鵲の橋 「晴れるといいなぁ・・・明日」 ぼんやりと梅雨空を見上げる。 明日は七月の七日。 「平日だけど・・・夕方なら・・・・・・」 携帯を取り出し、逢いたい人物へメールを送る。 しばし待ってみるが、すぐに返事は来なかった。 「・・・夜には見てくれるよね」 携帯をバッグへ入れたつもりが落としていた。 知らずに友人たちと別れてバイト先へ向かっていた。 「・・・明日って・・・木曜日だけど・・・・・・」 毎週金曜日はとの逢瀬の日である。 どちらが言い出したわけではないが、景時もそのつもりで早めに仕事を 終わらせ、独り暮らしのマンションへ帰宅するようにしていた。 が景時の帰りを待っていてくれる、そんな時間を心待ちにしながら。 が─── 「わざわざメールって事は・・・金曜日が休みとか?何だろ〜〜〜」 今の時間ならばバイト中かと思いつつコールする。 やはり電話は留守電になった。 「・・・え〜っと・・・・・・」 腕時計の表示を見れば、しっかり二十時半を過ぎている。 がバイトをしている学習塾が終わる時間は二十一時。 「迎えに行って、そのまま送るだけでもいいよな?」 手早く片付け、同僚に挨拶をして会社を後にした。 「じゃ〜、今日はオシマイ!少し早いけど学校のテストが出来たご褒美だよ!」 少しだけ早めに授業を終わらせる。 今時の塾は、先生一人に生徒四人という少人数制なのだ。 「わ〜い!先生ありがとうございました!!!」 それこそ、“あっ”という間に教室を飛び出す子供達。 「ふぅ〜っ。・・・今日は集中してくれたから助かっちゃった」 子供の気分は天気よりも変わりやすい。 いつも大人しいとは限らないのが手ごわいのだ。 「私も終わりっ!」 教材を片付けて日報を手早く書くと、もバイト先を後にした。 が学習塾を出た数分後、景時がビルに着く。 受付で問い合わせれば、残念ながらすれ違ったタイミング。 「・・・追いつくかな?」 急いで駅までの道を走る。 改札を通過するの後姿を見かけたが、景時は信号で間に合わない。 「そうだ!」 電車に乗る前につかまえたくて電話をかけるが、コール音だけでは出ない。 「・・・・・・あ〜〜〜」 信号が変わって横断歩道を渡る。 けれど、電車がホームに着いてしまっている。 「・・・乗っちゃっただろうなぁ」 動き出した電車を見送る景時。 一方のは、何も知らないまま電車に乗っていた。 その晩、帰宅後に景時はにメールを返した。 「明日はどこかで食事する?何時がイイ?・・・って、最近の美味しいお店って?」 コンビニで調達した情報誌をめくるが、イマイチぴんとこない。 それでも、しばし携帯を気にしながら時間を潰した。が、一向に返事はない。 「・・・・・・返信が遅くて怒っちゃったとか?」 景時も明日は休みではないからには、日々の事はしなくてはならない。 「風呂に入りますか!」 いつまでも携帯を眺めていても、今夜は鳴りはしないだろう。 諦めて他の事をする事にした。 「景時さん、忙しいのかなぁ・・・返事来ない・・・・・・えっ?」 鳴らない携帯を探すべく、バックへ手を入れたまではよかった。 「無い!ないよ、無い、無い、無いっ!!!携帯どこ〜?」 携帯が鳴る、鳴らないよりも、携帯自体が無いのだから鳴るわけが無い。 「やだ〜、どこで失くしたのかなぁ?最後に使ったのって・・・・・・」 友人とおしゃべりをしたカフェで景時にメールをしたのが記憶にある最後。 「あっ!あの時・・・・・・」 部屋の時計を見れば、もう日付が変わる寸前。 「明日は学校だし・・・でも・・・返事が・・・・・・」 家の電話から景時にかけるのもアリだが、時間が時間だ。 景時の電話を鳴らすだけで心配をかけてしまうだろう。 「うぅ・・・何もこんな時に失くさなくたってぇ!」 自分の頭を叩くと、ベッドへダイブして枕を抱える。 「・・・・・・寝よ」 考えても無いものは無い。明日は学校なのだ。 朝は開いていない店なのだから、開店後にしか携帯の有無の確認は取れない。 「はぁ〜〜〜。