闇夜に蠢くのは?  





 泣きながら簀子を歩く影。
 釣燈籠の炎が揺れて動く影すら怖いのだろう。
 物音がするたびにピクリと肩を揺らしている。

「・・・ふえっ・・・母上・・・・・・」
 乳母である三条が目を放した隙に目が覚めてしまったらしい。
 消えてしまった当てにならない燈台に頼るより、母親の傍へ行く方が安心だ。
 そう思って部屋を出たまではよかったが、夜の邸はいつもと違った風景が広がる。
 ようやく透渡殿を越えて東の対へと辿りつく。

「・・・母上・・・・・・」
 妻戸に手をかけると掛金が外れており、すんなりと扉が開いた。



 知章が御簾を潜ろうとするより早く、その奥の几帳の陰から衣擦れの音がする。
 刀を手に現れた人は、とてもよく見知った顔だった。

「・・・ち、父上・・・・・・」
 その場にペタリと腰を抜かしたように座り込む。
 見下ろされる視線に恥ずかしくなって俯いた。
「三条はどうした?・・・まあ、この刻限では自分の局か」
 知章を軽々と肩へ担ぐと、僅かに後ろを振り返った。


「・・・邪魔者を置いてくる」
「ま、待って!邪魔だなんて・・・ちょっと・・・・・・」
 慌てて単を着ただけの姿のが駆け寄って来た。



「知章、どうしたの?怖い夢でも見た?」
 手を伸ばして知盛の肩から知章を貰い受ける。
「ち、ちが・・・起きたら真っ暗・・・・・・」
「あはは!燈台の油が切れちゃったんだね。それは・・・驚いたね?」
 寝かしつけようと足を向けた母屋の中がどのような状態か思い出し、隣に立つ
人物を恨めしげに見上げてみた。

「クッ・・・何か羽織ってこい。その格好で歩くことは許さん」
「知盛に許可もらうとかの問題じゃないと思うんだけど・・・・・・」
 知章を知盛へ預けると、羽織を取りに御簾内へ戻る
 物音で主が目覚めたと覚った古株女房の按察使が、すぐに簀子に到着した。

「知盛様?」
「少し・・・ふらついてくる。に羽織を出してやってくれ」
 按察使に言いつけると、知章を片腕に抱えて庭先へ下りた。





「闇程度で泣くな。ただ暗いだけだろうが」
 しゃくりあげ、涙は流したい放題。
 知盛に叱られると思ってか、これでも精一杯我慢しているのだろう。

「本当に怖いのは・・・闇ではないとわかる時が来る」
 そう多くを語らない父親からの言葉は、短すぎてわかるようでわからない。

「もっと・・・怖いものがあるのですか?」
「ああ。だが、答えは自分で考えろ。誰もが同じとは限らん」
 教えるのか、突き放すのか、どちらかにして欲しいものだ。
 按察使に着つけ直してもらい、羽織を着こんだが知盛の後ろに立った。

「知章。怖いと思ってもいいんだよ。誰にだって怖いものくらいあるんだから」
 按察使に持たされた手拭で、涙と鼻水でぐちゃぐちゃな知章の顔を拭いてやる。

「い・・・のですか?」
「うん。いいの!父上はね、私に叱られるのが怖いんだよ〜〜〜」
 若干ニュアンスが違うかもしれないが、恐れられているのは確か。

「私は怖くないです」
「そう?知章がいい子にしているからかな。悪いことしたら怖いよ、きっと」
 頬を指先でつつくと、ようやく笑顔を見せてくれた。

「もっといい子になります!」
「あら。偶には父上を見習って悪い子ちゃんでもいいのよ?」
 時折、母親もこのように知章を惑わす。
 向けられた笑顔に曇りはなく、その言葉に嘘は無い様に見える。
 返答に困って父親を窺うと、口の端を上げ皮肉った顔になった。
 意地悪でしているのではない。
 知章やの反応を楽しんでしている、からかいの方。

