バレンタイン 2009 (銀編) 大切な神子様にご負担をおかけしてはいけない。 けれど、一年に一度なら─── 今年もあの特別な一日がやって来る。 何をしても許される、魔法のお菓子をいただける日。 そわそわと落ち着かなくなっている私にお気づきですか? 「銀〜。明日ね、チョコレートケーキ作るから。土曜日でよかった〜」 風呂から上がると、雑誌を捲っているが目に入る。 「明日・・・ですか?」 「うん。バレンタインだもの。去年の雪辱戦。麦チョコじゃあんまりでしょう?」 よくよく手元を除くと、お菓子作りの本。 髪を拭きながらの隣に座り込む。 「私は神子様から頂けるというだけで幸せですよ」 「そう言うと思った〜。シャレにならないよ、今年も麦チョコじゃ」 今年もバレンタインの話題で盛り上がる時期が来た。 当然ながら昨年の話、今年の流行、各自の動向と、話は行きつ戻りつする。 『ほんとに麦チョコだけ?!』 『だって・・・いいって本人が言うんだもの』 『の彼氏じゃそうだよね〜。すっごく優しそうだもん』 『でもさ、それって女として終ってない?女子力ゼロ。むしろマイナス』 友人たちの中には、料理上手もいれば、苦手な者もいる。 そこは苦手なりに手編みのマフラーなど、オプションで勝負をしているらしい。 (ううっ。私ってば・・・・・・ダメ人間っぽい) 付き合うきっかけを掴むための告白イベントでもない。 そういう意味で、気合と準備の点が友人たちに負けていたかもしれない。 「あのね、チョコの方が難しいんだって。だから、ケーキにしたらって」 「ケーキ・・・でございますか。楽しみですね」 チョコレートの温度管理は難しい。 ケーキならば時間はかかるが、そうひどい失敗もしないだろう。 そう。時間がかかるという点以外は問題がない。 (半日は・・・お姿を眺めるだけになりそうですね・・・・・・) 折角の週末、少々残念だがのしたい事の邪魔をしたくない。 差しさわりのない返事をしておく。 「期待しないでね?人生初の手作りケーキだから」 「誰にでも初めてはあるものです。ね?神子様」 さりげなくの肩口から本を除くと、途端に閉じられた。 「見ちゃダメ!出来るまで秘密なんだから。髪、乾かさないと風邪ひくよ」 本を持っては自室へ行ってしまう。 部屋のドアが閉められるのを見送ってから、思い切り項垂れる重衡。 「ケーキより、神子様の方が・・・・・・」 甘くて美味しいという、続きの言葉は飲み込んだ。 「仕方がないですね。私のためだと仰るのですから」 特別甘いものが好きなわけでもないし、ケーキでは一日で終ってしまう。 計算が大幅に狂ってしまったが、そこは割り切って明日を待つ事にした。 「よぉ〜し!始めるぞぉ〜〜〜」 朝食を食べ終えると、待ってましたといわんばかりにキッチンで腕まくりをする。 道具を並べて材料を出し、準備万端、後は作るだけ。 ところが、視線を感じて振り返ると、重衡がカウンターで頬杖ついてを見つめている。 「あの・・・出来れば見ない方向で。初めてだから、その・・・緊張しちゃうし」 料理に関しては天才的不器用を誇るの手元を見られるのは、大変恥ずかしい。 日頃はほとんど重衡が料理をしており、手伝いといった程度しかしていない。 その料理上手な彼氏に見続けられるのは、それでなくとも危うい手元が大いに狂いそうで、 の方が怖いのだ。 「せっかくの休日に、神子様の愛らしいお姿を見られないなんて・・・・・・」 泣かないまでにも、これ以上はないというくらいさめざめとした憂いの表情を小出しに 見せる。 「あ、あの。そんなつもりじゃなくって、だから・・・これは銀のためのケーキで」 「では、よろしいでしょうか?神子様を見ていたいのです。