雪の日 「あ」 思わず発してしまった声の大きさに、再び声を出さないようにするのが精一杯。 そうして動いてしまった左腕に注意を向けると、一瞬合った目を逸らされてしまった。 隙間が寒いのだろう。 首を竦めるように衾に潜り込んだかと思うと、ぴたりと景時に寄り添って首を出してきた。 「・・・静かですね」 「だよね〜。雪だな、きっと」 を包み込むように横向きの姿勢になり、外の気配を探る。 音の無さと空気の違いで目が覚めてしまった。 どうやらも同じだったようで、景時の所為で起きたわけではなさそうだ。 その証拠に、目蓋をこする仕種をしていないし、声がハッキリしている。 「もう起きる時間?」 「いや・・・朔が起きる時間ぐらいかな。君が起きる時間は、もう半時あと」 朝餉の支度に取り掛かるため、の起床時刻は、朔が朝の勤めを終える頃。 今朝は外が明るく感じられるが、それは雪によるもの。 常のごとく日の出には遠い。 そんな冬の寒さにへこたれることなく日々の家事をしてくれる妻の頑張りには頭が下がる。 「いつも・・・ありがとう」 口にしてみると、余計に有り難さが増す。 将臣曰く、は家事をまったくしないで済む環境で育ったとのこと。 確かにそう思わせられる出来事があるにはあったが、今ではそのような面影は無い。 「どうしたんですか?急に・・・・・・いつもって?」 何について感謝されたのかわからなかったらしい。 景時の胸元に額を押しつけて顔を隠されてしまった。 「ん〜っと・・・寒いのに起きてご飯作ってくれるのとか。オレを起こしてくれるのとか。あ とはね、お弁当持たせてくれたり。お帰りなさいって迎えてくれるのとか、もう色々」 どれかひとつというものではない。 日々がしていること、してくれていることすべてに。 景時を思い、必要としてくれる人の存在に感謝していることを伝えたかった。 「・・・そんなの普通です。ぜんぜん、ちっともすごくないから、ありがとうじゃないです」 どうやらに上手く伝わらなかったらしく、さらりと流されてしまう。 機嫌を損ねたのではなく、ただ理解されなかった。 くすくすと笑いながら景時の温もりを奪おうというの仕種が可愛らしく、いつもながら にとっての普通はすごいなと感心させられた。 「君は普通っていうけどさ、楽しそうにオレのために何かしてくれてるのをみると、嬉しいも んだよ?これって感謝すべきことだと思うんだけどな〜」 景時の腕に触れて温めようとしていたの手を取り包み込む。 「それは私がしたくって、景時さんが喜んでくれるのがすっごく嬉しいからだもん。何か違う 気がする。ご飯だって、失敗してばかりの時から残さず食べてくれてたから。次は頑張ろうっ て。また食べたいなって言ってもらえたらとか、そういう自分都合っていうか・・・・・・」 極めて単純。 景時に認められたい、喜ばれたい、ただそれだけの事。 が自分で嬉しくなりたいからしていることばかり。 「喜んでいるっていうのは正解。それで〜だ。もっと楽しいことしよっか」 の手を取っていたのを上手く利用して抱き寄せる。 「楽しいこと?」 「そ。仲良ししよう。まだ起きるには早いし、手も温かくなると思うよ?」 少しばかり冷たくなっているの手を、景時の懐へ入れてやる。 「・・・しびれるほど冷たくなってないから大丈夫です」 「じゃあ、オレが寒いから」 「景時さんは冷たくないですよ?」 触れ合っているからわかる。 景時の方が温かいからが温かく感じているわけで、理屈に合わない。 「う〜ん。頑張り屋の奥さんを温めてあげようかな!」 「遠慮します」 最近ではこういった言葉の駆け引きも出来るようになった。 何をしていも楽しいというのは、こういうことなのだろうと思われ─── 「え〜〜〜っ、今日は雪なのに仕事だな〜。冷えちゃう前に温かくなりたいな〜」 「えっと・・・・・・」 言われてみれば景時は休みではない。 