「良い悪いは己の判断次第。それについては他人を当てにするな」
「は、はい」
 知盛が歩きだすと、知盛の空いている方の手と手を繋ぐ

「知章は知章の考えで決めて行動すればいいんだよ。まだ、たくさん見て、聞い
て、覚えているところだから。わからない時は誰かに聞けばいいよ」
 知章のおかげで、思わぬ夜の散歩が叶った。
 子供はいつかは欲しいと思っていたが、知盛があまりにも乗り気ではなさそう
だったので心配もした。
 どうしようかと何度も悩んだ。けれど───


「うふふ。知盛が知章を抱っこしてるの、新鮮」
 特別何かを指南してやる風でも無い。
 必要な時には面倒をみるといった距離を置いた関係だが、無視はしないでくれ
ている。

「別に、幼い時にはいつも抱いていただろう?」
 知盛のいうところの幼いは、まだ知章が赤子の頃の話。
 四歳児は充分に幼い範囲と思うのだが、知盛にとっては違うらしい。
 按察使に聞いた話では、知盛は五歳で童殿上したそうだ。
 相当大人びていたのだろうが、それはかなり特殊な部類で一般的ではない。

「そうだけど。嬉しいの!・・・三条さんだ」
 知章の対の前まで来ると、階で三条が控えていた。


「申し訳ございませんでした」
「いいんですよ。何だか目が覚めちゃったみたいで。ひとりで向こうの部屋まで
来たんです。すごいでしょ?」
 大好きな母に自慢と言い訳までしてもらえた。
 どうやら三条に怒られることもないし、三条が父から叱りを受ける事もなさそ
うだ。知章は密かに胸を撫で下ろす。

「三条。そう度々邪魔をされては敵わん。よく見張っておけ」
 知章を三条へ預けると、の手を取りさっさと簀子へ上がってしまう。
 ここで何かを言い返そうものなら大変だ。
 遠ざかる二人の背中を知章と静かに見送った。



「さ、若君。もうお部屋の中は暗くないですよ」
「う・・・ん。でも、暗いのは怖くないんだって、父上が仰ってたよ?」
 三条に抱きあげられて部屋に入ると、再び褥に寝かしつけられる。
 けれど、胸が高鳴っていてまだ目が閉じられない。
 夜の庭を歩いたのは初めて。
 あんなに怖かったのに、父に連れられ、母と歩いた庭は美しかった。
 少しだけ父に近づけた気もする。
 せっかく話し相手がいるのだから聞いて欲しい。

「あのね、母上は怖くてもいいし、時々は悪い子になってもいいって」
「まあ!お方様らしいといえば、らしいのですけれど。父上様の悪いところはあ
まり見習わないで欲しいものですわね」
 何の気なしに零した言葉。
 知盛の無頓着と執着の差は迷惑なものだ。
 もう少し周囲に気を使って欲しいとも思う。
 ───何はともあれ、とにかく扱いにくい主なのは間違いない。

「父上様は悪い人なの?」
「・・・そうですわねぇ。時々出仕をおさぼりになられますし」

 今宵はにとって、いい迷惑な一夜になるだろう。
 ギリギリ父親としての威厳を保ったと思っているだろうが、を連れ去るよ
うにして部屋へ戻った知盛の行動は、正直子供じみている。
 その上、八つ当たりと焼きもちの行き先は、しかないのだから始末が悪い。
 が眠れるか疑問が残るが、そこは知盛次第なので考えないでおいた。

 燈台の油が切れそうだったが、眠るのに明かりは不要と芯を短めにして知章の
部屋を出たのが、おもいきり裏目に出てしまった。
 目覚めてしまったのも、の対まで行ってしまったのも、予想外の出来事。
 按察使が知らせてくれなければ、この小さな主を今でも探していただろう。

「ふうん?さぼるの、悪いことなんだ・・・・・・」
 明日は三条を少しだけ困らせてみようと決心する。
 何といっても母が許可してくれたのだ。
 楽の稽古をサボろうとまで考えたが、そうすると、舞の稽古はとも思う。
 三条に叱られて、優しい母との昼寝の時間が無くなるのは困る。
 そこまで考えてハタと気付く。