ケーキをお作りになるところで はなく、神子様だけを見つめておりますゆえ・・・・・・」 手を合わせて、いかにもほっとした風の重衡。 この演技に騙されないのは、こちらの世界では将臣ぐらいのものだ。 大抵がこの美しい所作と顔に騙される。 も例外ではない。 重衡を好きな分、騙されかたも拡大解釈で、丸々とした騙されぶり。 「わかりました。ぜーったいに手元とか、ケーキを見たりしないで下さいね」 断われば屋上から飛び降りかねないと、はまんまと承諾する。 「はい!それはもう。約束は必ず守ります」 優等生の返事をして、そのまま居座る重衡。 (ふふふっ。神子様は私にお優しい・・・・・・) に許される自分という図式が、とてもとても気に入っている重衡。 甘え方が大分屈折している。 (ケーキがお手を煩わせなければいいのですが・・・・・・) 手元は見ない約束だ。 が、の口から零れる言葉は芳しくない。 「ん〜〜〜、案外難しい・・・・・・」 約束を破るわけにはいかないので、の表情しか見ていないが、卵を割る音からして あやしい。 「あ、湯せんのお湯沸かさなきゃ」 「小麦粉も先にふるって・・・ココアも?!最初から粉なのに?」 昨夜作り方の本を読んだとは思えない言葉が飛び出す。 最早見ているのは無理と重衡が立ち上がりかけた時、 「銀!こっち側へ来ちゃダメだからね。私がひとりで作らなきゃ意味がないんだから」 振り返らないのに的確に顔付近をビシッと指差され、動きを封じられた。 「・・・畏まりました」 浮いた腰を再び椅子へ沈めると、ちらりと時計へ目をやる。 (これでは、午前中に済みそうもないですね・・・・・・) 昼食の支度はそうかからないので、キッチンを占拠されていても問題はない。 ようやく生地を型へと流し込み、オーブンへ入れたところで時間はすでに十時を過ぎて いた。 「ええっ?!どうして?」 先にバターを塗らなかったのか、上手く型からスポンジ生地が出せないらしい。 無理矢理だしたところで、大きな落胆の溜息が零れる。 「・・・斜めだし、何だか硬くなってるぅ」 粉のふるいが足りなかったのか、オーブンの余熱を忘れたのか、材料の配分誤りか。 見事に傾斜したスポンジ生地が焼きあがった。 「じゃりって感じ・・・・・・」 端を一口食べたの目は潤み始めている。 ここで手助けしたいのは山々だが、再び叱られては分が悪くなってしまう。 大丈夫という意味で微笑んで見つめていたが、は一瞬だけ重衡を振り返ると、その まま自室へ駆け込んでしまった。 (これは・・・困りましたね・・・・・・) 手伝いは禁止、もちろん助言も禁止。 八方塞がりの状態で、いかにの気分を復活させ、ケーキを何とか形にするか。 この困難な課題を解決する妙案が浮かばない。 とりあえず出来る事は、お茶をいれての休憩だろうか。 立ち入り禁止と言われていたが、キッチン側へ移動し、やかんに手をかけた。 「あ〜〜〜っ!」 「・・・お茶はいかがですか?お菓子作りは一切見ておりませんし、触れておりませんよ」 何もしていない証明に両手を上げて見せた。 「・・・わかりました、信じます。あの・・・・・・」 「何か?」 無実は証明されたが、の様子が変だ。 向き合わないほうが良さそうだと、紅茶の用意をしながら振り返る。 「ああ。紅茶ではない方が・・・・・・」 「違うんです。今からお客様がふたり来るんですけど・・・・・・」 さすがにその様な予定はなかったため、軽く首を傾げて続きを促がす。 「えっと・・・譲くんにお手伝いを頼んだら、将臣くんもついてくるみたいな?」 「譲殿と将臣殿ですか。わかりました。昼食でしたら問題なくご用意できますよ」 が心配しているだろう辺りについて触れる。 「よかったぁ〜。頼んでおいて何にもナシじゃ、悪いなって思ってたの」 手を合わせて飛び跳ねる。 