温石を持たせてあげようとか、他に気を取られている隙に、景時の思惑に嵌められていた。 「朔。ちゃんは少しだけ寝坊だからね〜」 起きだして顔を洗っていると、水場に朔が来たので声をかける。 先に告げておけばいいだろうという考えは大変甘く、ちらりと一瞥され、特大の溜め息が 真っ白に辺りに広がり、これでもかと朔の意思を代弁した。 「あの・・・さ」 「兄上はどうしてに優しくできないの?はどういうわけか兄上がいいって言ってく れているからいいようなものの。・・・何も考えていらっしゃらないのですか?」 景時との絆を疑うわけではない。 ただ、の方が景時を包み込んでいるように感じるのだから仕方ない。 朔が思うに、が飽きれば景時など捨てられる。 手放しでは無理でも、そこそこ上出来な兄だとは思う。 けれど、決定的な何かが足りない。 景時を褒めようとすると、これだという一番のものが見つからないのだ。 「だよね〜。ただ・・・今日は雪だし、少し寝坊させてあげたかったんだ」 朔の冷たい物言いを気にする風でもなく、自らも息を吐き出し、その白さを眺めている。 「で、頼みがあるんだけど」 「・・・何か?」 朔の胸のあたりに黒いものが渦巻いたが、兄の頼みは聞かねばならない。 景時の顔に雪玉をぶつけてやりたい気持ちを押しこめて、一応返事をしてみた。 「ちゃんが気にしない程度の時間に起こしに行ってくれるかな?」 ようやく兄の良い箇所を見つけた朔。 確かにの言う通り、景時の気遣いはかなり遠くて解り難い。 それでいて、相手を思いやる気持ちは深いのだから性質が悪い。 「わかっております。兄上はもうお出かけに?」 「雪だからね〜。昼に一度戻れたらいいなと思ってるんだ」 さりげなくの温かい手料理を期待している事も言葉に含まれている。 景時が昼に戻れるかもしれないと伝えれば、は更に寝坊を気にせずに済む。 良い妻を目指している日々の努力も報われよう。 「サボりで戻らないで下さいね」 「ま、少しくらいはいいでしょ。じゃ、行ってくる」 これ以上細かな事を言うつもりは無いらしい。 景時はさっさと簀子を歩いて行く。 見送る朔としても、任された以上は適当な言葉を探さねばならない。 『迎えが来たからもう家を出た』 『寒いから、昼には食事のために戻りたいと呟いていた』 「何だか兄上の事ばかり責められないわね」 が目覚めた時に景時がいないことをどう思うだろうか。 見送りが出来なかったことで落ち込まないだろうか。 実に悩ましく面倒な役回りを押しつけてくれたものだ。 「は気づいているでしょうけど」 素直に言葉を受け止めているようだが、その実、言葉の裏の気持ちを受け取るのに優れ ている。 朔の考えなど読まれてしまい、最後にはいつもの惚気を聞かされるのだろう。 『景時さん、優しいの』 景時だけが永遠に見られないだろうとびきりの笑顔付き。 「・・・やっぱり物好きだわね」 景時のニヤケた顔が目蓋の裏にはっきりと思い出される。 親友には申し訳ないが、あれが良い顔とは思えない。 景時なりに顔が緩むのを隠しているつもりなのだろうが、その顔も可愛いと言われて いるのを知っているのだろうか。 「はとってもいい娘なのよ。ただちょっと特別な視点の持ち主なだけで」 つい口から零れ落ちてしまう独り言。 だが、感謝している。 優しくて臆病な兄を救ってくれた、対の神子に。 「小隊の皆さまを引き連れて・・・くらいかしら。念のため多目にした方がいいわね」 守護邸の方は譲が動いてくれるだろう。 京邸に寄りそうな人数だけ考えればいい。 景時によって寝坊を仕掛けられてしまった親友を労わりつつ、 「朝餉の支度が出来てから起こしてあげる」 景時の対の方を向いて笑みを浮かべた。 「これ食べたら頑張らなきゃ!」 寝坊をしてもなんのその。 しっかり朝食を平らげる。 朔にしてみれば、そこまで食べ物に執着する理由がないと思う。 実際、朔が尼寺で修行した時は、かなり質素な食事で勤めをしていた。 