朧なる





 景時は宴の前に、予定通りの到着でありながら予定通りではなかったらしいヒノエの寄り道の
理由を隼人から仕入れていた。

「それで?」
「はい・・・頭が妙な気配がすると、わざわざ紀ノ川から遠回りの屋島の方角へ船を進めて。屋島の
近くに着くと、見た目は変わらないのですが、何でも上陸は無理だろうと沖で船を止めたんです」
 つまり、あのヒノエでさえ船で近づくことが不可能と判断したという場所が屋島という事になる。

「何だろうねぇ・・・屋島に何が・・・・・・」
「日が沈むと同時にお頭と俺が泳いで屋島の浜へ上がったんです。けれど、こう・・・妙な感じで。
頭は何かに気づいたらしく、すぐに岩場へ身を隠すようにと。人がいるからだと思ったんですが、
その人というのが人らしくない人でして・・・・・・」
 隼人は上手く言えないらしい。
 ただ、人らしくはあるが人ではないというのだけはわかるといったところなのだろう。

「それで?」
「どうにもこうにも、船に戻るに戻れなくなって。そうこうするうちに小船があっさり上陸して」
 隼人もヒノエを疑いたくはないが、ヒノエは船での上陸は無理と言ったのに上陸する者たちが
いたのだ。
「女房の様な格好をした女も交じっていて・・・・・・丘の邸へ向かったんです。かつて平氏の
邸があったところに邸がありまして・・・戦でなくなったはずの邸が。考えてみれば、福原だって
こうして邸も元通りなんですから、どうして邸があるのにそれまで気づかなかったのか」
 邸というからには小さな家ではないだろう。
 それに気づかないのはどういう仕掛けだったのか、上陸した者たちがいたからこそ出現したとも
考えられる。

「邸がある・・・か。でもさ、屋島は平氏の一門の者にではなく、もともといた守護職に任せた
はずなんだよね」
 勢力分布図として、平氏にまかせきりでも東国への聞こえが悪い。
 頼朝も納得するような分担を決めたのは弁慶と景時だ。
「はあ・・・ただ、お頭が梶原様に伝えよと申されたことがありまして・・・・・・」
「なんて?」
 真剣な隼人の眼差しを受け止めつつ、いつもの軽いノリで続きを促がす。

「・・・・・・戦の時に見た顔を確認したということと、屋島の地は穢れているとだけ。お頭も
推測だけで確信はないらしいんですが・・・・・・平家の一門に連なる者ではないかと」
「そう・・・だから言外にできないわけか」
 ようやく治まった戦なのだ。
 争いの火種は小さいうちにつまねばならないが、それが平家に縁の者という場合は話が大きく
ならざるえない。
 漕ぎ着けた和議も破棄となり、すべてが無に返る。

「まぁ〜た屋島だよ。それにしても・・・平家に縁の者か・・・・・・」
 そう長く話すことは出来ない。何といっても宴は始まっている。

「色々ありがとうね」
「いいえ。お頭に梶原様に仕えよと・・・必ず原因を探し当てて下さるからと申し付けられて
おりますから」
 景時が頭を掻く。
「そんなに買いかぶられても困るんだけどね。ただ、今回の件だけは放置できなくてね。それより、
美味しい料理を食べに行こうか!譲君の料理、隼人は食べたことないんだよね?ヒノエ君の留守居役
だったってことはさ」
「はい・・・しかし・・・・・・」
 逡巡している隼人の手首を掴んで促がす景時。
「何事も経験ってね!食べてから決めてよ。それにさ、宴は大勢がいいっていうのがちゃんの
考えだから。逆らうと・・・蹴られるよ〜〜〜。行くよ!」
 御簾を跳ね上げて景時が簀子を歩き出す。
 隼人は景時に従えと言いつけられている。ついていかないわけにはいかない。
 そんな遣り取りがあって宴の席に関係者がそろうことになった。





「それで・・・だ。明日には九郎たちが来る」
「そうだねぇ・・・来るね、煩いのが」
 ヒノエがいう所の煩い人物は叔父である弁慶および幼馴染の敦盛だ。
「ははっ。それはヒノエの行いのせいじゃねぇの?・・・そろったら・・・・・・」
「ああ。そうなるね」
 原因不明の事件はひとつに繋がりつつある。
「・・・いまさら・・・どうしてあの場所なんだ?」
 宴の席で屋島とは口に出来ない。ここには平家の者が多すぎる。
「ひとついえるのは・・・ここからは島で全貌が見えないからだね。船ですぐなのに」
 屋島に行くには淡路を迂回する航路となる。
 淡路島があるお陰で屋島の動向が生田からは確認し難い。
「ま・・・いつかはと思っていたが・・・・・・気が重いな」
 経正や一門の者にも告げなくてはならなくなる。
 一族の者が今回の事件の首謀者かもしれないという事実を。
 ついつい溜息が零れてしまう将臣。