譲に電話をしたのはいいが、まったく繋がらない。 仕方無しに将臣の方へかけると、午前中は弓道部の練習で学校だろうとの返事。 ケーキが作れなくて困っているから、どうでもいいから譲を連れて来てと頼み込んだ。 (ついてくるっていうか、使い走りさせたっていうか・・・ご飯がなかったら、将臣くん、 ちょー不機嫌になっちゃいそうだもん) 日頃から譲が作った食事や、母親手作りのものをしっかり食べている将臣。 味にも量にも煩いのだ。 重衡が作った食事ならば文句も出ないだろう。 その点譲はあまり怒らない性格なのか、まるで実の弟の様に扱いやすい。 (ほんと、譲くんってイイコだよね。優しいし、お料理上手だし、気が利くし) 最初から恋愛対象外の扱いで、それはそれで譲の傷口に塩を塗りこみまくっている。 無視するより性質が悪いのだが、そこまで振られれば譲も本望だろう。 「神子様、休憩にいたしましょう」 「わ〜い。銀の紅茶だ」 料理の先生が到着するまでに出来る事はない。 ソファーに並んで座ると、しばし紅茶を飲んで重衡に甘える。 「ごめんなさい。お菓子作りは先生がいないと難しいみたい」 「お気になさらずに。誰でも最初は師に学ぶのが一番です。独学は難しいですから」 口ではそういいながら、あまり苦労した記憶はない。 この辺りの使い分けの上手さで、重衡の右に出る者はいない。 「よかった。私ね、あんなにヘンテコなケーキが出来ちゃうと思ってなくて。だって、 友達が言うには、材料をしっかり量れば失敗しないって。・・・嘘ばっかり」 の初心者ぶりを知らなかったのだろう。 オーブンの余熱など、直接の作り方と別の部分にまで気を回さなくてはならない。 「神子様とこうして時間を持てたのです。ご友人の嘘も悪くはございませんね」 肩にかかる重み。 が重衡に身を預けているからこそである。 「う〜ん。ちょっと複雑。だって、私が一番お料理下手なんだもん。嘘っていうか、私の 才能が無さすぎぃ・・・・・・」 「神子様があまりお上手だと、私の楽しみが減ってしまいます。神子様に美味しいと言って いただける事が、この上ない喜びなのですから」 さり気なくを抱き寄せようとした瞬間、無常にも来訪者を告げるチャイムが鳴る。 「あっ!譲くんかも」 ぴょんと跳ねるように軽やかに玄関に駆け出して行く。 重衡の手は宙に浮いたままになっていた。 「小麦粉は丁寧に振るったんですか?」 「はいぃぃっ!」 「オーブンの余熱は?型にバターは?余分なベーキングシートは切って下さい。メレンゲは 角が出来るまで!」 「はっ、はいっ!」 ひとりの時とは違い、キッチンに妙な緊張感が走っている。 それでいて使用済みの道具は端から片付けられてゆくのだから、どんどんスペースが 出来てゆく。 「・・・どうしたらこんなになるんだよ」 の失敗作であるスポンジ生地を一口齧り、紅茶で流し込む将臣。 食べられるところをにしっかり味見をさせると、残りを平等に重衡と将臣に出した譲 に逆らえはしない。 「初めてなのですから、そのように厳しく仰らずとも・・・・・・」 「あのな。俺が譲を連れて来なかったら、これは全部お前が食わされたんだぞ」 嫌そうにフォークで残りのスポンジ生地をつつく。 「よろしいではございませんか。神子様が初めて作られた記念のスポンジ生地です。少々 硬めではございますが、味は問題ございません」 重衡がを見ると言い張るので、キッチンの中が見えるカウンターで並んで座る羽目に なっている将臣。 譲が作ったチョコレートクリームでデコレートされていようとも、硬いものは硬い。 重衡にとっては、ケーキどうこうよりも、が作った部分だけが重要なのだろう。 文句もなくとっくに食べ終えていた。 「譲殿。