、の額へ唇を落とした。 「・・・も・・・り?」 もそもそとが動き出す。 すかさず重衡が近づきの袖を手に取ると、口元へ寄せる。 「私も・・・神子様の蜜を味わいたいものです。美味なる甘露を」 知盛以外の声を聞きつけたがゆっくりと首を声のする方へと向ける。 重衡の姿を確認すると、 「?・・・・・・よくわかんないですけど、そういうのってヒノエくんで慣れてるから」 すげなく返事をして知盛の胸に再び顔を埋めてしまう。 まさにまったく意味を解していないらしいの態度に、知盛の方が肩を竦めた。 「お前も・・・さっさと休むんだな。もうの世話になるような事にはなりたくあるまい?」 暗に次はないとの含みを持たせた言葉に、重衡の頬が朱に染まった。 「兄上は何でも簡単に手に入れなさる・・・だから私の気持ちなど・・・・・・」 「ああ。わかりはしない。けれど、お前とてそう変わらないだろう?真実欲したのならば、 それらを手にした後にどうしたかを思い出せ。お前は・・・俺が持っていたから欲しかった。 ただそれだけだ。モノは何でもよかった。違うか?」 膝にある手を拳にして震える重衡。 誰にも嫌われないよう、そつなく上手く過ごしてきたと自負している。 だが、知盛は嫌われる事を厭う事無く過ごしていた。 それこそが重衡が羨ましく思う点であり、また、憎く思っていた知盛の一面である。 己の醜い部分を知られていたという事実の方が悔しくて床を拳で叩いた。 「・・・手。そんな事をしても、痛いだけで何も変わりませんよ?」 がやんわりと重衡の手を包む。 「神子・・・様。・・・・・・私は・・・・・・」 の顔をまともに見られず、俯く重衡。 「うん。知盛って何でも出来ちゃうから。でも、それって知盛の所為じゃないし。逆に、 いつまでも欲しいモノが見つからなくて可哀想な人だったと思いませんか?」 に微笑みかけられた気配を感じ顔を上げる重衡。 「それは私とて同じ・・・・・・」 「違いますよ。重衡さんは・・・欲しがっている自分に気づいていたでしょう?知盛はね、 欲しいことや探していることにも気づいてなかったの」 重衡の手を離し、再び定位置である知盛の膝上へと戻る。 「重衡さんは・・・探していたでしょう?知盛は自分を終わらせればそれが手に入ると 思ってたんだよ。ただ、重衡さんはひとつだけ間違ってたの。目に見えるものは案外大切 じゃないんだってコトに。すべてを知ることは叶わない。すべては手に入らないから、 欲しいモノを選ぶんだよ?そうしないと・・・何一つ手に入らなくなるから」 それだけ言い終えると目を閉じてしまう。 今度は重衡の方が隠れた月があるであろう夜空を見上げた。 「何やら真面目なお話をしてお出でですね、こちらは。あちらはそろそろ酔いつぶれる者も おりましょうに」 教経が扇を片手に知盛の近くへと座り込む。 「クッ・・・宴とは・・・そういうものではなかったのか?」 知盛は酔いつぶれるような醜態をさらすことは好まない。 けれど、他の者がつぶれる様を眺めるのは嫌いではなかった。 「まったく貴方ときたら変わられておりませんね。それで?私に扇などという嫌味まで」 教経は舞は得手ではない。その教経に扇を寄越すとは文句のひとつも言いたくなる。 知盛に扇を返すと、その場に座る。 すると、譲が温かい飲み物を手に手早く給仕を勤め戻って行った。 「私に何か」 「いや。ただ見せたかっただけだ」 のものと対になる扇なのだ。教経に与えるために渡したものではない。 「・・・・・・まったく。迷惑なところもお変わりないようで」 熟睡しているのではないだろうの寛ぐ姿を見ると、自然と笑いが零れてしまう。 あの知盛が女を抱えて座っている。 しかも、女は寝ているだけで、媚を売ることもなければ知盛の世話を焼くのでもない。 ただ知盛に体を預けて眠っているのだ。 (知盛殿の欲したものは・・・・・・このお方だったということか・・・・・・) 「神子様と・・・出逢えてようございましたね」 「ほう・・・用向きはわかったのか?」 