「そう考え込まなくてもいいと思うけどね。なんと言ってもこちらにはあの白龍の神子様がおいでだ。
ぐだぐだ考えるより、あっさりぶっ壊してくれるんじゃないの?」
 肘枕で横になり、それでも盃を放さないヒノエ。
 なんとも気楽な様子に苦笑いの将臣。
 ヒノエの盃に酒を注いだ。

「どうも。姫君もお戻りだし明日には九郎たちもくるだろうから。少しくらい酔ってもいいだろう?」
「そんだけ飲んで素面だったのかよ。ちっとは遠慮しろっての」
 軽くヒノエの額を指で弾くと、将臣もごろりと横になった。



「ごはん〜!・・・だらしないなぁ。牛になるよ?」
 食事を楽しみに宴の席へと戻って来たが目にしたものは、将臣とヒノエが転がって酒を飲む姿。
「俺のための宴なんだろう?」
 軽く片目を閉じて動じないヒノエ。
「・・・そういうことなんだけど。お酒キラ〜イ。私は向こうで食べるっ」
 小さな足音を立てて、寝殿の主賓席から少し遠ざかる
 知盛はを視線で見送りその場に腰を下ろす。
 盃を手渡されても視線だけはを見つめており、譲に給仕をされながら食事を食べ始めたのを確認
してから将臣たちの方へと向き直った。



「珍しいな。と離れて座るってのは」
 将臣が知盛の空いた盃に酒を注ぐ。
 既に人払いがされており、男同士で酒を注ぎあっている状態だ。
「ああ。譲とチビがいる。それに・・・別当殿の部下の方々がいらっしゃるからな」
 楽しそうに食べたり飲んだり騒いではいるが、さり気なくの周囲を囲んで隙がない。
 重衡でさえ輪に入れずに遠巻きで様子を眺めているだけだ。
 そんな事には気づかないは、仲間たちの醜態を見て笑っては食事を続けていた。

「嫌だねぇ〜、兄さんは。ここに来た一瞬でそれだけ判断されちまうとさ。ま、そういう事」
 ヒノエが盃を掲げると、珍しく知盛が他人に酌をした。
「お気遣いをいただきましたようで」
「どっちかっていうと、兄さんが追い払った方にね。帰りが嵐にならなきゃいいよ」
 一息で飲み乾すと、ヒノエが渡殿からやって来る景時へ手招きした。

「今晩何か起きそうかい?」
「いや・・・まだわからない。ただ・・・・・・すべてが彼の地に繋がっている気がするよ」
 景時が困ったように肩を竦めて仲間たちへ視線を投げかける。
「・・・だりぃ・・・・・・お片づけは最後までしないとお行儀が悪いってな〜」
 大欠伸をしながら将臣が起き上がり、胡坐を組んで座る。

「教経殿の館を借りられないかな?大勢になっちゃったからさ」
「いいんじゃねぇの?知盛。話つけて来いよ」
 景時の意見に将臣が頷き、そのまま知盛に指示をする。
「・・・クッ・・・そういう雑事は但馬守にお願いしますよ、兄上」
 顔を背けて、再びに視線を移す知盛。
「チッ!マジ使えねぇ、コイツ。・・・おう!経正!あの楽が終わったら教経呼んで来い」
 将臣の言葉に経正が黙って頷き、静かに座を離れた。





「ふぅ〜〜〜。暑いんだけど寒いんだよね〜。温かいものがまだ嬉しかったり」
 の本日の夕食は中華御膳だ。
 卵スープを飲みながら、銀と桜が小さなゴマ団子を食べているのを眺める。
「神子!杏仁豆腐が美味しいよ?あま〜いの」
「だよね〜。つるつるって食べられて美味しいよね〜〜〜」
 デザートは別腹である。
 ある程度満腹になり、ふと傍らに知盛がいないと気づいた。

「れ・・・知盛は?」
「先輩。最初から知盛さんは主賓たちの方に座ってました」
 顔を引きつらせながら譲が知盛の所在を告げる。
「そうだったっけ?知盛、ご飯食べたかな?」
「つまみ程度ですけど、食べてるみたいですね」
 様子を窺っていたが、酒よりもつまみを多く口へ運んでいるように感じた譲。
「ん!ならいいや。私もデザート・・・・・・」
「神子様。私もこちらでご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
 が気配に振り返ると、重衡が立っていた。

「・・・いいですけど・・・ご飯、ちゃんと食べました?お薬も飲みました?」
 残念ながらの右側には譲、左には白龍、膳の前には式神たちと、重衡が思う場所には
空きがなく座れそうもない。
 しばし顎に手をあて考えていると、床が軋む音が静かに近づいてきた。
 宴の最中であるのに、その足音は確実に周囲に存在を知らしめる。

「薬なら・・・もだな?」
 知盛がの背後に座りを膝に抱えなおすと、すぐに按察使が用の薬湯を手渡す。

「・・・デザートまだだもん」
「クッ・・・順番はお前が決めればいい」
 知盛にとってはが薬を飲みさえすればいい。
 順番に拘りがあるのはの都合だ。
「・・・それ、美味しくない」
「それで?」
 文句を言うなら無理にでも飲まされそうな知盛の視線に、が恨めしそうに式神たちを見る。