私が返事しなくて心配かけてなければいいけど」 明日詫びることにして、重い気持ちのまま眠りについた。 明けて朝、景時は真っ先に携帯のディスプレイを確認するが返事は無い。 「・・・・・・何か怒らせちゃったかな〜?」 とくに身に覚えはないのだが、のメールに対する返事が必要以上に遅くなった のは紛れもない事実だ。 「先に迎えに行くよってメールすればよかったよな・・・・・・」 そもそも、昨日会社を出る前にメールをすればスレ違いもなかったはずだ。 「まずは謝らないと・・・・・・」 気を取り直して、返事が遅くなった事について謝罪のメールをする。 そのまま出勤前の支度に取り掛かるが、一向に返事は無い。 「・・・朝は忙しいもんだってね!学校へ着けば見てくれるよね?」 そう自分に言い聞かせると、少し早いが、早く帰るためには早く仕事とばかりに 普段より早めに家を出た。 「あんまり出がけじゃ悪いよね」 時計を見計らって、景時が家を出る時間の少し前を狙って家から電話をかける。 残念ながら既に景時は家を出ており、もう電車の中とは知らない。 「・・・・・・出てくれないよぅ・・・怒っちゃった?」 いかにも逢いたいようなメールをしていて、それきりである。 景時の事だ。時間と場所を決めようと返事をくれたに違いない。 それなのに─── 「うぅ・・・私も出ないと遅刻しちゃうしぃ・・・・・・将臣くんに借りよう!」 この後は景時は仕事、は講義がある。 二人の時間がかみ合うのは昼休みしかチャンスが無い。 「いってきま〜す!」 も諦めて、バッグを手に持つと家を出た。 学校へ着くと、将臣の到着を待つ。 できれば景時の携帯に登録がある電話を使いたいのだ。 「来ないな〜・・・・・・」 時計を見れば、そろそろ一時限目の時間である。 「・・・まさか!」 将臣は時々大学をサボる。 パターンとしては、遅刻の時もあれば、丸々一日来ない日もある。 (・・・使えないっ。使えないよぅ、将臣くんっ!) 教室のドアが開き、教授が顔を出す。 この時点で将臣が来ないとなれば、二時限目に来るか、学校へ一日来ないかだ。 (次の休み時間に譲くんに借りよう!) 当てにならない幼馴染その一を見限り、そのまま一時限目の必修科目を受けた。 「譲くんいますかっ!」 上級生が下級生に声をかけるというのは、あるにはあるパターンである。 ただし、大抵がクラブやゼミ、サークル絡み。 大学ともなれば、学年関係ナシの講義の方が多いからだ。 ただの幼馴染という関係のが譲の必修の語学がある教室に飛び込んだ。 その結果は、誰もが唖然と口を開くばかり。 いつも譲といる男子学生が、おずおずと口を開く。 「あの・・・先輩ですよね?譲は今日はクラブの大会で学校へは来ていないです」 「ええっ?!譲くんもいないの〜〜〜。そんなぁ・・・・・・。ありがと!」 休み時間は僅か十分だ。 急いで次の講義の教室へと移動する。 「くるみちゃん!携帯貸して〜〜〜」 「どうしたの?朝から変だよ?」 笑いながらもへ携帯を差し出す親友のくるみ。 「あ、ありがと。その・・・携帯をね?昨日のカフェに忘れちゃったみたいで」 「はぁ?すぐに電話しなよ。携帯使われたら面倒だよ?」 から携帯を奪い返すと、登録してあるカフェの番号にコールするくるみ。 「あ・・・そっか。そっちもだった・・・・・・」 景時に連絡をつける事に精一杯で、肝心の自分の携帯について忘れていたのだ。 「はい。じゃあ・・・携帯は・・・・・・そうですか。わかりました」 電話を切ると、に顛末を説明し始める。 「何だか警察に届けちゃったって。、交番へ行かなきゃだね〜〜〜」 「ええっ?!そっ・・・そんなぁ・・・・・・」 なんとも手間のかかる結末に、が項垂れる。 無常にも、二時限目の始まりを告げるチャイムが鳴った。 「どうしよっかな〜。返事こないな〜」 少しばかり休憩を兼ね、社内の休憩ルームの自販機のボタンを押す景時。 出てきたのは缶コーヒー。 正しくは、コーヒーが出て来てしまったである。 携帯のディスプレイを眺めていたので手元が狂った。 