だが、は食事にだけ煩い。 時間、内容、量、すべてにだ。 戦で転戦していた時は我慢をしていたようだが、今では景時の食事まで心配で、お弁 当を持たせたりしている。 「そんなに慌てなくても、お昼までには時間があるわよ」 「だけど・・・温かいものと持ち帰れるものの両方用意したいんだもの」 誰もが景時なみの暮らしをしているわけではない。 手土産になる何か、軽食なり、菓子なりを持たせてあげたい。 「と兄上は似ているのかもね」 遠回しな気遣いぶりが。 そう思い口にしたのだが、 「似てないよ。仕事出来ないし、発明出来ないし、花火も出来ないし?」 朔も真意を上手く伝える事は出来なかった。 「寒いよ、お腹空いたよ〜。少しだけただいま!」 「待ってたんですよ?客間にお昼の準備をしてありますよ」 「ほんとに?いや〜、最近じゃ皆が弁当のおかずを知りたがるからさ〜。だったら今日は 家に寄ろうかって話になって」 帰宅早々、をこれでもかと抱きしめて部下たちに見せつける。 は照れているが、ここまでは許容範囲らしい。 軽く牽制をしてから部下たちを邸へ招き入れた。 「まだまだたくさんありますからね」 せっせとが給仕役を務める。 昼とはいえ、どんよりと雪雲の空は寒さが増すばかり。 熱々の汁物を誰もが笑顔で食べてくれている。 何より、景時が焼きおにぎりを嬉しそうに食べている顔が見られ、密かに安堵する。 朝からどんな料理にしようかばかりを考え、作ったら作ったで食べてもらえるか不安に なり、味見をしたからといって落ち着けるものではなかったからだ。 「おいしい〜でしょ。オレはいっつも食べられるんだけどね!」 得意げになっている景時の肩をさりげなく朔が抓ったため、周囲に笑いが起きた。 「じゃ、行って来る。帰りは・・・わかんないんだな〜。九郎の機嫌次第ってことで」 ふわりとを抱きしめると、 「冷たくなっちゃってる。見送りはいいから、早く家に入って」 すぐにからめた腕を解いてを家の方向へと向き直らせた。 が─── 「嫌です。そんなの私の勝手だもん」 景時に向き直ると、腰へ手を当て抵抗の意を露わにする。 こうなってしまうと景時の手に負えない。 白旗を上げれば可愛らしいを見られるのも知っている。 それを大勢の部下たちの前で見せたくないという選択肢だけが残った。 「・・・じゃあ、ちょっと待ってて。皆は先に行ってて。オレは少しだけ名残を惜しむ ことにする〜」 これで察しないようでは景時の部下は務まらない。 に挨拶をすると、潮が引くようにいなくなった。 「これで誰もいなくなったし」 今度は思い切りを抱きしめる。 「みんなに色々してくれてありがとね。おやつ付きですごいよね」 「お家で待ってる人の気持ちがわかるから」 戦に比べれば心配も少なくて済むが、それでも待つだけしかできないのは不安である。 小さなお土産ひとつでも、家に着いてからの団らんに一役買うかもしれない。 「いいよな〜、みんなは。オレにだけ無いんだから、オレには別のモノ頂戴ね」 「えっ?」 家に帰宅する景時に土産がないのは当然で、驚いたが顔を上げると、素早く唇を 奪われた。 「でさ、帰ってきたらオレにも何かないの〜?」 「だ、だって、帰ってって・・・ここ・・・・・・」 今だけではなく、帰宅時の何かまで要求されるとはも考えておらず、周囲に親友 の姿を探すが見つからない。 景時があれだけ堂々と名残を惜しむと宣言したからには、人影自体が無い。 がとった行動は─── 「・・・あはははは!そうきたか〜。これって、君をくれるって事かな?」 抱きついて顔を隠すことにしたらしい妻の温かさは、なんと嬉しいものだろうか。 ついからかってしまいたくなるのはこんな時。 「否定しないのは承諾〜ってことで」 思い切り空気を吸い込むと、の香りが鼻をくすぐる。 「夕飯を楽しみにして仕事を頑張ってきま〜す!」 「何か食べたいものありますか?」 を解放したものの、離れがたくて両手を繋いだままでいると嬉しい申し出。 