「意地悪大王が来るって教えてくれればよかったのにぃ・・・・・・」
 銀はに背を向けて素知らぬふりをし、桜は庭先の菊王丸の肩へと避難した。

「もう!ズルイよ、銀も桜も。私の味方してよぅ」
「どちらを先になされるか?」
 デザートの碗の隣に薬湯の入った碗を並べて置く知盛。

「うぅ・・・・・・おっ・・・美味しいのが先!」
「そうか」
 知盛は後ろ手をつく姿勢になり、立ち尽くしている重衡を見上げた。

「弟君は・・・そこで何をされている?病み上がりで酒が無理なら向こうへは行かない方が
いいのは確かだが」
 将臣たちがいる寝殿の方角へ顎をしゃくってみせる知盛。
 重衡は溜息を吐いて知盛の背後の少し離れた場所へと腰を下ろした。

「兄上は・・・私の邪魔ばかりされる・・・・・・」
「邪魔かどうかは・・・主観の差だな」
 我関せずといった風情の知盛。
 が勿体つけて杏仁豆腐を食べている方に関心を寄せている。
 最早、重衡の顔すら見ようとはしていない。



「・・・あぁ〜あ。なくなっちゃった」
 食べ物に夢中な時は周囲の動向がまるで気にならないタイプの
 知盛と重衡の遣り取りすら耳に入っておらず、目下一番の関心事は薬湯をいかにして
飲みきるかだ。
 抹茶ならまだましで、いかにも生薬たっぷりで独特の臭いがするアレを飲み込むのは至難の業。
 
(・・・別に苦いお湯なんだよ。液状っていうのはいいんだけどぉ・・・・・・)

 どこか自分が虫になったような、草食動物になったような、なんとも情けない気持ちになる
薬湯にはいささか抵抗がある。
 その空気を察した知盛がに回していた腕に力を込める。

「さて・・・熱が下がったばかりだったからな・・・・・・」
 楽しそうにの耳元へ口を寄せ、が自ら行動するよう促がす。
「うぅ・・・わかってるよ。わかってるんだけどぉ・・・・・・」
 自ら手を伸ばすことなく膳にある碗を睨んでいる
 そこへ知盛の手が伸ばされた。

「手がかかるもんだな・・・・・・」
 軽く口に含むと、の顎を固定して口移しをする。
 にしても身動きがとれずに、残されたところ空気を手に入れるには薬湯を飲むしかなかった。

「けふっ・・・と、知盛っ。苦いんだってば。味もだけど臭いも・・・・・・」
「そう文句ばかり言うな」
 残りの半分も同じ様に飲まされて、すっかりは大人しくなった。



 知盛を振り返り、涙目で恨めしそうに睨んでいる。
「クッ・・・少し待ってろ。譲」
「はい。お待たせしました・・・・・・」
 知盛が座った時に中座した譲が何かを手に戻ってきた。
「お気に召すと思うが?」
「・・・何よ」
 譲から知盛、知盛からへと手渡された碗の中味はミルクティーだった。

「こ、これ!紅茶だ〜〜〜」
 蜂蜜が加えられ、ほんのり程よい甘味がある。
 紅茶のカップばかりは用意できなかったのだろうが、入れ物は問題ではない。
 その場にいた他の者たちにも配られた。

「譲くん!紅茶なんて、どうしたの?」
「ええ。結局茶葉の発酵具合なんですよね。例に作ったら程よく出来たものですから」
「すごぉーい!美味しい〜〜〜」
 水は白滝の泉の水。茶葉は兼ねてより譲が用意していたものだ。
 紅茶の茶葉は保存が容易で、熱湯でも飲めるのが利点。
 梅雨の季節に滅多な食材は使用できないと譲なりの配慮だ。

「うふふ。紅茶かぁ〜・・・知盛のはストレートなんだね」
 明るいところでみたならば、琥珀色だっただろう。
「ああ。甘くは・・・ないな・・・・・・」
 知盛の好みまで気遣う譲に対する知盛からの信頼はさらに上がる。

「譲」
「はい、知盛さん」
 呼ばれるとすぐに膝を進めてくる。
「これは梶原殿もお気に召すと思うが?それに・・・還内府殿にも懐かしいものなのだろう?」
「あ〜〜〜〜、そうかもしれないですね。兄さんはどちらかというと清涼飲料系の人ですけど」
 体に悪いものばかりが好物なのだ。
 カップラーメン、炭酸飲料、スナック菓子と、とにかく譲とは正反対の好みの持ち主。

「ほう・・・ならば、ついでにこれを教経に届けてくれ」
 先ほど舞った時に使った扇を譲へ手渡す知盛。
「これ・・・ですか?教経さんにですね」
 確認を取り、すぐに譲はお茶の用意のために戻っていった。





 月が雲に隠れた頃、港では異変が起きていた。






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 あとがき:予定ではそろそろ終わるはずだったのに(笑)     (2007.05.28サイト掲載)




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