「・・・お茶がよかったなぁ」 「へ〜〜。だったらくれ」 景時の同僚が横から景時の缶コーヒーを奪って、さっさと空いてる席に座る。 「・・・助かったよ。オレさ、冷たいお茶がよかったんだよね〜」 再び小銭を入れ、いつものお茶を確認して押す。 希望通りの冷たいお茶を手に持ち、同僚の向かいへと座った。 「で〜?朝からこそこそ携帯を眺めてどうしたんだ?彼女と喧嘩か?」 景時と喧嘩になるのだろうか?という疑問はあるが、一番可能性の高い質問をする。 「・・・それが・・・わからないんだ。どうなんだろ〜〜〜」 携帯をテーブルに置くと、景時はそのまま肘をついて頭を抱えた。 残っている着信はの家からなのだ。そして、携帯にかけてもは出ない。 「・・・・・・どうって、どう?」 黙って景時を見守ることにした。 「くるみちゃん!度々ごめんね。また携帯貸してもらえるかな?」 の最悪の予想通り、よりにもよって将臣は休みだった。 後は親友の携帯を頼るしかない。待ちに待った昼休みだ。 「いいよ。はい」 そこでは固まった。 「・・・手帳忘れてきた・・・・・・」 「へ?」 朝、景時に電話をかけるために、自宅の電話の前で手帳を使った。 そして、手帳はその場に置いたままだと気づいたのだ。 「番号わかんないよ〜〜〜〜」 携帯は便利だ。その機能は、人に電話番号を覚える事をさせなくなる。 「それって・・・家に電話すれば?手帳、家にあるんだったら親に見てもらいなよ」 正しい意見である。 「う、うん。そうだね」 そして再び考える。 「家はわかるけど、お母さんの携帯番号も覚えてない!」 「・・・終わったね」 自宅にかけても母親がいるとは限らない。 母親の携帯にも景時の携帯番号は登録されているが、母親にそれを確認できる技術は ないとも思い当たる。 「四時限目、出席カード書いておいて〜〜〜」 こうなれば交番へ一刻も早く行き携帯を取り戻すしかない。 「いいけど。ってば相変わらずトロイね〜〜〜」 明るい親友に豪快に笑い飛ばされるが、今日ばかりは笑えない。 暗い気分でお弁当を食べた。 「ちゃ〜ん。電話に出てよ〜〜〜」 昼休み、食事をしながら何度もの携帯番号を押す。 半ば機械的になっている景時。 決まった時間差で指が左右に動くのだ。切ってはかけるの繰り返し。 「・・・それ、しつこすぎ。余計に嫌がられるって」 見かねた同僚が景時の携帯を取り上げる。 「だっ、だって・・・こんなに連絡くれないの初めてで・・・・・・」 「連絡ないなら会いに行け。ここまで連絡ないなら、電話じゃこじれるって」 携帯は便利。いつでも連絡がつくと思っていた。 けれど、便利さに溺れていたのでは?─── 「ありがと!今日さ〜、フレックスしてもいいかな〜?」 「・・・俺じゃなくて上司に言え」 「確かに。じゃ!」 携帯を手に取り、食事も半端に駆け出した。 「今度代わるから!ごめんねっ」 結局、半分だけ講義へ出て、残りのノートのコピーを頼むと静かに抜け出す。 ただいま十五時半、はカフェを目指して学校を飛び出す。 一方の景時も会社を飛び出してが通う大学を目指していた。 「あの・・・昨日携帯を忘れて・・・・・・」 「ああ。午前中に電話をくれた人?」 忘れ物に気づいて、そのまま届けた交番の場所を簡単に地図を書く店員。 は手元を必死の形相で眺めている。 「はい。ごめんね〜。トラブルになると困るから、携帯の落し物の場合はすぐに 警察に届けるようにしてるんだよね」 「いいえ!忘れた私が悪いんですから。ありがとうございました!」 勢いよく頭を下げると、再び駆け出す。 その頃、景時は校門の前でが出てくるのをひたすら待っていた。 「・・・えっと・・・の・・・・・・」 何気に目立つ男が校門の向かいに立っているのだ。 女子学生が騒いでいるのも無理は無いが、その男はくるみも知っている人物だ。 校内には入れなかったのだろう。 警備員がそれとなく景時のいる方向へ視線を向けているのが気の毒ですらある。 「・・・まったく。