「じゃあ・・・二人でおやつを食べようよ。ご飯の後に、二人きりで」 「雪見酒?」 「いや、いや。雪見おやつ!お茶とね〜、甘いもの。少しだけ簀子でまったり」 と二人でいる時間に酒は不要。 少しだけ冷えてから部屋へ入れば、何かと言い訳も立つ。 「わかりました。何か作りますね」 「うん。じゃ・・・・・・」 少しだけ甘えるつもりが、盛大に甘えてしまい、いよいよ離れがたい。 指だけが離れられないでいると、 「兄上!が風病になってしまいます!さっさと行って下さい!!!」 遠くから朔の声。 「あ〜〜〜、また叱られちゃった」 「うふふ。まだ叱られ手前くらいですよ」 朔のおかげで、どうにか景時も門の外へ足を向けることが出来た。 後は定番の挨拶。 「かな?行って来る」 「いってらっしゃい」 送り出してもらえるのは、帰ってきて欲しいという合図。 のおかげで素直にそう思えるようになった。 そして、約束は守るためにするものだ。 遅れた分を取り戻すために走りだした景時と、その背中を見送る。 「・・・待ってますからね」 景時との時間を。 鎌倉の帰りにした約束は、いつまでも有効だと信じている。 「明日は晴れるといいな。キラキラ・・・綺麗だよね」 雪の後の眩しさは、春が近づいていることを教えてくれる。 さすがに雪合戦をして楽しむ年齢でもないが、ある事を思いつく。 「そぉ〜だ!小さな雪だるまを作って並べておこう」 景時なら気づいてくれるという期待をこめて呟く。 階に二つ並べておいたら、どんな顔をするだろうか。 「。いつまでも外にいたら冷えるわよ」 「そうだね。あのね、朔。私、いいこと思いついちゃったんだ。きっと景時さんなら 笑ってくれるの」 親友にだけは打ち明けておきたい。 「はい、はい。兄上ならあなたが何をしても喜ぶわ」 「そうじゃなくって!くすって笑ってくれると思うの。大好きなんだ、その時の顔」 朔が迎えにいかなければ、いつまでも外で景時を見送り続けそうなの手を引き 温かい部屋へ向かうが、の話題は景時のことばかり。 「は兄上の顔なら何でも大好きなのでしょう?」 「そうだけど違うの!ちょこっとは順番あるの」 そんなあるような無いような違いに興味はないのだが、頬を赤らめるは、に とっての一番の景時の表情を思い出しているに違いなく─── 「片づけと夕餉を考えなければね」 「あ、そうだった!たくさん食べてくれたから、洗うの楽でいいよね〜」 いつもの五倍は疲れているだろうに、はとにかく明るい。 「景時さんとね、雪見おやつする約束したの。何がいいかな?お汁粉なら甘くて温かく ていいかな?」 「だから。あなたがする事ならなんでもいいのよ、兄上は」 もともと弱音を吐いても文句は口にしない性格の景時のこと。 が景時のためにしてくれていることについて、ダメだしがある訳がない。 「最近、朔ってば冷たいよね」 「冷たいのではなくて、考えるだけ無駄ってことよ。さ!お汁粉ならば、お餅は小さく して焼いた方が美味しいわよ」 「あ、そっか。夕餉の後のデザートだもん。ちょびっとにしなきゃ。ありがと、朔」 思いついたら即行動の。 今度はさっさと台所へ駆けて行ってしまった。 「ふぅ。もねぇ・・・・・・」 雪見が条件のおやつなど、今朝の経験をまったく活かせていないが気の毒に思え るのだが、兄のあまりに解りやすい可愛い我がままと思えば、教えるのが憚られる。 「次のお休みの日は、二人を寝坊させてあげなきゃね」 ちらつく雪を少しだけ眺めると、朔も台所へ向かう。 雪の日限定の密やかな決めごとが梶原邸で増やされた。 知っているのは以外の全員なのが一番のヒミツ。 |
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大遅刻でサイト5周年記念。雪の日って、目がさめちゃうんですよね〜。顔が寒くて(笑) (2010.03.14サイト掲載)