知盛と教経の遣り取りを黙って見守るだけの重衡。 元より話に加わるつもりはない。に出された謎かけの答えを探す方が先だからだ。 (私の・・・求めるものとは・・・・・・) つまらぬ者たちからの賞賛の声が欲しかったのかと問われれば、確かに欲しかったのだ。 だが、それが選んでまで欲しかったものかと問われると頷くことはできない。 隠れた月に答えを求めるかのように空を見上げ続ける。 「何やらあちらはお悩みの様子。私も扇の答えを出さなければといったところでしょうか」 教経は重衡の背中を一度見ると、知盛へと向き直る。 「隠れたものは燻り出すのがいいのでしょうが・・・肝心の相手は出てきませんよ。姿を 見せるのが目的ではなさそうですから」 教経の物言いに、知盛の視線がから教経へと移った。 「嫌味なところが変わっていないのは・・・お互い様のようだな」 「さて?私には覚えがございませんが。いつでも我が邸にお出で下さい。何もございませんが、 客人が京からお越しになるならば、ここもそろそろ手狭でしょう」 聞きなれない声に、が覚醒した。 「・・・・・・えっと・・・なんとか経さんだ・・・・・・」 「クッ・・・教経だ。我が従弟殿なんだが」 名前の一部のみを辛うじて覚えていたのだろうが、それならば名前を告げずに話しをすれば いいものを、わざわざ忘れたと自ら言ってしまうのだ。 これには教経も苦笑いである。 「いとこぉ・・・敦盛さんともそうなんだよね?だから・・・経正さんともイトコで。えっと、 教経さんもイトコさんで・・・・・・もう、わかんないっ!!!」 起き抜けにややこしい事を言われたが、その難解さに苛立った声を上げた。 「そう叫ぶな。・・・・・・別にどうでもいいだろう?覚えなくても構わん」 「いやっ。名前だけでも覚えるもん。教経さん、教経さん、のりつ・・・・・・」 何度も教経の名を口にするに、今度は知盛が苛立って口を塞いだ。 「・・・知盛殿がそのように子供染みた焼きもちとは・・・珍しき・・・ククッ・・・・・・」 俯いて笑いを堪えるが、どうにも我慢の限界だ。 その場で声を上げて笑い出す教経の爽やかさ。 も常ならば恥ずかしいという思いが先に立つのだが、今回ばかりは照れる事無く教経に 向かい合うことが出来た。 「ちょっ・・・知盛邪魔っ。えっと、教経さんですよね。朝ご飯の時に会いましたよね?」 両手で知盛の顔を遠ざけると、教経へ話しかける。 「ええ。菊王丸はお役に立っておりますか?」 の従者に菊王丸を置いたのは教経だ。 「お役にって・・・いつも助けてもらってます。どちらかといえば、迷惑かけ気味?」 菊王丸の制止を無視して庭へ飛び出したり、とにかく後から考えると申し訳ない行動ばかりだ。 「それはようございました。迷惑をかけられるほどお傍においていただけるのは名誉なこと。 あれもそう思っているでしょう」 庭先に控えている菊王丸の代弁をする。 「どうかなぁ・・・あっ!菊王丸くんに口止めしなきゃ。朔に言われたら、おしとやかにして なかったのがバレちゃう」 が四足で欄干へとにじり寄り、そのまま菊王丸に話しかけながら式神たちと遊び始めた。 「・・・クッ・・・ハハハハッ!知盛殿の北の方は、ご自由な方ですね」 の行動はどこか子供っぽいのだ。 かといって、不快なわけではない。 肘をついて寝転がり、式神たちと遊ぶ姿は遠い記憶を呼び起こさせる。 「昔は・・・あのようにして共に物語りを乳母に強請ったこともありましたね?」 「退屈しのぎ程度にだがな。明日には義経殿ご一行がこちらへ来るだろう」 淹れ直されている紅茶を口に含む。 「ええ。旅の疲れを癒しに温泉がてらというのはいかがでしょうか?源氏の兄上様もまだ温泉には 入られていないご様子」 「フン・・・ならば、部屋も用意しておくんだな」 「もちろん、心得てございますよ」 教経も初めての飲み物を口に含む。不思議とすっきりする飲み物だ。 