キッチンを半分使ってもよろしいですか?そろそろ昼食の支度をと思うのですが」 「え〜っと・・・何を作るが指示していただければ、俺がしますよ。ね?先輩」 の睨むような視線を感じ、瞬時に的確に状況判断をする。 重衡もその空気を察し、冷蔵庫内にあるものと、予定のメニューだけを告げた。 「まめですよね、重衡さん。きちんと冷凍にしていたり。家の馬鹿兄は食べるだけで、何の 役にもたたないというか、買い物もまともにできないというか」 炊飯ジャーを開ければ、昼に合わせていたのだろう。 しっかり炊き立てご飯が仕上がっている。 冷凍になっている材料をスピード解凍し、その他に必要な具材をそろえる。 平行してがデコレート用のクリームを作るのも指導。 「チョコレートはもっと細かく丁寧に削って下さい。滑らかにならないですよ」 「は、はい。でも、手にくっつくんだもの」 がっちり握っていたために、溶け出している。 「・・・時々手を洗って、なるべく温めないようにして下さい」 「は〜い」 とにかくコツといわれる部分をまったく知らない。 日頃はどうしているのかと呆れて天を仰いだが、どうにかしてしまう人物が常に傍らに いるのだ。 つい重衡の方をまじまじと眺めてしまった。 「・・・何か私の顔についていますか?」 「いいえ。本当に先輩と重衡さんはお似合いだなと思って。お吸い物も作りますね」 ちらし寿司が完成する頃には、オーブンから甘い匂いが漂ってきた。 「今度は出来たかな?」 「たぶん大丈夫でしょう。多少の傾きなら、スライスしてそろえれば問題ないです」 オーブンの前で中を覗いているが嬉しそうで、突然の呼び出しと兄の迎えに驚いたが、 来てよかったと口元が緩む。 「譲く〜ん。お兄ちゃんはお腹が空いて死にそうで〜す」 「・・・そこに座ってるだけで何もしていないだろ。後十分ぐらい待てよ。それに、重衡さん はまだこっちへ入れないんだから、テーブルのセッティングを兄さんがすれば、早く食べられ る。どうする?」 重衡がキッチンへ入る許可は下りていない。 今度は成功しそうなだけに、まだ見せたくないがおもいっきり両手でダメという仕種を して見せている。 「わかったよ。箸でもならべて待ちますかね〜。重衡だけが楽してんな」 「いいの!バレンタインなんだから、銀は何もしなくて」 将臣と譲は、すっかり行事から取り残されてしまった様だ。 のカウントには入っていないらしい。 「ま、いいか。ちらし寿司〜は、好物ですよ〜ってな」 お茶の用意に箸、漬物、先付けの野菜と、譲に出されるままに将臣が並べてゆく。 重衡は会話が聞えているのか、いないのか、夢見るような視線でを見つめたままだった。 「スポンジ生地が焼けたら冷ますんだよね」 「そうなりますね。先にお昼で丁度よかったです」 器に綺麗に盛り付けて、がテーブルへちらし寿司を運ぶ。 「譲殿。お手数をおかけしてしまって・・・・・・」 「いいえ。とても綺麗で使いやすいキッチンですから。俺の方こそ、色々片付ける場所とか 間違っていたらすみません」 料理人同士通じるものがあるのか、互いに礼を言い合っている。 「・・・食べよう?私もお腹が空いちゃった」 「左様ですね。それでは、いただきましょうか」 揃って食前の挨拶を済ませると、すぐに将臣が音を立てて食べ始める。 「・・・兄さん。少しは味わって食べろよ」 「んな暇ねぇ。腹が減りすぎて、どこに入ってるかわかんねぇ」 言葉通り、将臣の分の料理は見る見る消えてゆく。 「変わらないですね、兄上様は」 「んあ?うるせぇ。こっちじゃ堂々と酒が飲めないんだ。飯ぐらい自由に食わせろ」 片手で碗を持ち、ずるずるとお吸い物を飲み干す。 「・・・バカ兄貴ですみません」 「いいえ。