はいないし・・・無視も可哀想だよねぇ?」 「だね。は帰ったって教えてあげよ?」 もう一人の友人と、は既に学校にいない事を告げに近づいた。 「あ・・・その・・・くるみちゃんとはるかちゃん・・・だよね?」 景時が胸を撫で下ろしながら二人に向かって軽く手を振る。 「そ〜です。こんにちは。なら、今日はもう帰りましたよ?」 「ええっ?!」 泣きそうな顔になる景時を見捨てられず、二人は事の経緯を説明した。 「そっか・・・携帯を・・・・・・よかっ・・・よくない!連絡つかないっ!」 頭を抱える景時の仕種が可笑しくて、二人が笑い出す。 「だいじょ〜ぶですよ!駅前のカフェだし、携帯は今頃もう受け取ってると思うし」 「そっか!ありがと。向こうへ行けば、どこかで会えるよね」 手を振りながら駆け出す景時を見送るくるみとはるか。 「・・・すっごくわかりやすい人だよね」 「だね。も変に気を回さない方がいいのに。あの人、余計に心配するタイプだよ」 その場で溜息を吐きながらも、親友と景時が会える事を祈った。 「どうしてぇ〜?!誰もいないの?」 交番はある。けれど、肝心の人がいない。 交番と警察官の数はあっていない。御用の場合は電話へとなっている交番もある。 運悪く、誰もいない時間に来てしまった。 「え〜〜〜!いつまで待てばいいの?ちょっとぉぉぉ!」 電話をしたものの、すぐには来られないらしい。 誰もいない交番のカウンターで、ぼんやり時間を過ごすしかなかった。 「そっ、そうですか!わかりました。ども!」 の足跡を追いかけている景時。 件のカフェで、交番の場所を聞き出すところまで漕ぎ着けた。 「あと少し・・・・・・」 交番を目指して、再び走り出した。 「・・・待たせすぎだよぅ。そろそろお母さん帰って来てるかも」 は交番を出て、公衆電話がある場所を考える。 今時、余程注意して探さないと見つからない。 確実にある場所といえば─── 「駅ならあったかも!」 誰もいない交番を出て、駅を目指す。 上手くいけば母親が家にいて、景時の電話番号がわかるかもしれない。 が交番を出た三分後に景時が交番へ着いた。 「・・・誰もいない。って、事は」 が携帯を受け取ったという事だ。 逸る気持ちを抑えて、何度も押したリダイヤルボタンを再び押す。 数度のコール音の後、無常にも機械の音声が響く。 『留守番電話サービスに接続します───』 「この声、すっごく冷たく感じるよ・・・・・・」 携帯が無くて不自由していたはずである。 手元に携帯が戻っても景時の電話に出ないとなると、想像以上に深刻な事態だ。 「・・・本気で怒っちゃってるとか?」 しばしその場で考える。 が行く場所は、残すところ一箇所だ。 「ちゃんの家に行くか〜〜〜」 帰るまで待つしかない。それ以外に景時に出来る事は無かった。 「もぉ〜!お母さんたら、どこでおしゃべりしてるのよぅ!!!」 自宅に何度電話をかけても誰も出ない。 が覚えている唯一の番号なのだ。 の母親は有川家でおしゃべりをしていたのだが、そんな事はにはわからない。 「いいよ、もう。そろそろお巡りさん来てくれたかな〜」 駅から再び交番に戻ると、待ち人はまだの様子。 「もぉ〜!こんなに待たせて、どういう事?」 その頃、担当の警官が交通事故処理に借り出されて来られないでいたのはの不運 としか言いようが無かった。 家の前で立つ景時。チャイムを鳴らしても、応答無しである。 「たはは〜〜〜。参ったね、こりゃ」 玄関前で、つい独り言を呟けば、背後から聞き覚えのある声。 「・・・ど〜した?景時。まだなのか?」 「将臣君っ!あのさ、オレね・・・・・・」 将臣に縋りつく景時。 事情を知らない将臣にすれば、男に抱きつかれるのは勘弁して欲しい。 「だ〜っ!離れろ、暑苦しい。なんだってんだよ・・・・・・」 「ちゃんがっ。ちゃんがぁ〜〜〜」 涙目の景時を見て、何事かと景時の腕を引いて家へ帰れば、そこにはの母親がいた。 「あら、梶原さん。こんばんは。と約束?まだ帰ってないみたいよ?」 