「燻り出せぬのならば・・・・・・息の根を止めてしまえばいいだろう?」 口の端を上げる知盛に、 「物騒な事を。・・・我らでは止められるか・・・わかりますまい・・・・・・」 教経は軽く首を左右に振って返す。 「・・・教経・・・・・・・・・・・・」 教経に何かを問いただそうとしたのだが、頭部に痛みが走り知盛が顔を顰める。 「知盛殿。恐らく事の次第を覚えているのは私だけなのですよ。もしかすると経正殿も覚えている かもしれませぬが・・・・・・敦盛などは記憶にないでしょう。あれは・・・不足を補うのに他の モノを雑じらせた。手枷、足枷が必要なモノを・・・・・・」 悲しげな教経の表情を見るにつけ、知盛は己に失われている箇所があるとの確信を得る。 「クッ・・・・・・そういう・・・事か・・・・・・」 知盛が軽く頭を振ると、その髪に月の光が反射する。 月が顔を出したのだと気づいた教経が顔を上げた。 「ええ・・・・・・何も・・・わからない・・・・・・」 「いや?すべては曝される。俺は己のモノは記憶さえも勝手にされるのは我慢がならん。お前の邸の 場所が鍵だというのならば・・・開かれるべく運命が廻っていると思わんか?」 立ち上がった知盛が欄干にいるの元へと歩き出す。 「誰もが感じているこの違和感の正体がわかる・・・そんな事が・・・・・・」 教経も確信があって行動していたわけではない。 ただおかしいと頭の中で警笛が鳴るだけだ。 唯一、手に残る感触だけが教経の記憶を支えている。 (父上・・・・・・私が・・・甘えすぎていたのでしょう・・・・・・) 好きな武術だけを好んで行い、与えられた邸で暮らした日々。 変わることはないだろうと思っていた日常の崩壊。 (藤原の末路に学べなかった我らの責任か・・・・・・) 欄干に背を預け、憂える表情の重衡を見る。 とても花のと譬えられた公達とは思えぬ自信のない姿に、一族の過ちを感じる。 惟盛にしても、あの穏やかな性格は消え去り、ただ恨みのみで行動し人々を巻き込んだ。 救いは神子の手によって封印をされた事だろう。 「今度は兄上を・・・・・・」 通盛は人ではない。何が切欠で惟盛の様に豹変するやも知れない。 己の手のひらの痛みに、握り締めて爪が傷をつけていたと気づく。 「クッ・・・・・・所詮何も・・・・・・」 変わらないと呟こうとしていたのだが、知盛に抱えられ部屋に戻る途中のと視線が合う。 が微笑んで教経に向けて手を振った。 つられて手を振り返すと、知盛が僅かに振り返り口の端を上げたのであろう気配を感じる。 「開かれるべき運命・・・・・・」 運命を開く手の持ち主の存在感。だからこそ菊王丸をつけた。 腹心の部下を他人に貸し出すなど普通はありえないのに、そうすべきだと感じたのだ。 「これでいい・・・これが私の役目なのでしょう・・・・・・」 酒を呑む気分ではない。 やや冷めた琥珀色の液体を口に含むと、静かに空を見上げた。 「ね。教経さん、元気なかったよ?」 「さあ・・・・・・あれは女を誘う手かもしれんが?」 知盛は話を茶化す。 教経にだけは真実を告げていいのだと確信できたのだ。 それだけでも記憶の手がかりには十分。 「え〜〜〜。教経さんって、そういうタイプに見えないんだけどぉ・・・・・・知盛と違って」 が膨れている様子が手に取るようにわかる。 「クッ・・・わざわざ俺を引き合いに出さずともいいと思うが?」 抱えていたを下ろすと、手近な部屋へと入り込む。 「ここ・・・私たちの部屋じゃな・・・・・・」 「黙れ。今宵は仮の宿にて・・・・・・」 知盛自身も予定していなかった場所に決めた。 それがどういう結果を呼び寄せるのかに興味がある。 「ふうん?知盛が一緒ならいいよ」 宴の夜は常とは違った事ばかり─── |
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あとがき:知盛くんも変だと思ったらしい。さて。 (2007.06.02サイト掲載)