将臣殿がいたから、我らも楽しく過ごせましたよ」 将臣が重衡の代わりを務めることに不満がある者もいたが、頼りにする者の方が多かった。 あれだけ大きな一門の重責を、誰も被りたくはない。 重盛の生まれ変わりと信じられていた陽気な若者にどれだけ救われたか。 「おかわりくれ」 「はい、はい」 重衡が立ち上がろうとすると、 「銀はだめっ。私がする」 将臣の茶碗を手に持ち、がキッチンへ向かう。 「・・・この件は高くつきますよ」 「うっ。・・・これはだな・・・・・・」 滅多に怒らないのが重衡。 だからこそ、怒るとやっかいなのもこの男なのだ。 「私の大切な神子様に・・・・・・」 「せ、せめて取りに行くかな」 このような場合、だけが将臣を救える可能性がある。 そのためには、いち早く用事を済ませて距離を置かねばならない。 素早くの元へと向かい、茶碗を手に戻ってきた。 「ほ〜ら、自分でした。山盛り」 重衡の一瞬の殺気をかわし、気づかぬフリを決め込んだ。 「譲くん!上手に出来てた〜。どうすればいい?ちょうどね、焼きあがったの」 今度は食事中の譲の腕を掴み、が楽しそうに再びキッチンへ行ってしまう。 残された将臣としては、一番まずい事態に陥っている。 「将臣殿。私のためのケーキ・・・ですから」 「あ、ああ。わかってるって。仕上がったらとっとと帰るし。俺たちは昨日貰って・・・・・・」 口を滑らせ、益々事態は悪化の一途。 「左様でしたか。昨日、既に神子様からチョコレートを・・・ということですね」 「まあ、な。で、でもな!こぉ〜んな小さいのだ。親父さんの分もついでに持って行くように頼ま れてだな。そもそも学校というものは、土日が休みだから前日になったわけで」 何故こんなに必死に申し開きをしなくてはならないのか、誰を恨めばいいのか。 (だ。アイツが出来もしないケーキを作ろうなんて考えやがったから・・・・・・) 将臣が恨むべき相手は、成功したスポンジ生地に大はしゃぎ。 「・・・落ち込みそうなを救済した分でチャラ。OK?」 「・・・畏まりました。此度はそれで」 静電気の様なピリピリとした空気が治まる。 「銀〜、すっごく上手に出来たんだよ」 スキップで戻ってきて、真っ先に重衡へ報告する。 「それは楽しみです。神子様、オーブンで火傷などなさっていませんか?」 の手を取り、じっくりと確認をする。 「大丈夫。譲くんがしてくれたから。私が火傷したら大変って。ね〜〜〜」 「もちろんです。先輩に料理で怪我などさせられません。ただ、問題が一点・・・・・・」 言い難そうだが、この点ははっきりさせたいらしい。 譲は眼鏡をかけ直すと、重衡へ視線を向ける。 「今更ですけど、先輩が買ってきたケーキ型7号なんですよね。今の時期なら、もっと小さいサイ ズもあったんじゃないかとは思うんですけど・・・・・・」 事前に相談されれば、アドバイスのしようもあった。 けれど、失敗してから呼ばれたのではどうにもならない。 「そっかぁ、銀ひとりじゃ大きすぎだよね・・・・・・」 丸ごと一個のホールケーキ。 ショートケーキにすると何個分になるだろうか。 「大丈夫ですよ、神子様。一緒に本日のおやつに頂きませんか?もちろん、私のためのケーキなの ですから、神子様には少ししかあげられませんけど」 内緒話でもするように、に向かってささやくように告げる。 「そ、そうだよね。だってね、すっごく上手に出来そうだもの。お昼食べたら続きをするからね」 重衡の機転で上手く話がまとまり、ほっと胸を撫で下ろす譲。 ケーキ完成後に本人が気づいて悩むよりは、断然いい結果になった。 将臣が譲の足を蹴る。 (てめぇ・・・自分だけ点数稼ぎやがって) そ知らぬ顔で足を踏み返す譲。 (これ以上余計な事は言わないようにして下さい。先輩になにかあったら困るでしょう?) 