「はぁ・・・その・・・約束している事はしてるんですけど・・・連絡つかなくて」 「そうなの?またくるみちゃんたちとおしゃべりしてるのかしら」 いつもの事なのだ。の帰り時間は一定ではない。 「その・・・それも違うようで・・・・・・」 学校でくるみたちに会ったとは言い難い。けれど、連絡がつかない事だけは事実である。 「そうなの?どこへ行ってるのかしら?」 の母親も携帯を取り出し、へかける。 けれど、が出た様子はないまま電話は切られた。 「・・・買い物でもしてるのかしら。まったく・・・家で待つのはどう?夕飯も家で食べて いったら楽でしょう?」 「だったら家はどう?譲に作らせるから!」 将臣の母親によって、譲が夕食を作ることに落ち着いてしまった。 そこへタイミングよく譲が帰宅する。 「ただいま」 「譲〜?今日の夕飯なんだけど・・・・・・」 出迎えた母によって、弓道の大会の結果も疲れもなんのその。 エプロンをして働く羽目になった譲。 何故か手伝いは景時の役目となる。母親二人は優雅におしゃべりの続きを楽しんでいた。 「ありがとうございました」 「大分お待たせしてしまって・・・・・・」 軽く一時間半である。普通なら怒鳴られるところだろう。 「いいんです。それじゃ」 交番を出ると、すぐにディスプレイを見る。 景時からのメールといくつもの着信履歴。 「・・・・・・こんなにたくさん・・・怒ってるよね・・・・・・」 携帯を閉じる。 (どうしよう・・・電話しても出てくれないかも・・・・・・) おびただしい数の着信履歴があるのに一度も返事をしていないのだ。 「会うしかないっ!会ってちゃんと謝らなきゃ」 そのまま景時のマンションを目指す。 いつもなら合鍵で中へ入るところだが、今日は気まずくて使えない。 玄関の扉に寄りかかり、景時の帰りを待った。 「遅いわねぇ、あの子。先に食べちゃいましょ」 の母親はあっさりしたものだ。 「将臣。ちゃんに電話してみて?もしかしたら帰り道かもしれないし」 「んあ?俺がか〜?」 よくも将臣を指名出来るものだと将臣が首を鳴らしながら景時を見る。 「景時しろよ。ど〜して俺なんだよ。・・・っかんねぇな」 「オ、オレ〜?オレは・・・・・・」 (ちゃん・・・出てくれるかな?) 内心心臓が飛び出そうだが、これで最後とばかりにリダイヤルを押す。 (ちゃん・・・どこ?) 聞きなれたコール音が数度─── 『・・・もしもし?』 「ちゃん?!今、どこ?」 あんなに出て欲しいと願った電話。 いざとなると、出たことに驚いて飛び上がってしまった。 『その・・・景時さんのマンションの前・・・・・・今日は帰り、遅いの?』 「前〜?どうしてそんな・・・中に入ってて。すぐ帰るから」 『・・・・・・はい』 とても小さな返事だったが、これでは景時の部屋にいてくれるだろう。 「あ、あの・・・ちゃんとオレ、すれ違っちゃってて・・・その・・・・・・」 全員の視線を集める中、景時に弁当を手渡す腕。 「景時さん。二人分つめておきました。多分先輩も夕飯まだだろうし」 「だな〜。早く行けよ。なんならバイク貸すぜ?を送るんならそのまま乗ってくれば いいだろうしな〜」 将臣がバイクの鍵を景時へ投げる。 「ありがと!・・・失礼しますっ!」 大きく頭を一度下げる景時。 「メット、玄関だからな〜。の分も持ってけ」 「そうだった!ありがとね〜」 有川家のリビングを飛び出して行く景時。 「何やってるのかしら、ったら。こんなに梶原さんを待たせて・・・・・・」 「あら。待つのも楽しいものよ?さ、お父さんたちは遅いでしょうし。先に食べましょう」 有川家の主婦の掛け声で楽しい夕食が始まる。 待つのがちっとも楽しくなかったのだと将臣たちが知るのは後の事であった。 「ちゃんっ!」 玄関の鍵を開けると、明かりがついていない。 「あれっ?ちゃん?」 入り口で電気をつけてリビングへ行くと、ソファーで膝を抱えてが座っていた。 「よかった・・・・・・何かあったらどうしようかと・・・・・・」 その場で景時が座り込む。 