「ねえ、三条。父上は母上のお部屋にいたよ?母上と一緒にお休みなら、怖くな
いよね?」
 大好きな母の甘い香りと温もりに包まれて眠る時間は、一番嬉しいひととき。
 その時間を父は知章より長く持っている計算になる。
 夜の眠りは長く、朝まで眠っていていい。
 そして、ひとりで寝ているのではないのだから、闇が怖いわけがない。

「やっぱり、父上様はズルイ。母上様と、毎晩寝ているのでしょう?」

 一瞬嫌な予感がした。
 出来ればサボりだけで済んで欲しかったが、そうはいかなかった。
 の対を訪れ、知盛に会っている現実がある。
 そして、やはりそこに気づかれてしまったかと三条は内心焦ったが、どうにか
誤魔化さなければならない。
 との昼寝を許可しているのは、知盛にとって最大の譲歩。
 これで夜の時間まで減らされようものなら、邸から半分の人間が消え失せる。

「父上様は、昼間は出仕をされております。お方様と過ごせる時間が限られてお
りますよ。夜はお休みにならなくてはなりませんし。だから共にいるのです」
「おやつの頃には帰ってきているよ?起きると母上の隣にいる事が多いよ?」
 昼寝から目覚めればおやつの時間。
 目蓋を開くと、何故か共に食べるわけでもない父親が座っていたりする。

「知盛様は、若君の母上様がとても大好きなのです。だから、怖いのだと思いま
す。・・・いつも一緒に居たいのに、いられない時間が」
「怖いって、そういう意味なの?叱られるからではないの?」
 母が言っていたのは、三条が言う意味とは少し違うように思う。

「一緒にいたいから出仕をおさぼりになってお戻りになられる。すると、お方様
に叱られますでしょう?父君が謝るまで、お話をしていただけなくなりますわね。
それが・・・怖い。若君も、母上様と話せなくなったら、悲しくて、怖くはござ
いませんか?」


 にしてみれば信用されていないと感じるらしく、知盛にとってはジレンマ
この上ない。
 天へ帰るのだろうか恐れているなど、怖くて口にすら出来ないでいる男。
 還らずに留まる証しを立てられないので、我がままをすべて受け入れることで
安心させようとしている女。


「うん。怖いね。母上がいなくなるの・・・怖い」
「大丈夫ですよ。だから父上様を見習わなければいいのです」
「なんだ、そうか!!!・・・じゃ、お寝坊しないように寝るね」
 知盛と同じ事をしなければ叱られないと、話がうまく逸れた。
 どうにか今宵はこれで切り抜けられそうだ。

「おやすみなさいませ」
 薄暗い程度に明かりを留め、三条は几帳の外へ移動する。
 寝息が聞こえるまで座っているのが役目だ。


 子まで生したというのに───


 知盛の憂いがわからないわけではない。
 初めて失くしたくないモノを得た知盛の気持ちを代弁できる者がいないだけ。
 龍神の神子にしても同じ事だ。
 羽衣姫の言い伝えがあるが故に、の覚悟は疑われてしまう。
 ならすべてを手放さず、諦めないだろうに。


「明日の朝は少しお寝坊した方が、親子三人で朝餉をいただけそうね」
 知盛は確実に遅刻を狙っているだろうし、今宵の騒ぎを還内府が聞きつけ、最
初から休みにしてくれるかもしれない。
 何より、が起きられない。

「ま、いいわ。あちらには母上がいるから」
 の対には按察使がいる。
 に頼られるのを心底喜んでおり、実の娘の三条など使い走り以下の扱い。
 あの若君第一だった按察使の変わりように、古くから知る者は驚いている。
 残念ながら知盛の地位は二番手、いや、知章が生まれた今では三番手。
 もしかすると、もう少し順位は下かもしれない。

「明日も頑張りますか!」
 知章が眠ったのを確認し、静かに部屋を後にする。
 誰もが龍神の神子の恋物語の結末を見たいと思っている。
 この邸で楽しく仕えられるのは、彼の人がいるから。



 空に輝く星を眺め、明日も晴れると確信する。
 笑い声が響く邸の朝がはじまるまで、しばしの休息。











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ちゃんとパパしてるチモ。だけど、どう取り扱えばいいのかいまひとつな感じが伝わればいいなと思います。     (2009.05.28サイト掲載)




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