困るも何も、涼やかな笑顔で息の根を止められるだろう。 誰あろう、重衡に。 「それでは、片付けを・・・将臣殿。お願いいたしますね。私は台所へ入れませんので。いえ、楽し みがゆえに、こちらで待ちたい気分なのです」 リビングで待つことにしたらしい。 なるほど、飾りつけはどう頑張ってもカウンターでは見えてしまう。 「コーヒーの用意をしますよ。兄さんは洗い物、先輩はスポンジ生地のスライスから始めましょう」 譲の先導により役割分担がなされ、無事にチョコレートケーキは完成した。 「あ〜んして?」 当初、チョコレートではないという事実に残念な思いがしたが、ケーキには別の特典がついていた。 に食べさせてもらえるという、特大の特典が。 「とても美味しいですよ」 「よかった〜。でも、やっぱり大きいよね」 切り分けると余計に残りの大きさが目立つ。 「将臣くんたちにもあげればよかったかなぁ?終ったら、さっさと帰っちゃって・・・・・・」 後は冷蔵庫で冷やすだけと、仕上がったと同時に二人は帰ってしまった。 「神子様。私のためのケーキなのですよね?本日の・・・そう。バレンタインの」 ここで今一度本来の目的に軌道修正をしてもらわねばならない。 誰のためでもなく、“重衡だけのためにが作ったケーキ”という事実が大切なのだ。 「うん。明日も食べられると思うけど・・・・・・」 「明日もですか?明日も神子様が私に・・・・・・」 ほんのり頬を染め、照れながらも続きを強請るように首を傾げている。 「明日もするの?」 「はい!明日も、あさっても。ケーキがなくなるまでは、神子様が食べさせて下さるのでしょう?」 そうキラキラとした瞳で言っておきながら、すぐに表情が曇ってしまう。 「ケーキがなくなると、終ってしまうのですね・・・・・・」 「こんなに大きいケーキだもの、十分だよ。ケーキ食べ過ぎが心配」 食べさせてやるのはやぶさかでないが、いくら何でも続けて甘いものを食べすぎだと思う。 「では、ケーキ以外でもよろしいのですか?そうすれば食べすぎではございません」 期待に満ち溢れた瞳がを見つめてくる。 「あっ・・・えっと・・・・・・」 既に重衡の罠の中。 すぐに答えられないのは計算済みだ。 「今夜の食事は何にいたしましょうか?神子様に食べさせていただくのですから、麺類は少々大変 だとは思うのですが・・・・・・」 「いつ決まっちゃったの?」 「承諾いただけないと、ケーキを食べられなくなります・・・・・・なくなってしまったら、私は どうしていいのか・・・・・・」 涙ぐみそうな重衡の訴えに、あっさり陥落する。 「わ、わかりましたから!今日は、何がいいかなっ。久しぶりに、中華とか?おかずだけですから ね?何から何までっていうのは、並んで食べないと出来ないし」 「もちろんです。神子様のお手を煩わせるようなことは・・・・・・これで安心していただけます」 きちんと座り直すと、の手にあるフォークを見つめて待っている。 「来年はもっと小さいのにしますね?そのかわり、ご飯も私が作れるように練習しますから」 なりに女子力アップの決心をした今年のバレンタイン。 重衡に踊らされていると知ることは永遠にない。 「来年も、再来年も、ずっと神子様から魔法のお菓子をいただける・・・・・・」 「・・・ちょっと違うけど、そんな感じです」 神子様はほんとうに可愛らしい御方です─── 今年もどこか間違ったバレンタイン。 すべて重衡の思惑通り。 |
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銀は甘え上手のようで、本当の気持ちの甘えが下手だといいな。だから望美ちゃんに変な甘え方しちゃうとか。 (2009.02.11サイト掲載)