「・・・何もないです。その・・・私ね、携帯を忘れちゃって。それで・・・・・・」 景時に謝らねばならないのに、言葉が出ない。 泣くより先にしなければと思うと、余計に喉がつまる。 「あ、それなら知ってる。ちゃんの友達に会ったから。よかった〜、今日中に会えて」 譲の弁当をテーブルに置くと、ふわりとを抱きしめる景時。 「ごめんね〜。せっかく今日会おうってメールくれたのにさ。なんとか会えたから、許して くれる?」 「ふえっ・・・景時さんっ・・・景時さん・・・・・・」 今まで怖くて我慢していた思いが溢れてしまったが泣き出す。 「ちゃん?!どうしたの?何か嫌な事でも・・・・・・」 無理に聞き出すのも野暮かと、それ以上は何も言わずに静かにの背を撫でる事にした。 「・・・・・・のっ・・・で・・・・・・」 「ん〜?お腹空いたね〜〜〜。オレってば、譲くんの手作り弁当なんて持ってるんだけど。 食べようか〜〜〜?」 何とか景時に謝りたいのだが、どうにも涙が止まらない。 言葉らしい言葉が出てこない。 一方の景時は、どうすればが落ち着けるかしか頭にない。 「ちょっと待ってて。お茶淹れて・・・・・・」 景時が台所へ行こうとすると、が景時の上着をつかんで離さない。 「あらら?困ったな〜。じゃあ、こうしよっと」 片腕でを抱え、そのまま台所まで歩く。 「お湯を沸かさないとね〜」 景時がヤカンを取ろうとすると、が邪魔をする。 「・・・・・・冷たいお茶でいいの?」 黙って頷く。 「そっか。熱いとすぐに飲めないしね〜」 空いている手でグラスを二つ手に取る。 「ちゃん。これ、持ってくれる?」 しがみ付いているの手がある景時の背中へ向けてグラスを差し出す。 が手に取ったのを確認して手を離した。 続いて冷蔵庫を開けて片手でペットボトルを持ち、扉は肘で閉める。 「冷えたお茶ってさ、なんか感動だよね〜〜〜。これがまた美味しいんだな〜〜」 景時がいた世界では、冷たい飲み物はない。 水場で飲む水の温度が一番冷たいものだった。お茶が冷たいなど想像もつかない。 再びリビングへ戻り、お茶を置くとを膝へ抱え腰を下ろした。 「はい、グラスはこっち〜」 泣き止んだらしいからグラスを受け取り、お茶を注ぐ景時。 「・・なさい・・・・・・の・・・あと・・・・・・」 「ん〜?お弁当、美味しそうだよね。食べよう?」 譲の二段重ね弁当の蓋を開けてテーブルへ並べ、へ割り箸を手渡す景時。 「ごめ・・・なさい・・・けいたい・・・・・・なくって・・・それで・・・・・・」 を抱えなおすと、しっかりと視線を合わせる景時。 「オレね、ちゃんに何事も無くて、こうして一緒にご飯食べられるだけでいいんだ。 だから、もう泣かないで?忘れ物なんて、よくある事だしさ。明日はさ、いつも通りここで 待っててくれるんだよね?」 気にしてが来ないと言い出す方が、景時にとってはつらく寂しい事なのだ。 「ごめんなさい・・・・・・あんなに電話してくれたのに・・・・・・」 「困ったな〜。今度オレに謝ったら、お詫びにキスなんてどう?」 再び泣き出しそうになっていたの目が見開き、ピタリと動きが止まった。 「・・・そうきた?そんなにピッタリ泣き止まれちゃうと、キスが嫌なのかな〜なんて」 わざと軽口を叩いてから、の頬にキスする景時。 実際、怒ってるかと聞かれても、こうしてがいるだけでどうでもいいのだから、 怒りようがないのだ。 「・・・・・・する。たくさん。電話の数・・・・・・」 景時の頬へ手を添えて、が景時にキスをする。 何度も何度も繰り返す。 電話の数など、関係なくしたかった。 (いつも・・・ちっとも怒らないの・・・・・・景時さんって、不思議・・・・・・) 普通なら怒る。逆の場合、なら確実に怒っている。 (先に謝っちゃうのって・・・・・・なかなか出来ないよ?) しばし景時の顔を眺めていると、景時の頬が僅かに朱に染まる。 最後の合図に少し長めに口づけた。 「オレってば、幸せ者〜〜〜。オレたちさ、便利な機械に振り回されちゃったね。これからは、 何かあったらココにいてね。確実に会えるから。どんなに遅くなっても、家まで送るし。ね?」 「・・・・・・送るの?」 涙が乾きかけのに見つめられ、景時の鼓動が跳ねる。 「え〜〜っとね。うん。お泊りは・・・次の日がお休みの時だけね。オレもちゃんも」 精一杯の言い訳。景時にとっての唯一の歯止めでもある。 決めておかないと、際限なくに会おうとするだろう自分への戒め─── 「今日ね・・・七夕なんです。だから会いたかったの。お家が一緒なら毎日会えるのに」 景時の肩へ寄りかかる。 ずっと考えていた。 異世界からたった独りで来てくれた景時。 ようやくの世界へ戻れた。けれど、はただの女子高生に戻っていた。 (何もかも全部なんて・・・・・・無理だったんだよね・・・・・・) 景時の努力での両親に二人の仲を認めてもらえた。 週末のお泊りも、が大学生になり、二人の気持ちが変わらないか試す意味ですればいいと、 としては複雑な理由で許可されたのだが、それでも景時と過ごせるならばと思い直した。 「たなばた・・・たなばた・・・・・・七夕!あ〜、そういう事か〜。一年に一度よりはたくさん 会ってるけどね。・・・本当は毎日会いたい・・・かな?」 できるだけ軽い口調にする。 そうしなければ、の負担になってしまう。 (これくらいなら・・・冗談で済ませられるよな?) の表情を窺えば、不満顔だ。 「・・・ココにいてもいい?パパとママは・・・頑張って説得するから」 「説得って・・・・・・ココって、家に?!それって・・・・・・・・・・・・」 よもやから言われるとは考えていなかった景時。 口だけが慌しく動いているが、まったく音を発していない。 「だって・・・一緒に住んでればすれ違いも無いし。毎日お帰りなさい言えるし・・・・・・」 口にはしないが、が知らない景時の時間が減る。 不安で仕方ないのだ。大人の世界にいる景時の環境が。 学校という、いまだに守られた世界にいる自分との差が。 「困ったな・・・・・・オレの心、見透かされたみたいだね。そう・・・今日がいいのかもしれない。 今日から始めようか?もうさ・・・鵲の橋は渡らなくて済むように・・・・・・」 今まで決心がつかなかった。 いつも想いを押し込め、隠し続けていたのは景時の方─── 「カササギ?」 「そ。天の川に年に一度かかる橋は、鵲が集まってかけてくれてるんだって。橋がないから会えない なら、橋がなくても大丈夫にすればイイんだからさ。オレたちなら・・・・・・ココで一緒に暮らす のはどうかな?毎日一緒!」 を抱えて景時が仰向けに転がった。 「オレさ〜、本当は毎日ちゃんに会いたかったんだよね。ほら、向こうじゃ家にいたでしょ? いるのが普通だったっていうか・・・・・・視界にちゃんがいないの、すっごく不安だった」 「・・・おんなじ!私も!!!」 全身の力を抜いて、景時の鼓動を確認する。 「・・・これからちゃんを連れて挨拶に行こう。でね、送るんじゃなくて、こっちに帰ろうね。 とりあえず持てるだけの荷物を取りに行こう」 抱く腕に力を込めて宣言する景時。 「ほんとに?!ずっとココにいてもいいの?」 「うん。いても・・・じゃなくて・・・いて欲しいんだ。どうかな?」 珍しく本音を語る景時だが、最後にに確認するのはご愛嬌だろう。 「うん!あのね・・・今日は・・・えっと・・・昨日からごめんなさいでした」 「いいの、いいの。おかげでちゃんと暮らせるんだし。ちょっとした織姫と彦星だったね〜」 逢えそうで逢えない時間。ようやく逢えた時の喜びは大きい。 必ず逢える方法は、案外簡単だった。 |
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普通はここまですれ違わないと思います(笑)運がないというか、もうありえないし。逢えてよかった! (2006.07.06サイト掲載)
*ご注意* 七夕は木曜日という事でご了承下さい。そうじゃないと逢えちゃいますから!